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「芥川さん」

子供の頃、自分にとってよく知らない人が家へたびたび上がりこんでいる……といった経験がある方はいますでしょうか。

両親の知り合いや親戚、隣人だったりするケースがほとんどだと思いますが、私が目撃したのはそのどれにも当てはまらない方でした。

直接危害を加えられたわけではないのですが、どうにも説明がつかないのでここで話をさせてください。

 

その方を目にしたのは、今からもう四十年近く前になります。年号が「昭和」だった最後の方の時代です。

正直なところ当時の感覚でも古くさいと感じる年季の入った平屋建ての家で、両親、そして妹の四人で暮らしていました。

その家には三年ほど住んでそれから別のところへ引っ越したので、まだ幼かった妹はそこで住んでいた記憶がないとのことでした。

 

小学二年生になってしばらく経った頃でした。土曜日の昼過ぎになると、家に「芥川さん」という方が来ていました。

学校から帰ってきて母の作った昼食を取り終えると、まるで見計らったかのように家のブザーが鳴って芥川さんが上がるのです。

少なくとも当時の記憶では、両親は芥川さんと面識があるように見えました。後述する通り、それが正しかったかは怪しいのですが……。

 

芥川さんは家に上がってお茶を飲み、両親と話をしていました。話の内容はおぼろげですが、単なる世間話だったように思います。

彼がいる間私は妹と隅で遊んでいるのですが、しばらくすると決まって私たちの方に来ていたのを覚えています。

人見知りの激しかった妹がまったく怖がっておらず、私自身も芥川さんに怪しいとか怖いといった感情を覚えた記憶はありません。

 

私と芥川さんはいつも決まってカードで遊んでいました。トランプなどではなく、芥川さんが持ってくる手作りのカードを使った遊びです。

そこには四角形や三角形、星や太陽、7や3といった数字が書かれていて、ふたりで遊ぶゲームだったように思います。

毎週それを楽しみにしていて熱心に遊んでいた気がするのですが、今思い出そうとしてもどんなルールだったのかまったく覚えていません。

 

夕暮れ時が近づいてくると芥川さんは家から立ち去り、その時に必ず私たちへのおみやげとして鯖寿司を渡してくれました。

土曜の夜は芥川さんがくれた鯖寿司と母の作る煮物が夕飯として出てきて、恐らく半年くらいは必ず同じ品目だったと思います。

その鯖寿司にはお酢の代わりに柚子かスダチのどちらかが使われていて、普通のお寿司より爽やかな酸っぱさがあったのを覚えています。

 

このことは家から引っ越した辺りですっかり忘れてしまったのですが、高校生になって回転寿司で鯖寿司を食べたとき、不意に芥川さんのことを思い出しました。

帰りの車で「芥川さんっていたよね?」と両親と妹に訊ねると、妹は「知らないよ」と言いましたが両親は「いたねえ」と覚えている様子。

ただ、両親の反応が「そう言えばいたような」というような感じだったので不思議に思い、帰ってから改めて訊いてみました。

 

両親によると、芥川さんが家へ遊びに来ていたことはしっかり覚えているとのことですが、よく考えてみるとどういう繋がりの人だったか分からないとのこと。

父親が「芥川さんは知り合いだった気がするが、なぜ知り合って家に来ていたのかは分からない」と困った顔をしていました。

そこから私も両親も気になり始め、当時の日記やアルバムを引っ張り出して調べることにしました。

 

……結論を先に言うと、結局芥川さんが何者で、私たち家族とどういった関係にあったのかは分からずじまいでした。

家を引っ越してからすっかり忘れてしまい、鯖寿司がきっかけで不意に思い出したわけですが、当時は何の疑問も抱いていませんでした。

しかし今振り返ってみると、芥川さんと何の話をしていたのか、なぜ毎週鯖寿司を渡してくれたのかなど、分からない点が山のようにありました。

 

私も両親もかなり詳しいところまで思い出せただけではなく記憶の整合性もとれていたので、なおさら不気味に感じました。

妹は「三人とも夢でも見てたんじゃない?」と言うのですが、三人が三人とも同じ勘違いをするとはさすがに思えません。

もしこれが「私だけが思い出した」とか「父だけが覚えている」とかなら、まだ妄想や記憶の混濁ということで説明も付くのですが……。

 

一応、無理やりにでも納得するために、両親ともども芥川さんは「町内会の人」「隣人」ということにしています。また、互いにあまり触れないようにしています、

なんというか、これ以上更に何かを思い出してしまうことに、言い知れない恐怖を感じたので……。