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S:0014 - "Summer night, Morning road. #1"

――次の日の朝。

「国語と図工と社会と……よし、大丈夫大丈夫っ」

ともえは昨日ランドセルに詰めた教科書とノートを再度見直し、時間割と相違していないことを確認する。前日に準備し、当日に再確認。一人で留守を預かる事の多いともえが自然と身につけた、忘れ物防止法だった。

「あとは……」

ランドセルのカギを閉める間際、ともえがマジックリアクターを手に取る。

「……たぶん、そのままアトリエに行くだろうし、持って行っちゃおうっと」

マジックリアクターを奥へと入れ込み、その上からいつも使っているビニール製のペンケースをそっと挿入する。ペンケースとランドセルの底は少し間が空いており、そこへマジックリアクターを入れた形になっている。これで準備は整った。

「ともえちゃん、今日と明日、お留守番大丈夫?」

「大丈夫だよ。お父さんもお母さんも、お仕事頑張ってね」

「おう! ともえのためなら一日百時間ぐらい余裕で働けるぜ!」

「お父さん、一日は二十四時間しか無いよ~」

学校へ行く準備を済ませ、ともえは両親と言葉を交わしていた。あさみも隆史も、また仕事で一日家を空けてしまうようだ。けれどもともえは努めて元気に振る舞い、両親が仕事に集中できるように取り計らっていた。

「今日は雨が降るかもしれないから、傘を持って行っておいたほうがいいわ。はい」

「ありがとう、お母さん」

あさみから差し出された傘を、ともえがしっかり受け取る。

「ともえっ! 車と変態と誘拐犯にはくれぐれも気をつけるんだぞっ!」

「う、うん。気をつけるよ……特に二番目と三番目に……」

まあ、気をつけるに越した事は無い。

「お母さん、お父さん、行ってきます!」

「はい、行ってらっしゃい!」

「おう、気をつけてな!」

隆史とあさみに見送られて、ともえは自宅を後にした。

 

ともえが家を出て、五分ばかり歩いた頃。

「……あっ。麻衣ちゃん!」

「巴ちゃん?」

見慣れた後姿を見つけたともえは、ためらわずに声を掛けた。麻衣はきょとんとした面持ちで、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた後ろへと振り返った。ともえがランドセルを揺らしながら、麻衣の元へと駆け寄る。

「巴ちゃん、おはよう」

「おはよっ、麻衣ちゃん」

駆けてきたともえに、麻衣がお決まりの挨拶をした。ともえは返事をしつつ、幾分ゆっくり歩く麻衣の隣に付いた。

「あれ? 巴ちゃん、傘持ってきたの?」

「うん。お昼から崩れるかもしれないって、お母さんが言ってたからね」

「そうなんだ……一応、置き傘があるから、大丈夫かな……」

一つ一つ、指差し確認でもするように、麻衣がぽつりぽつりと呟く。ともえが傘を持ってきたことを受けて、自分の準備に問題が無いかを思い返しているようであった。

麻衣はとてもおとなしい性格で、クラスの中でも目立つようなことは一度も無かった。友達も少なく、話せるのはともえや千尋くらいのもの。勉強だけはどの教科もよくできたが、取り立ててそれを自慢するような事も無く、とかく、皆の中に埋没しがちな存在だった。

「一時間目と五時間目が、逆だったら良かったのに……」

「一時間目……体育と算数が、ってことかな?」

「うん。わたし、走るの苦手だから……」

一つ訂正すると、どの教科もよくできる、というのは間違いで、体育や図工は大の苦手である。体を動かすのが苦手で、手先も器用とは言えなかった。麻衣曰く「勉強はたくさんすれば何とかなるけど、体育や図工は生まれつきだから……」とのことだった。

「うーん……わたし、走るの大好きだから、麻衣ちゃんの分まで走ってあげられたらいいんだけどね」

困り顔で笑うともえに、麻衣はこくり、と小さく頷いて、曖昧な笑みを浮かべた。

「そうだ、麻衣ちゃん。おーちゃん、元気にしてる?」

「おーちゃん? うん、いつも元気だよ。昨日も、たくさん遊んであげたの」

ともえが話題を変えて、麻衣に会話のボールを投げた。「おーちゃん」が元気にしているかと問われた麻衣は、幾分表情を朗らかにして、ともえの問い掛けに答えた。

「この前一緒に勉強してたときに、すっごく懐いてくれたよね。あれ、感動したよ~」

「おーちゃん、人懐っこいから……巴ちゃんの事、気に入っちゃったみたい」

「それなら、わたしもうれしいよ。それで……えーっと、なんていったっけ? ほら、おーちゃんの種類というか、種別っていうか……」

「フェレットだよ。イタチ科の動物で、元々野生だったのをペットに改良したのが今のフェレットだって言われてるの」

先程から何度か出てきていた「おーちゃん」の正体は、麻衣が飼っているフェレットの名前だった。おーちゃんの話題が出てきた事がうれしかったのか、麻衣は口数が目に見えて増えている。

「へぇ~、そうなんだ。麻衣ちゃん、やっぱり物知りさんだね。すごいよ」

ともえから賞賛の言葉を受けて、麻衣が少しはにかんで見せた。

「巴ちゃん、ありがとう。また、おーちゃんと一緒に遊んであげてね」

「もちろん! おーちゃんを抱っこするの、すごく楽しみだよ~」

少々浮かない顔だった麻衣がすっかり明るさを取り戻した事で、ともえも安心したようだった。

……が、そこへ。

 

「おっ! のろまのまいまいじゃん!」

「……!!」

 

ともえと麻衣の真後ろから、囃すような、あるいは馬鹿にするような声がいきなり飛んできた。刹那、ともえの隣にいた麻衣が身を硬くする。

「ちょっと曽我部くん! いきなりその言い草はないでしょ!」

「なんだよ中原、お前には関係ないだろ」

二人に声を掛けてきたのは、曽我部――本名・曽我部準――という名のクラスメートだった。ともえは珍しく声を荒げて、曽我部に真正面から向かっていった。一方の曽我部はともえを見据えて、憮然とした表情を見せている。

「こんなこと言われて、麻衣ちゃんが傷つくとか考えないの?!」

「いいじゃん。カタツムリみたいにのろまだし、名前にも合ってるし」

「曽我部くんっ!」

「中原の背中に閉じこもって、本物のカタツムリみたいじゃねーか。それでいいのかよ」

「……~っ!」

「そういう言い方がダメなんだよ! 分かってあげなよ!」

言われっぱなしの麻衣はすっかり怯えてしまって、ともえの後ろに隠れてしまった。元から華奢な躰をさらに縮こまらせて、かたかたと小さく震えている。曽我部の事が、怖くて怖くて仕方ないようだ。目をきゅっと瞑って、ただ耐え続けていた。

「おい、まいまい! そんなんだからいつまで経っても走れないし、地味なままなんだぞ」

「あ……あぁ……」

「いい加減にしなさい! 麻衣ちゃん、怖がってるでしょ!」

ともえは身じろぎ一つせず、曽我部と言い合いを続けている。腰に手を当てて胸を張り、一歩も引くそぶりを見せない。堂々とした態度には、麻衣を守ろうというともえの意思がはっきりと現れていた。

「と、巴ちゃん……」

「麻衣ちゃん、心配しないで。わたしがちゃんと言ってあげるからね」

後ろで身を震わせる麻衣に、ともえが優しくあやすように言った。

「麻衣ちゃんをいじめたら、わたしが許さないからね!」

「いじめてなんかねーよ。俺はまいまいのために言ってやってんだから」

「のろまだとか言われて、うれしい人がいるわけないでしょ!」

「あーあー、もういいもういい。中原、お前からも言ってやったほうがいいぞ」

ともえが相手をしているうちに、曽我部は呆れたような表情を見せて、先に歩いていってしまった。

「まったくもう……」

ともえはともえでまた呆れたような表情を浮かべつつ、大またで歩いていく曽我部の背中をしばし見つめていた。

曽我部は小学校で麻衣と同級生になってからというもの、ずっとこんな調子で麻衣にちょっかいを出してばかりであった。その都度ともえが麻衣を守ってやっていたが、曽我部の麻衣に対する態度は一向に変わらなかった。麻衣は曽我部に怯えるばかりで言い返すこともできず、ただ、じっとこらえるばかりだった。

「麻衣ちゃん、もう大丈夫だよ」

「う、うん……」

曽我部が十分離れたのを確認してから、ともえは麻衣に声を掛けた。麻衣はともえの背中からこわごわ現れて、曽我部がいなくなっていることを確かめる。曽我部の姿がどこにも無いことを認めて、麻衣がほう、と大きく息をついた。

「巴ちゃん……ごめんね、わたしのせいで……」

「気にしちゃだめだよ。ああいうのは、ほっとくのが一番だからね」

麻衣の肩をポンと叩いて、ともえが麻衣を励ます。麻衣の表情に、少しだけ明るさが戻ってきた。

「さ、学校行こっ。早くしないと、遅刻しちゃうよ」

「……うん」

二人は並んで、学校へと歩いていった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。