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奇妙な夜

去年の暮れに会社の忘年会に参加したときに起きたことです。怖いというより、奇妙あるいは不思議といったほうがいい気がしました。

幽霊が登場したわけでも危ない目に遭ったわけでもないのですが、予想だにしていない出来事だったので大いに驚きました。

あれは本当に起きたことで、夢だったと思い込んだり忘れてしまったりしないように、ここに記録させていただこうと思います。

 

夜の八時頃だったように思います。飲み会の最中にトイレへ行きたくなり、同僚に一言断って席を立ちました。

席を立ってすぐ、小さなテーブルで老夫婦が酌をし合っている光景を目にしました。どちらも白髪で、かなり歳を取っているように見えます。

特に気にすることなく通り過ぎようとしたのですが、ふと横目でちらりと顔を見てみたんです。

 

老夫婦のうち男性は、高校生の時に隣のクラスの担任をしていた前田先生でした。顔に刻まれた皺はかなり増えていましたが、ひと目見てすぐわかりました。

前田先生は数学の授業を受け持っていた記憶がありますが、私のクラスには別の先生が来ていたこともあり、関りはほとんどありませんでした。

要はこちらが一方的に顔を知っているだけ、ということです。面識があるとは言えないので「前田先生だ」と思いつつ、ひとまず素通りしました。

 

それから少し進んだ別の席では、テーブル席で別の会社の人たちグループが飲み会をしていました。席にいたのは五人ほどです。

例によって気にせず通りすがろうとしたのですが、奥側の席に座っている女性の顔に見覚えがあると感じました。

しかし誰だったかと名前を思い出せずにいると、彼女の向かいの席に座っている男性が「森岡さん」と呼びかけるのを耳にしたんです。

 

森岡さんは大学の同期で、同じ講義をいくつか取っていた記憶があります。逆に言うとそれだけの関係で、会話をした記憶もありません。

向こうはこちらのことはまったく覚えていないようでしたし、私の方も名前を言われるまで誰だったか思い出せませんでした。

先程の前田先生と同様に面識があるとは言えない間柄ですので、何をするでもなくテーブルの前を通り過ぎました。

 

あともう少しでお手洗いというところまで来て、今度は右側の大きなテーブルで飲み会をしているグループを見つけました。

年末だしどこもにぎやかだな、そんなことを考えつつゆっくり歩いていると、中央の席で楽しげに話をしている同い年くらいの男性がいました。

ここでまたまた「どこかで見たような顔だな」と思っていると、すぐ隣の人が「佐伯」と名前を呼びました。

 

佐伯。中学の頃に通っていた学習塾で顔を合わせることがあったのを、その時になって思い出しました。

彼とは塾内でのコースが違っていたため、休憩時の廊下や帰り際にすれ違う程度の関係で、話をした記憶はなかったです。

ちょっと特徴的な顔をしていて、それは今もまったく変わっていなかったので、名前を呼ばれたことで思い出せた、という具合です。

 

そんなこんなでようやく、と言っても席を立って一分も経っていないのですが、人の多い場所を抜けて奥にあるお手洗いまで辿り着きました。

先に入っている人がいるかも知れないのでカギがかかっているか確かめよう……と思っていると、ちょうどドアが開くのを目にします。

出てくる人を待っていたのですが、その時私は思わず目を見開きました。

 

出て来たのは社会人になりたての頃、毎日のように使っていたコンビニの店長でした。少し老けてはいましたが、間違いありません。

向こうはこちらにまったく気付くことなく足早に立ち去っていきましたが、私はあっけに取られてしばらくその場に棒立ちしていました。

なんというか……こう、さっきから「ぎりぎり顔見知りじゃない」人が多いな、と感じました。

そもそもなんですが、私が今参加している飲み会も忘年会であると同時に、中途で入社されたある方の歓迎会も兼ねていたんです。

 

その方は、小学校の時に二つ隣のクラスにいた「遠藤さん」という方でした。

 

遠藤さんとはこれまで一切関わりを持ったことがなく、かろうじて顔と名前をこっちだけが知っている、という間柄です。

飲み会の流れで小学校が同じだったという話になったのですが、遠藤さんの方は私のことをまったく覚えていませんでした。

 

隣のクラスの担任、大学の同期、同じ塾に通っていた子、コンビニの店長、小学校の同級生。同じ場所にこの五人が居合わせるという、かなり不思議な経験をしました。

それも示し合わせて合流したわけでもなく、同じ日に同じ居酒屋をたまたま利用したにすぎません。

何よりこのことを知っているのは、恐らく私以外に誰もいないでしょう。

 

怖いわけではないのですがなんとも不思議で、ひょっとすると世間は思ったよりも狭いのかも知れない。そんな風に感じた出来事でした。