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第四十三話「BOY Meets GIRL」

「ねぇポテトっ、それ、本当なのぉっ?!」

「ぴっこり!」

僕は佳乃ちゃんと一緒に、普段学校へ行く道をものすごい勢いで逆走していた。佳乃ちゃんが猛烈な勢いで飛ばすものだから、僕はそれに遅れないように必死について行かなきゃならなかった。

「ぴっこぴこぴこ!」

「ぐぬぬ~っ! ぼくが学校にいる間に、そんなことがあったなんてぇ……!」

佳乃ちゃんは悔しそうな表情を浮かべて、よりいっそう足を速めた。風を切るびゅんびゅんという音が、僕の耳にひっきりなしに伝わってくる。それぐらいの速度で、僕らは走り続けているのだ。周りに人がいようが、近くを猫が通りがかろうが、知ったことじゃない。

僕らが走っているのは、他でもない。診療所に現れた往人さんに会うためだ。

僕は七夜さんと七瀬さんの一連の騒動が終わった後、佳乃ちゃんに診療所で起きたことの一部始終を全部話した。水を引っかけられた往人さんが水を集めて服を乾かしたこと、聖さんのメスを左手の指二本だけで止めてしまったこと、そして……

「往人さんの人形劇、ぼくももう一回見たかったよぉ……」

……聖さんに見せた、あの人形劇のこと。前に見たものとは少し構成が変わっていて、また別のおもしろさがあった。佳乃ちゃんはそれを聞くとすごく悔しそうな表情を浮かべて、北川君や七瀬さんが呼び止めるのも聞かずに走り出しちゃった、ってわけだ。

「むむむ~! この前は橋の上から落とされちゃったし、今日は人形劇を見られなかったしで、ぼくはもう踏んだり蹴ったりの七転八倒七転び八起きだよぉ!」

「ぴこ?」

「よぉーし! こうなったら、往人さんに仕返ししてやるんだからねぇ!」

「ぴこっ」

佳乃ちゃんは昨日今日と往人さんにされたことを思い出して、なにやら仕返しをするつもりみたいだ。どうなるかは分からないけど、でも、佳乃ちゃんのことだ。仕返しといっても、そんなえげつないことはしないだろう。

「ぼくの得意なお相撲でぎゃふんと言わせちゃうよぉ!」

大方の予想通り、とてもかわいい仕返しだった。

やってることは確かに男の子っぽいけど(相撲は女子禁制だし)、それに至るまでの考え方はどことなく女の子っぽい。それがいかにも佳乃ちゃんらしくて、僕は走っているのにちょっと笑いたくなった。

きっと佳乃ちゃんは、いつまでもこんな性格なんだろう。もし佳乃ちゃんが誰かと結婚してその人の夫になったとしても、きっとどっちがお嫁さんでどっちが夫なのか分からないような、そんな関係になりそうな気がする。

「……………………」

……そうなるとやっぱり、本命は坂上さんかなぁ。佳乃ちゃんとは息がぴったり合いそうだし、何より、坂上さんは佳乃ちゃんに好意を持っている。そこはかとなく、男勝りな感じもするしね。だからひょっとしたら、佳乃ちゃんは坂上さんと結婚するかもしれない。

僕は、そんなことを考えていた。

 

「商店街を一気に抜けるよぉ!」

「ぴっこり!」

商店街にさしかかると、僕と佳乃ちゃんの走る速度はさらに上がった。夏の日中の商店街には人っ子一人いなくて、全力疾走で駆け抜けるのには絶好の状態だった。もちろんスピードを落としたりなんかせず、全速力のまま商店街へ入る。佳乃ちゃんはその勢いのまま突っ切るつもりだ。

「風だよぉ! 風になるんだよぉ!」

「ぴこぴっこ!」

「風のたどり着く場所は……海辺の堤防っ!」

僕らは風になったような気持ちで、無人の商店街をひた走る。

「海辺の堤防に行けば、往人さんに会えるんだよねぇ!」

「ぴっこぴこ!」

「むむむ~! これは一刻を争う事態だよぉ! 一国を争う国取り合戦だよぉ!」

こんなシャレを言ったりできるあたり、佳乃ちゃんはこんな無茶な速度で走っていても、ちっとも疲れたりなんかしていないみたいだ。

「ポテトぉ! 走って走ってぇ!」

「ぴこーっ!」

「そうだよぉ! その調子ぃ!」

僕は佳乃ちゃんに遅れまいと、その後ろに必死に食らいつく。全力で走るのは大変だけれども、不思議と、体はちっとも疲れない。息も切れないし、足も嘘のように軽い。まるで、全身が羽にでもなったような気分だ。このままなら、世界の果てまで一息で走ってしまえるかも知れない。

僕らは商店街をただひたすらにひた走り続けた。

……すると。

 

「佳乃! そんなに急いでどこへ行くんだ?」

 

ちょうど診療所の前を通りがかった。聖さんは腕組みをして、商店街の沿道に一人立っている。

「お姉ちゃぁん! ごめんねぇ! ぼく今からちょっと海に行ってくるよぉ!」

「分かった。お昼までには帰るんだぞ」

「了解だよぉ!」

たったそれだけ言葉を交わすと、佳乃ちゃんはあっという間に診療所の前を駆け抜けていった。

「……………………」

聖さんは佳乃ちゃんを目で追いながら、心なしか笑みを浮かべているように見えた。最初からこんな展開になることを予想していたような、余裕のある笑みだった。二言三言の言葉だけで、お互いの意思疎通をやってのける。ああ、二人は本当に仲がいいんだなあって、今更ながらに納得した。

「いるのは堤防だ! 砂浜ではないぞ!」

聖さんは最後にそう付け加えて、佳乃ちゃんを見送った。

「やっぱり堤防にいるみたいだねぇ! これは急ぐしかないよぉ!」

「ぴこぴこっ!」

聖さんにひらひらと別れの手を振って、佳乃ちゃんはまったくスピードを落とすことなく走り続けた。聖さんの姿はどんどん小さくなっていって、豆粒なんかよりももっと小さくなったと思ったら、もう僕の小さな目では、その姿を見ることはできなくなった。

「このまま商店街を抜けちゃうよぉ!」

「ぴこーっ!」

佳乃ちゃんはそう宣言して、足にぐっと力を込めた。僕も遅れちゃいけないと、両足を地につけてしっかりと準備をする。

「よぉーし! ラストスパートだぁ!」

「ぴこっ!」

ただでさえ速く走っていた佳乃ちゃんがさらにスピードを上げて、今までとは比較にならないような猛烈な早さで駆けだした。それを見た僕の走る気持ちが刺激されて、並んで一緒に走り出す。

「ぴこっ、ぴこぴこっ!」

僕はまるで流れていくような商店街の町並みを見回しながら、改めて僕らは今想像を絶する早さで走っているんだなあということを実感した……

「……………………」

……すると、その途中で。

僕の目に、何かが飛び込んできた。

 

「……………………」

 

……紫色のリボンの付いたカチューシャ。オレンジのかったきれいな茶髪。吸い込まれそうな深紅の瞳。夏だというのに、冬に着るような長袖のセーターと、短いキュロットスカート……

「……………………」

……そんな特徴を持った小さな女の子が、商店街の測道で一人、ぽつんと佇んでいた。女の子は物憂げで儚げな視線をこちらへと向けて、ただ、何も言わずに佇んでいる。

「せいやぁぁぁぁぁ~っ!」

佳乃ちゃんは女の子にまったく気づいていないのか、そのまま一気に駆け抜けてしまった。

「……………………」

けれども僕はその女の子のことが無性に気になって、しばらくの間目線を向けていた。女の子はそれに呼応するように、走り去っていく僕と佳乃ちゃんにずっと視線を向け続けていた。

「……………………」

女の子と交錯する瞬間、僕はその子の顔をしっかりと見ることができた。

「……………………」

僕はその容貌に、どこか見覚えがあるような気がした。そう遠くない……いや、ごく最近見かけた顔の中に、その顔によく似た顔が絶対にあったはずだ。その歳相応の幼い風貌は、じっくりと時間をかけて記憶の中を探れば、特徴に合致する人間を必ず見つけ出せるようなものだった。

……けれども、僕が考えることができたのは、そこまでだった。

「どっせぇぇぇぇい!」

風を超えるほどの速さでひた走り続ける佳乃ちゃんにただ遅れないように付いていくことで、すぐに頭がいっぱいになった。

「……………………」

そうして、女の子もまた聖さんと同じように、僕の視界から完全に消えてしまった。

 

「……見つけたぁ……」

「……ぴこ……」

潮鳴りの聞こえる海沿いの堤防に、その人は佇んでいた。

「……………………」

海を見つめて堤防の上に立つその姿は、どこか心惹かれるものがあって、僕と佳乃ちゃんはしばらくの間、その姿を目に焼き付けた。見るとどうやら、海を眺めているらしい。海が好きなのかなあ。

「……いっくよぉ……!」

「……ぴこっ!」

佳乃ちゃんは兼ねてから計画していたとおり、そろりそろりと堤防に近づいて、ばれないようにその上へとよじ登ると、静かに静かに距離を詰めていく。

「……橋の上からは落とされちゃったけど、今度は負けないんだからねぇ」

黄色いバンダナを潮風にゆらゆら揺らしながら、佳乃ちゃんが堤防の上を歩いていく。その足取りはゆっくりだけれども、押さえきれない逸りでどこか落ち着かない様子だった。

……と、そのとき。

「……ん? そこにいるのは……」

往人さんが僕と佳乃ちゃんの存在に気づいた。こうなってはもう、隠密行動は何の意味もなさない。静かに近寄ったところで、相手はもうこちらに気づいているのだから。

……ならば。

「とりゃぁぁ~っ!」

「って、えぇっ?!」

佳乃ちゃんがかわいい声を上げて、呆然と立っていた往人さんへ突撃していった。往人さんは呆気にとられた様子で、突進してくる佳乃ちゃんを間の抜けた表情で見つめている。佳乃ちゃんが何をしでかそうとしているのか、まったく理解できていないみたいだ。

「ちょっと……!」

往人さんがそう言ったときには、佳乃ちゃんはもう往人さんの懐へと飛び込んでいた。

「見つけたよぉ! 前はぼくが落とされちゃったけど、今度は負けないんだからねぇ!」

佳乃ちゃんはそう宣言するや否や、下に向けていた両手をさっと前に突き出して、

「どすこーい! どすこーい!」

「ちょ……うわぁっ?!」

ひるんだ往人さんに向けて、連続で張り手を見舞った。往人さんはそれを肩へもろに食らってよろめき、大きく後ろへのけぞった。佳乃ちゃんの先制攻撃が、見事に決まった格好だ。

けれども、往人さんもなかなか手強いもので。

「へぇ……相撲で勝負、ってとこか。いいだろう。受けてやるっ!」

「そうこなくっちゃぁ! 今はスポーツバンザイの時間だからねぇ!」

すぐに自分の置かれている状況を読み取ると、腰を低く構えて、佳乃ちゃんの攻撃を受け止められる姿勢になった。

「来るなら来い! 全部受け止めてやるぞ!」

「むむむ~! そんな簡単には行かないよぉ! どすこーい! どすこーい!」

往人さんは佳乃ちゃんの攻撃をうまくいなしながら、うまく間合いをとっている。突然攻撃を仕掛けられたにしては、あまりにも素早い対応。敵はやはり手強い存在だ。

そうしてしばらく、二人の相撲が続く。

「う、うぬぬ~……!」

最初は優勢だった佳乃ちゃんが、少しずつ追いつめられていく。往人さんは自分からは攻撃を仕掛けようとせず、佳乃ちゃんの攻撃をうまくいなすことで隙を作り、その隙に的確に攻撃を加えていく戦法をとっていた。

どう見ても、往人さんの戦法の方が三枚ぐらい上手だった。

「ぐ、ぐぬぬ~! どすこーい! どすこーい!」

佳乃ちゃんは苦し紛れに張り手を繰り出す。うまくいなされてはいるけれど手数は十分で、防戦一方の負けっ放しというわけではない。言ってみれば、戦法の不利を手数で補っていると言ったところだ。

「ふっ、そんなヤワな攻撃じゃ、仕掛けてきたそっちが負けるぞ」

「うぬぬぬ~! ぼくはそんな簡単に負けたりしないんだよぉ!」

闘志をめらめらと燃やした佳乃ちゃんが、わざと一方後ろへ引く。

「……おわっ?!」

前へ前へ進んでいた往人さんが前につんのめって、そこに大きな隙ができた。

「チャンスだよぉ!」

佳乃ちゃんはここぞとばかりに、右手を大きく後ろへ引き据え、そして……

「どすこぉーいっ!」

大一番の強烈な張り手を、往人さんの胸へと力強く放った。

 

「……!?」

「……?!」

 

その瞬間、僕は何が起きたのか理解できなかった。

「……ふ、ふぇ?!」

「……!!」

真っ先に声を上げたのは、攻撃を仕掛けた佳乃ちゃんだった。突き出した右手は往人さんの胸のあたりに据えられたまま、ぴくりとも動かない。佳乃ちゃんの顔は驚きと困惑の色に染め上げられて、身じろぎ一つ許されなかった。

僕は二人の間に何が起きているのか、あるいは起きてしまったのか、まったく理解することができなかった。

「……こ、これって……?!」

「………………!!」

佳乃ちゃんが二度目に声を上げた……その瞬間。

 

「……って、やめんかぁぁぁぁぁーっ!!!」

「ひゃあああああっ?!」

 

往人さんは右腕を大きく振り払って、佳乃ちゃんを思いっきり吹き飛ばした。佳乃ちゃんはもんどり打って倒れて、堤防の上に大の字に寝そべった。どすんという大きな音がして、かなりの衝撃があったことを物語っていた。

「ふ、ふぇ、ふぇぇぇ……!?」

けれども、佳乃ちゃんには堤防に叩きつけられた痛みなんかまるで伝わっていないみたいで、先ほどまで往人さんの胸に当てられていたその右手を、何度も何度も何度も何度も握り直して、その手に感じた感触を必死に理解しようとしているようだった。間の抜けた声を上げながら、何度も何度も、右手を握りなおしている。

「こ、この……っ!」

往人さんは両腕で自分の体を抱きしめるようにして、顔どころか全身を真っ赤に紅潮させながら、佳乃ちゃんをぎろりとにらみ付けた。

……そして、次にその口から発せられた言葉は……

……その、言葉は。

「よ……」

 

「……嫁入り前のうら若い乙女の体に、あんた一体なんてことしてんのよぉぉぉーっ!!」 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。