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大手町駅の怪

よく、東京の都心にある大型の駅は広大すぎてダンジョンや迷宮のよう、と言われています。私も同じ意見です。

新宿駅や渋谷駅が特にその複雑さで有名ですが、私としてはここに大手町駅も加わるべきだと考えています。理解いただける方も多いと思います。

これは少し前、大手町駅を訪れる機会があった際に起きた、私としては身も凍るような出来事です。

 

仕事で大手町にあるオフィスへ行く必要が生じ、私は東西線に乗って駅まで向かいました。多くの路線が乗り入れているので行くのは楽です。

問題は駅の構造で、いくつもの階層が重なり合いそれぞれが複雑に接続されているため、どこへ向かえばいいのか見当が付きません。

とはいえ所詮は駅です。設置された案内板に従って歩いていけば、いずれ出口に着くだろうと思っていました。

 

東西線を降りて階段を上ったのですが、あちこちに分かれ道があって「こっちだろうか?」と気が逸れてしまいます。

上に取り付けられている案内表示のうち「Cの2」を目指せばいいのは分かっているのですが、しばしば表記されていない案内板に出くわします。

それでも歩いていればそのうち何とかなる、その時はまだそれくらい悠長に構えていました。

 

辺りの様子が明らかにおかしくなり始めたのは、電車を降りてから五分ほど歩いた頃でした。

少し前まで大勢の人が行き交い、追い越し追い越され合っていたにもかかわらず、今となってはまばらで遠巻きに歩いている人が数名いるだけ。

それもどこか陰気で、歩いている姿に生気が感じられません。どこへ向かっているのかもわかりませんでした。

 

立ち並ぶお店の様子も異様でした。真昼間なのに閉まっているお店や、煌々と明かりが灯っているのに誰もいない店舗が至るところにありました。

進むにつれて様子はどんどんおかしくなり、何も書かれていない真っ白なパッケージだけが並んだコンビニをいくつも見かけました。

外から中の様子は見えるのに入口がどこにも見当たらない飲食店が立ち並んでいるエリアへ入ったときは、恐ろしいほどの場違い感を覚えました。

 

大手町駅に直結しているビルが多数あることは知っていましたが、そのビルへの入り口もことごとくが封鎖されていました。

単に自動ドアがロックされているものに始まり、カラーコーンが置かれて立ち入り禁止になっているもの、警告テープで入れなくされているもの。

この辺りはまだありそうでしたが、ドアに無数の木の板やクギが打ち付けられている光景を見たときはさすがに不気味さが勝りました。

 

案内板もどんどん脈絡がなくなっていきます。最初は「Cの2」などの実在する出口を指していたのですが、気が付くとそうではなくなっていました。

左右並んで配置されて、右側は左に行くと「Gの26」、左側は右に行くと「Gの26」につながる、と案内する矛盾した案内板を見かけました。

最終的に「Wの1158」というあり得ない出口へ誘導するものを見かけて、従ってはならないという気持ちを強く感じました。

 

この辺りまで来るともはや人の姿はどこにも見当たりません。にもかかわらず「誰かがいる」という気配は猛烈に感じるのです。

視線を感じて振り返ると瞳が描かれた意図不明の看板があったり、声がしたと思ったらロレム・イプサムを読み上げる館内放送だったり。

誰かがいそうなのに誰もいない感覚を終始覚え続けて、頭がどうにかなってしまいそうな時間でした。

 

このまま進んでしまうと取り返しのつかないことになる、いや、もしかしたらもうなりかけているのかも知れない。

私は恐怖を覚えて、元来た道を引き返し始めました。今思えばあまりにも判断が遅く、もっと早くこうしているべきだったと思います。

体感では三時間ほど大手町駅らしき場所を彷徨っていたのですが、明らかに時間の感覚も狂っていました。

 

それだけ長くさまよっていたにも関わらず、後戻りするとわずか十分ほどで東西線の出口付近まで戻ってきました。最初に降り立った場所です。

いつの間にか人通りも多くなり、元の大手町駅へ帰ってきたのだという感覚がありました。

そこからは慎重に案内板を確認して進み、本来の出口へ向かうことができました。これだけ歩いたにもかかわらず、時間は二十分ほどしか経過していませんでした。

 

私は戻ってくることができたのですが、あのまま進み続けていたらどこへ連れていかれていたのでしょうか。

もっと奥まで歩いてしまって、戻ることができなくなってしまった人もいるのではないか。ずっと彷徨っている人もいるのではないか。

……いずれにせよ、二度と経験したくない出来事でした。