「遠野さんと一緒に、お星さまをぉ？」
「……はい。どうでしょう……？」
遠野さんは佳乃ちゃんに、「一緒に星を見ませんか」とお誘いの言葉をかけた。
「いいよぉ。面白そうだねぇ」
「……はい。楽しくて、心臓が飛び出るぐらいです」
「わわわ～！ なんだかとんでもないねぇ」
確かに、とんでもない。
「んにー……美凪ぃ、みちるは？ みちるはー？」
僕たちの周りをぐるぐると歩いていたみちるちゃんが立ち止まって、不安げな表情で遠野さんに聞いた。みちるちゃんも、佳乃ちゃんや遠野さんと一緒に星を見に行きたいみたいだ。自分だけ置いていかれるのが嫌。そういう風にも、見て取れる。
「……大丈夫です。みちるも、一緒に行きましょう」
「わーい！ お星さま、お星さまー！」
「みちるちゃんも、お星さま見るの好きなんだねぇ」
「にゃはは。こー見えても、みちるはお星さま三級なんだぞー」
お星さま三級。そんな資格、少なくとも僕が今まで生きてきた中では一回も聞いたことがない。とりあえず、どういうことをすれば昇段昇級できるのか、ちょっと気になってしまった。悔しいなぁ。ホントはそんなの、どこにもありっこないって分かってるのに。
「他には誰か来るのかなぁ？」
佳乃ちゃんが聞くと、遠野さんはゆっくりと、そして深々と頷いて、
「……はい。臨時天文部の方が、何人か来られます……」
「そうなんだぁ。楽しみだねぇ」
佳乃ちゃんはさらりと聞き流したけど、僕は遠野さんの言った「臨時天文部」の「臨時」という言葉がとても気になった。ひょっとして、臨時で誰か人を呼ばないとだめなぐらい、人数が少ないのかな？ 僕は思わず、そんなことを考えた。
「ぼく望遠鏡とか持ってないけど、大丈夫かなぁ？」
「はい。それは、天文部で用意します……」
「なーんだぁ。それなら心配無用だねぇ」
「……ぽ」
また、遠野さんが顔を赤らめた。遠野さんの「顔赤らめ」には、一体どんな意味があるんだろう？ 考えれば考えるほど、どんどん答えから遠ざかっているような気がする。
「他にはどんな人が来るのかなぁ？」
「……それは、来てみてびっくり玉手箱……」
「むむむ～。気になるねぇ。夜になるのを楽しみに待ってるよぉ」
遠野さんは右手を空高く掲げて、青空を指差した。傍から見ていると、ちょっと電波（それも、怪しい系の）を受信してしまった人にも見えなくもない。と言うか、そう見えちゃう。
「何時にどこで集まればいいのぉ？」
「……はい。八時ごろに、校門の傍で集合です」
「了承だよぉ。遅れずに行くからねぇ」
「……はい。ありがとうございます……」
かすかに優しげな笑みを浮かべながら、遠野さんが小さく頭を下げた。
それはどこか、母性的な温かみに満ちていて、見る者をことごとく安心させてしまうような、そんな優しさがあった。
「……………………」
この人は本来、こんな表情をする人なんだなあと、僕は思った。普段のちょっと理解しにくい言動や行動は、場を和ませたいための遠野さんのさりげない振る舞いなのかも知れない。
「……それでは、これで……みちる、行きましょう」
「んに。じゃあかのりん、またなー」
「うんうん。じゃぁねぇー……って、だからぁ、ぼくのことかのりんって呼ばないでよぉ！」
「にゃはは。かのりんかのりん」
みちるちゃんは「かのりん」と連呼しながら、とてとてとてーっと走っていった。みちるちゃんの左腕に巻かれた青いバンダナが、長いツインテールの髪の毛と一緒に、風に揺られて流されていった。
「もぉ……」
佳乃ちゃんは口をへの字に曲げて、遠くへ過ぎ去っていく遠野さんとみちるちゃんの二人を見送っていた。
「はい。それじゃこれ、引き換えね」
「お願いしまぁす」
佳乃ちゃんはお米屋さんに着くと、お米券をお店の人に渡した。お店の人はお米券を受け取ると、足元からたくさんのお米の入った袋を取り出して、カウンターの上に載せた。
「どっこいしょっと」
持ち上げるだけでも大変そうなぐらい、ぎっしりとお米が詰まっていた。お店の人の額にも、じわりじわりと汗が滲んでいる。
「……はいっ。これになるよ。でも佳乃ちゃん、こんなの持って帰れるかい？」
「平気だよぉ。こう見えてもねぇ、重いものを持つのは大得意なんだよぉ」
そう言うと、佳乃ちゃんはカウンターの上に載っていたお米のふくろをひょいと担ぎ上げて、肩の上に載せた。言葉どおり、まったく辛そうにしていない。重いものを持つのは得意みたいだ。
「全然余裕だよぉ。それじゃあおじさん、ありがとぉ」
「あいよ。またお米券をもらったら、引き換えに来てくれよ」
おじさんに挨拶をして、佳乃ちゃんはお米屋さんを出た。
「あっつーい」
「ぴこぴこー」
外に出ると、来る時よりも一段と暑さが増していた。佳乃ちゃんは肩にお米を載せたまま、きょろきょろと周囲を見回している。
「早くお米を持って帰ろうねぇ」
「ぴこっ」
僕は佳乃ちゃんの後ろについて、商店街を歩き始めた。
「よいしょっ、よいしょっ」
佳乃ちゃんは楽しげに声を上げながら、お米を担いでいる。「よいしょ」とは言っているけれど、全然重そうにしていない。まるで、おみこしか何かでも担いでいるみたいだ。
「ずっしりさんだよぉ」
「ぴこ？」
「こんなにたくさんあるなら、しばらくはお米デイズだねぇ」
「ぴこぴこっ」
にこにこ笑いながらでっかいお米袋を担ぐ佳乃ちゃんの姿は、なんとなく、頼りがいがありそうだった。
「今年もおみこし出るかなぁ？」
「ぴこ？」
「ぼく、また担げたらうれしいよぉ」
「ぴっこぴこ」
「わっしょいわっしょい！」
掛け声がわっしょいわっしょいに変わった。いいなあ。見てると、なんだかすっごく面白そうだ。僕も担いでみたいなぁ。
……と、そんなことを考えていると。
「朝から精が出るな。いいことだぞ」
「むむむっ！」
後ろから声を掛けられた。高いような低いような、ちょっと重みのある声だった。
「あーっ！ 坂上さぁん！ おはようございますだよぉ！」
「おはよう。外で元気な声が聞こえると思ったら、やっぱり佳乃だったか」
「大きい声を出すのはぼくの得意技だからねぇ」
そこに立っていたのは、メガネをかけた……率直に言って、かっこいい女の人だった。ややもすると、男の子にも見えなくもないぐらいだ。立ち方も堂々としていて、なんとなく、誰かをまとめるのに向いた性分の人なんだなぁと思った。
「今年のおみこしも楽しみだねぇ」
「ああ。私も是非参加しようと思っているぞ。その分だと、佳乃もやる気みたいだな」
「もっちろぉん！ わっしょいわっしょいって担いで、街の中を練り歩くんだよぉ」
「ふふふっ。今から楽しみだな」
女の人……坂上さんは笑顔を浮かべて、お米をおみこし代わりにして担いでいる佳乃ちゃんを見た。
「……おや？ この子は、君が飼っている犬か？」
「そうだよぉ。ポテトっていうんだぁ。なでてあげると喜ぶよぉ」
「……なでても……いいのか？」
坂上さんは驚いたような表情を浮かべて、佳乃ちゃんを見やった。佳乃ちゃんはあっけらかんとした表情で、こう返事をした。
「いいよぉ。ポテトは撫でられるのが大好きなんだよぉ。坂上さんも撫でてあげてよぉ」
「……そ、それじゃあ、お言葉に甘えて……」
ゆっくりとしゃがみこむと、坂上さんは恐る恐る手を伸ばして、僕の頭に触れた。静かに添えられた手がちょっとくすぐったくて、僕はぴくりと身体を震わせた。
「こ、こうすればいいのか……？」
「そうだよぉ。上手上手ぅ」
坂上さんは丁寧に丁寧に、僕の頭を撫でてくれた。優しい手つきがとても気持ちよくて、僕は思わず目を閉じて、その優しい感覚に身を任せた。
「気持ちいいのか？」
「ぴこっ」
「そうか……私もだぞ」
僕の頭をなでる坂上さんの表情が、心なしか綻んだように見えた。
「かわいいな……」
「ぴこぉ……」
それはそのまま、しばらく続いた。
「……さて」
坂上さんは静かに手を止めると、ゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう。とても気持ちよかったぞ」
「うんうん。そうだよねぇ。また撫でたかったらいつでも言ってよぉ」
「ああ。そうさせてもらおう」
坂上さんがそう言って、佳乃ちゃんを見たとき。
「……………………」
ふっと、ほんの少し表情が曇った。それは怪訝な顔つきと言うよりも、どこか不安そうな表情だった。何か心配事を思い出したときのような、見ているほうも落ち着かない表情だ。
「佳乃……」
「ふぇ？ どうしたのぉ？」
「その……言いにくいことなんだが……」
坂上さんはそうしてしばらく言いよどんでいたけれど、
「……………………」
やがて意を決したのか、ゆっくりと口を開いた。
「そのバンダナは……まだ、外せそうにないか？」
開いた口から出てきたのは、どこか緊張を帯びた、重々しい声だった。
「これぇ？」
佳乃ちゃんが自分の右腕に巻かれた黄色い布を指さして、あくまでも普通の声で言った。
「えっと……ごめんねぇ。これはちょっと外せないよぉ」
「……そうか……」
「でも坂上さん、どうしてそんなこと聞くのぉ？ 何かあったのかなぁ？」
「……いや、何でもない。すまないな。変なことを聞いてしまって……」
本当に申し訳無さそうに、坂上さんが俯いた。聞いてはいけないことを聞いてしまった時のような、後悔の色に満ちた表情だった。
「ううん。気にしないでよぉ。バンダナのこと聞かれるのは、もう慣れっこさんだからねぇ」
「……そうか……そう言ってくれると、少しありがたいぞ」
佳乃ちゃんの言葉を聞いて、坂上さんがほっと息を吐いた。胸にあったつかえが、少しだけ降りたような感じだ。
「それじゃ坂上さん、ぼく、お米を家まで届けなきゃいけないから、そろそろ行くねぇ」
「ああ。くれぐれも気をつけてな」
「えへへ～。なんだか、お姉ちゃんみたいだよぉ」
「そ、そうか？」
急に「お姉ちゃんみたい」だと言われて戸惑う坂上さんの表情が、ぱっと明るくなったように見えた。
「それじゃぁねぇ」
「ああ」
最後に短く挨拶をして、佳乃ちゃんと坂上さんが別れた。
僕も行かなきゃ――僕も佳乃ちゃんの後ろについて、一緒に歩き出そうとした……
……ちょうど、その時。
「……ぴこ？」
僕の目線の先に、それは落ちていた。
真っ黒なハンカチが一枚、道端に落ちていた。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。