「もう女の子に間違えられるのはこりごりだよぉ」
「ぴこぴこ」
佳乃ちゃんは困ったような表情をしながら、帰り道をとてとてと歩いていく。僕はそれに遅れないように、ちょこまかと足を動かして付いていく。僕の足はとても短いから、足をかなり早く動かさなきゃいけない。佳乃ちゃんは大またでずんずん歩いていくから、遅れないようにするのはちょっと大変だ。
「朝にはお姉ちゃんにあんなこと言われちゃうし……」
「ぴこ……」
「さっきはちょっとやりすぎちゃったかも知れないけど、それでもぼくだって男の子なんだからねぇ。間違えられたら怒っちゃうよぉ」
「……………………」
「あーあ。ぼく、どうすればちゃんと男の子に見てもらえるのかなぁ」
悩みなんて何も無さそうに見える佳乃ちゃんだけれども、こうやって出会う人出会う人みんなに「女の子みたい」「女の子っぽい」と言われることには、それなりに悩んでいるみたいだった。珍しくため息をついて、近くの小石を軽く蹴っ飛ばした。
僕が言うのも何だけれども、佳乃ちゃんは本当に女の子みたいに見えちゃう。背は他の子より少し低いし、髪も綺麗な青色だ。他の子と比べても、女の子っぽい要素は十分ある。ただでさえそうなのに、顔は思いっきり女の子っぽいわ、口調も女の子みたいだわ、仕草も女の子そのものだわで、これで女の子と間違えない方が難しいぐらいだ。
「むむむ～。ひょっとしたら、髪の毛を短くしたらいいかなぁ？」
「ぴこぴこ」
「むー。でも、この髪型も気に入ってるんだよねぇ。お姉ちゃんがこう切ってくれるから、やっぱり髪型はいじっちゃだめだねぇ」
「ぴっこり」
「うんうん。ポテトもこの髪型が好きなんだよねぇ。大丈夫だよぉ」
佳乃ちゃんはさっと屈みこんで、僕の頭を撫でてくれた。やっぱりこうやって撫でてもらうと、心が落ち着いて安心するなあ。
「ポテトはぼくの事、ちゃんと男の子だって思ってくれてるかなぁ？」
「ぴっこりぴこぴこっ」
「うんうん。そうだよねぇ。ポテトはちゃんと思ってくれてるみたいだねぇ」
僕は佳乃ちゃんと一緒にいるから、佳乃ちゃんがちゃんとした男の子だってことぐらい、しっかり分かっている。
昨日だってそうだ。お米を軽々と担いだり、あゆちゃんを背中に負ぶったり……男の子にしかできないような力仕事を、佳乃ちゃんは軽々とやってのけた。見た目や印象は女の子でも、中身はれっきとした男の子なのだ。
「……あれれぇ？ あんなところで何してるのかなぁ？」
「ぴこ？」
しゃがんでいた佳乃ちゃんが立ち上がって、自分の進行方向の先を指差した。
「女の人みたいだねぇ」
そこにいたのは、何か作業をしている女の人だった。女の人の近くには、緑色の小さな掲示板が見える。
「気になるねぇ。行ってみよっかぁ」
「ぴこっ」
掲示板と女の人に向かって歩き出す佳乃ちゃんに合わせて、僕もそちらに足を向けた。
「あーっ！ 早苗さぁん！ おはようございますだよぉ！」
「あら、霧島さん。おはようございますっ」
掲示板の近くにいたのは……どこかで見覚えのある顔つきをした、「早苗さん」という女の人だった。
「……？」
僕はどうもその顔つきが気になって、目を凝らしてじーっと見つめてみた。
……穏やかな表情、よく手入れされた綺麗な髪、髪の色とのコントラストがよく映える青色のリボン……僕は顔とその周辺から、どんどん情報を得ていく。
「……！」
そして僕はある一点にたどり着いた時、「ぴーん」と頭に来るものがあった。
「むむむ！ 早苗さん、古河さんと髪型がおそろいだねぇ」
「はいっ。この髪型は、古河家では必須なんですよ」
「へぇー。なんだか、アンテナみたいだよぉ」
そう。空に向かって伸びている、アンテナのような髪の毛……通称「アホ毛」だ。昨日出会った古河さんも、まったく同じ髪形をしていた。だから僕は、早苗さんを見たとき見覚えがあると思ったのだ。
「早苗さん、こんなところでどうしたのぉ？ 掲示板に何かあったのかなぁ？」
「そうなんですよ。霧島さん、少し、これを見てみてください」
「むむむ……？」
そう言って、早苗さんが両手で差し出したのは……
「……ひっどぉーい！ これ、夏祭りのポスターだよねぇ？！」
「ええ……朝少し見てみたら、こんな風にぼろぼろに切られてたんです」
「誰がこんなひどいことしたのかなぁ……ぼく、信じられないよぉ」
ズタズタに切り裂かれた、夏祭りのポスターだった。
「前から何度かこんなことになっていて……以前は、ポスターにハサミが突き立てられていたこともありました」
「めちゃくちゃだよぉ！ どうしてハサミなんか……」
それは昨日観鈴ちゃんや長森さんと一緒にいたときにも見かけたのと同じように、無惨なまでに切り刻まれている。まるで、夏祭りに恨みでもあるみたいだ。
「それで、このままだといけないと思って、新しいポスターに張り替えていたんです」
「そうだったんだぁ。早苗さん、お疲れ様だよぉ」
「いえいえ。夏祭り、楽しみですねっ」
「うんうん。ぼくも楽しみだよぉ。今年もおみこしは出るのかなぁ？」
「はいっ。もちろんですよ。あれがないと、盛り上がりませんからねっ」
「うんうん。早く担ぎたくてうずうずしちゃうよぉ」
二人は互いに微笑んで、夏祭りのことについて話した。
「ところで霧島さん、一つ、いいですか？」
「どうしたのかなぁ？」
ある時、早苗さんが少し話を切って、佳乃ちゃんに一つ質問をした。
「実はこの間、また新しいパンを開発してみたんです」
「そうなんだぁ！ 今度はどんなのかなぁ？ 気になるよぉ」
「はい。それで今度、味見をしてもらおうと思っているんです」
「ぼくが？ いいのぉ？」
「はいっ。霧島さんはお得意様ですから、ぜひお願いしますね」
「了承ぉ！ なんだか楽しみだよぉ」
佳乃ちゃんは早苗さんの新作パンの味見に招待されたみたいだ。そう言えば、昨日も古河さんが晴子さんに同じようなことを言ってたっけ。地域密着型のパン屋さんなんだなあ。
「あら、もうこんな時間。それでは、私はお店に戻ります。また、うちにいらしてくださいね」
早苗さんはそう言うと一礼して、その場を立ち去った。
「早苗さんの新作だよぉ！ これはもう期待で胸が大ぴんちだよぉ」
「ぴこぴこ」
うきうきした表情で、佳乃ちゃんが言った。早苗さんのパンの味見ができることが、よっぽどうれしいみたいだ。さっきまで「女の子」「男の子」云々について悩んでいた時の表情からは想像できないぐらいの、期待でいっぱいの表情だ。
「今度もきっと、すっごく独創的でびっくりするようなパンだよぉ」
「ぴこっ」
「おせんべいをどーんと超えちゃうような、すごいパンもあるかもねぇ」
「……ぴ、ぴこ？」
……さりげなく、パンとはまったく関係ない食べ物の名前が出た気がしたんだけど、きっと気のせいだ。
気のせいに決まってる。パンにおせんべいを組み合わせるなんて普通じゃ考えられないし、想像しただけでも、それはもうとてつもない食感になることは間違いない。まさかそんなパンが実在するはずはないし、きっと何かの間違いだろう。
僕はそう決め込んで、佳乃ちゃんの後ろで付かず離れず歩き続けた。
「たっだいまぁ～！」
「お帰り佳乃。動物たちは皆元気にしていたか？」
「ばっちりさんだよぉ！ すっごく元気でねぇ、くすぐったかったよぉ！」
佳乃ちゃんは靴を脱いで診療所に上がると、真っ先に聖さんのところへ駆けて行った。
「それは何よりだ。喉は乾いてないか？」
「からっからだよぉ。冷え冷え麦茶一つくださーい！」
「了解」
聖さんはそう言うと台所へ引っ込んで、いつものように麦茶を持って戻ってきた。佳乃ちゃんはそれを受け取って口をつけると、そのまま一気に喉の奥へと流し込んだ。麦茶を飲み干して、ぷはぁ、と大きく息をつくと、そのままコップをテーブルの上に置いた。
「おや？ これからまたどこかへ行くのか？」
「うん。これからねぇ、水瀬さんのところへ勉強しに行くんだよぉ」
「そうか。もし遅くなるようなら、必ず連絡するんだぞ」
「大丈夫だよぉ。お昼までには戻ってくるからねぇ」
佳乃ちゃんはそう言うと、二階へとつながる階段を駆け上った。勉強道具を取りに行ったんだろう。
「えーっと、数学数学……」
「わぁっ！？ 机の上がめちゃくちゃだよぉ……」
「帰ってきたらちゃんと整理しなきゃ……あっ、あったあった。よかったよぉ」
上でいろいろあったみたいだけど、佳乃ちゃんは必要なものをまとめて、下へとてとてと降りてきた。
「それじゃあお姉ちゃん、再び行って来ますだよぉ！」
「ああ。今度も十分気をつけて行くんだぞ」
佳乃ちゃんは手短に挨拶を済ませると、そのまま診療所を飛び出していった。
僕はというと、さすがに水瀬さんの家までついていくのは良くないと思ったから、そのまま診療所で丸くなることにした。勉強しに行くみたいだし、僕がいると、いろいろと邪魔になっちゃうだろう。
「ぴこっ」
ソファの一角に陣取って、僕は体に溜まった熱気を飛ばした。
「……はい。ああ、それはその通りに……ええ。はい。では、これにて失礼いたします」
僕がソファでくつろいでいる間、聖さんはあちこちに電話をかけたり、机の上のカルテを整理したりと、それなりに忙しそうに働いていた。
「ふむ……最近、夏バテの患者が多いな。やはり今年の夏は、例年に比べて暑いようだ」
聖さんの言うとおり、今年の夏はいつもにも増して暑かった。テレビを見ていても、毎日のように「例年を越える暑さ」だと、こっちの耳が痛くなるぐらい言っている。実際、僕も暑い日が多いと思う。
そう考えると、診療所の涼しさはとてもありがたい。もし僕がまだ本当に流浪の野良犬（気に入ったからどんどん使おう）だったら、暑さを凌ぐ場所も自分で見つけなきゃいけない。想像しただけでも、地獄のような大変さだ。
「ぴこぉー……」
ああ、僕は佳乃ちゃんに拾ってもらって、本当に良かったなぁ……佳乃ちゃんには、本当に感謝してもしきれないや。
……と、僕が半分夢見心地で寝転んでいると、
「ごめんくださいですー」
診療所の外から、声が聞こえた。女の子の声だ。
「開いていますよ。入ってください」
「ありがとうございますー」
キィ、と音がして、診療所のドアが開いた。それを合図に、僕はソファから降りて、床で引き続き丸くなることにした。
「さてさて、どなたかな……？」
診察室から先生が出てきて、入り口の方へ向かった。僕は床に寝そべったまま、入り口から聞こえてくる声に耳を傾けた。
「お姉ちゃん、大丈夫ですか？」
「なんとかね……けれども、おかしな話ね。あたしが風邪なんか引いちゃうなんて……」
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。