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第七十一話「Resources.」

「早苗さぁん! こんにちはぁ」

「はいっ。こんにちはっ」

診療所に姿を見せたのは、以前掲示板のポスターを張り替える作業をしていた早苗さんだった。あの時とほとんど同じ格好で、診療所の入り口に立っている。

「古河さん、こんにちは」

「あら、美坂さんもいらしたんですね。こんにちは」

早苗さんは栞ちゃんと香里さんの方に顔を向けてぺこりと頭を下げると、再びその奥に立っている佳乃ちゃんの方へと目を向けた。それに気づいた佳乃ちゃんが、すかさず早苗さんに声をかける。

「早苗さん、こんな時間にどうしたのぉ? 何かあったのかなぁ?」

「はい。実は、霧島さんに伝えたいことがありまして」

「ぼく?」

佳乃ちゃんがきょとんとした表情で、自分のことを指差す。早苗さんは大きくうなづいて、再び話を始めた。僕は早苗さんの話を聞きながら、そう言えば、佳乃ちゃんと早苗さんは何か約束事のようなものをしていた気がするなあと考えていた。

「はい。今日のお昼から、新作の試食会があるんです」

「あーっ! そう言えば、新作ができたんだよねぇ」

「新作……ですか?」

「どういうことだ? 佳乃……」

「えっとねぇ、早苗さんの新作パンのことだよぉ」

早苗さんの「新作」という言葉を聞いて、佳乃ちゃんはぱっと明るい表情を、栞ちゃんは興味ありげな表情を、往人さんは不思議そうな表情を、そして……

「……………………」

香里さんは、ちょっと気まずそうな表情を浮かべていた。佳乃ちゃんや栞ちゃんの表情がどういう意味かはすぐに分かったけれども、香里さんの表情の意味だけはちょっと分からなかった。早苗さんの新作パンに、何か悪い思い出でもあるんだろうか。

「三時ごろから始めたいと思っているので、ぜひ来てくださいっ」

「もちろんだよぉ! 往人さん、一緒に行こうよぉ」

「試食会か……ま、することもないし、俺も行くことにするか」

「栞ちゃんと美坂さんはどうするのかなぁ?」

「えっと……すいません。ちょっと、家のこととかをしないといけないので……」

「ごめんなさいね。私……ほら、風邪引いちゃってるから」

申し訳なさそうな表情を浮かべる栞ちゃんと、苦笑いを浮かべて佳乃ちゃんを見やる香里さん。僕はそんな香里さんの様子を見ながら、ああ、やっぱり何かあるんだ、という気持ちになった。香里さんは早苗さんの新作パンに、いったいどんな思い出があるんだろう?

と、僕が佳乃ちゃんの足元に立って考え事をしていた時のことだった。

「……あれ? 古河さん、そのポスター、どうしたんですか?」

「えっと……これですか?」

佳乃ちゃんの前に立っていた栞ちゃんが、古河さんの手の中にある丸められたポスターに気がついた。早苗さんは少し物憂げな表情を浮かべて、栞ちゃんに言葉を返した。

「……美坂さんは、夏祭りのポスターが破られる事件のことは、ご存知ですか?」

「えっ?! どういうことですか?」

「はい……実は最近、街の掲示板に貼られた夏祭りのポスターを破っていく人がいるみたいで、その張り替え作業の途中だったんです」

「うぬぬ~。また起きちゃったんだねぇ。いやな話だよぉ」

「また……ってことは、前にもあったの?」

香里さんの疑問に、佳乃ちゃんは大きく首を縦に振って頷く。

「そうなんだよぉ。前にもポスターがめちゃくちゃにされててねぇ、早苗さんが張り替えてくれたんだぁ」

「なんだか怖い話です。犯人が誰かとかは、まだ分かってないんですか?」

「はい。ただ、犯人は鋏を使ってポスターを破っているみたいなんです」

「鋏……ですか?」

「はい。以前、別の方にお話をお聞きしたときに、掲示板に鋏が深々と突き刺さっていたことがあったそうなんです」

「……………………」

早苗さんの言葉を聞いて、栞ちゃんと香里さんが不安そうに顔を見合わせた。街の掲示板のポスターが破られて、挙句、掲示板に鋏が深々と突き刺さっていたなどという物騒な話を聞けば、不安になるのも当然のことだろう。

「今は何人かの方に交代で見回ってもらってるんですが……最近、破られる回数が増えてきているんです」

「……物騒な話ね。気をつけるに越したことはないわ」

「そうだな。夜に出歩いたりするのは避けたほうがいい」

「ところで、霧島さん。奥にいる黒服の方はどなたですか?」

早苗さんが佳乃ちゃんの奥にいる往人さんの存在に気づいて、佳乃ちゃんに問いかけた。

「この人は国崎往人さんだよぉ。昨日からここで住み込みで働いてくれてるんだぁ」

「そうなんですかっ。初めまして。古河早苗と申します」

「こちらこそ。話を聞いてる限りだと、パン屋をやってるみたいだな」

「はいっ。いつでも焼きたてのパンを揃えて待ってますから、ぜひいらしてくださいね」

「ああ。今日早速出向かせてもらうつもりだ」

そう言うと往人さんはもう一度帽子を深くかぶりなおし、改めて早苗さんを見やった。

「ところで……」

「ん? どうした?」

不意に早苗さんが口を開いて、なにやらうれしそうな表情をして往人さんへと目を向けた。

「国崎さん。演劇に興味はありませんか?」

「演劇……? 別に嫌いじゃないが……それがどうかしたのか?」

「いえ、聞いてみただけです。どうもありがとうございますっ」

「あははっ。早苗さん、古河さんにそっくりだねぇ」

「そっくりも何も、早苗さんと渚は親子じゃないの」

佳乃ちゃんに言葉に苦笑いを浮かべて突っ込む香里さん。きっと僕の知らないところでも、日々こんなやり取りが繰り広げられているのだろう。

「あら、もうこんな時間に……それでは、私はお店に戻ります」

「それなら、あたし達もそろそろ帰るわ。診察も終わったことだし」

「うんうん。気をつけてねぇ」

早苗さんの言葉を皮切りに、美坂さんと栞ちゃんも診療所を後にしようとする。すると、ちょうどその時。

「おや? 帰るのかな?」

「ええ。時間もちょうどいいし」

「ふむ、分かった。ではお大事に。くれぐれも無理はしないように」

「ええ。肝に銘じておくわ」

聖さんが出てきて、香里さんに薬を手渡した。

「さ、栞。行きましょ」

「はい。霧島さん、どうもありがとうございました」

「どういたしましてぇ! それじゃあ、また明日ねぇ」

「はいっ」

最後に栞ちゃんの元気のいい挨拶が聞こえて、三人は診療所から出て行った。

「お姉ちゃん。美坂さん、すぐに元気になるかなぁ?」

「ああ。ただの軽い風邪だ。ただ、少々治りが遅いから、薬を処方しておいた」

「今年の患者はそんなに多いのか?」

「うむ。今まででもすでに両手両足に余るくらいの人間がここを訪れている。それも、この一週間……いや、もっと正確に言うなら、この三日くらいの間にだ」

「えぇ~っ?! そんなに来てたのぉ?」

「ああ。幸いみな症状は軽いが、このペースは前例にない。佳乃も気をつけるんだぞ」

「はぁ~い」

佳乃ちゃんは間延びした声で返事をして、ゆっくりと手を上へと伸ばした。

「……さて。そろそろ昼食の時間だな。佳乃。悪いが手伝ってくれ」

「了承ぉ!」

そろそろお昼にするみたいだ。聖さんが佳乃ちゃんを連れて、台所へと引っ込もうとする。

「で、俺はどうすればいいんだ?」

「ふむ。何もせずにそこに突っ立ってもらうのも資源の無駄遣いだな。この辺りを掃除しておいてくれ」

「……資源って……」

「ふっ。男子厨房に入るべからず、と言うしな」

「それはお前の弟に言うべき台詞だろ!」

「あーっ! お姉ちゃん、またぼくのこと女の子みたいに言ってぇ! もうやめてって言ったよぉ」

「気にするな。それだけ、佳乃が可愛いということだ」

「そんなこと言われても、ぼく全然うれしくないよぉ……」

かくんと頭をたれる往人さんをよそに、聖さんは不満げな表情の佳乃ちゃんと共に、診療所の奥の台所へと入っていった。

「……やれやれ。納得したわけじゃないが、聖の言い分ももっともかもな……」

往人さんは首を振って、部屋の片隅に置かれていたモップを手に取った。僕は往人さんの邪魔をしちゃわないように、ソファの上に乗って待つことにした。

「俺はともかく、佳乃は一目見ただけじゃ女の子にしか見えないだろうな……お前はどうだ? ポテト」

「ぴこっ」

僕は往人さんの言葉に、小さく頷いて返した。僕は佳乃ちゃんのことをちゃんと男の子だって分かってるけど、それでも時々、本当に男の子なのかどうか分からなくなることがある。それだけ、佳乃ちゃんは女の子っぽいってことだ。

「そうか……やっぱり、お前もそう思うのか」

「ぴこぴこー」

「そうだな。あいつは俺が見てきた人間の中でも、一番女の子っぽい男の子だ」

往人さんはモップをかけながら、時折僕のほうを向いて、いろいろと話しかけてくれる。

「……しかし、だ」

「ぴこ?」

「そんな佳乃のことを好きな子が、まさか二人も三人もいるとはな……」

「……………………」

僕は往人さんの言葉を聞いて、その「二人も三人も」の内訳を思い返してみた。

真っ先に挙げられるのは、観鈴ちゃんだ。この前佳乃ちゃんと二人きりになったときの観鈴ちゃんは、明らかに佳乃ちゃんのことを強く意識していた。朝の散歩のときもそうだった。観鈴ちゃんは間違いなく、佳乃ちゃんのことが好きなんだろう。

その次もすぐに分かった。遠野さんだ。はっきりと口では言っていないけれども、佳乃ちゃんのことが相当気になっているのは間違いない。みちるちゃんの態度が何よりの証拠だ。きっとみちるちゃんは、遠野さんの気持ちを理解しているのだろう。

……そして。

「聖は二人だと言っていたが……あの分だと、恐らくあの子は勘定外だったんだろう」

「……………………」

「……美坂栞、だったか……」

往人さんが最後に挙げた名前は、栞ちゃんだった。僕は少し前の光景を思い返してみて、それが間違っていないことに気づいた。

「……………………」

それとなく佳乃ちゃんの隣に座って、本当に楽しそうにおしゃべりをしていた栞ちゃん。佳乃ちゃんがそれとなく言った髪の毛のことでも、ずいぶん喜んでいたようにも見える。そうするとやはり、栞ちゃんも佳乃ちゃんのことが……

「厄介なのは、あいつがそういうことにまったく気づいてないことだよな」

「……ぴっこり」

「修羅場になるようなことがなきゃいいんだがな……」

苦笑いを浮かべて掃除を続ける往人さんを、僕はただ静かに見守ることしかできなかった。

それから、またしばらくして。

「それにしても、あの感覚はなんだったんだ?」

「……?」

「探し物をしてる……なんて言ってたがそれにしては妙だったな……」

往人さんが言っているのは……きっと、朝に出くわしたあのお姉さんのことだろう。あの時、僕は特に何も感じなかったけれど、どうやら往人さんはそうではないらしい。

「……ま、気にしてもしょうがない。そのうち、また会う機会もあるだろ」

「ぴっこり」

そう言うと往人さんは、再びモップがけを始めた。

「……………………」

「……………………」

大体、二十分くらいそうしてモップがけをした後のこと。

「往人君っ! お昼ご飯、できたよぉ」

「ああ。今行く」

佳乃ちゃんに呼ばれて、往人さんは台所へと足を向けた。

……その時だった。

「……………………?」

 

その手首に、痣のような傷跡が見えた気がした。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。