十五年ほど前の話です。私は当時大型のプロジェクトにて、顧客向け売買システムの開発サブリーダーとして携わっていました。
大型プロジェクトらしく非常に多忙ではありましたが、開発は至って順調なまま進み、無事にカットオーバーを迎えました。
その後は事後障害や問合せの対応に当たり、間もなく体制を縮小してプロジェクトチームを解散する……という時期のことです。
忙しいながらも充実していたためか、疲労を自覚できていなかったのだと思います。帰宅後に倒れて救急車を呼んでもらう事態になってしまいました。
病院で医師から告げられたのは腸閉塞でした。気付かない間に症状がかなり進行しており、あと少し遅れていたら命に係わる事態だったとのこと。
ともかく今すぐにでも手術が必要ということで即座に入院、その日のうちに手術を受けることになりました。
手術そのものは長時間かかったものの無事に終わったのですが、術後に鼻の奥まで管を通されたりしてかなり大変でした。
しかしそれ以上に発熱がひどく、三十八度から三十九度くらいの熱が出ました。当時は時間の感覚も曖昧でしたが、二日ほど続いていたそうです。
せめて意識も朦朧としてくれれば良かったのですが、困ったことにそれだけはハッキリしており、ただ苦しい時間が続くばかりでした。
ちょっと話は変わるのですが、私はこの入院に至るまで「人間は目でモノを見ている」と思っていました。
それ自体は間違いではありません。視覚情報は目から入ってくるもので、目を閉じればそれは遮断されます。目はモノを見るために欠かせません。
しかし、モノを見るためには目だけでは不十分です。視覚情報を実際に処理するのは頭、つまり人間の脳です。
発熱で脳の働きがおかしくなっていたことは間違いありません。あの時、私はかなり鮮明に幻覚を見ていました。
目を閉じても暗闇どころか真昼のように明るく、自分が今目を開けているのか閉じているのかも分かりませんでした。
確実に病室にいるという感覚があるにも関わらず、ファミレスや会社のオフィスらしき場所が上からオーバーレイのように被さってくるのです。
その中でもひときわ目立ったのが、食品スーパーの幻覚でした。病室から見える廊下から、食品の陳列された棚がハッキリ見えるのです。
マヨネーズや缶詰、レトルト食品など、ごく普通にどこでも売られている商品が整然と並べられ、それがかなり奥まで続いていました。
あまりに明瞭に見えたため、何度か「この病院には食品売り場があるのだ」とあり得ないことを考えたりしました。
そんなことがありつつもなんとか回復し、熱が引くころには幻覚は完全に見えなくなりました。
家族や上司からお見舞いしてもらったりしつつ、一か月ほどで退院。一週間ほど療養した後職場にも復帰しました。
この件はこれで終わったと思い、数か月もすればすっかり忘れてしまっていました。
入院から五年ほどが経った頃、当時住んでいたアパートから職場に近いマンションへ引っ越すことにしました。
引っ越しはつつがなく終わり、荷物も少なかったためその日のうちに荷解きも完了、夕方になって食べるものを買うために近くの食品スーパーへ向かいました。
そこは、どこにでもありそうなごく普通の食品スーパー……だったのですが。
入った途端感じた既視感。それは、あの時幻覚で見た食品スーパーそのものでした。
等間隔に並んだ棚のレイアウト、整然と陳列された食品、照明の当たり方。ものすごい「見たことがある」感覚でした。
それまでにもいろいろな食品スーパーを使っていましたが、このような感覚を覚えたのは初めてのことでかなり戸惑いました。
見れば見るほど五年前に入院していた時に見た幻覚と光景が似通いすぎていて、まさかまた幻覚を見ているのか? と思うほどでした。
それ以来、その店には心理的に行きづらくなり、少し遠くにある別の店舗で買い物をするようにしています。
食品スーパーというのはどこもレイアウトが似てきがちなのは分かります。恐らく、本当にただの偶然でしょう。
ただ、陳列されている商品……缶詰や調味料などがまったく同じ位置にあったのは不気味すぎて、どうにもただの偶然で片付けられないのです。
今はただ、あの時私が熱に浮かされた頭で見た光景が紛れもないただの幻覚であることを願うばかりです。