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第七十二話「Tidal Ringing」

「……さて。どこに行ったものかな」

「ぴこぴこ」

僕と往人さんは二人(僕は「人」単位で数えていいのかどうか、ちょっと分からなかったけれど)揃って、人通りの少ない商店街を歩いていた。夏の日差しは今日も強く照り付けて、僕の先では陽炎がもうもうと上がっている。

「それにしても暑いな、ここは……」

「……ぴっこり」

そんなことを言いながら、僕と往人さんが歩いていく。

 

「悪いが、ちょっと出かけてくる」

往人さんはお昼を済ませた後、佳乃ちゃんと聖さんに断って、外へ出かけると言い出した。

「ふむ。それは構わないが、どこへ行くつもりだ?」

「出稼ぎだ。そう遠くに行くつもりはない」

「そっかぁ。往人君、人形劇しなきゃいけないんだよねぇ」

「ああ。悪いが、一人で行かせてくれ。約束の時間までには戻る」

「了承だよぉ。三十分前にはここに戻ってきてねぇ」

佳乃ちゃんはひらひらと手を振って、往人さんを見送る体勢に入った。それを見た往人さんが、特に表情を変えないまま、その場からすっと立ち上がった。

「……………………」

そうして台所を出た後、ソファで横になっていた僕を見つけて、おもむろに声をかけてきた。

「……お前はどうする?」

「ぴこ?」

「もしヒマなら、ついてきてもいいぞ」

「ぴこぴっこ!」

僕は元気よく返事をして、ソファからぴょんと飛び降りた。そのまま往人さんの後ろについて、遅れないように歩いていく。僕は往人さんに声をかけられたことと、往人さんの人形劇をまた見ることができるという二つのことで、いつになくうきうきとした気持ちになった。

「ずいぶんと楽しそうだな」

「ぴこぴこっ」

「俺も、お前とは気が合いそうだ」

そんなことを話しながら、僕と往人さんは診療所の外へ出た。

 

そうして僕たちは今、日差しの照りつける商店街を歩いているというわけだ。

「……………………」

「……………………」

僕らはそうやって、しばらく無言で歩いていたのだけれど、

「なあ、どこか人の集まる場所を知らないか?」

不意に、往人さんが僕に声をかけてきた。

「……ぴこー」

僕はこの街で、人の集まりそうな場所を思い返してみた。

まず、神社や学校にはあまり人はいないだろう。神社は場所が悪いし、学校は夏休みで、登校している生徒は少ない。次に外れそうなのが、今はもう使われていない町外れの廃駅だ。あそこには僕もあまり足を向けたことがないし、わざわざ廃駅に出向くような人はいないだろう。じゃあ、ものみの丘はどうだろう? いや、あそこもずいぶんと辺鄙な所にある。人形劇を見せに行くのには今ひとつ向いていない。

残っているのは、海沿いの道と川沿いの道だ。この二つの道はそれなりに人通りも多いし、往人さんのターゲットとする小さな子供が通りがかることも少なくない。佳乃ちゃんと一緒に散歩をしている時にもよく見かけるから、これは間違いないだろう。

そしてどちらかと言うなら、川沿いの道の方が、心なしか人通りが多い気がする。少しの差かも知れないけど、「どっちが多いと感じる?」と聞かれたら、僕は「川沿いの道」と答えるだろう。それくらいの差だ。

「ぴこぴこぴこ」

「……なるほど。川沿いの道か」

「ぴっこり」

「よし。今日はそっちに足を伸ばしてみるか」

僕の考えていることが伝わったみたいで、往人さんが深くうなづきながら言った。

 

「この辺りにするか」

「ぴっこー」

川沿いの道までやってきて、往人さんがおもむろに腰を下ろした。今のところ、辺りに人の姿はない。僕も往人さんの隣に座って、誰かがここを通りがかるのを待つことにした。

「……さて」

往人さんはそう言うとポケットから人形を取り出し、すっと地面に置いた。そのまましばらく人形を掴んだまま、目を閉じて意識を集中させる。けれども、それも本当に少しの間。往人さんはすぐに目を開け、人形から手を離す。手から離れた人形は、まるで新しい命が吹き込まれたかのように、周りをてくてくと歩き始めた。

「ぴこー……」

僕はひとりでに歩く人形の姿に、すっかり目を奪われていた。今までに何度か往人さんの人形劇を見てきたけれども、何度見ても、それは決して飽きるものではなかった。ただ人形が周りを歩いている。それだけであっても、僕にはたまらなく魅力的なものに映った。そうしてひとりでに歩く人形なんて、見たこともなかったからだ。

「ずいぶんと気に入ったみたいだな」

「ぴっこり」

「俺から見れば、お前の方がよっぽど不思議に見えるんだがな……」

「ぴこ?」

そう言ってわずかに笑みを浮かべる往人さんを、僕は多分、不思議そうな表情で見つめたことだろう。往人さんから見て僕がどう不思議なのか、僕自身にはよく分からなかったからだ。僕はただちょっと毛が多くて、鳴き声が一風変わっているだけの、ごく普通の犬だと、自分では思っていた。佳乃ちゃんや往人さんは僕の考えていること、言っていることの意味が分かるみたいだったけど、佳乃ちゃんは僕とずっと一緒にいるから自然に分かるだけで、往人さんは往人さん自身の「力」によるものだろう。僕に特に何か変わったところがあるとか、そういう理由じゃないはずだ。

「佳乃とはもうずいぶんになるのか?」

「ぴこぴこっ」

「そうか……そんなお前にも分からない部分があるんじゃ、俺が分からないのも当然か」

そんな風にして、僕と往人さんが話していたときだった。

 

「あっ! 見て見てっ! あの人形劇の人、またいるよっ!」

「わ、待って待って」

 

向こうのほうから子供たちが数人、こっちに向かって駆けてきた。往人さんがそれに気づいて、きゅっと帽子を被りなおす。

「……手伝ってくれるか?」

「ぴこっ」

「よし。お前の思ったように動いてくれればいい」

アイコンタクトでお互いの意思を確認しあい、僕は往人さんの人形の隣に座った。

「さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」

「ぴこぴこーっ!」

「世にも不思議な人形劇、まもなく開演っ!」

………………

…………

……

 

「月面宙返りっ!」

「ぴこーっ!」

僕は往人さんの人形と一緒に、飛んだり跳ねたり走ったり、感情の赴くままに動き回った。

「すごいすごーいっ! 人形と犬さん、動きがばっちりだよっ!」

「……ぴったり」

子供たちは往人さんの人形劇に釘付けで、そこから片時も目を離そうとしない。僕は彼らに少しでも楽しい時間を過ごしてもらうべく、休むことなく動き続けた。それでも不思議と、僕は疲れを感じなかった。

「ねぇお兄ちゃん、この子、お兄ちゃんの犬?」

「ん? ああ。最近知り合ったんだ。なかなか可愛いだろ?」

「うんっ。わた飴みたいだね」

そんな会話を耳にしながら、僕はただ動き続けた。そうしているのが、たまらなく楽しかった。夏の日差しを体いっぱいに浴びて、往人さんの人形に合わせて空を舞う。僕は往人さんの人形と一つになったような、不思議な気分を味わっていた。

「わっ! また飛んだっ! ねえっ、今の見た?!」

「うん。すごく飛んだね」

子供たちは口々に人形劇の感想を述べ合いながら、それでもなお、人形から目を離すことはない。

「そらっ!」

「ぴこぴこっ!」

人形が飛ぶ。僕も飛ぶ。人形が舞う。僕も舞う。人形が踊る。僕も踊る。人形が走る。僕も走る。

「……………………」

夢のような時間だった。

 

「うわっ?! あんなところに投げたのまで?!」

「うそ……あれは絶対に無理だと思ったのに……」

人形劇が終わった後、往人さんがいつものように缶を取り出し、「ここにお金を入れると、魔法の人形が願い事をかなえてくれるよ」と言うや否や、一斉にたくさんの小銭が舞った。子供たちが小銭を放り投げると、それはまるで吸い寄せられるかのように、往人さんの手の中にある小さな缶へと入っていく……いや、それは傍目から見ていると、本当に吸い寄せているようにしか見えない。どんなに的外れな方向に投げられた小銭であっても、それは一つの例外もなく、すべて缶の中へと入っていった。

「ええいっ! 左舷っ! 弾幕薄いぞ! 何やってんの!」

「小銭は……いらねぇっ!」

子供たちはその光景が楽しくて仕方ないのか、あらん限りの小銭を宙に舞わせた。

「……………………」

それからしばらくして、満足した子供たちがぱらぱらと帰り始めた。往人さんは帰っていく子供たち一人一人に会釈を交わしながら、すっかり満杯になった缶を満足げに持っていた。

「面白かったね」

「うん」

「しおちゃんの人形も、あんな風に動かせたらいいのにね」

「うん。やってみたい」

最後に残った女の子二人がそんなことを言い合いながら、ゆっくりとその場を離れていった。

「……これで一段落だな」

「ぴっこり」

すっかり静かになった川沿いの道で、僕と往人さんが言葉を交わす。眼前をゆっくりと流れる川が奏でるせせらぎの音が、なんとも言えず涼やかだった。

「お前のおかげだぞ、ポテト。人形劇だけじゃ、ここまで盛り上がらなかった」

「ぴこ? ぴこぴこぴこ……」

不意に往人さんに言われて、僕はうれしいような気恥ずかしいような、ちょっと複雑な気持ちになった。僕はただ人形の動きに合わせて動いていただけで、本当にそこまで役に立ったのかどうか、自信が持てずにいたからだ。それでも、往人さんが「僕のおかげ」と言ってくれたことは、なんだかちょっと誇らしかった。

「お前とはもっと早く出会いたかったな……」

「ぴこー」

「……ま、しばらくは一緒にいることになる。また協力してくれるか?」

「ぴっこり!」

当然だった。往人さんの役に立てて、僕も楽しい気持ちになれるのなら、これほどうれしいことはない。

「そうか……しかし、お前、本当に俺や佳乃の言葉が分かるみたいだな」

「ぴこ……ぴこぴこ」

「何となくだが、お前が何を考えてるのか分かる俺も、お前と似たようなものかもな……」

「……ぴこ」

僕らはそうやってしばらく、何てことない言葉を交し合っていたのだけれど、

「さて、まだ時間はあるが、仕事は済ませた。一旦帰るとするか」

「ぴこぴこ」

いつまでもここにいる意味はなかったから、僕と往人さんは連れ立って帰ることにした……

……まさに、その時。

 

「ちょっと待ってもらおうか。貴方に二、三聞きたいことがあるんだ」

その動きを止めるような声が、不意に後ろから届いてきた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。