今から十年ちょっと前の話です。あまり思い出したいことでもないのですが、最近になって何か違和感を覚え始めたので書かせてください。
ヘタに触れずに思い出さないようにした方が良いのではという気持ちがある反面、どこかに記録しておかなければという思いが抑えられないんです。
それほど特異な状態ではないので、もしかすると他にも似たような経験をされた方がいるかも知れない……という期待を込めている部分もあるのも認めます。
当時、私は仕事がうまく行かずに気落ちした日々を過ごしていました。異動して仕事内容が大きく変わり、環境の変化についていけない状態でした。
そんなある日の朝、会社へ行く気力が少しも湧いて来ず、しかし家を出ないわけにもいかないので、無理やり自宅から出発しました。
電車に乗りながらも憂鬱な気持ちはまったく晴れず、それでもどうにかいつも通りの乗り換えをこなして会社の最寄り駅まで辿り着きました。
しかし会社のビルの前まで来たというところで、そこからどうしてもそれ以上足が前に進みませんでした。身体が言うことを聞かないのです。
その場でしばらく立ちすくんで、身体が歩きたがる方向へ任せてみると、会社から逸れて別の道へと進んでいきました。
本当は会社へいかなければならないのは分かっているのですが、足は会社からどんどん遠ざかっていきます。しばらくもしないうちにビルが見えなくなりました。
当てもなくふらふらと歩いていき、自分が今どこにいるのかすらも分からなくなるまではそう時間は掛かりませんでした。
途中で自販機を見つけたので缶コーヒーを飲んだのを覚えているのですが、何の銘柄だったかなどはまったく覚えていません。味もしなかった気がします。
どういうわけか飲み終わった缶を捨てることなく持ったまま再び歩き出して、さらに自分の知らない場所へと進んでいきました。
恐らく一時間ほど歩き続けたでしょうか。ふと辺りを見回してみると、まるで見覚えのない場所へ来ていることに気付きました。
そもそも来たことがないので見覚えが無いのは当たり前なのですが、なんというか……それでは収まらないくらいに見覚えがなかったんです。
日本のようで日本ではない。異国のようで異国でもない。とにかく既視感というものがまったく感じられない場所へ辿り着いていました。
歪な形状の三角形や五角形の窓が付いた建物が見えました。窓の中は真っ暗で何も見えません。カーテンが掛かっているわけでも無いのに暗いんです。
濃い紫色の葉をびっしり付けた木がありました。背の高さは……南国にあるヤシの木のようで、私の四倍から五倍は確実にありました。
長さが六メートルはありそうな長いベンチも見つけました。公園を横断するように、明らかに不自然な位置に置かれていたと思います。
自動販売機が置いてありました。商品のラベルには読めそうで読めない、字のようで字でないただの模様がおびただしい数書かれていました。
カラスが集まっているのも見た気がします。私が知っている物よりずっと大きく、集団で何も無い地面を狂ったように突き回していたはずです。
道のマンホールがすべて外されていました。何か工事をしている様子も無く、ただ道に大量の穴が無造作に開いている状況です。別の道を進みました。
政党のポスターを横目で見ました。ポスターの中にいる壮年男性は見覚えがありそうで無く、目がぼやけて一つにくっついているように見えました。
コンビニの前を通りました。棚には缶詰がぎっしり並んでいます。見た限り缶詰しか並んでおらず、すべてに同じラベルが貼られていました。
見上げると道路標識がありました。歩行者専用の標識です。大人が子供から必死になって逃げようとしているようなデザインでした。
どれもこれも異常としか言えない光景です。普段の私なら、どれかひとつでも目にした時点でその場からすぐさま逃げ出していたでしょう。
しかし、当時の私はひどい鬱状態で感性が死んでおり「そういう場所なのだろう」とまるで気に留めず、そのまま歩き続けました。
どこをどうやって歩いたのかは覚えていないのですが、気がつくと自分の家の前にいて、そのまま帰って寝てしまいました。
ひとまず家には帰ってきたのですが、このままでは良くないと思い人事と相談し、少しの間休職して気力を養うことになりました。
三ヶ月ほどで出社できる程度まで回復し、ちょうどその時別プロジェクトで人をアサインしてほしいとのことだったのでそこへ入る形で復職。
プロジェクトは結構忙しかったのですが仕事そのものは明らかにやりやすく、とてもいいリハビリになりました。
最終的にうつ状態は寛解、今は同じ職場で順調に仕事ができています。心身共に健康であることにただ感謝するばかりです。
ただ、ふとあの時迷い込んだ場所のことを思い出しました。別に行く必要は無いのですがどうにも気になり、五年ほど経ってからもう一度行こうとしました。
しかし当時の記憶を頼りに歩いてもそのような場所には辿り着けず、ごく普通の風景の中を散歩するだけで終わるばかりでした。
あの場所が何だったのか今でも気になりますが、最近少し考え方が変わりつつあります。
あれは普通では入れない、決して入っては行けない場所で、あの時は感性が死んでいて何も気に留めずにすべて無視したのが、実は良かったのではないか、と……。