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四と二分の一階

今から少し前に「The Backrooms」というホラーがインターネット上で流行ったことを知っていますでしょうか。

見覚えがあるような無いような場所、現実的にありそうで著しく矛盾した空間。そうした気味の悪い場所をモチーフにした創作です。

先日あれを動画で見かけて、以前私が経験した奇妙な出来事を思い出しました。それについて書かせていただきます。

 

当時、私は十階建てのビルにオフィスを構えている会社に勤めていました。今はそのフロアに別の会社が入っているみたいです。

普段はエレベーターで移動していますが、ビル全体で行われる避難訓練で定期的に非常階段を使っており、どこにあるのかも把握しています。

社員用のカードキーさえあれば自由に出入りできたため、運動不足を感じたときはあえて階段で上り下りすることもしばしばありました。

 

ある時休日出勤をする必要が生じ、その日に丁度ビル全体でエレベータのメンテナンスが重なったことから、階段で仕事場に向かうことになりました。

たまに階段を使っているとは言え六階まで上るのは少々骨が折れて、運動量を増やさなければと痛感したのを覚えています。

なんだかんだで階段を上っていき四階まで到着。続けて五階へ向かおうとした時のことでした。

 

四階から五階へ向かう途中の階段の踊り場、その側面に壁と同じ色のドアがあり、かすかに開いているのが見えました。

他の階に同じようなドアはなく、ここに来て唐突に見つかったので「あれ?」と首を傾げたのをよく覚えています。

普段たまにしか階段を使っていなかったので、元からドアがあったのかどうか、その時はすぐに判断できませんでした。

 

腕時計を見ると、業務開始まであと30分はあります。時間にまだ少し余裕があったせいか、私はそのドアに興味を持ちました。

四階と五階も私の会社のオフィスになっていて、ミーティングなどで時折フロアへ向かうことはありました。ですが、間に何かあるとは聞いていません。

非常用の通路か何かだと思ったのですが、なんとなくドアの先にあるものを見ておきたい気持ちになりました。

 

開きかけたドアを引いてみると、向こう側の光景が目に飛び込んできました、

恐ろしいほどに埃っぽく、少なくとも十年以上は誰も立ち入っていないように見えます。非常灯だけが付いた薄暗い廊下がずっと奥まで続いていました。

他のフロアは普段清掃業者が入って綺麗に掃除されていますから、この廊下だけが手つかずになっているのは明らかに異様でした。

 

もう少し踏み込んで先に進んでみると、他のフロアではエレベーターホールがあるはずの箇所がそこだけ壁で埋められています。

さらに先へ進むと自販機のある休憩スペースがあったのですが、自販機は電源が落ちて機能停止状態、並んでいる商品も見覚えのないものばかりです。

全部の商品に漢字ともハングルとも読めるような奇妙な字体で何か書かれており、これだけでもかなり不気味でした。

 

もっと奥へ進んでみようかとも思いましたが、他の階で突き当たりになるはずの位置からもさらにずっと廊下が続いているのが気になりました。

ビルの構造的に矛盾があるような気がして、先へ進むとどうなるか分からないという気持ちが足を竦ませます。

今になって振り返ってみれば、そこから先へ進まなくて良かったと思います。もし進んでいたら、何があったか分からないですから。

 

廊下の右手に目を向けてみると、こちらは他のフロアと同じオフィスに繋がるドアがありました。カードキーをかざして入るタイプのものです。

電気は点いておらず真っ暗、カードキーの読み取り装置も動いていません。向こうへ行くことはできなさそうです。

この辺りで好奇心より不気味さが勝ってきた私は、元の非常階段へ戻ろうと振り返ったのですが、まさにその時でした。

 

オフィスがある向こう側から、電話の呼び鈴が聞こえてきました。

 

人気の無い真っ暗なフロア、ドアを跨いでもハッキリ聞こえる電話の音、立ち去ろうとしたのとまったく同じタイミング。

私はすっかり怯えてしまって、慌てて元来た道を戻り非常階段へ駆け込みました。ドアを閉めた後振り返ることもせず、六階まで駆け上がりました。

自分の席についてなんとか呼吸を整えましたが、その日は仕事中もどうにも落ち着かない気持ちになったのを覚えています。

 

しばらくは非常階段へ近付くことも躊躇うほどでしたが、やはり気になった私は思い切ってあの場所にもう一度行ってみることにしました。

今度は日中、仕事中に少しだけ抜け出す形にしました。もしあのフロアが使われているなら、電気も点いて人もいるはずだからです。

非常階段を一階分降りて、あの扉のあった踊り場にはすぐ辿り着いたのですが、そこで私はまたしても思いも寄らぬものを見てしまいました。

 

ドアがありませんでした。元からそこには壁しかなかったように、ドアなどまったく影も形もなかったのです。

 

それからもうあのドアと謎の空間には関わるまいと決めたのですが、あの場所は何だったのかと今でも考えることがあります。

最初に言った「The Backrooms」は構造物の裏側、それこそ「バック」に位置する、普通では足を踏み入れることのできない場所だと聞きます。

何かの間違いで迷い込んでしまう、空間の隙間から入り込んでしまう場所、私はそういう風に解釈しています。

 

ふとしたことで入ってしまう異常な空間は、案外いつも身近に存在しているのかも知れない……そう考えずにはいられません。