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第五十六話「Transparency Cat」

「ぼくの……好きな人?」

「うん……霧島くんって、どんな人が好きなのかな、って」

観鈴ちゃんは手をもじもじさせて、佳乃ちゃんから少し視線を外しながら言った。観鈴ちゃんの顔に差していた赤みが、よりいっそうくっきりとしたものに変わったように、僕には見えた。

「……………………」

一方の佳乃ちゃんはいきなり観鈴ちゃんから質問をもらって、どう返せばいいのか分からないという表情を浮かべている。観鈴ちゃんとは違って頬を赤らめたりはしていないけれど、その表情には少なからず戸惑いの色が見え隠れしていた。

「……………………」

その表情には、見覚えがあった。佳乃ちゃんは少し前にも同じような質問をされて、今浮かべている表情と寸分違わぬ表情を浮かべていたことがあった。突然の問いかけに驚いて、いつもの勢いを削がれてしまった佳乃ちゃん。その時、佳乃ちゃんに問いかけをしたのは、確か……

……確か……

「ぼくの好きな人はねぇ……」

僕が記憶を掘り起こす前に、佳乃ちゃんが先に口を開いた。気が付くと、佳乃ちゃんの表情から戸惑いや迷いはすっかり消え失せて、はっきりとした答えを見つけ出したような、しっかりとした表情へと変わっていた。

……そして。

 

「ぼくが側にいても、悲しい気持ちにならない人、かなぁ」

 

佳乃ちゃんの答えは、そんな言葉だった。

「霧島くんの側にいても……悲しくならない人?」

「うん。ぼくが隣にいても悲しい気持ちにならない人だったら、ぼくはすごくうれしいんだよぉ」

「……………………」

佳乃ちゃんの側にいても、悲しい気持ちにならない人。

その言葉は、一体何を意味しているのだろう?

その言葉に、一体どんな意味を込めているのだろう?

その言葉を、一体どんな気持ちで呟いたのだろう?

「ぼくが隣にいても悲しまない人だったら、そこはぼくのいることのできる場所だって分かるから……」

「……………………」

「ぼくが隣にいても悲しまない人だったら、ぼくはその人を不幸にしてないって分かるから……」

「……………………」

「だからねぇ、ぼくはぼくが隣にいても悲しい気持ちにならない人に出会えたらいいなぁ、って思ってるんだぁ」

言葉の調子はいつもと変わらなかったけれども、その表情はいつもよりも少し儚げで、まるで遠い所から聞こえてくる静かな音色のように、どことなく悲しい色を帯びたものだった。

「ぼくと一緒にいて悲しい気持ちになる人がいたら、ぼくも悲しいからねぇ」

……佳乃ちゃんがすべての言葉を言い終える頃には、佳乃ちゃんの表情はもういつもの明るいものに戻っていた。

「……………………」

観鈴ちゃんは黙ったまま、佳乃ちゃんの目をじっと見つめている。佳乃ちゃんが発した言葉の意味を一つ一つかみ締めて、何を言わんとしているのかをつかみ取ろうとしているようだった。

「観鈴ちゃんはぼくと一緒にいて、悲しい気持ちになったことはあるかなぁ?」

「えっ?」

「ぼくが隣にいて悲しい気持ちになったこと、あるかなぁ?」

「……………………」

今度は佳乃ちゃんが観鈴ちゃんに問いかけた。観鈴ちゃんはその問いかけに俯いて目を閉じ、しばらくの間物思いに耽っている様子を見せていたけれども、それも束の間のこと。ゆっくりと顔を上げて、もう一度佳乃ちゃんと目を合わせた。

「ううん。一度も無いよ。わたし、霧島くんといる時は、ずっと楽しい」

「本当?」

「うん。今までも、それに、これからもずっと」

「……………………」

「霧島くんと一緒だったら、きっとずっと笑顔でいられる。にははっ」

「うんうん。やっぱり観鈴ちゃんは、笑ってる顔の方が似合ってるねぇ」

二人は笑いあって、お互いの顔を見つめあった。佳乃ちゃんは満面の笑みを、観鈴ちゃんは照れたようなはにかんだ笑顔を見せて、どちらもとても楽しそうだった。

「……観鈴ちゃん、とりあえず第一段階はクリアしたみたいね。いいわよ……その調子その調子っ」

……木の陰から、そう呟く声が聞こえてきた気がした。

 

「んー。これくらいでいいかしらね」

「うん。ばっちり」

それからみんなが戻ってきて、観鈴ちゃんと川口さんは本来の目的だったフィールドワークを再開した。この洞窟の特徴とかをメモして、後で図書館で調べるつもりらしい。それを他の場所でも繰り返して、最終的にレポートにして提出するとか。学生って大変だなぁ。

「それじゃ、そろそろ日も傾いてきたし、帰りましょっか」

「うん。ここから家まで、ちょっと遠いから」

「うんうん。ぼく達も帰ろうねぇ」

三人揃って歩き出す。僕は佳乃ちゃんの隣に寄り添って、一緒に歩くことにした。

「……結局、川口先輩からは何も話を聞いていないのですが……」

「……呼ばれるだけ呼ばれて、あとずっと放置されたんだが……」

どこか気の抜けた表情で、天野さんと往人さんが歩いていく。僕の思ったとおり、川口さんはやっぱり観鈴ちゃんと佳乃ちゃんを二人きりにしたかっただけみたいだ。

「……ぴこぴこ」

見ていて飽きないなぁ、と僕は思った。

 

「でも、誰があんなことしたのかしらね?」

「洞窟の中が荒らされていたことですか?」

川口さんが、隣にいた天野さんに話しかけた。天野さんは川口さんの言おうとしていたことをすぐに

「そうそう。お札とか滅茶苦茶にされちゃってたし、鎖も変な形に切れちゃってたし」

「ええ。誰かが中へ入り込んで荒らしたことは間違いありません。不道徳な人間がいるものです」

「ホント、罰当たりな人がいるものね……あっ、そう言えば」

「……どうかしましたか?」

手をぽんと叩いて、川口さんが何かを思い出したような仕草を見せた。すかさず、天野さんが反応を見せる。

「いや、これとは直接関係ないっていうか、全然関係ないんだけど、ちょっと思い出したことがあって」

「むむむ?」

「えーっと……観鈴ちゃんには話したっけ? ほら、ヘンな猫を見かけたって話」

「……あっ。うん。聞いたよ。確か、昨日だったかな」

「そーそー。昨日の朝学校から帰る途中に、ヘンな猫を見かけたのよ」

「ヘンな猫ぉ?」

ヘンな猫と聞いて、佳乃ちゃんが首を傾げる。首をかしげているのは佳乃ちゃんだけじゃない。天野さんも往人さんも興味をそそられたのか、一様に視線を川口さんへと集中させる。

「ヘンっていうか……不思議って言った方が正しいかもね。聞きたい?」

「聞かせてほしいよぉ」

「それじゃ言うけど、これ、全部ホントの話だからね。嘘は一つも混じってないってこと、先に言っとくわ」

川口さんはそう前置きをしてから、一度小さな深呼吸をして、ゆっくりと話を始めた。

「昨日学校から帰る途中に、猫の声が聞こえたのよ」

「うんうん」

「それで気になって振り向いてみたら、私のちょうど後ろに虎縞の猫がいたのよ。あんまり大きくなくて、ちょっと痩せ気味の猫だったかな」

「虎縞で痩せ気味の猫、ですか……」

「うん。で、可愛いからちょっと触ってみようかなーって思って、その猫に近づいていったら、おかしなことに気付いたのよ」

「おかしなことぉ?」

「そう。ちゃんと説明するのは難しいんだけど……」

「……………………」

「あー、もう見た光景そのまま言っちゃうね。本当よ? これ」

 

「その猫……光ってたのよ。ちょうど……そう。暗がりにある街灯が、ぼんやりと光るみたいにして」

 

川口さんの言葉を聞いて、佳乃ちゃんと天野さん、その隣では観鈴ちゃんと往人さんがお互いに顔を見合わせていた。川口さんの言っていることが信じられないといった素振りだ。川口さんは腰に手を当ててため息を吐きながら、四人の顔を順繰りに見やった。

「……ホントの話よ? っていうか、観鈴ちゃんには話したじゃない」

「うん……でも、もう一回聞いて、もう一回びっくりしちゃった」

「それで……川口先輩。その猫は、その後どうされたのですか?」

「そうね……私がいることに気付いちゃって、急に後ろ向いて走り出しちゃったのよ」

「追いかけたのか?」

往人さんの問いに、川口さんがぶんぶんと首を振って頷く。

「追いかけたわよー、もちろん。すぐに見失っちゃったけどね」

「そんなに速かったのぉ?」

「……違うのよ。これがまたおかしな話なんだけどね……」

「……………………」

川口さんは三度一呼吸置いて、場がある程度鎮まるのを見て確認してから、こう言葉を紡いだ。

「道にある角を右に曲がったから、私もその角を曲がったの」

「うんうん」

「角を曲がった先はまっすぐな道だって知ってたから、絶対に見失わないぞーって思って、安心して曲がってみたら……」

「……………………」

 

「……どこにもいなかったのよ。猫が」

 

……僕はここまで話を聞いていて初めて、川口さんの話に出てくる猫が本当にこの世にいる猫なのか、ちょっと疑いたくなった。川口さんが嘘をついているとはちょっと思えないし、それにしては話の内容が突飛に過ぎる。どこまで話を信じていいのか、僕には分からなかった。

「見間違えじゃないのか?」

「それはないわよー。だって私、両目とも視力一.〇以上だし」

「あーっ。ぼくもだよぉ。メガネいらずの疲れ目知らずぅ~」

「……不可思議な話ですね。最近、とみにこのような事象が増えているように思います」

僕らはしばらく川口さんが目撃した「光って消える猫」について話をしながら、家路を歩き続けた。

 

「それじゃ、私たちはこっちだから」

「うんうん。川口さんも天野さんも観鈴ちゃんも、みんな気をつけて帰ってねぇ」

「うん。霧島くん、またね」

「それでは先輩、また明後日にお会いしましょう」

商店街の入り口辺りで、僕らは二手に別れた。後に残ったのは、佳乃ちゃんと往人さんだけだ。他の三人は帰り道が一緒らしい。女の子三人だけになっちゃうけど、まだそこまで暗くなってるわけじゃないから、心配する必要は無さそうだ。

「今日もいろいろあったよぉ」

「ああ。とても、今日お前の姉に雇われたとは思えないぞ」

「そうなんだよねぇ。往人君、これからはずっと一緒だよぉ」

「いや……ずっと、って訳には行かないだろ」

苦笑しながら、佳乃ちゃんを見やる。佳乃ちゃんは往人さんの言葉を聞いているのか聞いていないのか、楽しそうにスキップ混じりに歩いていく。右腕のバンダナが風に揺られて、そよそよとそよいでいる。

「……ところで、あの観鈴って子、お前の友達か?」

「そうだよぉ。中学の時からのお友達なんだぁ」

「そうか。なかなか可愛い子じゃないか。通りで、友達も多いわけだ」

「……うん。昔はいろいろあったけど、今はあんな風に元気でいてくれて、ぼくうれしいよぉ」

「……いろいろ?」

佳乃ちゃんの言葉を聞いて、往人さんが疑問符と共に顔を横へ向けたとき。

「あれれぇ?」

「……どうした?」

当の佳乃ちゃんは自分のまん前を指差して、その場に立ち止まってしまった。僕も思わず立ち止まって、佳乃ちゃんが指さす先を見つめた。

……すると。

 

「よいしょ、よいしょ」

……僕らの前方から、山積みになった本が歩いてきていた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。