#14 からをやぶる

586

「はー疲れたー」

中身があるんだか無いんだか分かんない一日を流すように過ごした結果として、あたしは今自分の家に戻ってきている。シチュエーションとしては、まあお風呂上がりってところだ。髪の毛乾かすのが面倒くさい。

パジャマ着てバスタオル首に引っ掛けたままリビングまで戻ってきて、隅っこに置いてあるパソコンデスクの前まで歩いていく。お父さんはテレビでニュースを観ていて、お母さんは通販のカタログを読んでる。そしてあたしは、ほとんどあたし専用みたいになってるパソコンをいじくるというわけだ。お父さんは時々マンションの組合だったかの資料を作るためにワードとかエクセルを触るくらいで、お母さんはたまーにインターネットでホームページを見るくらいだ。家で一番使ってるのはあたしで、一番詳しいのもあたしってことになっている。まあそのあたしにしても、そんなにいろいろやってるってわけじゃないんだけど。

椅子に座ってマウスを持つと、奥に隠れていた方の窓を手前に持ってきて。

「お風呂上がったー」

「おかえりー」

「こっちもシャワー浴びてきたところ」

キーボードでぺちぺちと、しょうもない会話を打ち込むのであった。

流行ってるらしい。だから三年くらい前、ネットで解説を見ながらとりあえず入れてみたスカイプは、確かに便利なソフトだった。遠くにいる友達とも、相手が同じようにスカイプさえ持ってれば話せる。文字でやりとりできるから遅くまで話してても平気だし、電話やメールと違ってお金も掛かんない。写真だってすいすい送れる。ホントに便利だ。

最近クラスの他の子はスマホで使えるLINQってソフトを使ってるみたいだけど(あたしもちょくちょく画面だけ見せられることがある)、ご存知の通りあたしはスマホ持ってないから、スカイプがその代わりだ。この時間になると、こうやってだらだらおしゃべりしてることがすごく多い。

「榛名はまだカロスにいるんだったっけ」

「うん」

「今はミアレっていう街にいるよ」

「サッちゃんは名前聞いたことある?」

「知ってる。テレビとかで見たことある。なんかオシャレなとこだよね」

「そうそう」

「歩いてる人がみんなお洒落なんだよ」

今日は二人と別々に話していて、その一人が榛名だ。小学校の三年のときに同じクラスになって、一人で居たところへあたしの方から声を掛けたはず。で、なんだかんだで友達になって、今に至るまで関係が続いてる。まあ、そんなところだ。

その榛名がなんで関東からめちゃくちゃ離れたカロスにいるのかっていうと、これは別に両親の仕事の都合で引っ越したとかじゃない。もっともっとありがちというか、普通な理由で。

「というか」

「うん」

「そろそろ榛名がトレーナーになって一年とちょっと経つんだよね」

「小六の終わりだったから」

「うんうん」

「私もちょうど同じこと考えてた」

「一年ってあっという間だなーって思って」

「今年もいろいろ見て回れたらいいなーって思ったよ」

「ポケモンもいろいろ捕まえたみたいだしね」

「この前はデデンネ見せてくれたし」

「あー」

「デデンネだっけ?」

「デデンネで合ってるよ」

榛名はポケモントレーナーになって、あっちこっちを旅してるってわけだ。

元々榛名はおとなしいというか引っ込み思案なキャラで、教室にいてもあんまり目立たない、影の薄いタイプだった。あんまり好きな言葉じゃないけど「陰キャラ」って感じの。だから、トレーナーになって紫苑を出て行く、ましてや関東を離れて遠くを旅するなんて全然思ってなくて、あたしと同じでそのまま中学へ通うもんだと思ってた。実際、五年から六年に上がる時にみんながごそっと学校やめてトレーナーになったときも榛名は紫苑に残ってたわけで、普通に考えればそのまま進学すると思うだろう。

ところが、榛名は小六の七月頃から学校に来なくなって、そのまま一度も登校せずに小学校を卒業した。これまた好きな言葉じゃないけど、登校拒否になってたらしい。その小六の時に大規模なクラス替えがあって、あたしやネネと榛名はかなり離れた組同士に割り振られたけど、新しい組でいじめがあって、榛名はその標的にされた……らしい。らしいっていうのは、人づてに聞いた話で、実際にどんな具合だったのかは分かんなかったからだ。

引っ込み思案で学校に馴染めなかった榛名は、今やトレーナーとしてあちこちを自由に見て回っていて、ついにはカロスにまで行ってしまった。確か今年の春くらいからイッシュを経由してカロスに乗り込んだとかどうとか言ってたはずだ。ここにいた頃を思えば、信じられない行動力だ。

「みんなお洒落してるの見てたら私も何か欲しいなって思って」

「だから今度帽子買うことにしたんだ。赤くてかわいいのを見つけたよ」

「帽子買うのはいいけど、お金足りなくなるんじゃないの?」

「そうそう。だからバイトを探してみたんだけど、ちょうどポケモンセンターの食堂でお皿洗いしてくれる人募集してて」

「榛名バイトしたんだ」

「先週からだから、もうすぐ一週間になるよ。思ってたよりもたくさんあって大変だけどね」

榛名がバイトをしてる。あたしはちょっとキーボードを叩く手を止めて、榛名が言ったことの意味を考えてみる。

お皿洗いってことは、裏方の仕事だ。バイトはバイトだけど、とりあえずお客さんを相手にするのとは違う。けど、あのおとなしい榛名が、全然知らない外国でバイトしてるなんて、正直ちょっと信じられない。いきなり言われて、信じろっていう方が無茶な話だって思う。

ネネの新聞配達に通じるところがあると思った。あれもネネがお金を欲しいと思って、身近でできるバイトを探した結果だったと思う。それでネネはちゃんとお金をもらっている。ネネと榛名は二人とも、学校へ通いながら、トレーナーとして旅をしながら、曲がりなりにもお金を稼いでいるわけだ。

あたしと違って。

「ちょっといいかな」

「ネネちゃん最近どうしてる?」

「さっちゃんとまだ遊んだりしてる?」

あたしがネネの事を考えてたら、ちょうど榛名の方からネネの話題が出てきた。

榛名と仲が良かったのはあたしだけじゃなくて、ネネもだった。むしろ、どちらかと言うとネネの方が仲がよかったと思う。ネネはあたしよりもずっと長く榛名と一緒にいたし、榛名も榛名でネネの事をよく可愛がっていた。榛名から見てもネネは年下っぽくて子供っぽかったから、他の子と比べて安心して話せたみたいだった。

クラスが別々になってても、榛名はよくあたしとネネの教室まで来て遊んでいた。クラスメートに仲のいい子がいなかったせいだ。友達を作るのも上手じゃなかったし、人見知りも強い方だった。いつもいつでもマイペースなネネは、おっとりした榛名にとっては居心地のいい空間を作ってくれる相手だったんだと思う。

「うん」

「よく一緒に学校行ったりしてる」

「家にもちょくちょく来る」

「そうなんだ」

「元気そうでよかった」

ネネは榛名が登校拒否で家に居たときもよく出向いてて、しゃべったり遊んだりして付き合いを続けてたらしい。らしい、っていうのは、あたしは榛名の家に行く気がどうにも起こらなくて、時々榛名から掛かってくる電話で状況を聞いてただけだったから。ちなみに榛名の方もネネが来るのが楽しみだったとも聞いた。ネネのことだから、別に榛名の事を気遣ったとかじゃなくて、自分が榛名と遊びたいから行ったってだけだろうけど。だからか、連絡が付かないことがちょくちょくあった。

こんな具合で仲良しだったネネと榛名だけど、ある時二人の関係は唐突に切れてしまって。

「紫苑を出てから一度もネネちゃんと話してないから」

榛名がポケモントレーナーになって紫苑市を出ていくと決めたときから、ネネが榛名から離れて行ったのだ。

 

あれは、小学校の卒業式が済んだ後の直後ぐらいだった。榛名とあたしがポケモンセンターの近くで偶然鉢合わせした。榛名が紫苑を旅立つと聞かされたのはこの時で、まあ当然ビックリさせられたわけだけど、榛名が決めたことだし別にいいか、とも思った。

ただ、ネネはこのことを知ってるんだろうか、聞いたらショックを受けるんじゃないか。気になったから、あたしは次の日にネネに訊ねてみた。

「ネネさ、榛名がポケモントレーナーになるって話、聞いた?」

「きいた」

「あー……やっぱり、ネネには話してたんだ」

「はるな、トレーナーになるって言ってた」

「昨日あたしも聞いてさ、びっくりさせられたっけ」

「ネネ、はるながトレーナーになるの、かなしい」

珍しく、ネネが寂しそうな顔をしていた。今まで近くにいた榛名が遠くへ行くわけだから、落ち込むのは分かる。とは言え今の時代、電話でもネットでも連絡を取る方法はいくらでもある。悲しい……なんて言うほどのことじゃない、あたしはそう言おうとした。

「別にさ、一生お別れってわけじゃないじゃん。電話掛けたらすぐ話せるし、そんなに落ち込まなくても……」

「そうじゃない」

「えっ?」

「ネネ、はるながトレーナーになるのがかなしいの」

「いや……でも、別に……」

「だって、トレーナーって、ポケモンむりやりつかまえて、たたかわせるんだよね」

「……あー、うん。まあ、大体そんな感じだけど……」

「ネネ、はるなにそんなのしてほしくなかった」

「そういう意味……」

「はるなに『やめなよ』って言ったけど、なりたいって。なるって」

ネネが榛名と付き合うのをぱったりやめたのは、この時からだった。

あれは別に、絶交したってわけじゃなかったと思う。ネネはただ榛名がトレーナーになるのが嫌だっただけで、もし仮に榛名がトレーナーになるのを止めるって言えば、すぐにでもまた元の関係に戻っただろう。ネネはそういうタイプのキャラだ。

けど結局榛名は紫苑を出ていく意志を曲げずに、そのまま旅立ちの日を迎えた。

「ネネちゃん……来なかったね」

「見送り、今日だって言ったんだけどね……意地張っちゃってさ」

「もう一回だけ会ってから、行きたかったな……」

それ以来、榛名とネネはすっかり疎遠になってしまった。榛名の方もネネの事は今でも気にしてるみたいだけど、何分ネネは何があっても榛名と話そうとしないから、しばらくはこの関係が続きそうだった。間に立ってるあたしにしてみれば、まあ面倒くさい話ではある。

この時は気付かなかったっていうか、単に深く考えてなかっただけだけど、ネネはポケモンは好きだけどトレーナーは嫌い、ってタイプみたいだった。ポケモンもトレーナーもまとめて嫌いなケイとは少し違って、ポケモンそのものは好きだ。だからカラカラを見るとすぐ触りにいくし、ポケモンが死んでたらお墓を作ってあげる。こんなこと、ポケモンが好きじゃなきゃできないことだろう。

ポケモンが好きでも、「普通」ならできるかどうか。そう思うこともしばしばあったけども。

 

榛名とネネは仲良かったけど、今は全然つながりがない――あたしはそこまで思い出してから、おもむろにキーを叩いた。

「ネネは元気だし変わってないよ」

「背も低いし髪もボサボサ」

「変わったのは制服だけ」

「ネネちゃんホントに昔のままなんだね」

「また遊んだりしたいなって思う」

「でもどうなのかな」

「私がトレーナーになるの嫌がってたし」

「ネネもよく分かんないなー」

「別にトレーナーになったからって榛名がなんか変わるわけじゃないのにさ」

「あ」

「こないだネネにも新しい連絡先教えたけど」

「電話とか掛かってきた?」

「まだかかってきてないかな」

「かけてきてくれるとうれしいんだけどね」

二人が元通りの関係になるまでには、まだもうちょっと時間が掛かりそうだった。

そうやって一時間くらい、裏でニコニコを観ながらぐだぐだと雑談を続けていたら、榛名が不意にいくつかファイルを送ってきた。

「そうだ」

「また写真撮ったから送るね」

「かわいいポケモン連れてる人がいたから撮ってもらったんだ」

ほー、写真か。エコノミーモードになってちょっとぐちゃぐちゃになって動画の窓を横へどけて、榛名が写真を送ってきた窓を見る。

すると、こんな光景が目に飛び込んできた。

(これ、ニャスパーじゃん)

ふわふわしたグレーの毛と、綺麗な紫色の瞳。♂のニャスパーを抱いた金髪の女の人。その隣に、カメールとピジョンを側に連れて、それから胸のあたりにデデンネを抱っこした榛名の写真があった。風景を見る限り、今いるっていうミアレで撮った写真だろう。ミアレがどんな場所くらいかは、あたしだって知ってたし。

「女の人が抱いてるの」

「ニャスパーだよね?」

「そうそう」

「すごく可愛かったんだ」

「写真撮らせてくださいって言ったらすぐokしてくれて」

「そっかー」

「かわいいよねニャスパー」

「ホントかわいい」

あたしがニャスパーの写真に釘付けになってると、お母さんが横から画面を覗き込んできた。

「お母さん」

「あら、この子ニャスパーちゃん?」

「え、そうだけど」

「サッちゃんがこの間言って子でしょう? ホント、可愛らしいわねえ。ミアレにいるのかしら」

ミアレかどうかは分かんないけど、カロスにいるのは合ってる。現にこうして、榛名がミアレで撮った写真に映っているんだから。

(ニャスパーが欲しくてたまらないって気持ち、お母さんにも伝わればいいんだけどな)

あんまり期待はできない。だって、この前「また今度」で先送りされてしまったから。

 

で、そのまま流れで通話が終わって、あたしはパソコンの電源を落としてから自分の部屋へ戻った。

「はー……」

ため息をついてベッドへ寝転がる。さっきまでギラギラしたパソコンのディスプレイを見つめてたせいか、電気を消してもすぐには寝付けそうになかった。眠くなるまでごろごろするしかない。一応部屋の電気を豆球にして、枕の上に頭を乗っける。

榛名はポケモントレーナーになってもう一年経つ。スカイプで話すたびに、旅先で見かけた珍しい物や楽しかった出来事、あるいは危ない目に遭ったことなんかの話をあれこれしてくれる。榛名はホントに旅を楽しんでいて、少なくとも紫苑で家に引きこもってた時よりずっとキラキラしてるように見える。最近はキラキラが強くなりすぎて、あたしからするとまぶしすぎるくらいだ。

(……テレビでポケモンリーグの試合観てるときと、同じだ)

以前試合を観ていられなくなってチャンネルを変えた、あの時のことを思い出した。あれもやっぱり画面の向こうはキラキラしてて、こっちは何の輝きもないことだけを思い知らされる代物だった。あたしはひたすら後ろめたい思いを味わわされるばかりで、同じ世界に一緒にいるだなんてとても思えない。

榛名も向こう側の世界に行きつつある――あたしは無意識のうちに首を振っていた。榛名が、あの榛名が、まさか。だって紫苑にいるときは学校に馴染めなくて、いじめられっ子で、学校にもろくに来なかったじゃないか。なのに今の榛名はキラキラしてて、人生楽しんでるって感じがする。明日はまた一回り大きくなった自分になれますって言われてる気がする。今を守ることに汲々としてるあたしが惨めな気持ちになるくらいだ。

それもひとえに、榛名はポケモントレーナーになったから。

(榛名はトレーナーになって紫苑を出てって、いろんなものを手に入れた)

(なのにあたしは、欲しい物一つ手に入れられないままだ)

榛名とあたしは……こんな関係じゃなかったはずなのに。

話してる間ずっと胸の中で渦巻いてた歯がゆさが解き放たれて、すっかり目が冴えてしまった。本当に面倒くさい。あたしはもう、寝なきゃいけないのに。

何も手に入らない学校へ行くために、もう寝なきゃいけないのに。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586