「往人君、どうしてるかなぁ?」
「ぴこぴこっ」
僕と佳乃ちゃんは商店街まで戻ってくると、そのまま診療所に向かって歩き始めた。散歩をするつもりだったけど、やっぱり佳乃ちゃんは往人さんのことが気になるみたいだ。僕も往人さんがどうしているかは気になったから、佳乃ちゃんの後ろに一緒についていく。
「お姉ちゃん、ヘンなことしてないといいんだけどねぇ」
「ぴこ?」
佳乃ちゃんがいきなり「ヘンなこと」なんて言うものだから、僕は気になって思わず、佳乃ちゃんの目を見つめた。それに気付いた佳乃ちゃんが慌てて口元に手を当てて、くすくすと笑いながら僕にこう言った。
「あっ、今のはお姉ちゃんには言っちゃダメだよぉ。ぼくとポテトの秘密だからねぇ」
「……ぴこぴこ」
どうやら、聖さんには言ってはいけないことらしい。うーん。一体何なんだろう。「ヘンなこと」って。
僕は気になったから、少しだけ考えてみることにした。往人さんと聖さんを一緒に思い浮かべて、隣に並べてみる。
………………
…………
……
「ぴ、ぴこぉ~……」
……五秒後には、往人さんは帰らぬ人になってしまっていた。
「往人君、いつまでうちにいてくれるかなぁ?」
「ぴこっ」
「うんうん。ずっといてくれたら、ずっとうれしいよねぇ」
「ぴっこり」
「往人君がずっと一緒にいてくれたら……ぼくはずっと、往人君の魔法を見られるんだよねぇ……」
佳乃ちゃんが右手を前にかざして、バンダナを夏の風に晒した。黄色いバンダナが風にゆらゆらと揺らされて、はたはたはたとはためく音が聞こえてくる。佳乃ちゃんの腕にバンダナが絡み付いて、まるで佳乃ちゃんの体の一部のように見えた。
「……………………」
そう言えば僕は、佳乃ちゃんがバンダナをはずしたところを見たことが無い。こうやって一緒にいるときはもちろん、ご飯を食べるときも、学校に行く時も、どこかに遊びに出かける時も、ずっとあの黄色いバンダナを巻いたままだ。夜寝るときですら巻いたままなのだから、恐らく、ずっとそのままなのだろう。
「……………………」
そう言えば僕は、佳乃ちゃんがバンダナを邪魔そうにしているのを見たことが無い。佳乃ちゃんはバンダナに触ることはあっても、それを外す素振りを見せたり、バンダナを邪魔そうにしていたり、巻くことをやめようとしたりする姿は、僕は想像もしたことが無かった。それだけ、佳乃ちゃんにとってバンダナは自然なものなんだろう。
「……………………」
……そう言えば……
……僕は、佳乃ちゃんがバンダナを巻いている理由を知らない。
ファッションか何かとは思えない。この近くで腕にバンダナを巻いている子は、佳乃ちゃんとみちるちゃんくらいしか見たことが無い。みちるちゃんも佳乃ちゃんに薦められて巻いているだけだと言っていたから、この街で自分から腕にバンダナを巻きつけているのは、佳乃ちゃんしかいないことになる。
バンダナを巻いているのを咎められたこともあったはずだ。実際、僕もその光景を目にしている。あんなことはもうきっと、一度や二度じゃ済まされないはずだ。それでも、佳乃ちゃんは頑なにバンダナを外そうとはしない。誰かに咎められようと、佳乃ちゃんがバンダナを外す理由とはならない。僕には、そう思えた。
「……………………」
じゃあ、佳乃ちゃんがそこまでバンダナにこだわる理由は、一体何なんだろう?
バンダナを巻き続けることで、佳乃ちゃんに何かいいことがあるとでも言うのだろうか?
あるいは、バンダナを外すことで、佳乃ちゃんに何か悪いことがあるのだろうか?
そのどちらでもない、もっと別な理由が、佳乃ちゃんにはあるんだろうか?
「あっついよぉ。体がこげこげさんになっちゃうねぇ」
「……………………」
いくら考えてみたところで、それは僕の知るところではなかった。佳乃ちゃんはバンダナを空にかざして、日差しから身を守るようにして歩いていた。
「いつか、ぼくも魔法が使える日が来るのかなぁ」
「……………………」
「魔法が使えるようになったら……いいのになぁ」
佳乃ちゃんはかざしたバンダナを見つめながら、空に向かって静かに呟いた。
佳乃ちゃんの言葉が、空へと吸い込まれていくような気がした。
「とうつき~」
「ぴこぴこ~」
それからしばらくもしない内に、僕と佳乃ちゃんは診療所まで戻ってきた。診療所の前には誰もいない。多分、聖さんも往人さんも中にいるんだろう。
「たっだいま~っ!」
佳乃ちゃんが元気よくドアを開けて、診療所の中へ入った。ドアが閉まっちゃわないうちに、僕も続けて中に入る。診療所の中はクーラーが効いてひんやりと冷えていて、体にこもった暑気が心地よく飛んでいくような気がした。
「あれれぇ? お姉ちゃん、往人君、いないのぉ?」
「ぴこー?」
いつもならすぐに佳乃ちゃんを出迎えに来るはずの聖さんが、今日に限っては姿を見せなかった。佳乃ちゃんへの返事も聞こえてこない。どうしたんだろう?
「お姉ちゃぁん」
佳乃ちゃんは靴を脱いで診療所へ上がると、そのままきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていく。僕はその後ろについて、診療所の中に誰かいないかを目と耳で探ってみる。わずかな音に耳を傾け、微かな動きにも目を凝らす。
「……………………」
僕はそうやってしばらく探りを入れていたけれど、やがて、
「……こうやるのか?」
「そうだ。飲み込みが早いな。感心するぞ。次にだな……」
奥のほうから声が二つ、僕の耳へと飛び込んできた。それには佳乃ちゃんも気付いたみたいで、はっとしたように顔をそちらへ向けるのが見えた。
「台所からだねぇ」
「ぴこぴこっ」
「行ってみよっかぁ」
僕と佳乃ちゃんは連れ立って、奥の台所へと足を踏み入れた。
「たっだいまー……あれれぇ? お姉ちゃん、何してるのぉ?」
「ああ、佳乃。お帰り。見ての通りだ」
「しかし、なんで一番最初がモップがけなんだ?」
台所に入ってみると、そこでは往人さんが聖さんに指示されるままにモップをかけていた。佳乃ちゃんはきょとんとした表情で、モップを手に台所に立つ往人さんを見つめている。
「往人君、どうしたのぉ? もしかして、いきなりきれい好きになっちゃったとかぁ?」
「違う。聖にここでの仕事を教えてもらってたんだ」
「国崎君にはみっちり働いてもらうつもりだ。そのためにも、仕事はきちんと教えておくべきだと思ってな」
聖さんは腕組みをして台所の真ん中に陣取りながら、不敵な笑みを浮かべて往人さんを見つめていた。何だかんだで、一番発言力があるのは聖さんなのだ。聖さんには逆らわないようにしよう。僕は改めてそう思った。
「国崎君には雑用全般をこなしてもらう。つまり掃除や家事の手伝い、後はちょっとした受付事務とサンドバッグといったところだな」
「ちょっと待て最後に何かおかしな項目が」
「うんうん。往人君ならきっといいサンドバッグになれるよぉ」
「うむ。久しぶりに右手に力がこもるな」
「お前らは女を全力で殴る気かぁ!」
往人さんはモップを握り締めて、すごい形相で二人を見やった。うーん。やっぱり、どこからどう見ても、男の人にしか見えないや。
「あははっ。冗談だよぉ。往人君をいじめるような子がいたら、ぼくが絶対に許しておかないからねぇ」
「それ、年上に言う台詞じゃないからな」
「ふふっ。佳乃は頼もしいな。女の子の可愛らしさと男の子の頼もしさ、これを両方備えているのは、佳乃ぐらいしかいまい?」
「お姉ちゃぁん、女の子のってのは余計じゃないかなぁ……」
「謙遜することは無いぞ。佳乃は女の子よりも女の子らしいとつくづく思っている。本当に男の子なのか調べてみたいくらいだ」
「ひぇぇぇぇ~っ! お姉ちゃん、ヘンなこと考えてるよぉ~!」
「……………………」
二人のノリについていけないのか、往人さんはモップを持ったまま二人のやり取りを寒そうな目で見つめている。そんな風になってしまうのも、無理は無いかなと思う。
そしてそのまま、視線は僕へと向けられる。
「……なぁポテト。あの二人って、いつもあんな感じなのか?」
「……ぴこ?」
「やれ佳乃のことが女の子っぽいとか、聖がヘンなこと考えてるだとか……」
「……ぴこぴこ」
「そうか……」
僕が静かに頷くと、往人さんも納得したように頷いて、ため息混じりに二人を見やった。何となくだけど、僕と往人さんは気が合いそうな気がしてきた。僕だって時々、佳乃ちゃんと聖さんが分からなくなることがあるし。
「しかし、おかしな話だな」
「ぴこ?」
「本当は女の俺のほうが男っぽくて、本当は男の佳乃のほうが女の子っぽいなんてな」
往人さんはそう言って、おどけた表情で聖さんと向かい合っている佳乃ちゃんを見つめた。
「ところで……佳乃。お前、帰ってくるのがえらく遅くなかったか?」
「ふむ。そう言えばそうだな。散歩に行っていたのか?」
「えっとねぇ、実は、ちょっと訳ありなんだよぉ」
佳乃ちゃんは二人に視線を合わせると、僕たちが川名さんを送ってからここに帰ってくるまでに起きた出来事を話し始めた。
「みさき先輩を送っていったらねぇ、途中で古河さんと風子ちゃんに出会ったんだよぉ」
「古河さんと伊吹さんに……? ほう。それで?」
「それでねぇ、風子ちゃんが『保育所で怪しい人を見かけた』って言うから、気になって見に行くことにしたんだぁ」
「怪しい人? どんなヤツだったんだ? それは……」
「えっとねぇ、眼鏡をかけた若い男の人だったんだよぉ」
佳乃ちゃんの言葉を聞いた聖さんが表情を曇らせて、口元に手を当てて言った。
「……保育所の近くに怪しい若い男、か……また一つ、気になることが増えてしまったようだな」
「うぬぬ~。ポスターとか神社の掘り返した跡とかと、何か関係あるのかなぁ?」
「そこまでは分からない。しかし、この辺りにそういう輩がうろついているのだとしたら、警戒するに越したことは無いだろう」
「……………………」
「なんだか最近、ヘンなことが多いねぇ。一体、どうしちゃったのかなぁ?」
「ああ。佳乃の言う通りだ。掲示板のポスターは切り刻まれるわ、神社の近くで何かを掘り返したような跡が見つかるわ、保育所の近くに怪しげな男がうろついているわ、この診療所にいつの間にか男が一人居候することになっていたりな」
「最後のを仕組んだのはお前だろぉが! 大体俺は女だぁ!」
手にしたモップを掲げて必死に自己主張する往人さんに、聖さんは涼しい表情で答える。
「ふふっ……国崎君。君を雇っておいてなんだが、何かの間違いで佳乃に襲い掛かるようなことがあれば……その時、君の命は無いと思いたまえ」
「逆だ逆逆! 思いっきり逆だ!」
「お姉ちゃぁん! もういい加減にしてくれないと、ぼく怒るよぉ?!」
ああ、この先、このやり取りが何度も何度も繰り返されるんだろうなぁと思うと、僕はちょっとだけ気が滅入るような気がした。
……と、その時だった。
「すみません。天野ですが……」
玄関の方から、声が聞こえてきた。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。