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四階ではない場所

これはもうかなり前のこと、当時在籍していた会社のエレベーターに乗ったときの話です。

今はもうそのビルへ行くことがなくなり、他の人に話しても大丈夫かなと思ったので書かせていただきます。

 

以前、私は仙台市内にある小さな広告代理店で働いていました。私はすでに他業種へ転職しましたが、会社自体は今もまだ存続しています。

安価で多くの仕事を請け負う典型的な忙しい企業で、私もいつも夜遅くまでオフィスのあるビルに残って勤務していました。

仕事そのものはそれなりにやりがいがあった気がします。何分忙しすぎて、私生活にまったく手が回らないレベルだったのですが……。

 

その日も深夜まで勤務して、日を跨いでから退社する形になりました。オフィスに最後まで残っていたのも私だった気がします。

普段通り戸締まり確認などの退館処理をしてからフロアを出て、エレベーターホールへ向かいました。

廊下は明かりが落とされてほぼ真っ暗でした。非常灯と窓から差し込む外部の明かりだけが頼りで心細かったのを覚えています。

 

エレベーターホールについて呼び出しボタンを押すと、待ち構えていたようにエレベーターのドアが開きました。

すぐさま乗り込んで1階のボタンに触れ、続けて扉を閉めます。この辺りまでは特段おかしなところはありませんでした。

奇妙な出来事が起きたのは、エレベーターの扉が閉まってからだったと思います。

 

普段あまり意識しないのですが、エレベーターに乗るとそこは密室になり、外から隔離された形になりますよね。

窓が付いていない場合は外の様子がまったく見えなくなり、扉が開くまで本当に地続きの世界に出るか分からない、といった具合です。

夜遅くまで働いていたために疲れていて、ついそんなことを考えていたように思います。

 

オフィスは9階にあり、1階に向けてエレベーターが下っていきます。時間が時間ですから、途中で止まることなどありません。

ところがその日に限って5階を過ぎたあたりでエレベーターが減速し、恐らく4階に相当する箇所で停止しました。

なぜ4階に相当する場所、という言い回しをしたのかと言うと、扉が開いた時の光景がとても奇妙なものだったからです。

 

扉が開くと、消灯されているはずのフロアに煌々と明かりが灯っていました。にも拘らずどこか薄暗く、明るさと暗さが入り混じっているという印象を受けました。

他のフロアが概ね青を基調にした色合いなのに対し、その4階に相当する場所だけは絨毯が紫色だったのを覚えています。

何より異様だったのは、出た先がエレベーターホールではなかったことです。だだっ広く何もない、貸会議室のような空間が延々と広がっていました。

 

4階には通常降りることはありませんが、扉が開いて外の様子が見えることはたびたびあり、こんな場所ではないことは知っていました。

目の前に広がる光景は見覚えがないばかりか、全体的に狭苦しい雑居ビルにあってこんなに広いフロアがあるはずがありません。窓もなく、ただただ広い空間だけが広がっていたのです。

私は思わずエレベーターの壁についている階層表示を見ました。今自分はどこにいるのかを知りたかったのだと思います。

 

階層表示はすべてのドットが点灯し、「■」となっていました。

 

……こんな表示になっていたのを目にしたのは、後にも先にもあの時の一度きりです。

ここは私の知っている4階ではないことは明らかでした。ここで降りてはいけない、降りたら戻ってこられなくなる、そう確信しました。

 

それにも関わらず、どういうわけかいつまで待ってもエレベーターの扉が閉まらず、まるで私に降りるよう促しているかのようです。

私は気が動転していましたがエレベーターから出るような真似はせず待ち続けましたが、一向に扉が閉まる気配はありません。

たまらず「閉」ボタンに手を掛け、震える指先で何度も連打して扉を閉めました。

 

1階に辿り着いていつも通りの光景が広がっていたときは、それまで生きてきて一番安心したような気がします。

それからもしばらくそのビルへ通勤し、深夜に退社することもしばしばでしたが、あの謎のフロアへ連れていかれることは二度とありませんでした。

あれは仕事で疲れていた私が見た夢だった、今はそう考えるようにしてはいるものの、やはり夢とは思えません。

 

もし、あの時あのフロアでエレベーターから降りてしまっていたら? 奥の方まで歩いて行ってしまっていたら?

それらの「もし」を歩んでいたら、私が今ここであの時のことを書き記すことはなかったのではないか。そう思っています。