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第五十三話「Please Help Me」

「……来客のようだな。二人とも、そこで待っていてくれ」

聖さんはあっという間に表情を元に戻してさっと方向を変えると、そのまま台所を抜けて待合室を通り、玄関で待っている来客を迎えに行った。僕はその後ろについて、誰が訪れたのかを見に行くことにした。

(キィィ)

すりガラスのドアを開けて、聖さんが訪問者の顔を見た。

「こんにちは、天野さん。どうされました?」

そこに立っていたのは、天体観測のときに一緒になった下級生の天野さんだった。天野さんは一礼して、聖さんにこう話を持ちかけた。

「すみません。少々、お話したいことがありまして……」

「分かった。佳乃を呼ぼうか?」

「いえ、聖先生にもお話したいことですので」

「私にも話したいこと……? ふむ、立ち話もなんだ。とりあえず上がってくれ」

「お邪魔いたします」

聖さんは後ろに下がって道を空けると、天野さんはそれに続いておずおずと診療所へ上がった。佳乃ちゃんよりも明らかに年下なのは分かるんだけど、その仕草や表情、立ち振る舞いを見ていると、佳乃ちゃんよりもずっと大人っぽく見える。

二人のやり取りが聞こえたのか、奥の方から佳乃ちゃんが歩いてきた。

「あーっ! 天野さんだーっ! こんにちはぁ」

「こんにちは、霧島先輩。お元気そうで何よりです」

天野さんは微笑みを浮かべて、佳乃ちゃんと挨拶を交わした。うーん、挨拶一つ取ってみても、やっぱり佳乃ちゃんと天野さんじゃ年齢とかそういうのが逆のような気がして仕方ない。天野さんみたいな人を「物腰が上品な人」って言うんだろうなあ。

「先輩ってことは……お前の後輩なのか?」

佳乃ちゃんに続いて、往人さんも姿を見せた。直後、往人さんと天野さんの目がしっかり合う。

「霧島先輩、あちらの方はどなたですか?」

「えっとねぇ、今日からここに住み込んで働くことになった、国崎住人さんって人だよぉ」

「国崎さんですか……初めまして、天野美汐です。今後ともよろしくお願いいたします」

「ああ。こちらこそ」

二人が互いに簡単な自己紹介を済ませたと同時に、聖さんがそこへやってきた。一同の顔を見回してから、さりげなく、待合室の椅子に腰掛けるよう促す。三人ともそれをすぐに理解して、僕から見て左から順に聖さん・天野さん・佳乃ちゃん・往人さんの位置で、それぞれ椅子に腰を落ち着けた。

「さて……天野さん、何か話したいことがあるそうだな」

「ええ。実は、折り入って相談したいことがあるのですが……」

「相談? どうしたのかなぁ?」

佳乃ちゃんの問いかけに、天野さんは頷いて返す。そして一呼吸置いてから、こう話を切り出した。

 

「この辺りで、保育所に来て仕事の手伝いをして下さるような方はいらっしゃらないでしょうか?」

 

この言葉に、佳乃ちゃんも聖さんも目を丸くした。どういうことなのか、今ひとつ状況が掴みきれていないらしい。

「保育所? 天野さん、それはどういうことだ?」

「聖先生。この商店街から少々外れた場所に、保育所があるのはご存知ですか?」

「それは知っている。確か、水瀬さんのところの子が働いていると聞いたが」

「真琴ちゃんのことだねぇ」

佳乃ちゃんから真琴ちゃんの名前を出されて、そう言えば、前の天体観測の時に天野さんとずっと一緒にいた子の名前が真琴ちゃんだったっけ……みたいなことを考えていた。

「その通りです。今回のことも、真琴に頼まれてのことなんです」

「ふむ。何か訳ありのようだな。詳しいことを聞かせてもらおうか」

聖さんの言葉を聞いて、天野さんが静かに頷く。

「実は今、保育所で深刻な人手不足が発生しているんです」

「人手不足?」

「はい。真琴が言うには、元々働いていた方の人数はそれほど多くは無かったようなのですが、ここ最近になって立て続けに三人の方が休職されて、忙しいどころの状態ではないそうなんです」

「……三人も? 何か理由があったのか?」

「いえ……職場環境はそれほど悪いとは聞いていませんし、人間関係にも問題があるようには思えませんでした」

「じゃあ、みんな体の具合を悪くしちゃったのかなぁ?」

佳乃ちゃんがさりげなく差し込んだ言葉に、天野さんが反応を見せた。

「ええ。真琴から聞いたところでは、三人とも突然体の具合を悪くされて、どうにも回復しないのでしばらく休みを取りたい、ということのようです」

「三人の症状は? 病状は悪化しているのか?」

「そこまでは……ただ、全員何か夏風邪のような症状で、それがあまりに長く続くものですから、お預かりしている子供さんに伝染してはならないということで、体調が戻るまで職場に復帰することは無い、と言っていました」

天野さんの話だと、さっき佳乃ちゃんが出向いた保育所では実は深刻な人手不足が起きていて、それは三人の職員が一斉に何か原因不明の風邪に似た症状を引き起こしたことに起因しているらしい。なんとなく、薄気味の悪い話だ。

「一度に三人の方が休職されたものですから、先に述べたとおり、保育所では残った職員の方へ大変な負担がかかっているそうなんです」

「ふむ……確かに一度に三人も働き手が減ってしまえば、残りの人間がどれくらい忙しくなるかは容易に想像が付くな」

「はい。真琴も毎日大変な思いをしているみたいで、誰か働き手はいないかと、私に相談してきたのですが……」

困ったような表情を浮かべて、天野さんが呟く。確かに聞いている限りだと、状況はかなり深刻だ。

「私が手伝えればよかったのですが、母との取り決めで、高校を卒業するまでは働いてはならないと言われていまして……」

「うぬぬ~。それなら仕方ないねぇ」

「そうだな……母親から言われているのなら、仕方あるまい」

佳乃ちゃんと聖さんも難しい顔をして、天野さんを見やる。

「聖先生。この辺りで、応援に来ていただけるような方はご存じないでしょうか?」

「お姉ちゃん、誰かいないかなぁ?」

「参考までに……現在休職中の方は事務の方がお一人、保育士の方がお二人だそうです」

「……うーむ……私は見ての通りここを離れるわけには行かないし、他に知り合いといっても……」

「……そうですか……」

ちょっと落ち込んだような表情で、天野さんがため息混じりに呟く。佳乃ちゃんも聖さんも、どことなくもどかしそうだ。本当は二人ともお手伝いに行きたいんだろうけれど、聖さんはここを離れるわけに行かないし、佳乃ちゃんは手伝う云々の以前に男の子だ。土台、無理な話だろう。

「すまないな……だが、そういう話があることは記憶に止めておこう。誰か手伝えそうな人間を見つけたら、できる限りこの話をしてみることにする」

「ぼくも同じだよぉ。早くお手伝いさんが見つかるといいねぇ」

「はい。お気遣い、ありがとうございます」

二人の言葉を受けて、天野さんが少しだけ、明るい表情に戻った気がした。

「ところで、少々話題は変わりますが……聖先生、最近夏風邪の患者が増えている、ということはありませんか?」

「ああ。具体的に誰が来院したかについて言うことはできないが、確実に増えている」

「やはり、そうですか……」

腕組みをする天野さんに、聖さんが興味ありげに顔を寄せた。

「何か思い当たることでもあるのか?」

「思い当たることというわけではありませんが、私の周りでも夏風邪を引いた人が何人かいたので、もしかすると……と思いまして」

「天野さんの知り合いに、かぜひきさんになっちゃった人がいるのかなぁ?」

「そうなんです。実を言うと私の母も、三日ほど前から軽い夏風邪の症状が出ているんです」

「天野さんのお母さんもぉ? ぐぬぬ~。それは大変だねぇ。お姉ちゃんに手術してもらう?」

「佳乃、風邪で手術をする必要はないぞ」

聖さんが笑って、佳乃ちゃんの頭を軽く小突いた。天野さんは二人の様子を見つめながら、何となく楽しそうな表情を浮かべている。二人はいつでも、こんな風に仲良くしている。

……と、僕が暇つぶしに三人の様子を代わる代わる観察していると、

「……っ、っんん」

隣から、明らかに自発的に咳払いをする声が一つ。

「あれれぇ? 往人君、風邪引いちゃったのぉ?」

「そうかそうか。では、直ちに君を解ぼ……手術してやろう」

「お前今思いっきり解剖って言いかけただろ」

「言葉のあやだ、気にすることは無い。それで、どうかしたのか?」

容赦のない往人さんのツッコミをあっさりさらりと受け流して、聖さんが今まで百行近くにわたって存在を完全に忘れ去られていた往人さんへと話を振った。

「えーと……天野といったか。その保育所で、誰かを外部から招いて出し物をしたりすることはあるか?」

「出し物……というと?」

「……あー、あれだ。そうだな……」

往人さんが言いあぐねていると、隣から佳乃ちゃんがすすすと姿を見せて、往人さんにさりげなく助け舟を出した。

「天野さん、火の輪くぐりとかのことだよぉ」

「お前なんでそこで人形劇って言わないんだよ!!」

佳乃ちゃんが出した助け舟は、泥舟だった。

「人形劇……ああ、そういったものですね。数は多くないそうですが、あることにはあるそうです」

「そうか。それなら、是非一度見せたいものがあるんだが」

「何か見せてくださるんですか?」

この問いかけに、往人さんが自信ありげに頷く。僕はさりげなく位置を変えて、往人さんのまん前に座り込んだ。ここが、一番よく見ることができる場所だからだ。

「ああ。ちょっとした人形劇だ」

ポケットから人形を取り出すと、往人さんがそれを皆の前に見せた。

人形を持っていない方の手を上や下、横にもかざし、人形は何にもつながれていないことを見せる。人形は糸などでは動かないということを、観客にそれとなく伝えている。

「……人形劇というのは、この人形で?」

「そうだよぉ! とにかくすごいんだからねぇ!」

「すごいん……ですか?」

「うん。なんだかねぇ、ざざざざーってなって、ぎゅるるる~って感じで、どどんがどーん!」

「……………………」

佳乃ちゃんの説明にあからさまに顔いっぱいに疑問符を浮かべながら、天野さんは人形へと視線を向けなおす。

「ふふふ……これには、きっと驚くぞ」

「聖先生をして、そこまで言わせますか……」

「ああ。私が驚いたのだから、驚き度は折り紙つきだ」

ひとしきり話し終わって、いよいよ視線が人形へと集中する。

 

「さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい」

「取り出したるは、一つの人形」

「タネも仕掛けもございません」

「世にも不思議な人形劇……只今開演っ!」

 

その掛け声と共に。

人形が、宙を舞った。

 

「……とまあ、こんな感じだ。どうだ?」

「……………………」

一連の人形劇をやり終えて、往人さんが天野さんに感想を求めた。僕はというと、やはり最後の人形キャッチがなかったのは残念だったけど、それ以外はいつも通りの、とてつもなく日常離れした素敵な人形劇だったと思った。

「……本当に、何の仕掛けも無いというのですか?」

「ああ。全部見たまま、ありのままだ」

「……………………」

天野さんはそう呟いてからしばらく黙り込んでいたけれども、やがて納得したように息をついて目を細めると、往人さんにこう返事をした。

「なかなか目にかかれないものを見せていただきました。これならきっと、子供たちも喜んでくれると思います」

「そうか。なら、あんたの知り合いにも話しておいてくれないか?」

「約束しましょう」

どうやら話はこれでまとまったみたいだ。往人さん的にもこれで満足らしい。ゆっくりと二回・三回と頷いてから、人形をポケットへとしまいこんだ。

「しかし国崎君。保育所で劇を披露するのは構わないが、見物料の回収はどうするつもりだ?」

「心配するな。これは直接見物料をいただくための芝居じゃない。言ってみれば、広報活動だ」

「ほう……何となく読めたぞ。君はそうして子供たちに人形劇を見せることで、より多くの人間に噂を広めたい……そうだろう?」

「その通りだ」

往人さんは首を曲げて筋の凝りをほぐしながら、聖さんに言った。

「……ふむ。やはり君は私が見込んだだけのことはあるな。確かにそうすれば、より多くの見物料を回収できる可能性が出てくるな」

「往人君の出張人形劇だねぇ。この調子で北極南極大海原にまで出張だぁ~!」

「無茶を言うな」

苦笑いを浮かべる往人さんの表情が、心なしか輝いて見えた気がした。

「そう言えば、また話題が変わってしまうのですが……」

「どうしたのかなぁ?」

人形劇の話題が一段落したところで、天野さんが話を持ちかけた。

 

「少し前、ものみの丘の近くの洞窟が荒らされたことをご存知ですか?」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。