「おおおーっ! こんなにでっかく見えるのかー!」
「……今日は裸眼でもよく見えますから、望遠鏡で見たらそれはもう……ぽ」
「すごいねぇ。なんだか、夜空に小さーい針で穴を開けて、向こう側から懐中電灯をばーって当てたみたいだよぉ」
学校の屋上で、十人もの人々がこぞって星を眺めている。
「あれは……北斗七星か?」
「そうみたいです。こんなにはっきり見えたのは、初めてです」
「柄杓みたいな形してとは聞いとったけど……こないはっきり見えると、逆に何の形か分からんようなるな」
「あんなのが胸に……確かに痛いだろうな」
「執念が足りんのや。執念が」
僕はあちこちを回りながら、何度も空を見ては、一面に瞬く美しい星星に目を奪われていた。
「真琴、あれがはくちょう座ですよ。見えますか?」
「あぅー……見えるけど、なんか変な形……」
『想像力でカバーするの』
「風子は大人の女性ですが、想像力にも限界というものがあります」
このグループは、夏の大三角の一角・はくちょう座を見つけたみたいだ。
夏の大三角ははくちょう・こと・わしの三つの正座で形作られ、それぞれの頂点に光る星には「デネブ」「ベガ」「アルタイル」という名前が付けられている。この内「ベガ」は七夕の織姫様を、「アルタイル」は彦星様をそれぞれ指していて、その二つを隔てるように、膨大な量の恒星で成り立つ「天の川」が流れている。
七夕はもう過ぎてしまったけれど、先に挙げたの星星の輝きは、いささかも失われてはいない。
「でもみなぎー、みちるたちが見てる星の光って、もうずっとずっと昔の光なんだよね」
「……そうです。例えば……みちる、あの光の強い星が見えますか?」
「んに。ばっちり見えるぞー」
「……あの光は……恐らく、四十年ほど前の光です」
「……えーっ?! それって、かみかみのおかんが生まれるよりももっと前だぞっ!」
「こらーっ! どーいう基準じゃいそれはーっ!」
「にょわーっ! 聞かれてたーっ!」
みちるちゃんと遠野さんの話を聞いて、僕は改めてもう一度、夜空に目をやった。
「ぴこ……」
真っ暗な空で光る、無数の、本当に無数の星たち。真っ黒い紙に、たくさんのビーズやラメをちりばめたような……不規則な美しさ。それはともすれば、今まさに光り輝いて、この夜空を美しく彩っているようにも見える。
けれどもその光は、今からずっと前――ともすれば、僕のお父さんやお母さんが生まれるよりも――に放たれた光。この星に届くまでには、膨大で途方も無い時間がかかっている。それだけの時間をかけて、光はこの星へと旅して来たのだ。
「……………………」
僕らが見ているのは、あくまでも星の「光」に過ぎない。
もとの星がどうなっているかを、僕らに知る術はない。
もしかすると、今見ている綺麗な星たちのどれかには。
「……………………」
もう影も形も残っていない、消えてなくなってしまったものもあるかも知れないのだ。
「ねぇポテト」
「ぴこ?」
僕がそんなことに思いを馳せていると、不意に横から声が聞こえた。佳乃ちゃんだ。
「みちるちゃんの話なんだけどねぇ」
「ぴこ」
「ぼく達が今見てる星の光っていうのは、もうずっとずっと昔の光なんだよねぇ」
「ぴっこり」
「……………………」
佳乃ちゃんは大空に目をやって、煌く星たちを眺めた。
「……あの中に、お母さんがいるのかなぁ」
「……?」
「お母さんが見た星の光も、あの中にあるのかなぁ」
顔を上にあげたまま……佳乃ちゃんがつぶやくように言った。その声は、僕にだけ聞こえたみたいだ。他の誰も、佳乃ちゃんの言ったことには気付いていないみたいだ。
「ぼくに翼があったら、あそこまで飛んでいけるのかなぁ」
「……………………」
「たくさんの星の中に……やっぱり、いるのかなぁ」
佳乃ちゃんは笑顔だったはずなのに――何故かそこに、悲しみがあるように見えた。
悲しみを笑顔で押し殺しているとか、そんなのじゃない。
悲しさと微笑みが一つ屋根の下に同居した、ただ、悲しい笑顔だった。
そんな表情を僕に向けて、
「ねぇポテト」
「ぴこ?」
僕の名を呼んだ。
「ポテトはね……」
そして、こう続けた。
「魔法が使えたらって思ったこと、あるかなぁ?」
……魔法。
それは、昨日も聞いた言葉。
「黒い人」 の人形劇を見た後に、佳乃ちゃんが口にした言葉。
「魔法……ほんとにあったんだぁ……」
魔法。
何故佳乃ちゃんは、その言葉にこだわるのだろう?
もし魔法が使えたとして……佳乃ちゃんはそれで、何をしたいんだろう?
魔法。
僕らがどれだけ知恵を出しても、お金を積んでも、たくさんの人を集めても、果てしない時間をかけても、絶対に成し遂げることのできないこと。あらゆる技術、いかなる物質、すべての存在。何もかもを積み上げても、決して届かない「高み」に、それはある。
それは、あたかも地に足をつけた人間が、決して届くことの無い「空」を、「天」を、「頂」を、その小さな手に掴もうとするようなものだ。どれほど手を伸ばしてみても、いかに足を伸ばしてみても、目的との距離は変わることなく、ただ、「届かない」という感覚だけを掴むことになる。
魔法。
佳乃ちゃんはその言葉に、何を見出しているのだろう。
その言葉に、どんな思いを託しているのだろう。
その言葉に……何を見ているのだろう。
僕の知らない世界が、そこに詰まっているような気がした。
「……ぴこ」
僕が困ったように鳴くと、佳乃ちゃんはいつも僕が見ている表情に戻って、
「ごめんねぇ。ちょっと、ヘンなこと聞いちゃったねぇ」
「ぴっこり」
「うんうん。気にしなくて大丈夫だよぉ。ぼくはいつでも元気だからねぇ」
僕のことを、いつもよりもちょっとだけ強く抱きしめてくれた。
それぐらいの強さが、今のぼくには心地よかった。
「でも神尾さん、あれは一体なんだったんでしょう?」
「あれって……あれか? あの……あれや。あれあれ」
「あんたはアレリーマンか?」
「誰がアレリーマンじゃいっ! あーあー、思い出したわ。あのでっかい痕や」
晴子さんや古河さんのいるグループでは、こんな雑談が始まっていた。
「俺が見た限りじゃ、車とかバイクをぶつけた痕には見えなかったが」
「どちらかというと……何か、鋭いもので切り付けたような感じでした」
「せやなぁ……この辺りに刀持ったボケナスの変質者でもうろついとんのか?」
「そうだとしたら……気をつけないといけません」
「大丈夫やて。そんなんおったら、うちが地獄の三丁目まで案内したるから」
「本当にやりそうだよな。あんた」
「ん? なんか言うたか? 聞こえへんで~?」
「……な? 大丈夫そうだろ」
「はい。よく分かりませんが、とても頼りになりそうな気がします」
僕はそこまで聞くと、少し場所を変えてみた。
「幽霊?」
「うん。保育所の子がね、この前幽霊を見たって言って、昼寝するのを怖がったの」
『きっと見間違えなの。幽霊なんていないの』
「私もあまり信じたくはありませんが……それで、それはどんな幽霊だというですか?」
「えっと……その子が言うには、青白く光ってて、ふらふら歩いてて、そのままどっかに行っちゃったって。あと……」
「あと?」
「多分だけど……女の子みたいだって」
真琴ちゃんがそこまで話し終えると、天野さん・真琴ちゃん・上月さんの三人が、一斉にある一点を向いた。
「……………………」
「……………………」
『……………………』
「綺麗なお星さまです。しかし、かわいさではヒトデに七歩ほど遅れを取って……」
星を熱心に眺めていたその人物は、自分の体に熱い視線が三つぐらい注がれていることに、やや遅れてから気付いた。
「……えっと」
「……………………」
「……………………」
『……………………』
「ふ、風子の体に何かついているんですかっ。そ、そんなに見られると、ちょっと緊張してしまいますっ」
その人物は慌てて手に持っていたヒトデで顔を覆うと、空いた左手でぶんぶんと視線を払いのけようとした。
「……幽霊」
「……幽霊、ですよね」
『幽霊、なの』
三人から憐れむような、あまり向けられたくない視線を向けられて、風子ちゃんが慌てて反論する。
「こ、これは風子虐めですかっ。ふ、風子に対する嫌がらせですかっ」
けれど、三人の様子は変わらない。
「……でも、学校で噂に……」
「……本体は別の場所に……」
『病院で二年間……』
「……って、明らかに勘違いされてますっ。風子は青白く光ったりふらふら歩いたりなんかしませんっ」
ああ見えて、話はちゃんと聞いていたみたいだった。
「ぴこ」
僕はまた場所を変えて、振り出しへと戻ってきた。
「今日に天体観測をしたのは大正解だったねぇ」
「……はい。今日は特別、星がよく見えます……」
佳乃ちゃんと遠野さんが、並んで星を見つめている。
「……………………」
「……………………」
二人の見つめる先には、無数の星が瞬いている。
そのどれを見つめているのか、僕には分からない。
けれども、二人が今とても幸せなことは、僕にだって分かる。
「……………………」
……少なくとも、遠野さんの表情は、幸せそのものだった。
そして。
「……霧島さん……」
沈黙を破ったのも、やはり遠野さんだった。
「ぼく? 遠野さん、どうしたかなぁ?」
「……………………」
「……………………」
再び沈黙を挟んだ後。
遠野さんは、こう口火を切った。
「霧島さん……」
「……霧島さんに、好きな人はいますか?」
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。