「今日は何を作るのかな?」
「せやなー。昼は素麺やったし、夜はから揚げでもしよか」
「うん。いいね」
一階のお茶の間に降りて、座布団の上に腰を落ち着けていると、台所の方から話声が聞こえてきた。今日は鶏のから揚げを作るみたいだ。
……鶏のからあげ……
「……………………」
僕はその言葉を聞いてふと、僕の横にいるであろう「彼」の姿を見てみた。僕はゆっくりと顔を動かしながら、目の前にどんな光景が広がっているかを想像してみた。
「か、か、かー……」
「……………………」
大方の想像通り、部屋の隅っこに移動して、できるだけ体を小さく折りたたんでいた。なんだかその姿を見ていて、僕はとっても可哀想だと思った。やっぱり、鳥だもんね。「鶏のから揚げ」なんて単語を口に出されて、恐くないわけなんかないよね。
「ぴこぉー……」
僕はそらを少しでも慰めてあげようと思って、そらのすぐ隣に腰掛けた。
「かー……」
「ぴこぴこ」
「……………………」
「ぴこぴこぴこ」
「……かー……」
「ぴこー」
そらは僕の体に頭を擦り付けて、気持ち良さそうにしている。どうやら僕のふわふわでもこもこの毛に触っていると、気持ちが落ち着くらしい。僕はくすぐったいんだけどなあ。
「そっちはいけたか?」
「うん。ばっちり。お母さんは?」
「もうすぐ終わりや。あの子ら連れて来たりや」
「あ、はーい」
僕とそらがもにもにし合っていると、晴子さんに言われた観鈴ちゃんがお茶の間にやってきた。
「わ、そらとぴこ、すっごく仲良くなってる」
「ぴこっ」
「かー」
「よかったよかった。二人は仲良しさん」
僕は観鈴ちゃんの腕に抱かれ、そらは肩の上に乗って、台所へと向かった。
「そら、さっきからすごく震えてる……」
「どないしたんや? 風邪でも引いたんかいな」
「……………………」
四人がけのテーブルに、観鈴ちゃんと晴子さん、それに何故か僕とそらも席を割り当てられて、二人と二匹の夕食が始まった。ちなみに、僕の隣が観鈴ちゃんで、観鈴ちゃんと向かい合うように晴子さんが座っている。
「このから揚げ、ごっつうええ感じやん。観鈴、また上手になったなぁ」
「にははっ。観鈴ちん、料理上手」
「せや。観鈴ちんは料理上手や。ええお嫁さんになれるで」
観鈴ちゃんと晴子さんはにこにこ笑顔で会話しているけれど、
「く、く、く、くけけ……」
「そら、どうしたのかなぁ……」
「なんや、縁起悪い鳴き声やなぁ。ナタは納屋にあるけど取っ手しかないで」
「くけけけけけ……」
そらは息も絶え絶えで、真っ黒な体が心なしか青みを帯びているような気がした。体の震えはもはや絶頂に達している。このままだと、死んじゃうかも知れない。
「やっぱり鶏肉はええなぁ」
「うん。観鈴ちんも大好き」
「それで、やっぱり新鮮なやつに限るで」
「そうだよね。その方がいいよ」
僕は観鈴ちゃんからもらったから揚げをちまちまと食べながら、そらの様子を観察する。
「……………………」
もう、声も出ないみたいだ。多分今そらの頭の中では、黒い羽がむしられて、体を三枚に下ろされて、衣をつけて油でこんがりとあげられる自分の姿が無限ループしていることだろう……うわあ……ちょっと考えただけで、僕にはとても耐えられない。
「く、くけけけけけ……」
そらの搾り出すような声が、僕にはとても痛かった。
………………
…………
……
「せや。観鈴。せっかくやし、なんか飲めへんか?」
夕食の最中、晴子さんがこんなことを言い出した。
「わ、いいね。お母さんはお酒飲むの?」
「当たり前やがなー。観鈴はあれか? またあのヘンなジュースか?」
「うんっ。確か、まだ冷蔵庫の中にあるから」
「そかそか。それじゃ、飲みながら食べよか」
晴子さんが席を立って、台所の奥にあった一升瓶と、冷蔵庫の中にあった紙パック入りのジュースを二つほど取り出した。戻り際にガラスのコップを手にとって、テーブルの上に置く。
ジュースには……良くは分からないけど、何か文字が書いてある。色は桃色だ。
「今日は早うに帰ってこれたから、じっくり飲めるでぇ」
「あんまり飲みすぎちゃダメだよ」
「分かってる分かってる。悪酔いせぇへん程度にしとくから。それじゃ、乾杯や」
「うん。かんぱーい」
お酒を注いだコップと紙パックが空中でぶつかり合って、音のない乾杯が交わされた。
「それでや観鈴。最近、なんかええことないか?」
「えっと……例えば、どんなことかな?」
「言わな分からんか~? ほらほら、あの子とかあの子とか!」
「わ、お母さんっ」
お酒が入った晴子さんが、観鈴ちゃんに微妙に絡んでいる。観鈴ちゃんは顔を真っ赤にして、晴子さんの言葉にいちいち驚いている。
「なんや、まだ進展ないんかいな……もうあれから大分経つんと違うんか?」
「うん……でもね、やっぱり、上手く気持ちを伝えられないんだよ」
「あかんでー。そんな弱気になっとったら。観鈴、あんたは誰の子や?」
「もちろん、お母さんの子だよ」
「せや。観鈴はうちの子や。うちみたいに強気で行ったらええんやで」
「……うん。もうちょっと、頑張ってみるね」
観鈴ちゃんはちょっとはにかんだ笑顔を浮かべて、紙パックのジュースを飲んだ。見ていると、なんだか美味しそうだ。
「……それにしてもや、観鈴」
「ん? どうしたのお母さん」
「それ、おいしいんか?」
「えっ? これ?」
晴子さんが指さしたのは、観鈴ちゃんの飲んでいるジュースだ。観鈴ちゃんはストローを加えたまま、こくりと頷いた。
「すっごくおいしいんだよ。お母さんも飲んでみる?」
「いらんいらん。それ、前飲んで死にそうになったわ」
「ちょっと残念……」
観鈴ちゃんは残念そうな顔をしながら、ちゅーちゅーとジュースを飲み続けている。
……と。
「あ、そうだ」
「ぴこ?」
僕のほうを向いて、観鈴ちゃんが言った。
「ねえぴこ。ぴこはこのジュース……どろり濃厚って言うんだけど、飲んでみたいかな?」
「ぴこー……」
「どうかな?」
観鈴ちゃんは僕に、今観鈴ちゃんが飲んでいるジュースを分けてくれるらしい。見ているとなんだかおいしそうだし、から揚げを食べてちょっと喉が渇いていたから、僕は、
「ぴこっ」
「わ、頷いた。それじゃぴこ、これ、ちょっとあげるね」
大きく頷いて、ジュースをおすそ分けしてもらうことにした。
「あーあー。後悔しても知らんでぇ」
「かーっ! かーっ!」
晴子さんがため息混じりに言い、そらが激しく鳴いている。僕はその二人の様子にちょっと不安を感じながら、観鈴ちゃんの差し出したストローをくわえた。
「ちゅーって吸うんだよ」
「ぴこ」
観鈴ちゃんに言われて、僕は息を吸い込むようにストローからジュースを
(!!!)
……吸い込んだ途端、僕は息ができなくなった。
喉が、僕が吸い込んだもので塞がれたのだ。
「わ、ぴこっ。顔が青くなってるっ」
「ぴ、ぴこぴこぴこ……」
僕は口の中で蠢く甘ったるいものを何とかして飲み込もうと、賢明に口の中で努力を重ねる。けれどそれは、一向に中へ入っていこうとしない。
「ぴ……こ……」
だんだん、僕の意識が遠くなっていくような気がした……
「あーあー。言わんこっちゃないわ。ほら、ぴこぴこ。こっちに来いや」
「ぴ……こ……」
僕は晴子さんに首根っこを引っつかまれて、膝の上に置かれた。だんだんと視界が暗くなってくる。
「ぴこぴこー。今から晴子さんが楽ぅにしたるから、頑張って口開け」
「ぴ、ぴこ……」
全身に残ったわずかな意識を瞬く間にかき集めて、震える口を半分ぐらい開けた。
「わ、お母さん、それは……!」
「大丈夫やて。ぴこぴこー。これで楽になれるでー。一気に行きやー」
そう言って、晴子さんは僕の口に何かを注ぎ込んだ。
(!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
僕の。
僕の、口の中で。
猛烈に甘ったるい、溶けてしまうような感覚と。
舌がしびれて、体がバラバラになりそうな感覚と。
……それから、さっき食べたから揚げの感触とが口の中で入り混じって、三位一体の大暴れを繰り広げている。
その感覚は、僕のふさがれた喉にもどんどん押し寄せてくる。
何が起きているのか、まったく分からない。
頭の中がぐるぐるになって、今まで見たこと聴いたこと感じたこと考えたことが、無造作に次々と湧き出てくる。
……あれ?
そう言えば……
――「ん? なんやこれ?」――
――「犬か? ヘンな犬やなあ」――
――「ほー。この辺りで寝とったみたいやな」――
――「うちの裏庭に勝手に入って寝るとは、ええ度胸しとるやん」――
――「よっしゃ。あんたにはうちが『マスターオブ裏庭』の称号をあげるわ。喜びやー」――
――「で、こんなところで何しとったんや? 寝とったんか?」――
――「ま、なんでもええわ。うちと一緒に酒飲も。一緒に飲んでくれる人誰もおらんのや」――
――「ほーれ。一気一気。ガンガン行きやー」――
……ああ。
……そういうことだったんだ……
……僕は……今からずっと昔、この家を寝床にしていて……
……その時に……
……女の人……
……晴子さんと出会って……
……ちょうど、今こうしてるみたいに……
……お酒を無理矢理いっぱい飲まされて……
……今僕が味わっているような、地獄の苦しみを体験したんだっけ……
「ぴこ……」
僕は、薄れゆく意識の中で。
昔僕の身に起きた出来事を思い出した。
……そのまま、僕は深い深ーい闇の中へ転落していった……
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。