「ポテトぉ、ぼくずいぶん探したんだよぉ」
「ぴこー」
僕は佳乃ちゃんに抱きかかえられて、見慣れた道を行く。
「昨日は観鈴ちゃんの家にいたんだねぇ」
「ぴっこり」
「いい子にしてたかなぁ? 観鈴ちゃんとお母さんに、迷惑かけてないかなぁ?」
「ぴこぴこっ」
「うんうん。そうだよねぇ。ポテトはいい子だもんねぇ。いい子いい子ぉ」
佳乃ちゃんにわしゃわしゃと混ぜるように体を撫でられた。ちょっとくすぐったいけど、気持ちがすごくいい。観鈴ちゃんに撫でられた時も気持ちがよかったけど、やっぱり、こうして佳乃ちゃんに撫でてもらってるときの方が、より落ち着いた気持ちになれる。
「やっぱりポテトはふわふわさんのもこもこくんだねぇ」
「ぴこっ」
ほんの一日離れていただけなのに、なんだか、懐かしい感覚だ。
「次にどこかに行く時は、必ずぼくに相談してねぇ。約束だからねぇ」
「ぴっこぴこ」
ああ。僕はもうすっかり、佳乃ちゃんと一緒にいることに慣れちゃったみたいだ。ちょっと前までは、日ごとに住処と寝床の変わる、流浪の野良犬だったのに。あ、今の表現ちょっとかっこいい。流浪の野良犬。どこかにメモしておかなきゃね。
「お姉ちゃんも心配してたんだよぉ」
「……ぴこ?」
……そう言えば。
僕が何で診療所を飛び出して、偶然出会った観鈴ちゃんの家に嘘をついてまで転がり込んだのかって……
………………
…………
……
(佳乃と私の将来のために必要な事だ。君も佳乃の事は大切だろう?)
(ならば大人しく、その体を……)
……聖さんが、何かの実験とか解剖とか改造とか、そんなのに使おうとしてるようにしか見えない目で僕を見てきたからだったっけ……
その時のことを思い出したら、僕は急に身の毛がよだつような感覚に襲われた。夏なのに、体が寒くなった。あの時……聖さんにあの言葉を言われた時と、まったく同じだ。
「ぴ、ぴぃこぉぉ~……」
「わわわ~。ポテトぉ、どうしたのぉ? すごく震えちゃってるよぉ」
「ぴ、ぴこぴこぴこ……」
「すごいよぉ。身の毛がよだっちゃってるよぉ」
僕は毛を逆立てながら、聖さんに弄ばれる自分の姿を想像した――
………………
…………
……
(ふふふ……まずはこのもこもこの毛からだな)
(このメスでもって……君の体の秘密を余すところなく調べさせてもらおうか)
(おおっ……この体は……!)
(くくくくく……面白い。実に面白いぞ!)
(この体さえあれば、この世界の滅びを回避することも容易い……!)
(真祖の姫君の力を借りるまでもない……この世界の法則など、すべて無に帰すことができよう!)
(素晴らしい……実に素晴らしいぞ……! まるで芸術! 完成されつくした……完璧なる存在!)
(くくく……くくくくく……くけけけけけけっ!)
(クケケケ……クケケケケケケキキキキキキッ! 蛮脳ハ改革シ衆生コレニ賛同スルコト一千年。学ビ食シ生カシ殺シ称エル事サラニ一千。麗シキカナ毒素ツイニ四肢ヲ侵シ汝ラヲ畜生ヘ進化進化進化セシメン!)
……後半の方になると、聖さんは完全にバケモノになってしまっていた。
「お姉ちゃん、『ちょっとやりすぎた』って言ってたけど、どういうことかなぁ?」
「……ぴこ……」
「なんだか、ポテトに悪戯しちゃったみたいなんだけどねぇ、ぼくには全然分からないんだよぉ」
「……………………」
「聞いても教えてくれないんだよぉ。お姉ちゃんらしくないよねぇ」
……佳乃ちゃんの話が本当なら、どうやらしばらくの間、僕が聖さんのメスのサビにされちゃうことは無さそうだ。もしそうなっちゃいそうになったら、佳乃ちゃんのところへ逃げよう。そうすれば、佳乃ちゃんがきっと僕を守ってくれるだろう。
そう思うと、僕は落ち着くことができた。
「ぴこぴこ」
「落ち着いたみたいだねぇ。もう心配しなくても大丈夫だよぉ。お姉ちゃんにはねぇ、もうポテトをいじめちゃダメだよってちゃんと言っておくからねぇ」
「ぴこぉ……」
僕は佳乃ちゃんにぎゅーっと抱きしめられながら、なんともいえない安心感でいっぱいになった。
やっぱり、僕は佳乃ちゃんと一緒にいる方がいい。
心の中から、そう思った。
「観鈴ちゃん、早起きさんだねぇ」
「ぴこぴこっ」
「この時間にお散歩してたら、また会えるかなぁ」
僕は佳乃ちゃんの腕から地面に降りて、一緒に道路を歩いている。ずーっと抱かれっぱなしだったから、もう体力はすっかり元通りだ。歩いていても、ふらつくようなことはない。
「……ねぇポテト」
「ぴこ?」
佳乃ちゃんが僕に声をかけた。僕は足を止めて、佳乃ちゃんを見上げた。
「ぼくがこんな時間にこんなところにいたの、お姉ちゃんには秘密にしておいてくれないかなぁ?」
「……………………」
「えっとぉ……ちょっと、難しいお話なんだけどねぇ……」
ずっと遠くを見つめながら、佳乃ちゃんがつぶやくように言う。
「あのねぇ……」
「……ぼくがこんなところにいるって知っちゃったら、お姉ちゃんが悲しい思いをしちゃうんだよぉ」
それは、どこか悲しげで。
「……いろいろ、訳があるんだけどねぇ……でも、黙っておいて欲しいんだぁ……」
それは、どこか儚げで。
「約束……してくれるかなぁ……?」
「ぴこ……」
それは……まるで、夢を見ているかのようで。
僕の知っている佳乃ちゃんとは、全然違う姿がそこにあった。
「ごめんねポテトぉ。ちょっと、しんみりさんだったねぇ。ぼくらしくなかったよねぇ。心配しなくても大丈夫だよぉ」
「ぴこぉ……」
「さっ、家に帰ろうねぇ。お姉ちゃんが起きてきちゃう前に、ぼくの部屋まで戻っておかなきゃねぇ」
佳乃ちゃんは再び、元気良く歩き出した。
「むむむ~。ポテトは歩くのが速いねぇ。ぼくも負けないよぉ!」
「ぴこぴっこ!」
「よぉ~し! 家に帰るまで歩いて競争だよぉ! 走っちゃダメだからねぇ!」
「ぴっこー!」
僕らはそのまま、薄明かりの広がる朝の道を、早歩きで駆け抜けた。
「とうつき~」
「ぴこぴこ~」
僕も佳乃ちゃんもほとんど同時に、診療所の前にたどり着いた。僕の見慣れた、霧島診療所の前だ。
「全然人がいないねぇ」
「ぴこぴこっ」
「きっと、お姉ちゃんもまだ夢の中だよねぇ」
商店街に入っても、人通りはまだ少ない。少ないと言うよりも、まったくないと言った方がより正確だ。道を歩いているのは、僕と佳乃ちゃんだけ。静かな朝の風景が、どこまでもどこまでも、見渡す限りずっとずっと続いている。
「よぉーし! それじゃあ、お姉ちゃんを起こしちゃわないように、静かに入ろうねぇ」
「ぴこっ」
「お帰り佳乃。朝の散歩はどうだったかな」
「わわわ~っ! お姉ちゃん、もう起きてたのぉ?!」
気が付くと、聖さんがドアの前に立っていた。腕組みをして、口元には微笑を浮かべている。
「こう見えても朝は早いほうだ。佳乃が出かけてすぐに目が覚めたぞ」
「ごめんねぇ。お姉ちゃん、起こしちゃったみたいだねぇ」
「そんな事はないぞ。早起きができてありがたいぐらいだ。佳乃も早起きの習慣が付いたみたいで、私はうれしいぞ」
「えへへ~。ぼくも早起きさんになっちゃいましたぁ!」
「うむ。早起きはいい事だ。さて佳乃。歩いてお腹も空いただろう。朝食にしよう」
「はぁ~い」
佳乃ちゃんは伸びやかに返事をして、先に入っていった聖さんに続いて、診療所の中へと歩いていった。
「ごちそうさまでしたぁ!」
朝ごはんを食べた後、佳乃ちゃんは両手をぱちんと合わせて、通りのすごくいい声でごちそうさまを言った。診療所のどこにいても聞こえそうなぐらい、通りの言い声だった。
「お粗末様。今日は休みか?」
「そうだよぉ。今日のぼくは一日ヒマヒマ星人さんなんだよぉ。何かお手伝いすることとかないかなぁ?」
「ふふふ。心配しなくても、一つ手伝ってもらいたいことがあるぞ」
「本当?! 何々、何かなぁ?」
佳乃ちゃんが瞳を輝かせながら、身を乗り出して言った。聖さんはにっこり笑って、佳乃ちゃんに言った。
「実は、遠野さんのお母様から、あるものをいただいた」
「遠野さんのお母さんからぁ?」
「そうだ。確か……」
「???」
「……ああ、あったあった。これだ」
聖さんは白衣のポケットに手を突っ込んで、ごそごそと何かを取り出した。
「……ぜんこくきょうつう~?」
「そうだぞ。全国どこででも使える便利な紙、その名もお米券だ」
ポケットから出てきたのは、一枚のお米券だった。これをお米屋さんに持っていくと、券に書いてある量のお米と交換できるシステムになってるらしい。どうして紙切れ一枚がお米になっちゃうのか、僕にはちょっと分からないけれど、便利なことは便利だと思う。
「へぇ~。これがお米になっちゃうんだねぇ」
「ああ。これをお米屋さんを持っていって、お米に変えてきてほしい」
「うんうん。それで、お米を持って帰ってくればいいんだよねぇ?」
「ああ。頼まれてくれるか?」
佳乃ちゃんはにっこり笑って、
「了承ぉ!」
「お姉ちゃん、行ってきまぁす!」
「ああ。くれぐれも気をつけてな」
元気良く挨拶をして、佳乃ちゃんが診療所を出た。もちろん、僕もその後についていく。
「ポテトも一緒に来てくれるんだねぇ」
「ぴこぴこっ」
「うんうん。それじゃあ、ポテトをライスエクスチェンジャー部隊隊員二号さんに任命するよぉ。ちなみに一号さんはぼくだからねぇ」
「ぴこ」
……「ライスエクスチェンジャー部隊」……よくは分からないけど、なんだかとてもかっこいい響きだ。そんな部隊に、僕は今所属している。自然と、体が緊張してくる。
「それでは、でっぱつしんこう~」
「ぴこぴこぴこ~」
いつもの掛け声にあわせて、僕と佳乃ちゃんは歩き出した。
「朝はちょっと大変だったねぇ」
「ぴこー」
「今日はうまくごまかせたねぇ」
佳乃ちゃんはとてとてと歩きながら、朝の出来事について話している。
「でも、今度からはきっとこう上手くは行かないよぉ」
「ぴこっ」
「だから、本当に早起きさんにならないとねぇ」
うんうんと頷きながら、佳乃ちゃんは歩き続けた。右手に巻かれた黄色いバンダナがゆらゆらと揺れて、僕の視界にひっきりなしに飛び込んでくる。
「魔法で早起きさんになれないかなぁ。どんなねぼすけさんも、一発で早起きさんになっちゃう魔法~!」
「……………………」
「魔法が使えたら……いいのになぁ……」
佳乃ちゃんがそんなことを、ため息混じりにつぶやいたとき。
「あーっ! かのりんだーっ! そんなところで何やってんだー?」
元気のいい声が、商店街に木霊した。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。