「……………………」
聖さんは目の前で起きた光景を、少なからず驚いた面持ちで見つめていた。僕はそんな聖さんと、聖さんの前に堂々と立つ往人さんを交互に見比べて、何かとても大きなことが起こる前触れのような、そんな胸騒ぎを覚えていた。
「……君は、何か面白いものを持っているようだな」
「面白いもの……というと?」
「そうだな。医者である私が言うのも何だが……何か、私の知りえぬ力とでも言うべきか」
腕組みをして往人さんを見据えながら、聖さんが十分に落ち着きを取り戻して言った。どうやらこの様子だと、聖さんは往人さんを警戒しつつも、少なからず興味を覚えているらしい。警戒半分好奇心半分の視線が、それを明らかにしている。
「正解。確かに、他の人が持ってるものじゃない」
「ふむ。君に興味が湧いてきたぞ」
聖さんは頷くと、にやりと笑って言った。
「私は聖。あそこの診療所で医者をやっている。君は何者だ?」
「『国崎往人』。あちこちを旅して回ってる、言わば流浪の旅人ってとこか。よろしく、聖先生」
「ああ、よろしく」
二人は挨拶をかわすと、お互いの目をしっかり見た。僕が見たところ、二人の目に今のところ険はない。お互いの腹のうちを探っている真っ最中、といった感じだった。
「しかし……国崎君と言ったか。君はどうしてこの街へ来たんだ?」
「どうしてか……か。ちょっと難しい問いだな」
往人さんは帽子を深く被りなおすと、こう返した。
「実際、あんまり深い意味は無い。あちこちを旅していたら、知らぬ間にここにたどり着いていたってとこ」
「ほう……すると、君は何か目的があって来たわけではないのだな?」
「そうなる。だから何か目的が見つかれば、そっちに向かってまた旅をすることになる」
聖さんはまたにやりと不敵な笑みを浮かべると、おもむろに右手を胸ポケットへとやった。僕はその動きを見て、何となく、聖さんがこれから何かを仕掛けようとしているような気がした。
……どちらかと言うと、危ない仕掛けを。
「国崎君。君はずっと旅をしてきたと言っていたな?」
「そうだな。気が付いたら、旅をしていたってとこか」
「長旅には危険もあったろう? それこそ、命に関わるような」
「割とな。雪国は一人旅には辛い場所だ」
「ふむ……では」
その刹那、聖さんが目にも留まらぬ速さで、胸ポケットへしまっていた右手を引っこ抜いた。そのまま曲げていた右腕を伸ばし……
「こんな危険もあったか?」
ひゅんっ。風を切る音が聞こえた。それは一瞬だけ聞こえる音のはずなのに、何故だか僕にはそれが、何度も何度も繰り返し繰り返し聞こえてくるような気がした。猛烈な勢いを伴った、必殺の一撃。その音は、僕にそんな言葉をイメージさせた。
「……………………」
「……………………」
聖さんの右手には、銀色に輝く執刀器具――メス――がしっかりと握られていた。言うまでも無く、本物のメスだ。執刀を行うための医療器具だから、下手なナイフや包丁なんかよりもずっと「切れる」。人体を切るために作られた、それ専用の刃物だ。だから僅かな力で、あっという間に人を切り裂いてしまう。
聖さんは胸ポケットからそれを取り出し、まったく予告なくそれを往人さんへと差し向けたのだ。しかも……風を切って進むほどの、猛烈な勢いで。
「……割合、物騒なものを持ち歩いてるんだな」
「……………………」
けれども僕が目にしている光景は、聖さんが突然メスを取り出して往人さんにそれを突き出したという事実よりも、もっと驚くべき光景だった。
「悪い。動体視力なら、矯正の必要なんかないぐらい良いんだ」
聖さんが突き出した鋭利なメスを、往人さんは左手の人差し指と中指でがっちりと挟んで、その動きを完全に止めていた。有体に今の状況を言ってしまえば……
……そう。往人さんはその二本の指で、真剣白刃取りをやって見せたのだ。聖さんの表情が、驚きのあまり硬直してしまっている。
「……………………」
「……………………」
二人は互いに見詰め合ったまま動こうとしない。見つめる先は互いの瞳、目、眼。その目から、相手がどのような人間か。こんな非日常的な状況において、相手がどんな目をしているか。それをお互いに全力を持って見抜こうとしている。僕はうめき声すら上げられないようなこの緊張状態の中で、ただ、時間が過ぎるのを待つしかなかった。
「……………………」
「……………………」
そして、十分な間を置いてから。
「……申し訳ないことをしたな。何分最近、おかしな人間が増えているようでな。君もそんな輩ではないかと、確かめる必要があった」
聖さんがふっと力を抜いて、表情を崩した。小さくため息をついて、緊張の糸を自分から切り落とした。
「君の目を見ていると、どうもそうだとは思えなかったよ」
その言葉を聞いた往人さんがそっと力を抜いて、メスをロックしていた指を開く。聖さんがそれを静かに引き抜いて、そのまま、元あった場所――胸ポケット――へと戻す。
「最初から信用されるなんて思ってなかった。これで信用してもらえるなら、安いものだ」
その表情は……相変わらず涼しげで、どこか余裕を感じさせた。さっきまであの緊張状態にいたとはとても思えないほど、リラックスした表情だった。まるであらかじめこんな状況になってしまうことを予想していたかのような落ち着きぶりで、逆に僕が驚いてしまったくらいだ。
「ただまあ、次にやるなら、予告ぐらいはしてほしい」
軽口を叩く往人さんに、聖さんは不敵な笑みではなく、はっきりとした笑みを浮かべた。
「しかし……今時、ここまで肝の据わった男がいるとはな。少々、世間を見くびっていたようだ」
「あんまり診療所に引きこもってないで、外に出た方がいいってことだ」
「ふふふ。気に入ったぞ。この私に気に入られる男というのはかなり稀少だ。光栄に思いたまえ」
「そりゃ光栄」
二人はしっかり握手を交わした。どうやらこの握手は、本気の握手みたいだった。
「ところで、君はどうやって旅をしているんだ?」
ひと段落してから、聖さんが問いかけた。往人さんは顔を聖さんへ向けると、こう答えた。
「どうやって……というと、旅費を捻出する方法、ってこと?」
「そうだ。見たところ、君はそう裕福そうには見えないからな」
「ふーむ……口で説明するのは難しいから、実演しようか?」
「ほう、何か見せてくれるようだな」
往人さんは口元に笑みを浮かべて、野球帽をもう一度深々と被りなおした。それにしても、往人さんがあの野球帽を脱ぐことはあるのかなあ。見てると、結構暑そうなんだけれど。
「……それじゃあ、始めるか……」
おもむろにポケットへ手を突っ込むと、往人さんはそこから一体の人形を取り出した。不恰好で少し見栄えは良くないけれど、不思議な温かみとなんとも言えない愛らしさを持つ、あの人形だ。
「……取り出したるは、一つの人形……」
口上を述べると、地面へ人形を置く。焼け付いた地面に人形の影が伸びて、往人さんの影とつながった。聖さんは腕を組んで黙りこくったまま、次に一体何をしでかすのかひとつたりとも見逃すまいという貪欲な視線で、往人さんを見つめていた。
「世にも不思議な人形劇……只今開演!」
そう言うと、往人さんは大仰に両腕をぱっとあげて見せた。
(ぴゅんっ)
その手に釣られるかのようにして、人形が空高く舞い上がった。人形は縦に横に斜に前に後にくるくるくるくる回転しながら、太陽をバックに黒い影を見せた。
「降臨っ!」
力の入った掛け声と共に、往人さんが右手を地面へと一気に振り下ろす。
(ぎゅん!)
するとどうだろう。人形は物理法則とか重力とか引力とかそう言った類のものをみんな無視して、まるでピンボールのフリッパーで弾かれた銀玉のように、猛烈な勢いで地面へと落ちてきた。聖さんはぎょっとしたような表情を浮かべ、人形を追って顔を動かした。
「着っ!」
地面を突き破るような速さで落ちてきた人形がその掛け声を聞くと、地面の上にひたり、と音も立てずに立った。あの速さで落ちてきて、この静かな着地は普通じゃ考えられない。飛び上がり、落下、そして着地。人形はただその一連の動作をこなしただけにも関わらず、どれを取っても、普通の動作は存在しなかった。
何もかもが、常識から外れていた。
「……さて。そろそろ、本番行くか」
……どうやら、今のはウォーミングアップだったらしい。
「……こんな感じで、人形劇をして回ってる」
往人さんは一連の人形劇の技を一通り見せると、そのまま人形をポケットへとしまった。いろいろな技が見れて僕はとても楽しかったけれど、時間や演出の都合からか、最後の大ジャンプはカットされちゃった。それだけが少し残念だった。
「ふむ。人形劇か……」
聖さんは納得したような、けれどどこか納得行かないような、そんな面持ちで往人さんを見つめた。
「どうやら、君は本当に何か得体の知れない力を持っているようだな」
「そうなる。人形を動かしたのも、全部それだ」
「……得体の知れない力、か……」
聖さんの引っかかりどころはそこにあるらしい。知っての通り、聖さんは医者をしている。医者は人の体を人の手で治す、言わば人体の技術者と言ってもいい存在。そして医者はその性質上、不可思議な力だとか得体の知れない力だとか、そういった類のものをなかなか受け入れられないと聞いたことがある。機械の技術者に超現実主義者が多いのと同じように、人体の技術者にも超現実主義者が多いということだ。
「あまり認めたくはないが……しかし、この眼で見たものはすべて事実だ。事実として受け入れることにしよう」
「種も仕掛けもないのは事実だ。あったら、こっちに教えて欲しいぐらいだ」
「ふふふ。君にも、よく分からない力ということか……ますます、君に興味が湧いてきたよ」
腕組みをして右手を顎にあて、聖さんがつぶやくように言った。
「ところで……」
往人さんは周囲をぐるりと見回して、辺りに何かないか探すような素振りを見せた。
「どうした?」
「いや、この辺り、ずいぶん開けてるなと思って」
「……?」
聖さんは往人さんが何を言おうとしているのか掴みかねた様子で、疑問の色を顔に浮かべた。往人さんはそのまま周囲をくるりとすべて見回して、こう告げた。
「ものは相談だが、この場所、借りてもいいか?」
「ここを? 私の診療所の前をか?」
突然の提案に、聖さんが問い返した。往人さんは小さく頷いて、さらに続けた。
「そう。ここだと、人通りも多そうな感じがするしな」
「ふむ……」
「もちろん、タダとは言わない。一週間に一度、報酬の一割を支払う。これでどうだ?」
「……悪くないな。邪魔にならないなら、どうしてくれても構わん」
「恩に着るよ」
二人はあっという間に商談をまとめてしまうと、互いに意味深な笑いを浮かべた。うーん。これが、なんというか「大人の関係」っていうやつなのかも知れない。
「それじゃ、また来させてもらう。普段は海沿いの堤防にいるから、何かあったら声を掛けてくれ」
「ああ。また来るのを楽しみにしているぞ」
往人さんはそれだけ話すと、そのままさっき言った海沿いの堤防に向かって歩き始めた――
「ああ、そうそう」
――と、思いきや、くるりと振り返って、
「その犬の飼い主さんが帰ってきたら、黒い服の人形遣いが来たって言っておいてくれ」
そう付け加えた。
「……ん?! おい、ちょっと……!」
聖さんが呼び止めようとしたときには、そこにもう往人さんの姿は無かった。聖さんは呼びとめようとして伸ばして右手の持って行き所に困って、しばらく宙を泳がせていたけれど、やがてそれも引っ込めた。
「……ふむ……」
「……………………」
「……どうやら、佳乃とはどこかで面識があったようだな……」
真剣な顔つきになって、聖さんがつぶやく。
「そう言えば……」
「ぴこ?」
「佳乃……飼育当番にしてはやけに帰ってくるのが遅いな。学校で何かあったのかも知れない」
さらに追加でそうつぶやきながら、じろり、と僕に目をやる。
「……ポテト。悪いが、学校へ佳乃の様子を見に行って来てくれないか?」
「ぴこっ」
何となくそう言われるような気がしたから、僕はあらかじめ心の準備をしておいて、しっかりと頷いた。
「頼んだぞ」
「ぴっこり」
聖さんがそう念を押したときには、僕はもう駆け出していた。
今までに感じたことの無い「何かが起きそうな予感」で、胸の中をいっぱいに満たして。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。