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第四十九話「Suspicious Hole」

「ごちそうさま。ずいぶん涼しくなったよ」

「おいしかったねぇ」

みんなから食器を受け取って自分の手に集めながら、佳乃ちゃんが川名さんと言葉を交わした。流しそうめんはこれでお開きみたいだ。川名さんは満足そうな表情を浮かべて、コップに入った冷たい麦茶に口をつけている。

「しかし、あんなにあったはずなのにな……」

「そうだよねぇ。きれいになくなっちゃったよぉ」

「国崎君に買いに行ってもらった分もすべてゆでた。この家に残っている素麺は皆無だ」

「……マジか」

あれだけたくさんあったはずの素麺は、綺麗さっぱり食べつくされてしまった。往人さんが追加してきた分もみんなゆでちゃったと言っているくらいだから、聖さんの言っている事は本当なのだろう。よく考えてみると、とんでもない量の素麺を食べたことになる。

「まあ何だかんだで、俺もそれなりに食えたしな」

「往人君、途中までぐでーんとしちゃってたからねぇ」

「うーん。最後の方は流れが速くて、回収にムラが出ちゃったかな」

佳乃ちゃんは二人とおしゃべりをしながら、食器を集めて台所へ持っていく。これから食器を洗って、後片付けをするんだろう。

「国崎君。悪いが、竹の水を捨てて片付けてきてくれ」

「分かった」

聖さんから指示を受けて、往人さんも立ち上がる。往人さんは水道に近い竹から一つずつ慎重にバラしていくと、中にたまっていた水を手際よく流しに捨てていく。それを何度か繰り返して、水の張られていない竹が五本ばかり往人さんの前に集まると、往人さんはそれをしっかりと重ねて両腕に抱き込み、診療所の外へと持っていった。

「後片付け、手伝わなくてもいいのかな」

「もちろんだよぉ。みさき先輩はお客さんだからねぇ。もうちょっとで終わるから、ポテトといっしょに待っててねぇ」

「うん。分かった」

後に残ったのは、僕と川名さんだけだった。僕は川名さんの膝の上にちょこんと乗っかって、三人が後片付けを終えるのを待つことにした。

「ポテトは、私の膝の上、好きなのかな?」

「ぴこっ」

「そうなんだ。もしポテトが人間だったら、ひざまくら、してあげられるんだけどね」

「ぴこー」

僕は川名さんに膝枕してもらっている姿を想像してみて、僕が人間じゃなくて、もこもこでふわふわの毛の犬だったことをちょっとだけ後悔した。

「でも、佳乃ちゃんってなんだかすごいね」

「ぴこ?」

「私だったら、絶対に緊張しちゃうよ」

「……………………」

僕は川名さんの言葉を聞きながら、また、川名さんが何を言おうとしているのかつかみかねて、困った顔を浮かべるしかなかった。川名さんは佳乃ちゃんのどこが「すごい」と思って、自分がどんな状況に置かれたら緊張しちゃうのか、僕にはやっぱり何も分からなかったからだ。

「だから、みんなに優しくできるのかな。変に意識したりしないから、いつでも自然でいられるのかな」

ほんの少しだけ間を置いて、川名さんが言った。

……そして、こう続ける。

 

「自分だけが男の子で、周りがみんな……」

 

川名さんが言いかけたとき、

「終わったぞ」

ちょうど、往人さんが戻ってきた。川名さんはそれとなく往人さんのほうを向いて、朗らかな笑みを浮かべて言った。

「ご苦労さま。ごめんね、私だけ楽しちゃって」

「気にすることじゃない。あんたは客人だからな」

「うーん。私も女の子だから、お手伝いした方がいいんじゃないかな、って思ってね」

「言われなくても、あんたは女だろ」

往人さんが苦笑しながら、待合室のソファに腰掛けた。僕は川名さんの膝の上に乗っかったまま、佳乃ちゃんと聖さんが戻ってくるのを待つことにした。

佳乃ちゃんと聖さんが戻ってくるまでには、そう時間はかからなかった。

 

「みさき先輩っ。今度の集まり、いつだったかなぁ?」

「えっと……確か、明後日だったかな。うん。ゆきちゃんが明後日だって言ってたから、多分間違いないよ」

みんなが待合室に集まって、のんびりとくつろぎ始めた。僕は相変わらず川名さんの膝の上に乗って、みんなの話に耳を傾けることにした。

「むむむ~。部長さんからの直々の指示だよぉ。これは気が抜けないねぇ」

「大丈夫だよ。ゆきちゃんもゆきちゃんで、結構忘れちゃうこととかもあるみたいだしね」

「岡崎君や北川君も来るのかなぁ?」

「うん。みんな一度集まって、どれくらい出来てるか確認するんだって。それと……」

「それと?」

とは言っても、おしゃべりをしているのはほとんど佳乃ちゃんと川名さんで、聖さんと往人さんはただ黙って座っているだけだ。聖さんは二人の話を楽しそうに見ているけど、往人さんは特に興味がないのか、だらんと体を伸ばして、横になるようにソファに腰掛けているだけだ。

「それとね、渚ちゃんが新しく入りたいっていう人を見つけてきたから、その人たちとの顔合わせもあるみたいだよ」

「古河さんがぁ? ……あーっ!」

「もしかして、知ってたのかな?」

「知ってるよぉ! 今日の朝にねぇ、ぼくの隣のクラスの子に声をかけて誘ってるのを、ぼくばっちり目撃しちゃったんだよぉ」

「隣のクラスの子?」

「そうだよぉ。七夜さん、って言うんだぁ」

佳乃ちゃんが言っているのは間違いなく、七瀬さんのそっくりさんの七夜さんの事だ。僕の脳裏に、そこら辺の男の子よりもずっと骨があって漢らしい七夜さんの姿が、ふわふわと浮かんできた。

「うーん……私が聞いたのは、下級生の子だったんだけどな……それにしても、渚ちゃんってすごく積極的だね。ゆきちゃんもやる気が出るって喜んでたよ」

「うんうん。古河さん、すっごく熱心でやる気満々だよねぇ。ぼくも見習いたいよぉ」

二人はとても楽しそうに、古河さんのことについて話し続けていた。僕は古河さんの顔を思い出しながら、確かに熱心に七夜さんを勧誘していたなぁと思って、きっと何事にも熱心な人なんだろう、と一人で納得していた。

 

「えっと、少し話が変わっちゃうんだけど、いいかな?」

「いいよぉ。どうしたのかなぁ?」

それからしばらくして、不意に川名さんが話題を変えた。佳乃ちゃんもそれに即座に反応して、くりくりと大きな瞳を川名さんへ向ける。

「ちょっと前のことなんだけどね、夜に変な音が聞こえてきたんだ」

「変な音ぉ?」

「うん。何かを打ち付けるような音が五回くらい、寮の近くから聞こえてきたんだよ」

「何かを打ち付けるような音?」

川名さんの言葉に、聖さんが反応を見せた。

「うん。後で調べてみたらね……」

「……………………」

川名さんはゆっくりと頷いて、こう話を続けた。

 

「寮のすぐ近くにある掲示板に、はさみが突き刺さってたんだよ」

「はさみ……だと?!」

 

川名さんのこの言葉を聞いた佳乃ちゃんと聖さんが、ほとんど同時に相手のほうへと顔を向けた。

「……お姉ちゃんっ、もしかして……!」

「うむ……早苗さんの言っていたことと、まったく同じだ」

聖さんは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、額に右手を当てた。佳乃ちゃんも聖さんと同じように難しい顔をして、しきりにバンダナを触っている。どちらも、川名さんから聞いたことを素直に受け止められずにいるみたいだ。

「もしかして……他にも、似たようなことがあったのかな?」

「そうなんだよぉ。この前はねぇ、古河さんの家の近くの掲示板がやられちゃったんだよぉ」

「夏祭りのポスターがズタズタに切り刻まれていたらしい。早苗さんの話だと、一度や二度じゃ済まされないそうだ」

「……なんだか、不吉だね。この辺りに、はさみを持ってうろついてる人がいるのかな」

ふと、川名さんが膝の上の僕をしきりに撫でてきた。僕は上を見上げるようにして、川名さんの顔を覗きこんだ。不安げな表情を浮かべて、心なしか元気が無いように見える。やっぱり、周りにそんな危なっかしい人がいたら、不安になっちゃうんだろうな。

「むむむー……何だかおっかない話だよぉ」

「まったくだ。そんな輩がこの街をうろついているのだとしたら……ただでは済まさんぞ」

聖さんは胸ポケットのメスをきらりと光らせて、本気ぶりをアピールして見せた。聖さんならきっと、はさみを持った変質者なんか返り討ちにしちゃうだろう。頼れるお姉さんだ。

……と、その時。

「……そう言えば、この前街をうろついてた時に、俺も妙なものを見かけたぞ」

今まで黙っていた往人さんが、ゆっくりと口を開いた。

「妙なもの? 何だ、教えてくれ」

真っ先に反応を見せたのは、聖さんだった。往人さんは体を起こして背筋を真っ直ぐに伸ばすと、野球帽を直してから、おもむろに話を始めた。

「確か、神社に続く道の近くだったか……」

「あの辺りか……それで、何があった?」

「その近くに、何かを掘り返したような跡が十個くらいあったんだ」

「十個もぉ? それはヘンな話だよぉ」

「ひょっとして、この街に穴掘りが趣味の奴でもいるのか?」

「いや……私の知る限り、そんな変わったことを趣味にしている人間は皆無だ。珍しいものであることに間違いはない」

立て続けに寄せられる奇妙な話に、聖さんは困り顔を浮かべるしかなかった。この中で一番の年長さんは間違いなく聖さんだと思うけど、その聖さんをして困り顔をしている有様だ。こんなことはきっと、初めてのことに違いない。

「切り刻まれたポスターといい、掲示板に突き立てられたはさみといい、土を掘り返した跡といい……これが、何かの前触れでなければいいが……」

そうつぶやく聖さんの面持ちは、珍しく、不安げなものだった。

 

「それじゃあ、私はそろそろ帰ろうかな」

川名さんが立ち上がって、帰る準備を始めた。時計はもう二時を指そうとしている。帰るには丁度いい時間だ。

「そうか。また何かあったら、いつでも来てくれて構わないぞ」

「うん。ありがとう」

「ぼくが途中まで送っていくよぉ」

佳乃ちゃんがソファからぴょんと降りて、川名さんの横に並んだ。二人が並んでみると、男の子の佳乃ちゃんのほうがちょっと身長が低くて、佳乃ちゃんが川名さんを見上げる形になった。

「それじゃあお姉ちゃん、ちょっと行ってくるねぇ」

「ああ。私は国崎君と留守番をしているから、遅くならないうちに帰って来るんだぞ」

「分かってるよぉ。みさき先輩、そろそろ行くよぉ」

川名さんの手を引いて、佳乃ちゃんが歩き始めた。川名さんはそれに付いていくようにして、佳乃ちゃんの後ろを歩いていく。

「ぴこっ」

僕も行こう。

 

「うわぁ、外は太陽さんさんのかんかん照りだぁ」

「うーん。確かに、ちょっと暑いよね。去年よりも暑く感じるよ」

二人は商店街の歩道を、いつもよりもゆっくりとしたペースで歩いていく。佳乃ちゃんは川名さんの隣にぴったりと寄り添って、しっかり並んで歩いている。

「みさき先輩は、暑いのは苦手かなぁ?」

「あんまり暑いのは困るけど、嫌いじゃないよ。やっぱり、夏は暑いから夏だと思うしね」

「うんうん。先輩の言うとおりだよぉ。夏が寒かったら、冬の立場がなくなっちゃうからねぇ」

「佳乃ちゃんって、面白い考え方をするんだね」

微笑みを浮かべて、川名さんが言った。佳乃ちゃんはそれを知ってか知らずか、特に気にせず歩いていく。

「あれぇ? ポテトも一緒に来てたんだぁ」

「ぴこぴこー」

「うんうん。みさき先輩を送っていったら、ちょっとお散歩に行こうねぇ」

「ぴっこり」

こんな風におしゃべりをしながら、商店街を道なりに歩いていく。

……と、その時だった。

「……あっ」

不意に川名さんが立ち止まって、進行方向を真っ直ぐに指差した。

「どうしたのぉ?」

それを見た佳乃ちゃんも、同じように目線を前へと向けなおす。

「向こうに……」

……すると。

 

「ふぅちゃん、それは本当ですかっ」

「はいっ。間違いありませんっ。確実にアヤしい人ですっ」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。