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第二十七話「Gate of Summer, Gate of AIR.」

「……犬、なのか……?」

「ぴっこり」

聞こえてきた声は、僕が考えていたよりも、少しだけ高いなと思った。元々高い声を抑えて、低い声を作っているような感じがした。

「ぴこぴこぴこ」

「ぴこ? ずいぶんと変わった鳴き声だな……」

僕が声を上げて鳴くと、「黒い人」がそう感想を述べた。もっともな感想だ。これまでに、僕はまったく同じ感想を両手両足に余るほど聞かされてきている。普通の人なら、絶対そう思うはずだ。

「そこはかとなく、わた飴にも似てるような……」

「ぴっこり」

「で、そこに手と足と顔と尻尾が付いた……そんなとこか」

僕のことをしげしげと観察しながら、「黒い人」がいろいろな感想をくれた。僕もそれに乗じて、「黒い人」のことをいろいろと観察することにした。

服は言うまでもなく真っ黒で、夏なのに長袖だ。目深に野球帽を被っていて、その隙間から銀色と白の中間色のような、綺麗な髪が見え隠れしている。帽子を被っているからよくは分からないけど、多分、髪はちょっと長い方だろう。佳乃ちゃんと同じか、もしくはもう少し長いかぐらい。

黒い服はちょっと大きめで、体格はここからじゃ推測できない。けれど、地べたにしゃがみこんでも僕がちょっと顔を上げなきゃいけないぐらいの高さはあったから、身長はかなり高い方だろう。アンダーはごく普通のジーパンで、特に目に付くようなものはない。

「ぴっこぴこぴこ」

「鳴き方に複数のバリエーション……謎は深まるばかり、か」

僕に手を伸ばして、「黒い人」が僕の頭を静かに触った。

「ぴこ」

僕の予想に反して、その手の感触はとても優しかった。もっとこう、荒々しいというか、激しくもしゃもしゃにされちゃうかと思っていたけど、そんなことはなくて、むしろみちるちゃんの手の方が強いぐらいだった。

「おぉ、ふわふわのもこもこ……」

「ぴっこり」

「変わった動物がいるもんだ……」

「黒い人」はちょっとうれしそうに、そのまましばらく僕のことを撫でてくれた。

 

「……で、だ」

「ぴこ?」

少し時間が経つと、「黒い人」が僕から手を離して、再び膝の上に置いた。

「どうしてこんなところにいるんだ?」

「ぴこ?」

「こっちが人形劇やってる間に、あそこにいたのは見えてたぞ」

どうやら、僕が「黒い人」に何か用があることが分かったみたいだ。それなら、その機会を逃す手はない。

「ぴこっ」

「……?」

僕は素早く、「しゅっ」と懐から例のものを取り出した。

「おわっ?!」

「ぴっこり」

「黒い人」は驚いた様子を見せて、大きく後ろへのけぞった。大きく後ろへのけぞりすぎて、体勢が崩れてしまった。うーん。もう少しゆっくり取り出すべきだったかなぁ。でもゆっくりにしちゃったら、余計におかしな感じに見えちゃうだろうなぁ。

「い、いきなり何をするかと思えば……一体どんな構造してるんだ、この動物は……」

「ぴっこりぴこぴこ」

「やれやれ……って、これは……?」

僕の取り出したものを見て、「黒い人」が興味を示した。僕はそれを見て、「しめた!」と小躍りしたくなるような気分になった。

「このハンカチ……もしかして、拾ったとか?」

「ぴこっ」

「……まさか……これを届けに?!」

「ぴっこり!」

僕は一際大きく頷いて、「黒い人」の質問に答えた。「黒い人」は、うーん、と口の中で唸ると、うんうんと感心したように二回ほど頷いてから、

「……サンキュ。無くして困ってたんだ。恩に着るぞ」

「ぴこー」

こう言って、僕の頭をもう一度撫でてくれた。思ってたよりも、優しい人みたいだ。

「どこかの飼い犬?」

「ぴっこり」

「そうか……こんなのを飼ってるのって、一体どんなのなんだろうな……」

「黒い人」の表情に、少し笑みが見えた。僕の主――佳乃ちゃん――のこと(厳密に言うと僕のことだろうけど)が気になってきたみたいだ。僕が思っていた「こうなればいいなあ」という通りの展開に、ことは進みつつあった。

「よーし。興味が湧いてきた」

「ぴこ?」

そして、出た一言は。

 

「ちょっくらあんたの飼い主さんとやらに会って、ハンカチのお礼を言わせてもらうとするか」

 

僕は「黒い人」の前に立って、案内をするように歩いていく。

「こっちなのか?」

「ぴっこり」

「『ぴっこり』だと『はい』、か……」

こんなことを言いながら、僕は「黒い人」を導いていく。佳乃ちゃんは水瀬さんの家に行くといっていたから、そこに向かって歩いて行けばいい。時間的に見ても、多分もうすぐ家を出るぐらいだ。

「面白いな」

「ぴっこり」

僕は「黒い人」とすっかり仲良くなった気がして、いつもにも増して足取りは軽かった。これから僕は、佳乃ちゃんと「黒い人」を引き合わせられる。佳乃ちゃんはきっと喜んでくれるだろう。そう思うと、僕はうれしかった。

海沿いの堤防を抜けて、商店街に入る。夏の日差しを避けるためか、商店街に人影はほとんどない。たまに行き交う人々も、僕の知らない人ばかりだ。でも、こんな時に顔見知りに出会っちゃうと、間違いなくややこしいことになる。そう思うと、今の人の少なさはとてもありがたかった。

「しかし、人通りが少ない……」

「……………………」

「こんなんでホントに大丈夫なのか……不安だらけ、だな……」

「黒い人」は時折独り言をつぶやきながら、商店街を僕の後ろについて歩いている。腕組みをして考え事をするその姿は、どことなく格好よくて、もし僕が人間だったら、一度は取ってみたいポーズだった。

「……………………」

商店街を順調に抜けていくと、せみ時雨に混じって少しずつ、静かな音が聞こえ始めた。「黒い人」もそれに気付いたみたいで、薄く目を閉じて意識を耳に集中させると、すぐにそれが何の音を聞き分けた。

「……川のせせらぎ、か?」

「ぴこっ」

「ふむふむ。商店街の近くには川、と」

納得したように笑みを浮かべて頷くと、再び歩き出した。

………………

…………

……

 

商店街をすっかり抜けてしまうと、川のせせらぎの音がより一層はっきりと聞こえてきた。

「……………………」

僕は川を渡るために、橋の方へと目をやった。

「……!」

そこには、非常に都合のいい光景が広がっていた。僕の胸の鼓動が高まるのが、びっくりするぐらいはっきりと伝わってくる。

「ひょっとしてあそこで立ってる子が、あんたの飼い主とかだったり?」

「ぴっこり」

「そうか……で、あれは何してるんだ?」

「ぴこ?」

そう言われて、僕は目を凝らして橋の上の人物――佳乃ちゃん――の姿を見てみた。

「あそこで何か飛んでたりとか?」

「……………………」

佳乃ちゃんは橋の欄干に立って、何か外へと向けて手を思い切り伸ばしている。伸ばしているのは……やっぱり、あの黄色いバンダナの巻かれた右手だ。

「あんたの飼い主、あれで間違いない?」

「ぴっこり」

「そうか……じゃ、少し挨拶させてもらおうか」

僕と「黒い人」が、揃って歩き出した。

 

橋の上までやってきた。

「……………………」

佳乃ちゃんは虚空へ手をやって、しきりに何かを掴もうとしている。

黄色いバンダナがそれにあわせてゆらゆらと揺れて、まるで夏空を飛ぶアゲハ蝶のような、不思議な軌跡を描き出していた。

「……………………」

僕と「黒い人」は、それをごく近くに立って見つめる。

「……………………」

「……………………」

「……………………」

……そして。

 

「そんなところで何してるんだ?」

 

……「黒い人」が声をかけたのは、本当にいきなりだった。

「えっ?!」

佳乃ちゃんは驚き一色に顔を染め上げて、物凄い勢いで後ろを振り向いた。

「わっ……」

それは、本当に物凄い勢いだった。

「……え?」

あまりにも物凄すぎて、

「わ、わ、わ……」

佳乃ちゃん自身、自分の体がどうなっているのか分からなくなったみたいで、

「わぁぁぁぁぁぁぁぁっ?!」

「ちょ、ちょっと……」

びっくりするぐらいの、大きな声を上げた後。

 

(どっぱぁーん)

 

……爽快で豪快な水の音が、周囲に盛大に響き渡った。

「あっちゃー……大丈夫か……?」

「ぴ、ぴこ~」

僕と「黒い人」が、揃って橋の下の川を見下ろす。

「いったぁ~い……ずぶ濡れになっちゃったよぉ……」

「悪い悪い。まさか、そんなに驚くと思ってなくて。次からは気をつける」

「……えっ?」

びしょ濡れになった佳乃ちゃんが顔を上げると、「黒い人」とぴたりと目線が合った。

「……………………」

「……………………」

二人はそのまま、お互いに見つめあった。佳乃ちゃんは自分の置かれている状況がまったく飲み込めていないのか、きょとんとした表情を浮かべたまま、まったく動かない。

そして、先に口を開いたのは。

 

「……確か、あの時の子……」

 

あたかも、それに呼応するように。

 

「……人形遣い……さん?」

 

二人が、言葉を交わした。

「まさか、あんたがこいつの飼い主だったなんて……」

「ぴこ?」

僕はその言葉と共に、首根っこをつかまれて持ち上げられた。眼下には川と、しりもちをついてこちらを見上げている佳乃ちゃんの姿が見える。

「ポテト? もしかして、ポテトがここまで案内してくれたのぉ?」

「ぴっこり」

僕は大きく頷いて、佳乃ちゃんに返した。

「この……ポテトだっけ。こいつがハンカチを届けてくれたんだ」

「えっ? ど、どういうことぉ?」

「……なんか話が噛み合ってないが……とりあえず、飼い主のあんたにお礼を言いに来たんだ」

「よく分かんないけど、それはポテトのおかげだよぉ。お礼なら、ポテトに言ってあげてねぇ」

佳乃ちゃんは顔中に「?」を浮かべながらも、とりあえず、自分が感謝されていることには気付いたみたいだ。

「……………………」

そんな佳乃ちゃんの姿を見ながら、「黒い人」が、ある一点を指さして言った。

「……それ、バンダナ?」

「ほへっ?」

「そう。その右腕に巻いてるの」

佳乃ちゃんは「黒い人」に言われて、右腕に巻かれたバンダナをしげしげと見つめた。

「何か理由があったりとか?」

「えっと……教えてほしい?」

「どちらかと言うと教えてほしい」

「やっぱり秘密だよぉ。言っても、信じてもらえないと思うから……」

「それじゃ仕方ない」

割とあっさり引き下がる「黒い人」に、佳乃ちゃんは何故か食い下がった。

「むむむ~。聞いたからには、もうちょっと興味を持ってよぉ」

「悪い。結構気が早い方なんだ」

「でも、人形遣いさんなら、このバンダナのこと、信じられるかも知れないよぉ」

「……………………」

佳乃ちゃんのその言葉を聞いたとき、「黒い人」がふっと笑みを浮かべた。

「なるほど」

「えっ?」

「確かに、一理ある」

「えっ? えっ?」

戸惑いの色を浮かべた佳乃ちゃんに向かって、「黒い人」が続けざまに言った。

 

「魔法が使えたら……か。確かに、いいかも知れないな」

 

軽く笑みを浮かべて、「黒い人」がゆっくりと踵を返した。

「えっ、あっ……」

そのまま去っていこうとする「黒い人」に、佳乃ちゃんが慌てて声をかけた。

「あっ、あのっ」

「……?」

呼び止められた、「黒い人」が振り向く。

「お名前、なんて言うんですか?」

「……………………」

名前を聞かれた、「黒い人」がつぶやく。

 

 

「『国崎往人』。『往く人』と書いて、『ゆきと』だ」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。