「オブジェクト指向的携帯獣論」

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 去る八月七日。携帯獣電子工学を専門とする山吹大学の客員教授フーベルト・ディンバー氏が、自身の研究成果として纏め上げた「オブジェクト指向的携帯獣論」に関する演説を行った。これは、その時ディンバー教授と聞き手の間で交わされた問答の一部である。

 

――教授の言う「オブジェクト指向的携帯獣論」とはそもそも何か。

「そのままの意味です。私はプログラミングの世界で使われている『オブジェクト指向』的手法を携帯獣電子工学の分野へ持ち込み、あらゆる事象の解読を試みました。その結果、携帯獣、ひいては携帯獣を取り巻くすべての領域において、合理的かつ画一的な解法を導出することに成功しました」

――オブジェクト指向、とは?

「いいでしょう。ではまず最初に、『オブジェクト指向』というものがどのようなものであるかを説明しておきます。オブジェクト指向を端的に言えば、あらゆるものを『オブジェクト』、つまりは『もの』として捉え、その『もの』のプロパティやメソッド――プロパティは『属性』や『状態』、メソッドは『振る舞い』と訳すのが適切でしょうね。さて、そうしたプロパティやメソッド、あるいは『もの』同士の関係を定義することにより、実際に即した設計と開発を行うことです」

――ものとして捉える、とは?

「例えば――そう。このボールペン。このボールペンは『ペン先で書く』『ペン先を出す』『ペン先をしまう』といったメソッドを持ち、『色は黒』『材質はプラスチック』『インクの残量は半分ほど』といったプロパティを持っています。こういった形でプロパティとメソッドを定義することにより、『ボールペン』というオブジェクトを表現することができるのです」

――オブジェクト指向は人間が考案した手法であるが、本当にその事で携帯獣のすべての事象に説明が付くと考えているのか。

「いい質問ですね。貴方の言うことはもっともでしょう。しかし私はあえて言いますが、携帯獣のあらゆる構成要素はオブジェクト指向により説明することができると考えています。オブジェクト指向は確かに人間の考え出した手法でありますが、次のように考えることもできます」

――どのように?

「元々オブジェクト指向こそが根源的な理論であり、人間は年月を経て、人間達なりのルートでそこに行き着いたと考えるのです。人間が考え出したものは、すでにこの世界を構築するために使用された手法であったと考えるのです。荒唐無稽と考える向きもありましょうが、私はそう間違っているとは思いません」

――オブジェクト指向を携帯獣の分野へ持ち込んだというが、それはどのような形でなのか?

「実に簡単なことです。携帯獣のプロパティやメソッドをオブジェクト指向的に整理することで、携帯獣に関するあらゆる事象を説明することができます。難しいことではありません。ごくごく簡単なことなのです。同時に、この地球、いえ、宇宙の果てまで含めたすべての領域を一つのランタイム・エンヴァイロメント、つまり『実行環境』として大域的に捉え、その中の一つの事象として物事を考えれば、簡単に説明が付きます」

――具体的には。

「ここに携帯獣がいたとします。これは――大雑把に言って、『体力』『腕力』『守備力』などのプロパティを保持し、『噛み付く』『引っ掻く』『眠る』といったメソッドを備えています。携帯獣はこれらを始めとする膨大なプロパティとメソッドによって、明確かつ厳密に定義することができます」

――携帯獣はすべてオブジェクト指向によって表現できるということか?

「その通りです。より分かりやすい例として、具体的な携帯獣を用いて説明することにしましょう。そうですね……では、『マリル』を考えてみてください。マリルは『水属性』『四十センチメートルの身長』『八.五キログラムの体重』『青色の体』『冷たい皮膚』『水棲生物』……こういったプロパティを持ち、『泡を吐く』『転がる』『丸くなる』『尻尾を振る』『鳴き声を出す』『波乗りをする』といったメソッドを持っています。理解できますね?」

――なるほど。携帯獣の特徴や動作は、プロパティやメソッドによって定義できると。

「はい。しかしながらこれは、オブジェクト指向的携帯獣学の一面的な見方に過ぎません。私の理論では、オブジェクト指向はより包括的かつ大域的に、携帯獣の生態や成り立ち、ひいては携帯獣のあり方に至るまで、そのすべてを定義できると考えている次第です」

――より具体的な話を。

「いいでしょう。その為にはまず、オブジェクト指向における『クラス』のお話をしなければなりません」

――『クラス』とは?

「オブジェクト指向においては、オブジェクトを生成する『型』となる『クラス』が存在します。クラスはオブジェクトを生成するための基本的な情報、つまりはプロパティやメソッドを持っており、また、自分と異なるクラスとの親子関係も保持しています」

――クラスが携帯獣そのものなのか?

「いいえ。クラスはあくまで型に過ぎず、特定の固体を指し示すものではありません。クラスを元に生成されたオブジェクトを『インスタンス』と呼びます。日本語で言うのならば『実体』などの訳が適切でしょう。日本風に言うのならば……そうですね。たい焼きの型がクラス、たい焼きそのものがインスタンスと考えると分かりやすいでしょうか」

――個々の携帯獣は、その携帯獣のクラスから生成されたインスタンスであると?

「その通りです。どのマリルも概ね『四十センチメートルの身長』『八.五キログラムの体重』『青色の体』『冷たい皮膚』『水棲生物』といったプロパティを持ち、またアクセス可能なメソッド……分かりやすく言うのなら、取ることのできる振る舞いも厳密に決められていることからもお分かりいただけるかと思われます」

――では、『進化』はどう考えられるのか?

「『進化』は継承と派生の産物です。進化前の携帯獣のプロパティとメソッドを継承し、新たな固体へと派生する。これぞまさしく、オブジェクト指向の持ちえる『継承』『派生』の様態を端的に表していると考えられます」

――個々の携帯獣はバラバラのクラスで存在しているのか?

「いいえ。そうではありません。携帯獣はすべて『携帯獣』クラスを大本の親として、そこからツリー状に派生する形で存在していると考えられます。マリルは『携帯獣』クラスの派生クラスであり、ツリーを辿れば最終的に『携帯獣』へと辿りつきます。このことが何を意味しているか分かりますか?」

――すべての携帯獣は、同一のクラスから派生したということか?

「その通りです。これを生物学的に言うのなら、すべての携帯獣は同じ祖先を持ち、長い時間の中で他のクラスを継承・派生し、現在の広大な携帯獣樹形図を作り出したということです。少々話がずれることを承知で申し上げるのなら、携帯獣を同一の手法で電子計算機上で処理できるのは、大本となるクラスがまったく同一だからです」

――すべての携帯獣が同一のクラスから派生したからか?

「そうです。考えてもみてください。もしです、古代に生まれたとされている携帯獣と、ごくごく最近になって発見された携帯獣とが別々のフォーマットを持っていたならば、同一の装置で読み取りや書き換えができるはずが無いでしょう? すべての携帯獣が単一の電子計算機で処理できるのは、同一のクラスから派生した派生クラスであり、大本となるフォーマットはすべて同一であるからに他なりません」

――そのことを示す証拠は何かあるか?

「あります。このことは、携帯獣に定義されたメソッドの一つである『物真似をする』や『指を振る』、『スケッチをする』などが証明しています。これらは携帯獣のメソッドの中でも、他とは少々異なる特殊なメソッドですね。そう。本来その携帯獣が持ち得ないメソッドを実行することができるというものです」

――具体的にはどういうことか?

「そうですね。私はこれらを『メソッドをコールするメソッド』であると考えています。携帯獣のメソッドがあらかじめ大本の『携帯獣』クラスですべて定義されており、『物真似をする』や『指を振る』といったメソッドが、本来アクセス不能になっているメソッドへ特別にアクセス可能にするメソッドであるために、携帯獣が特殊なメソッドを実行することができるのではないでしょうか」

――携帯獣が本来取りえない振る舞いをするのは、あらかじめすべてのメソッドが携帯獣の内部で定義済みだから、ということか?

「素晴らしい。その通りですね。携帯獣が本来し得ない・持ち得ない振る舞いをすることができるのは、あらかじめ携帯獣が携帯獣として取りえるあらゆるメソッドをすべて備えているからです。このことは、携帯獣が単一のクラスから派生していることの証左と成り得るでしょう」

――ところで、先ほど出た他のクラスというのは、別の携帯獣のことか?

「もちろん、それも含みます。しかしながら、それだけではありません。携帯獣は携帯獣のみならず、他の生物や植物といった別の分野に属するクラスをも継承し、その種類を増やしてきたのです。一例を挙げましょう……そうですね、カブトプスとストライクを見比べてみてください。似ているとは思いませんか?」

――確かに。

「そうです。お分かりいただけるかと思われますが、ストライクはカブトプスから派生したクラスなのです。ストライクは親元からの継承の際『カブトプス』クラスのみならず、一般的な昆虫としての『カマキリ』のクラスを取り込んだ、つまりは『カブトプス』クラスと『カマキリ』クラスを多重継承したクラスであるということです」

――ストライク以外の他の携帯獣もそうであると?

「もちろんです。より具体的な例を挙げましょう。ビリリダマはモンスターボールに似た形状・外観を持っていますね。そしてビリリダマが発見された時期が、ちょうどシルフカンパニー製の汎用携帯獣記憶装置、所謂モンスターボールの販売開始時期と重なっているのもご存知でしょう」

――確かに。

「はい。これはビリリダマというクラスが、ビリリダマとは別の携帯獣が『モンスターボール』クラスを取り込んで派生したクラスであるからに他なりません。大本のクラスが存在しなければ、派生クラスは作れませんからね」

――生物以外もクラスになりえる、と?

「なりえるというよりも、クラスそのものです。単刀直入に言うのならば、実行環境内に存在し得るものすべてがクラスであると考えられます。正確に言うのなら、クラスから生成されたインスタンスと言うべきでしょうが」

――有機的なものも、無機的なものもどちらもか?

「その通りです。コイルを思い浮かべてみてください。これもビリリダマと同様に『磁石』クラスや『螺子』クラスなどを多重継承し、『コイル』クラスを形作っているものと考えることができるでしょう。携帯獣が単なる有機的生物であるならば、あのようなフォルムを持つことは到底考えられないことです」

――先ほどすべてのものはクラスであると言っていたが、それはどこまでの範囲を指すのか。

「言葉どおりです。すべてです。有機的なものも無機的なものも、生物も植物も、あるいは人工物も、すべてはクラスから生成されたインスタンスに過ぎません。このボールペンは『ボールペン』クラスから、貴方の持っているノートは『ノート』クラスから、この会場に取り付けられているスピーカーは『スピーカー』クラスからそれぞれ派生したものなのです」

――生物が含まれるということは、それには人間も?

「当然です。人間もまた、『人間』クラスから生成されたインスタンスであると考えられます」

――容姿や性格の様々な違いはどう表現するのか?

「プロパティです。インスタンスはクラスから生成される際、コンストラクタと呼ばれる特殊なメソッドを実行します。これはオブジェクトの持つプロパティの初期化を行うもので、コンストラクタに引数、つまりは事前情報を与えることで、コンストラクタはインスタンスを適切に初期化します。これにより、生物は生まれながらにして様々な特徴を備えることはできるというわけです」

――人間もクラスから生成されたインスタンスであるならば、携帯獣が人間を取り込んで、新たな派生クラスが作られる可能性もあるということか?

「まったくもってその通りです。その傾向は既に、フーディンやエビワラーといった極めて人型に近い携帯獣の存在により証明されています。将来的には携帯獣が人間の持つすべてのメソッドとプロパティを発現させ、人間の完全なアッパーコンパチブルになる可能性、つまりは携帯獣が人間の特徴をすべて兼ね備え、その上で携帯獣特有のメソッドとプロパティを保持することで、人間を一方的に上回る形で存在する可能性も大いにありえます」

――それは、携帯獣が人間に取って代わるという意味か?

「そうした意味も含んでいます。現に、携帯獣はこれまで多数のクラスを取り込み、そのすべてにおいて大元のクラスを上回る性能を見せ付けてきました。貴方は『ストライク』の原型としての『カマキリ』はご存知だと思われますが、現実に『カマキリ』と呼ばれる昆虫を見かけたことはありますか? ――無いでしょう。これはストライクが『カマキリ』の持つプロパティとメソッドをすべて取り込むことで、存在としての『カマキリ』の意味を奪ったからに他なりません」

――携帯獣が人間に成り代わり、人間の存在の意味を奪う、と?

「可能性としてはあり得ます。携帯獣が人間としての特徴をすべて取り込んだ暁には、人間の存在に何の意味も無くなる日も近いでしょう。携帯獣が人間を排除するとは思えませんが、恐らく時間と共に社会機能のすべてが携帯獣に置き換えられ、人間は緩やかかつ穏やかな絶滅を迎えることになると思われます」

――恐ろしい話だ。

「おっと、少々脅しすぎてしまいましたね。これはあくまでも私の仮説に過ぎません。この説にはまだまだ証明の余地があります。私は今後この説をさらに補強すべく、研究と探求を続けていく所存であります」

――なるほど。では最後に、一つ質問をしても良いか。

「どうぞ。なんですか?」

 

 

――教授が両手に持っているスプーンには、どのような意味が?

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

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