三十年以上前、私が子供の頃です。私は小学四年生頃まで某県の山奥にある町に住んでいました。今は市町村合併で名前が消えたと聞きました。
都会から遠く離れた田舎だからでしょうか、辺りには大きな家々が立ち並んでいたのを覚えています。よく遊んでいた太一君(仮名)の家もそうでした。
私と太一君は物心付いた頃から仲が良く、しばしば太一君の家へお邪魔させてもらっていました。それなりに頻繁に行っていた記憶があります。
太一君の家は広く、部屋がいくつもありました。座敷は広かったですし、それとは別に仏間もありました。私が住んでいた家の倍は広かったと思います。
私たちはしばしば屋敷の中でかくれんぼをしたものですが、何せ広いものでしたから、ひとたび隠れると本気で探さないと見つからないほどでした。
ほとんどの部屋は外からパッと見ただけで何に使われている部屋なのか分かりましたが、ひとつだけ中の様子が分からない部屋がありました。
その部屋は窓のない木の扉で仕切られていて、いつも閉め切られていました。お手洗いやお風呂場は別にありましたし、間取りからして倉庫でもなさそうです。
太一君に訊ねてみても「何の部屋なのか自分も分からない」とのことで、彼も中がどうなっているのかは知らないようでした。
これだけなら大して記憶に残らなかったと思うのですが、今も覚えている奇妙な特徴があの部屋にはありました。
部屋の前に、いつも「食事の載ったおぼん」が置かれていたのです。ご飯とみそ汁の他におかずが何品かで、焼き魚と煮しめのことも、目玉焼きに納豆のこともありました。
私が太一君の家へ遊びに行くとたいてい作り立ての料理が載っていて、帰る頃になると空になった食器が外に置かれていたのです。
中に誰かいるのだろうと思いましたが、いつ行ってもおぼんが置いてあったので、なんとなく不思議な気持ちになったものでした。
ある時和室で太一君と遊んでいた時、お手洗いを借りるために一人で廊下に出たことがありました。用を足してから戻る途中、廊下の向こうにあの部屋が見えました。
目を凝らしてみると、いつも閉められている扉が少しだけ開いていることに気付きました。どうなっているんだろう、私は無意識のうちに近付いていました。
いつも見ることのできないあの部屋の中がどうなっているのか知りたい、という気持ちがあったのだと思います。
その時でした。
扉の隙間から、骨の上に皮が貼り付いたように細く、毛をぼうぼうに生やしたひょろ長い腕が伸びてきて、おぼんを部屋の中へ入れるのが見えたのです。
直後に部屋の扉がバタン! と音を立てて閉まり、それきり何の音も聞こえなくなりました。不気味なほどの静けさで、私は思わず身震いしました。
現実離れした光景に恐ろしくなった私はそれ以上部屋に近付くことができず、太一君のいる座敷へすぐに戻っていきました。
自分の見たものを太一君に話そうかとも思いましたが、彼が興味を持って「部屋の中の様子を見に行く」なんて言い出したらたまったものではありません。
話した方がいいのでは、という気持ちもあり迷いながらも、私は結局あの時見たものについて何も言いませんでした。
幸か不幸か、そのすぐ後に私は父の仕事の都合で千葉県へ引っ越すことになり、家を引き払って村を出て行きました。
引っ越ししてからというもの太一君とは疎遠になり、ひょろ長い腕を見た日から家へ遊びに行くことはありませんでした。
あの腕はなんだったのか? 誰かがあの部屋の中にいるとして、中にいるのは人間なのか?
当時の私は子供ながらに必死に想像力を巡らせましたが、自分を納得させるような答えは出ませんでした。
もし、あの時あの扉を開けていたら、私は一体何と出くわしていたのでしょうか……?