「むむむっ!」
その声を聞いて、佳乃ちゃんがくるりと後ろへ振り返った。それにつられて、僕も振り返る。
「にゃはは。やっぱりかのりんだった。間違ってたらどうしようかなと思ったけど、みちるの目に誤りはなかったぞー」
僕らが振り返った先に立っていたのは。
長い長い紫色の髪を、青色のリボンでまとめてツインテールにした、小学生ぐらいの女の子だった。上下共に短くて動きやすい服装をしていて、見ているだけで活発そうな印象を与える。女の子はぴょんこぴょんことスキップ気味に歩きながら、こちらへと近づいてくる。
「こぉらぁーっ! ぼくのこと『かのりん』って呼ばないでよぉ!」
近づいてきた女の子に、佳乃ちゃんが顔を真っ赤にして言った。女の子が口にした「かのりん」という呼び方が気に入らないみたいだ。確かに「かのりん」なんて呼び方は、男の子の佳乃ちゃんにはちょっと似合わない。どちらかと言うと、女の子に対する呼び方だ。
「ぼく、すっごく気にしてるんだよぉ?!」
……多分、佳乃ちゃんがすごく女の子っぽいから、そんな呼び方をされちゃってるんだとは思うけど。
「んにー。だって、かのりんはかのりんっていうんだもん」
「あーっ! また言ったぁー! その呼び方やめてよぉ!」
「にゃはは。気にすんなって。その内慣れる慣れる」
「こんなの慣れる慣れないの問題じゃないよぉ……」
佳乃ちゃんは口をへの字に曲げて、女の子に反論した。やっぱり、仕草が女の子っぽい。
「にゅふふ。慣れないんだったら、みちるが慣れさせてやろー。かのりんかのりん」
「こぉらぁーっ!」
「かのりんかのりん」
「その呼び方やめぇー!」
「かのりんかのりん」
「ぐぬぬぬー……みちるちゃん、意地悪だよぉ……」
「にょほほー。みちるは甘くないんだぞー。かのりんもみちるを見習って賢く生きるべきだなっ」
「あーっ! また言ったぁーっ!」
それにしてもこの女の子……みちるちゃんだっけ。高校生の佳乃ちゃんに、全然遠慮せずに話しかけてる。よっぽど度胸があるのか、それとも、佳乃ちゃんの知り合いなのか……でも佳乃ちゃんの様子を見てると、きっと、知り合いの方なんだろう。
「……………………」
佳乃ちゃんの知り合いということで、とりあえず、僕も挨拶をしておくことにした。
「ぴこぴこっ」
「にょわ! ポテトも一緒だったのか。にゃはは。元気にしてたかー?」
「ぴこー」
「にゅふー。元気元気。みちるも元気だぞー」
僕はみちるちゃんに頭をがしがしと撫でられた。力加減がちょっと強くて、頭の方の毛がもしゃもしゃになった。
「むー……みちるちゃん、朝からひどいよぉ」
「にゃはは。めんごめんご。ちょっちやりすぎた」
「もぉー。あんまり言わないでよぉ。ところでみちるちゃん、こんなに早くから何してるのぉ?」
「んに? えっと、ちょっと虫取りに行くところ」
「虫取りぃ?」
佳乃ちゃんが首を横に曲げて言った。みちるちゃんは首が取れそうなほどの勢いで頷いて、
「んに。今から神社の方に行って、カブトムシとか取りに行くの」
「へぇー。楽しそうだねぇ」
「にゃはは! かのりんもいっしょに行く?」
「うーん。ごめんねぇ、ぼくこれから、ちょっと行かなきゃいけないところがあるんだよぉ」
「うにゅー。ちょっち残念。で、かのりんはどこに行くんだー?」
「えっとねぇ、お米屋さんでお米券を渡してねぇ、お米をもらってくるんだよぉ」
みちるちゃんは「お米券」という言葉を聞くと、元々大きく開いていた目をさらにぱっと大きく開けて、
「あーっ! もしかして、みちるのお母さんが渡したやつかー?」
「そうだよぉ。よく分かったねぇ。お母さんにありがとうって言っておいてよぉ」
「にゃはは。任しとけって。みちるのお母さんはなー、誰かにお礼をするときはかならずお米券を渡すんだぞー」
「へぇー。面白いお母さんだねぇ」
佳乃ちゃんはからからと笑って、みちるちゃんの頭を撫でた。
「んにー」
みちるちゃんは頭を撫でられて、ちょっとはにかんだような表情を見せた。目線は上に向いて、自分の頭に載せられている佳乃ちゃんの手を見つめていた。
「みちるちゃんの頭は撫でやすいねぇ」
「にゃはは。美凪にもよくそう言われるんだ」
「だよねぇ。そうだよねぇ」
にこにこ笑顔で頭をなでなでしながら、佳乃ちゃんが言った。なんだかこの二人を見ていると、仲のよい姉妹……じゃなかった。兄妹に見えてくる。
と、その時。
「あっ。みちるちゃん、ちゃんとしてくれてたんだねぇ!」
佳乃ちゃんが声を上げた。みちるちゃんがきょとんとした表情で、
「んに?」
佳乃ちゃんを見返した。
「ぼくがあげたバンダナだよぉ!」
「にゃはは。そうだぞー。もらったからには、ちゃんとつけてないと」
そう言って、みちるちゃんは左腕を天高く掲げた。
「ぴこ……」
そこには、佳乃ちゃんの黄色いバンダナとはまた違う、空のような海のような色をした、綺麗な青色のバンダナがしっかりと巻き付けられていた。バンダナが風にゆらゆら揺れて、僕の目にもそれが飛び込んできた。
「うれしいよぉ。ちゃんと付けててくれたんだねぇ」
「もっちろん。これをつけてたら、かのりんとひじりん先生みたいに仲良し姉妹になれちゃうんだもん」
「うんうん。そうだよぉ。このバンダナはねぇ、魔法のバンダナなんだよぉ」
佳乃ちゃんは自分の黄色いバンダナと、みちるちゃんの青いバンダナを絡め合わせながら、うれしそうに言った。
「このバンダナはねぇ、お姉ちゃんとぼくを結びつける、魔法のバンダナなんだよぉ」
「にゅふー。ということはみちると美凪も、これをしっかり巻いてればずっと一緒にいられるんだね」
「あったりー! いつまでも仲良しさんでいられるんだよぉ。大切にしてあげてねぇ」
「んに。絶対に大切にするぞー!」
佳乃ちゃんの右腕とみちるちゃんの左腕が同時に上がって、青と黄色のストライプスになったバンダナが、穏やかな風にゆらゆらと揺らされた。
「そう言えばみちるちゃん、遠野さんはどうしたのぉ?」
バンダナのことについての話が終わって、佳乃ちゃんが開口一番に聞いた。
……あれ? 遠野さん……?
僕はその名前に聞き覚えがあった。というよりも、つい最近聞いたばかりで、まだ忘れていなかったと言ったほうが正しい。本当につい最近聞いたばかりだったからだ。
「およ? さっきまでみちると一緒だったんだけど……」
みちるちゃんがきょろきょろと周囲を見回し始めた、ちょうどそのとき。
「……………………」
急に、ずずいと大きな影が現れた。
「……ちるちるこっちよ」
それはまるで、今まで自分の出番を舞台裏で待っていた役者のような、妙に印象に残る登場だった。
「あ、美凪ーっ!」
「遠野さぁん! おはようさんだよぉ!」
「……おはようございます。今日も一日、がっつでごー……」
「……………………」
そして相変わらず、とても分かりにくい会話をする人だった。
「……ぽ」
顔を赤らめられた。もしかして、僕の考えていることが分かるのだろうか。もしそうだったら……ちょっと怖いかも。
「あれれぇ? どうしたのぉ? 顔が赤いよぉ?」
「……いえ。大丈夫です……」
「風邪なんか引いてないよねぇ? 夏の風邪は厄介だってお姉ちゃんが言ってたよぉ。気をつけてねぇ」
「……はい。ありがとうございます……ぽ」
「にょわ! また赤くなった!」
昨日会った時にも増して、遠野さんはよく顔を赤らめている。もしかして、自分の顔の状態を自分でコントロールできちゃったりするんだろうか。
「遠野さんも虫取りに行くのぉ?」
「……はい。みちるのお付きです……」
「にゃはは。美凪がいれば、どんなでっかい虫も一撃なんだぞー」
みちるちゃんの言葉を聞いて、僕は改めて遠野さんを見てみた。
「……………………」
「……………………」
あんまり、虫に強そうには見えなかった。
どちらかと言うと、図書館で静かに本を読んでいたり、あるいは夜空の星を眺めていたりする方が、ずっとずっと似合っているような気がした。
「……ところで、霧島さんはこれからどちらに……?」
「えっとねぇ、遠野さんのお母さんからもらったお米券をねぇ、お米に引き換えに行くところだよぉ」
「……………………」
遠野さんは佳乃ちゃんの言葉を聞いて、どこかアンニュイな表情を浮かべながら、頬に手をやった。
「……………………」
「……………………」
対する佳乃ちゃんは、いつものにこにこ笑顔で遠野さんを見つめている。なんていうか、とても対照的だ。
「……霧島さん」
「どうしたのぉ?」
「……せっかくですので、もう一枚いかがですか……?」
いきなりだった。もしかして、遠野さんもお米券をくれたりするのだろうか。というか、どうしてお米券なんだろう?
「ええっ?! もう一枚くれるのぉ?!」
「……はい。受け取っていただけますか……?」
「もちろんだよぉ」
「……それでは……がさごそ……」
自分で「がさごそ」と音を出しながら、遠野さんがポケットの中へ手を入れた。よーく見てみると、ポケットが目に見えるぐらい膨らんでいる。あんまり想像したくはないけど、もしかしてあの中には想像を絶する量のお米券が入っていたりするのかもしれない。
「……はい。こちらになります……」
「はわわぁ~! それで、今日はなんで賞?」
「……そうですね……」
「……………………」
「……はい。進呈……朝から元気がいいで賞……」
そんなことを言いながら、遠野さんが佳乃ちゃんにお米券を差し出した。剥き出しのお米券をいきなり進呈する遠野さんの姿が、まるでどこか遠くの国の人みたいに見えた。
「ありがとぉ! しっかりもらっておくねぇ」
「……はい。また、使ってあげてください……ぽ」
「うんうん。約束するよぉ」
煌くような笑顔を見せて、佳乃ちゃんが丁寧にお米券をポケットにしまった。
「……あの……霧島さん。一つ、いいですか……?」
「いいよぉ。どうしたのぉ?」
お米券のやり取りが終わって、遠野さんがまた佳乃ちゃんに話しかけた。ちなみにみちるちゃんは飽きてしまったのか、周囲を「にゃはは」「にゅふふ」「にょほほ」と笑いながらぐるぐると歩いている。
「……実は今日、天文部の活動があります……」
「天文部ぅ? あーっ! そう言えば遠野さん、部長さんだったよねぇ」
「……はい。学校の屋上を借りて……星を観察しようと思っています……」
「へぇー。楽しそうだねぇ。屋上から見たら、きっとすっごく綺麗な星が見えるよぉ」
額に手を当てて遠くを見るようにして、佳乃ちゃんが空を見上げた。
「……………………」
今は青空が広がっているけれど、その裏側には、幾千もの星達が今も瞬いているのだろう。夜になれば、僕たちもそれを見ることができる。
「……それで、です」
「えっ?」
「……霧島さん……」
遠野さんが少し低い口調で、静かに言った。
「今日……私と一緒に、星を見ませんか……?」
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。