マンガを読んだりゲームをしていると「読めそうで読めない文字」を見かけることがあります。架空の文字で文化を演出する手法です。
それ自体はありふれたものだと分かっているのですが、過去の経験から私はちょっと苦手意識を抱いています。
今回は「読めそうで読めない文字」について、この場を借りてお話させていただければ幸いです。
出張で東北の方へ出かけた時でした。今から軽く十年以上は前でしょうか。スマートフォンが普及し始めた時期だったと記憶しています。
商談が早めに終わってホテルに戻り、これといってすることもなかったので私服に着替えて外をぶらついていました。
日も沈みかけた夕暮れ時、行き交う人の少ない見知らぬ街をひとり歩くのは、どこか不思議な感覚を覚えました。
大通りを外れて小路に入ると、古びた商店街が伸びているのを見かけました。何か目的があったわけではないですが、歩きたくなってそちらに向かいました。
私の予想通り商店街は寂れていて、シャッターを下ろしたまま長い年月が経っていそうな店舗がぽつぽつと見つかりました。
まだ開いているお店も多いのですが、そこにいるべきお客さんの姿はまったく見当たりません。なんなら、店員の姿も見えませんでした。
そして……この商店街には、他の場所とは違う明らかに奇妙な点がひとつありました。
「この看板、なんて書いてあるんだ?」
看板には何か文字が書かれています。遠目にみると「くすり」と書いているような気がしましたが、近付いて見てみると似ても似つかない謎の文字でした。
漢字でもない、ひらがなでもない、カタカナでもありません。それぞれに似ているようで、実態はどれにも当てはまらないのです。
中国や台湾で使われている画数の多い漢字かとも思いましたが、そもそも部首などが明確でなく、「これは漢字ではない」と脳が拒否する感覚がありました。
なんというか、子供がまだ読めない文字を真似して絵として描いたかのような歪さが感じられるものでした。
逆さまにしたカタカナのような文字、あり得ない部首同士が組み合わされた漢字のようなもの、点がない代わりに円が二つある「お」の字。
すべてが一見するとありそうな文字に見える、けれど実際は文字として成立していない。そんな文字もどきがあちこちに書かれていました。
本来は人が入るべきではない奇妙な場所に迷い込んでしまったのか、それとも仕事の疲れで物の見え方がおかしくなっているのか。
私は前者だと思いたかったのでしょう。とにかくその場から離れることを考えて、元居た場所に戻ることを選びました。
できるだけ周囲の看板や商店を視界に入れないようにして、半ば目をつぶりながら必死に早歩きしたのを今でも覚えています。
十分ほどで大通りまで出て、そこで私は目に付くすべての文字が「ちゃんと読める」ことに心の底から安堵しました。
それと同時に、疲れで物の見え方がおかしくなっていたわけではないこと、あの時入り込んだ空間には「読めない文字」があふれていたのだということを悟りました。
もちろんその後は件の商店街へ近づくようなことはせず、大人しくホテルで過ごしてから帰りました。
当時は読めない文字の気味の悪さに目を奪われていたのですが、振り返ってみれば立ち並ぶ商店もおかしなものばかりだったように思います。
サインポールが異常にたくさん置かれた床屋、出入り口の見当たらない喫茶店、形の崩れたケーキを並べている洋菓子屋、ショーケースに片方しか靴のない靴屋。
まともにモノやサービスを提供している商店はひとつもありません。まるで……それぞれの店を知らない誰かが、写真などを見て上辺だけ模写したかのような光景でした。
あれ以来同じような不気味な場所に迷い込んだりはしていませんが、また別のところで類似したものを見かけるようになりました。
それはユーチューブです。最近、ここにはAIを使用した実写と見まごう動画が多数投稿されていますが、看板などに書かれた文字があの時見たものとそっくりなのです。
技術的には文字を正しく認識できていない、図形として認識した結果出力されているのでああなっている。そんな話を聞いたことがあります。
私はそうであってほしいと願っています。いつか正しく読める文字だけが出力されるようになるはずだと考えています。
文字が崩壊するのは、誰も知らないところであの商店街のような異常な場所を撮影した映像を大量に学習しているから……そんな話ではあってほしくないと思っています。