今からおよそ二十年近く前、栃木に住んでいた頃の話です。この間夫と服を買いに行った時に試着室に入る機会があり、ふと思い出しました。
ひょっとすると何かの事件だったのかも知れないですが、新聞やテレビで話題になった記憶はないです。
いわゆるオチらしいオチの無い、ただ不気味なだけの話となりますが、聞いていただければ幸いです。
当時、私はデパートの衣料品売り場で働いていました。そこは当時でもかなり年季が入っていて、今はもう建物自体がなくなっています。
結構長い間品出しや会計を担当していましたが、仕事そのものはさほど大変ではなく性に合っていました。
元々お客があまり来ないような店で、接客をする機会が少なかったのが大きいように思いますが……。
勤めていたデパートは二階全体が服飾品を取り扱うエリアになっていて、いくつか試着室も用意されていました。
大半は何の特徴もないただの試着室なのですが、その中にひとつだけ気になる場所があったんです。
気になるというか、不気味な出来事が複数回にわたって起きたので気味が悪いと言うべきなのですが……。
その奇妙なことというのは「試着室の前に靴だけが残されていて、中に誰もいない」というものなんです。
一度起きただけでも語り草になりそうな怪奇現象ですが、私が勤務している間に少なくともこれが三回も発生しました。
それぞれ起きた時期も状況もバラバラで、何かの規則性や法則のようなものを見出すことはできませんでした。
一度目はまだ真新しい紳士用のビジネスシューズが残っていました。閉店間際に同僚が中を確認して、人がいないとのことで騒ぎになった覚えがあります。
この時は誰かが中へ入る瞬間をひとりも目撃しておらず、ただ靴とカーテンの閉められた試着室だけがあった形です。
結局靴は遺失物としてしばらく保管されることになりましたが、結局これを取りに来る人はいませんでした。
二度目はそれから数年経った後のことでした。当時から見ても年季が入ったと言える、ぼろぼろの子供用運動靴が残されていました。
靴には「けいじ」と名前が書いていて、子供一人で来ることは考えづらいこともあって「まだ保護者がいるのではないか」という話になりました。
迷子放送で名前を呼び出してみたのですが、最終的に子供も保護者も現れませんでした。靴は例によって遺失物扱いになった記憶があります。
三度目は二度目からほとんど間を開けずに起こりました。それほど使われていない夏用のサンダルが残されていました。
季節は冬だったのでこれだけでもアンバランスだったのですが、この時は中に誰かが入っていくのを見たという同僚がいました。
近隣で見覚えのない老婦人がハンドバッグを提げて入っていくのを見た気がする、そんな話をしていたのを覚えています。
これらの出来事に何か繋がりがあるのか、すべて同じ理由で靴だけが試着室の前に残されたのかは分かりません。
イタズラとしてはあり得る範囲ですし、なんとか合理的に説明しようとするなら「誰かが試着室の前に靴を置いて逃げた」としか言えないと思います。
ただ、そんなことをして何になるのか? とか、なぜ同じ試着室だけで繰り返したのか? といった疑問は残ります。
事件性はないと信じてはいますが……私はあの試着室を使う気になれなかった、とは正直に告白しておきます。