「一体何だろうねぇ?」
「ぴっこり」
僕は佳乃ちゃんと一緒に、子供たちの走る方向に合わせて商店街を駆け抜けた。佳乃ちゃんは走るのがものすごく速いから、前にいたはずの子供をどんどん抜かして行っちゃって、僕も追いかけるだけで精一杯だった。
「ほらぁ、ポテトぉ。もっと急がないとダメだよぉ。びゅんびゅん行っちゃうからねぇ」
「ぴ、ぴこーっ……」
佳乃ちゃんは全速力で走ってるのに、息一つ切らしてない。そう言えば、前にも佳乃ちゃんと一緒にこの辺りをすごい勢いで走ったことがあって、僕は目の前が真っ暗になるぐらい息切れしてたのに、佳乃ちゃんはちっとも堪えてなかったっけ……なんだか、すごいや。
「あーっ! みんなあそこに集まってるよぉ! きっとあそこだよねぇ!」
「ぴこ!」
それからしばらくもしない内に、たくさんの人だかり――ほとんどは、さっき見かけたような子供たちだ――が見えてきた。間違いない。きっとあそこに、なんだかよく分からないけどすっごいものがあるに違いない。
「ほ……本当に動いてる……わたし、びっくりだよ……」
「すっげぇー……俺、夢でも見てんのか……?」
「夢なんかじゃないよ……きっと……」
子供たちの声が、遠くからでも聞こえてくる。聞いていると、一体そこで何が起きているのかすごく気になってきた。早くあそこまで行って、何が起きてるのか見てみよう。
「とうつきーっ!」
そうこうしているうちに、佳乃ちゃんも僕も人だかりのすぐ近くまでやってきた。
「何々ぃ? 何やってるのぉ?」
佳乃ちゃんは人ごみをかき分けかき分け、前へ前へと進んでいく。僕はというと、体の小ささをいっぱいに生かして、人だかりの中にできた足の林の中をするすると潜り抜けていく。
「ぴこぴこ……」
途中で蹴られそうになりながら、でも、僕は人ごみの最前列にまで出ることができた。
「ぴこぴこっ」
僕は体をぶるんぶるんと二回大きく振って気持ちを落ち着けてから、ゆっくりと目を開いた。
「……………………」
その時。
僕が……目にしたものは。
……それは、華麗に宙を待っていた。
一回転、二回転、三回転……そして、綺麗な着地。小さく舞い上がる、灰色の砂埃。
そこに立っていたのは……
古ぼけた、男の子の人形だった。
そこから寸分間を置かず、人形は大地を蹴って走り始めた。
ぐるりと取り囲んだ人だかりをなぞるようにして、ぐるぐるとトラックを三周して見せた。
それからぴたっと止まると、今度はぱたんと倒れて、寝そべって見せた。
うねうねうねうね。まるで芋虫が蠢くようにして、地を這い始めた。
考えただけだと不気味にしか思えない光景なのに、僕の目の前で繰り広げられているそれは、どこか可笑しな感じで、見ていると自然に笑いがこみ上げてきた。
しばらくそんな可笑しな動きをしていた人形だけれど、急に思い立ったようにジャンプして地面にしっかりと立つと、再び人だかりの中にできたサークルの中を練り歩き始めた。
それは最初、ただ歩いているだけのように見えた……実際、ぼくもただ歩いているだけだと思っていた。
けれど、しばらくすると。
「あっ! これテレビで見たことあるぞ!」
「わたしも! 確か……『月面歩き』だよねっ!」
「そうだ! 確か前を向いたまま後ろに向かって歩くって……」
人形はただ歩いているだけじゃないことが、僕にも分かった。
それは正面を向いたまま、後ろに向かって歩いている。よく見てみると、進行方向の後ろに、人形の素朴で特徴のない、けれどどこか温かみのある顔が見えた。
「すごぉい……本当に動いてるよぉ……」
「……………………」
佳乃ちゃんも前に出てこれたみたいで、人形の動きに見入っていた。
人形の不思議な踊りは止まらない。月面歩きをぴたっと止めると、今度はぐるりと回転して、倒立して見せた。
「うわぁ……手だけで立ってるよぉ! びっくりさんだねぇ!」
一際大きな声を上げて、佳乃ちゃんが言葉を口にした。
人形は倒立したまま、しばらくわざとよろよろと歩いていたけれど、だんだんとしっかりとした足取り……いや、手取りになってきて、辺りを軽快にぱたぱたと走り始めた。
その一連の動きが、まるで人形が本当に生きているみたいに見えて、僕はとても不思議な気持ちになった。今まで見たことのないようなものを、一度にたくさん見せられたからかな。
不思議な気持ちになっていたのは、僕だけじゃないみたいで。
「……魔法だよぉ……本当に、魔法だよぉ……」
何か遠くのものを見つめるような眼差しで、佳乃ちゃんが人形を見つめていた。その瞳は、まるで太陽を映し出す清い川のように、きらきらと輝いて見えた。
「魔法……ほんとにあったんだぁ……」
佳乃ちゃんがまた、「魔法」という言葉を口にした。
僕はさっきから繰り返し聞こえてきた「魔法」という言葉の響きに、人形を見ていたときとはまた違う、不思議な感覚を覚えた。
(佳乃ちゃんと魔法には、どんな関係があるんだろう?)
思わず、そんなことを考えた。
すると、突然。
(びゅんっ!)
「わぁっ?!」
佳乃ちゃんの目の前で、人形が大きく飛び上がった。人形は太陽を背にして、くるりくるりと回転して見せた。
そして……まるで引き寄せられるかのように、地面へと落ちてくる。
その時、声が聞こえた。
「そこの子! 人形が落ちてくるから、上手く受け止めてやって!」
「えっ?!」
ぼくが驚いて顔を上げると、そこには……
「人形の命は、君のナイスキャッチにかかっているぞ!」
黒い服を着た、白い髪の背の高い人がいた。
多分、この人が人形を動かしているんだろう。どうやって動かしているのかは分からないけれど、この人が人形を動かしていることだけは間違いないと思った。
太陽が逆光になって顔は良く見えない。けれど……
……心なしか、その顔は微笑んでいるように見えた。まるで佳乃ちゃんを優しく見守るように、そっと静かに微笑んでいるように見えた。
「ぼ、ぼくがぁ?!」
「そう。君ならきっとできる!」
「で、でもぉ……」
「失敗を恐れちゃいけない! できると思えば、案外何でもできるもの! その考えを持ってみて!」
「……………………」
黒い服の人は佳乃ちゃんをしっかり見据えて、自信を与えるように言葉を投げかけていた。
最初まごついていた佳乃ちゃんも、黒い服の人の言葉を聞いて、少しずつ自信を取り戻してきたみたいで、
「……うんっ! ぼく、しっかりキャッチしちゃうよぉ!」
「その意気その意気! さっ、空を見て!」
「……………………!」
佳乃ちゃんは真剣な目つきで、空を見上げた。人形はくるりくるりと回りながら、徐々に徐々に地面へと近づいてくる。佳乃ちゃんの拳に力が入るのが、僕の目からもはっきりと見えた。
「ぐぬぬー……!」
……そして。
「絶対に……逃がさないよぉ!」
乾坤一擲。
佳乃ちゃんが気合いの入った声を出して、手を天高く掲げた。
「……………………!」
それは……まるで。
空の上にある雲をその手に掴むような手で。
人形よりももっともっと大きなものを掴むような手で。
その手の先に、佳乃ちゃんの一番欲しいものがあるような……
……そんな手に、僕には見えた。
人形はまるで吸い込まれるようにして、佳乃ちゃんの手に近づいていく。
佳乃ちゃんはもう微動もせずに、落ちてくる人形をしっかりと捉えている。
そして……!
(ぱしっ!)
いい音が聞こえた。
「……取れた……」
佳乃ちゃんの手の中に、古びた人形がしっかりと収まっていた。
「取れたよぉ……」
佳乃ちゃんは人形を手に持ったまま、ぽかんと口を開けている。まだ自分が人形をキャッチできた事を、ちゃんと理解できていないみたいだ。
「ぼく……取れたんだねぇ……」
しばらくの間、佳乃ちゃんはそうして放心状態でいたのだけれど。
「よくやった! みんな、この子に拍手を!」
黒い服の人の一声で、人だかりから一斉に割れんばかりの拍手が上がった。
周囲は完全に、興奮の坩堝の中にあった。
「いいぞーっ!」
「ナイスキャッチ!」
「かっこいいー!」
それが、佳乃ちゃんの意識をこっちに引き戻したみたいだった。
そして、くるりと振り向いて、
「人形さん、救出成功だよぉ!」
佳乃ちゃんは人形を掲げて、輪の中で舞った。
「ぴこぴこぴこーっ!」
僕もその輪の中に入って、一緒に舞った。
ごく普通の日常の中で見た、魔法のような光景だった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。