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第二十四話「Puddle in Darkness」

「あれれ~? 水瀬さんに祐一君! おはようございますだよぉ!」

「ああ、おはよう霧島」

「いぬーいぬー」

僕が顔を上げてみると、そこにいたのは一組の男女。佳乃ちゃんの言葉から察するに、それぞれ「水瀬さん」と「祐一君」なのだろう。そして二人で一緒にいたということは、二人はきっと仲良しさんなんだろう。僕はそれぐらい予想する力はあるのだ。

「いぬーいぬー」

「水瀬さん、どうしたのぉ?」

「いぬーいぬー」

「犬? もしかして、ポテトがどうかしたのかなぁ?」

青い髪の女の子……水瀬さんが、目を糸みたいに細くしながら僕に近づこうとしている。両腕を前にだらりと伸ばして、「いぬーいぬー」とつぶやきながら歩いているその姿は、そこはかとなく、夜になると墓場辺りで徘徊していそうな怪物(ゾンビ)を僕に想起させた。ただ、糸状になった目はすごく可愛い。

男の子の方……祐一君は水瀬さんの肩を掴んでどうにか抑えながら、佳乃ちゃんに声をかけた。

「すまん、霧島。こいつは動物を見ると、こんな風に見境が無くなるんだ」

「へぇ~。そうなんだぁ。もしよかったら、抱いてみない? すっごく気持ちいいよぉ」

「一つ確認しておきたいんだが、こいつは本当に犬なんだよな? 猫じゃないよな?」

「違うよぉ。ポテトはふわふわもこもこの、れっきとした犬さんだよぉ」

「よし分かった。名雪、行っていいぞ」

そう言うと、祐一君は掴んでいた水瀬さんの肩を放した。体が自由になった水瀬さんが、こちらに向かってじりじり突進してくる。

「いぬーいぬー」

「ぴこぴこー」

「ぴこーぴこー」

「ぴこぴこっ」

あっという間に僕との距離を詰めて、水瀬さんは僕をひょいと抱き上げた。目は糸みたいになってるけど、僕のことはちゃんと認識できているみたいだ。腕の中に抱かれて、僕はちょっと強めに抱きしめられた。

「ぴこーぴこー」

「ぴっこり」

「ぴこーぴこー」

「ぴこぴこぴこ」

「ぴこーぴこー」

「ぴっこりぴこぴこ」

「ぴこーぴこー」

「ぴこー」

ただひたすらに「ぴこ」「ぴこー」と言い合う僕と水瀬さんの姿を見て、隣にいた祐一君が大きなため息をついた。なんとなく諦めていると言うか、呆れていると言うか、そんな感じのやるせない表情を浮かべていた。

「……悪いが、しばらくはこのままだぞ」

「全然おっけぇだよぉ」

「俺はよくないんだけどな……」

そしてそのまま……多分、十分ぐらいの間、僕は水瀬さんに抱かれっぱなしだった。夏場でずーっと抱かれていると、さすがにちょっと暑い。

「うー。ぴこぴこー」

「ぴこ……」

 

「そうなんだ~。霧島君が飼ってたんだね」

「そうだよぉ。ぼくが学校に行くとねぇ、時々こうやって付いて来てくれるんだよぉ」

僕はようやく下へ降ろされて、佳乃ちゃんの近くへ戻ることができた。水瀬さんは満足したようなへにゃっとした表情で、佳乃ちゃんとお話をしている。

「ところで霧島、お前、なんで学校に来たんだ? 確か今日は講習も何もなかったはずだが」

「今日は飼育当番さんだったんだよぉ。ピョンタもモコモコも元気いっぱいで大変だったよぉ」

「ピョンタにモコモコ……あのカエルとウサギ、そんな名前だったのか……」

正確には、佳乃ちゃんが自分で勝手に名付けたんだけど。

「祐一君と水瀬さんはどうして来たのかなぁ?」

「いや、実はここでは言えない事情があるんだ」

「えぇ~っ? それ、どういうことぉ?」

「そんなに気になるのか?」

「気になるよぉ」

「どうしても聞きたいか?」

「聞かせてほしいよぉ」

佳乃ちゃんが食い下がると、祐一君はうんうんと二回ほど頷いて、妙にもったいぶって話を始めた。

「分かった。お前がそこまで聞くって事は、お前は『覚悟して来てる人』ってことだよな……?」

「もちろんだよぉ」

「なら聞かせてやるぞ。聞いて驚くなよ」

「うんうん」

「実はな、俺や名雪はこの街の夜の平和を守っているんだ。その名も、『特別課外活動部』だ」

「わわわ~! なんだかよく分からないけど、すごそうだねぇ」

「ああ。夜な夜な街に繰り出して、罪無き一般市民を襲う影を退治しているんだぞ」

「へぇー。祐一君、すごいんだねぇ」

「それでだな、実はこの学校は『タルタロス』という……」

「祐一、それぐらいにしておかないと、霧島君、本気で信じちゃってるよ」

「……え~っ? 嘘だったのぉ?」

「うん。今の祐一の話は全部嘘だよ」

横から水瀬さんが突っ込みを入れて、やや脱線気味だった祐一君の話を止めた。

「どうしてそんなこと言うかなぁ……」

「観鈴ちゃんチックに言ってもダメだよ」

「うぐぅ」

「あゆちゃんにしてもダメっ」

二人は小突きあいながら、なんとなく微笑ましいやり取りをしている。佳乃ちゃんはそれを、こころなしか羨ましそうな面持ちで見ていた。

「二人とも、仲いいねぇ」

「えっ?」

「あつあつだよぉ」

「わ、霧島君っ」

「ちょ、霧島! お前、なんてこと言い出すんだっ」

「羨ましいよぉ」

佳乃ちゃんが悪戯っぽい目線を向けて、二人をちょっとからかうような口調で言った。佳乃ちゃんの言葉を聞いた二人が顔を真っ赤にして、ほとんど同時に反論を始めた。

「ゆ、祐一ってひどいんだよっ。き、今日だって、わたしの部屋まで入ってきて無理矢理起こしたんだよっ」

「な、名雪だって同じだろっ。昨日だって俺の部屋に入ってきて、一緒に勉強するとか言って寝ちまったんだぞっ」

「へぇ~。お二人さんは部屋を行き来する関係、っとぉ!」

「わー! わー! わー!」

「霧島ぁ! 勘違いされるようなことを言うなっ!」

「さっきのお返しだよぉ」

からからと笑う佳乃ちゃんに、二人はすっかり疲れた様子で、「参りました」と言わんばかりの脱力した表情を浮かべた。

「ところで、本当はどうして学校に来たのかなぁ?」

「……ああ、実はな、来月の終わりにある夏祭りの話し合いのためなんだ」

「わたしと祐一がね、D組の実行委員さんになったんだよ」

「へぇ~……あっ、そう言えば、ぼくのクラスでも七瀬さんと斉藤君が担当に当たってたよぉ」

「七瀬と斉藤か……ま、無難な線だな」

二人の言う「夏祭り」というのは、山の上にあるあの神社で催される、年一回の大きなお祭りの事だ。

「そうなんだぁ。大変だねぇ」

「まぁ、今日は各委員の持ち場と仕事の確認をして、最後の舞台の打ち合わせをするだけだからな」

「ねぇ祐一、今年は誰がやるんだろうね? まだ決まってなかったよね?」

「確か……何人か候補に挙がってるやつはいたが、正式な決定はまだだったはずだぞ。多分、今日にも決まると思うけどな」

二人は何かについて話しているみたいだけど、それが何かは、僕にはちょっと分からない。夏祭りに関連している事だとは思うんだけど……

「ま、それが誰に決まっても、古河の両親がついてるんだ。大丈夫だろ」

「うん。そうだよね」

どうもそれには、古河さんのお父さんやお母さんが深く関わっているらしい。ますます気になるなぁ。

と、その時、祐一君が何かを思い出したような顔つきになって、佳乃ちゃんに声をかけた。

「……あっ。悪い、霧島。お前、後でちょっと俺と名雪の家に来れないか?」

「えっ? ぼくが? ぼくはいいけど、どうしてかなぁ?」

「実はな、昨日数学の宿題をやってたんだが、俺も名雪もどうしても分からない問題があるんだ」

「いろいろ頑張ってみたんだけど、やっぱりダメだったんだよ」

「そうなんだぁ。いいよぉ。いつぐらいに行けばいいかなぁ?」

佳乃ちゃんが頷いて返すと、祐一君は安心したような表情を浮かべて、こう言った。

「そうだな……会議は多分三十分もしないうちに終わるだろうから、お前はまず一旦家に帰って、それから少し間を置いて直接俺たちの家に行ってくれればいいぞ」

「もしわたしと祐一が帰ってきてなくても、お母さんが家にいるはずだから、お母さんに訳を話して家に入ってもらってくれたらいいよ」

「了承だよぉ! それじゃあぼく、家に帰ったらすぐに行くねぇ。二人のぴんちを救いに行くよぉ」

胸をどんと叩いて、佳乃ちゃんが請合った。こんな風に勉強でも頼りにされるってことは、きっと勉強もよくできるんだろう。僕の知らない佳乃ちゃんの姿が見えた気がした。

「わ、もうこんな時間。祐一、早く行かないと遅れちゃうよ」

「そりゃまずいな。それじゃ霧島、また後でな」

「うん。ばいばいだよぉ!」

校舎に向かって駆けて行く二人を、佳乃ちゃんは手を振りながら見送った。程なくして、二人の姿が校舎の中へと消えた。

「それじゃポテト、ぼく達も家に帰ろうねぇ」

「ぴっこり」

僕らがそう会話して、学校を後にしようとした――

――その時、だった。

 

「おーいっ! そこの女の子っ! 危ないから後ろに下がって!」

 

遠くから、声が聞こえた。

「……………………!」

佳乃ちゃんの形相がみるみるうちに変わって、声のした方向へと顔を向けた。

「危ないよー! そこボール飛んでくるからー! 避けて避けて!」

向こうからは、白いユニフォームに身を包んだ……野球部の子が走ってくる。佳乃ちゃんは身じろぎもせず、ゆっくりと上を見上げた。

「……あれだねぇ」

恐ろしく低い調子でそう言うと、黄色いバンダナの巻かれた右手を、静かに空へと伸ばした。その視線は、佳乃ちゃん目がけて飛び込んでくる白球に注がれている。佳乃ちゃんの手はまったく動くことなく、ある一点で完全に制止している。

……そして。

(ぱしんっ)

……グローブも何もはめていない裸の手で、飛んできた小さな白球を、その手の真ん中にきれいに納めた。

「……………………」

取り落とすことも、体勢を崩すこともなく、どこまでも安定した形で、佳乃ちゃんはその白球をアウトに仕留めた。

「……………………」

佳乃ちゃんは何も言わずに、ただボールを見つめている。その形相は……僕にはちょっと怖くて、正確に見る自信がなかった。

しばらくすると、おそらく、ボールをあさっての方向に飛ばしてしまったであろう野球部の子が、佳乃ちゃんの近くまで走ってきた。

「悪い悪い。当たったりしてないよね?」

「してないよぉ」

佳乃ちゃんはなぜかにこにこ笑顔で、やってきた野球部の子を見つめ返した。

「それなら安心……おっ、よく見ると、結構かわいい顔してるねぇ。名前、なんていうの?」

「なんだって構わないよぉ」

「……は?」

佳乃ちゃんは白球を右手でしっかり握ると、ジャリ、と音を立てて、右足をスライドさせた。

「ちょっと見ててよぉ。これから二つ、大切なことを教えてあげるからねぇ」

「はぁ? いったいどういう……」

「一つ目は、ボールの正しい投げ方だよぉ」

「……え?」

「ほらぁ、構えてよぉ」

佳乃ちゃんは野球部の子に構えるように促すと、今度は左足をスライドさせた。

「い、いや、構えろって……」

「知らないよぉ? ちゃんと構えておかないと、どうなっても知らないよぉ?」

そして……大きく振りかぶると、

「二つめはねぇ……」

大きく片足を上げて……

「『ぼく』はねぇ……」

……そして。

 

(ぎゅおんっ!)

 

「ちゃんとした男の子だってことだよぉっ!」

佳乃ちゃんの投げたボールが、中途半端に構えていた野球部の子のキャッチャーミットに、貫かんばかりの勢いで強烈に突き刺さった。

「うごあっ!?」

野球部の子は勢いを殺しきれずに、そのまま後ろへ吹き飛ばされた。

「え? あ? え? え?」

「ほらぁっ! そんなところで寝てないで、さっさと練習に復帰するんだよぉっ! 早く戻らないと、もっと大変な目に遭わすよぉっ?!」

「は、はいいいっ!」

男の子は情けない声を上げて、佳乃ちゃんから逃げるようにして走り去った。佳乃ちゃんはそれを、ちょっと冷たい視線で見つめていた。僕は隣でおとなしくしておいて、佳乃ちゃんの姿を見ているだけにした。

「……………………」

佳乃ちゃんは男の子が完全にグラウンドへ消えたことを確認すると、

「ぼくを男の子か女の子かも見分けられないような視力じゃ、レギュラーは厳しいかもねぇ」

やや怒り気味にそう言い放って、すたすたと歩き出した。

 

「お、おい……あいつのボール……見たか?」

「ああ……何だあの早さは……」

「す、すげぇ……百四十は出てたんじゃないか……」

そんな声が、ぼくの耳に聞こえてきた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。