「よし……一旦これくらいにして、そろそろ休憩しますか」
ともえとリアンはアトリエの中に戻り、開いていたガラス戸を閉じた。
「ともえちゃんも、ずっとその恰好だと疲れると思うから、一度変身を解いてみましょ」
「はい。でも、魔女見習いから元に戻るには、どうしたらいいんですか？」
「簡単簡単。単に、元に戻れ、って念じるだけでいいわ。さ、やってみて」
「はい！」
ともえが両手を合わせて目を閉じ、「元に戻れ」と念じる。すると……
「……………………」
変身したときにあふれ出た白い光がともえを包み込み、しばらくもしないうちに、ともえは両手を合わせた姿勢のまま、魔女見習いへ変身する前の服装へと戻っていた。
「ホントだ、元に戻ってる……」
「ね？ 簡単でしょ？」
姿勢を変えながら自分自身を見て、ともえは完全に元の姿へ戻った事を確認した。アトリエを訪れたときの、何の変哲も無い普通の恰好だ。
「よくできましたっ。また変身したいときは、さっきみたいにリアクターをタッチすればいいわ」
「はい。ありがとうございます」
ともえは丁寧にお辞儀をして、リアンに礼を言った。
「よぅし。じゃ、お茶の用意をするわ。椅子に座って待っててちょうだいね」
「はい！」
丸テーブルの椅子を引いて、ともえはちょこんと腰掛けた。
「リアンさん、このクッキー、すごくおいしいですね！」
「あら、ともえちゃんったら。褒めてもクッキーの追加しかでないわよ♪」
「わ、ありがとうございますっ！」
リアンはハーブティーとチョコチップクッキーをこしらえて、ともえに振舞った。ともえは魔法を使ったり空を飛んだりした事でお腹が空いていたのだろう、クッキーを次々に食べている。
「これも、魔法で出したんですか？」
「その通りよ。ただし、レシピはあたしが考えたものよ。魔法はあくまで『手段』に過ぎないもの」
得意げに言うリアンを見て、ともえはにっこり笑いながら、もう一つ、チョコチップクッキーに手を伸ばした。
「さて……ともえちゃんは魔女見習いに変身できるようになった、魔法も使えるようになった、空も飛べるようになった。ここらでちょっと、大事な話をしておくわね」
「大事な話……ですか？」
ハーブティーを静かにすすってから、ともえがリアンに問い返した。リアンもまたハーブティーをすすりつつ、こくんと頭を振って同意した。ともえはクッキーを食べる手を休めて、リアンの目をじっと見つめた。
「ともえちゃんはこのアトリエに来て、新しい力を身につけた。それは、とても素晴らしい事だと思うわ」
「はい。わたしも、今とってもうれしいです」
「うんうん。その気持ち、あたしにもよく分かるわ。そう、ともえちゃんの『うれしい』っていう気持ちは大切。これからも、ずっと持ち続けて欲しいと思うわ」
そう口にしてから、リアンは軽く腕組みをする。
「だからこそ、ともえちゃんには……いくつか、約束してもらいたい事があるの」
「わたしが、守らなきゃいけないことですか？」
「ええ。ともえちゃんが幸せであるためにも、必ず守らなきゃいけないことよ」
いつになく真面目な様子のリアンに、ともえはわずかに表情を固くする。口ぶりを見るに、これからリアンから話される内容は、とても重要なものだ――ともえは無意識のうちに、それを悟っていた。
「約束してもらいたい事は、二つあるわ」
「一つ目が――」
「魔法を知らない人の前で、むやみに魔法を使うのは避けて欲しいの」
「ともえちゃんが、あたしが最初にアップルティーを出してビックリしたように、普通の人は、魔法をいきなり見せられて、平常心を保てるものじゃないわ」
「何も無いところから、突然ものを作り出す……人間の住む世界では、それはありえないことのはずよ」
ともえは訥々と語るリアンの姿に、完全に釘付けになっている。
「そんな、普通ではありえない力を持つ人がいる。それが広まれば、必ず、いろいろな感情が湧いてくるわ」
「ともえちゃんのように、魔法を素直に賞賛してくれるなら喜ばしいわ。けど、そうじゃない人も大勢居る」
「魔法の力を悪巧みに使おうと考える人、魔法を『得体の知れないもの』として怖がる人、魔法を持っている人を妬む人……そんなネガティブな感情を抱く人も、たくさんいるはずなの」
ともえがごくり、とつばを飲み込む。緊張しきった様子で、リアンの話に耳を傾けていた。
「もし、ともえちゃんが大勢の人の前で魔法を使って」
「それが、魔法にネガティブな感情を抱く人の目に留まって」
「ともえちゃんが……悪巧みに利用されたり、謂れの無い誹謗中傷、あるいは……迫害を受けでもしたら……」
リアンは表情をゆがめ、少しばかり言葉を詰まらせながら言った。ともえに起こるかもしれない、最悪のケースを頭に思い浮かべているようだった。
「その昔……こっちの世界で言うところの中世頃に、欧州で『魔女裁判』と呼ばれる風習があったの」
「独断と偏見で、普通の人を『魔女』に仕立て上げて、迫害した上で……処刑する」
「『魔女』を忌み嫌う者がいるということを示す、端的で悲しいケースだわ」
ため息と共に、リアンが吐き出す。
「魔女……裁判……」
ともえは昔、歴史の本で魔女裁判について扱ったものを読んだ事があった。そこに書かれていたものは幾分表現を和らげてはいたものの、幼いともえの心にショックを与えるには十分な内容だった。
「わたしが……裁判に掛けられて、殺されちゃうかもしれない……」
そう口にしたともえの声は、かすかに、震えていた。
「ごめんね、ともえちゃん。怖い話をしちゃったみたいで……」
「あ……いえ、大丈夫、です。でも……少し、怖くなって……」
肩を震わせるともえの華奢な躰を、リアンが静かに抱いた。
「そうね、ネガティブに考える人もいるわ。けれども――」
「魔法を受け入れてくれる人も、それ以上にたくさんいる」
「それこそ、ともえちゃんのように、ね」
リアンの言葉を聞いて、ともえの震えが止まった。顔を上げ、リアンの瞳を見つける。
「あたしの魔法を見たともえちゃんは『うれしい』って言ってくれたわよね」
「使い方、そして使いどころを間違えなければ、魔法はたくさんの人を幸せにできる」
「誰かを幸せにする事。それが、ともえちゃんが魔法を使うきっかけだったはずだわ」
優しい口調で、リアンがともえに囁いた。リアンの言葉に、ともえは静かに頷く。
「リアンさん……」
「ともえちゃんなら大丈夫。だって、あたしの一番弟子だもの」
この言葉を聞いて、ともえの恐怖心が消えたようだ。表情に、いつもの明るさが戻ってきた。
「分かりました。人前で、むやみに魔法を使ったりしません」
「うん……そう。それでいいわ」
ともえとリアンの心が繋がる。リアンの伝えたかった事を、ともえはしっかりと理解したようだった。
「けれどもね、ともえちゃん。魔法を使う事を恐れないで。その力は、たくさんの人を幸せにできるものだから」
「はいっ。わたし、リアンさんがくれた魔法を使って、たくさんの人を幸せにしてみせます！」
「あたしも、魔法に理解を示してくれる人を探すわ。少しずつでも、お互いに理解しあえたほうがいいものね」
「わたしも、是非お手伝いさせてください！」
「うむ！ その前向きな志！ それでこそともえちゃんだわ！」
リアンはともえの肩を叩いて、前向きな心を取り戻したともえを称えた。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。