私が住んでいた町というか村というか、まあ他所から来る人もいないかなりの田舎だったんですが、そこでは「石になったセミ」が見つかりました。
見つかるというより、至るところで見かけたと言う方が正しいかもしれません。夏の終わりになると、本当にあちこちに転がっていましたから。
セミのような形をした石じゃないんです。本当に「石になったセミ」だったんです。実物をお見せできないので、言葉で伝えるしかないのですが……。
三十年以上は前になります。私は和歌山県北部にある山あいの町で暮らしていました。人口は少なく、お互いが顔見知りと言えるような場所です。
当時の私はわんぱく、女の子なのでおてんばと言うべきですかね。同い年くらいの男子に交じって野山を駆けまわっていました。
今思うとずいぶんやんちゃな子だった気もしますが、他にも同じように男勝りな子が二人くらいいたので普通のことだと思っていました。
元の話に戻ると、私が住んでいたその町では夏が終わりに近付くと、やかましく鳴いていたセミが物言わぬ石になって見つかることがありました。
雑木林に行くと至る所で見つかり、誰が一番多く石になったセミを集められるか友達と競争したのをよく覚えています。本当に簡単に見つかりました。
その時町で出会ったおじさんからも「セミは鳴き終わると石になって土へ還るんだよ」と教えられたような記憶もあります。
それくらいよく見つかってありふれた存在だったので、結構長い間「セミは命が尽きると石になる」と思い込んでいました。
中学校へ上がる頃にはわざわざ友達とセミの話をする機会もなかったですし、成人するまで地元にいたので疑問を感じることも無かったんです。
セミ自体にも特に興味があったわけではないですし、夏になると鳴いて秋になるといなくなっている、くらいにしか思ってませんでした。
セミが石になるということがおかしいのだと気付いたのは、結婚して子供ができてからのことになります。
子供が外で鳴いているセミに興味を持ったのでひととおり特徴について教えて、「最後は石になるんだよ」と言った時のことでした。
隣で子供を抱いていた夫が「セミが石になるってどういうこと?」と不思議そうな顔をして私に訊ねてきました。
私が地元で石になったセミを見たこと、それを集めたりしていたことを話しましたが、夫は「そんな話聞いたことない」と首を傾げるばかり。
インターネットでセミについて調べてみると、寿命を迎えた後に石になる、あるいは石のようになるなどという話はどこにもありません。
ここに来てようやく、私も「セミが石になるってちょっとおかしいのでは」と違和感を抱き始めました。
冷静に考えてみると、亡くなった生き物が石になる理由が分かりません。死後硬直という概念は知っていましたが、そういう感じじゃないんです。
本当に、それこそ河原にいくらでも落ちているような硬い石になって、けれど生前のセミの姿を留めたままだったんです。
ひとつひとつ少しずつ形も違いましたし、セミがいそうな場所でしか見つからなかったので、私が見たのは間違いなく石になったセミでした。
けれど振り返ってみると、あの石になったセミを見たのは私の住んでいた地元近くだけです。他所では見た記憶がありません。
夫は子供の頃まったく別の場所に住んでおり、そこではセミが石になるなんて話はまったくなかったそうです。恐らくそれが普通なのでしょう。
自分の目で石になったセミをハッキリ見ていて、当時の友達も一緒にいたので、私の記憶違いや思い込みという線もなさそうでした。
後日地元へ帰省した時、両親に「セミが石になるって聞いたことある?」と訊ねてみましたが「なんだそれ」と目を丸くするばかり。
子供の頃に石になったセミを集めたという話をしても「そんなことしてたっけ?」とまったくしっくり来ていないようでした。
両親にとっても、セミが寿命を迎えると石になるという話は全然聞き覚えがなく、ごく普通に亡骸が転がっているのを見かけるだけだったと言うのです。
これを書きながら思ったのですが、石になったセミは自分たち小学生くらいの子供が固まっている時だけ見かけたような記憶があります。
両親や祖父母と外を出歩いている時は、どれだけ目を凝らしてみてもそれらしいものは見つからなかったはずです。
外にセミがいたとしてもまだ普通に生きているか、転がっていても「これから石になる途中」だと認識していたことを思い出しました。
……ふと、ひとつの疑問が浮かびました。
私たちに「セミは鳴き終わると石になる」と教えてくれたおじさん。あの人は一体何者で、私たちにそのことを伝えて何をしようとしていたのでしょうか?