「……?」
「ぴこ……?」
後ろから呼び止められ、僕と往人さんがそろってその方向へと振り向く。
「誰だ?」
「この近くにある高校の生徒会に所属する、坂上という者だ」
僕らの目線の先に立っていたのは、見覚えのある女の子だった。坂上さんは往人さんの姿を認めると、こっちに向かってずんずんと歩み寄ってきた。往人さんは表情一つ変えず、迫りくる坂上さんにいつもの視線を向けていた。
「生徒会……か。俺に何か用か?」
「ああ。少々、聞きたいことがあってな」
坂上さんは往人さんのことをじっと見据えて、迷いのない口調で言い放った。往人さんは首をぐるりと回して、坂上さんが次に何を言い出すのか、そのまま待ちかまえた。
「最近この町にやってきた人形遣いというのは、貴方のことだな?」
「そうだな。俺以外にこの町で人形劇をやってるやつがいるなら、是非お目にかかってみたい」
「そうか。それで、この町にはいつ頃やってきた?」
「ここに来てからは、まだ一週間も経ってないが」
「ふむ。この町にやってきた目的は、旅費を稼ぐためなのか?」
「そうだな。それ以外に、一所にとどまる理由はない」
「なるほど……では、もう一つ聞かせてほしい」
「ああ。お前の気が済むまで聞いてくれ」
往人さんは坂上さんから浴びせられる質問に淡々と答えながら、自分に対して休むことなく次々に質問を投げかける坂上さんのことを、どこか興味ありげな面持ちで見つめていた。
「お前と……佳乃……という男の子が一緒にいたという話を聞いた」
「……………………」
「どういうことだ?」
「ああ。俺は今、そこの診療所で世話になってるんでな」
「……!」
その言葉を聞いた坂上さんが目を見開いて、大きく一歩前に踏み出した。そのままの勢いで、往人さんの腕をがしっと掴む。その表情には明らかに、往人さんへの強い敵意が滲み出ているように見えた。
「それは……どういうことだ!」
「大した理由なんかない。先生の方から、住み込みで働かないかと誘われたんだ」
「本当か? 嘘を吐いているなら……」
「嘘なんか吐いてどうなる。それに、俺に声をかけてきたのも、佳乃の方からだったんだ」
「……佳乃の方から?」
「ああ。海辺で休んでたら後ろから体当たりされて、そのままの勢いで相撲を取らされた挙句、一悶着あった末に診療所まで連れて行かれたんだ。気になるんだったら、本人に聞いてみた方が早い。もっと詳しく教えてくれるはずだ」
「……………………」
この言葉を聞いた坂上さんが、往人さんの腕を静かに放して、そのまま往人さんのことを見つめ返した。そして、ゆっくりと口を開く。
「本当……なのか?」
「ああ。こいつも見てたはずだ」
「ぴこぴこっ」
「……ポテト?! 一緒にいたのか……」
「ぴっこり」
僕は坂上さんの足下まで歩いて、その足に体をすりつけた。坂上さんはちょっとくすぐったそうにしながら、僕の頭を優しく撫でてくれた。
「そうか……それなら、間違いないな」
「分かるのか?」
「ああ。動物は嘘を吐かない。ポテトのような賢い子なら、尚更だ」
そう言った坂上さんの表情からは、すでに険は抜けきっていた。
「なるほど……その話は聞いたことがあったが、そこまで酷いとはな……」
「ああ。街の人が見つけ次第直してくれているようだが、それでも追いつかないのが実情なんだ」
川沿いの道を歩きながら、坂上さんと往人さんが話をしている。内容は、もうこれまでに何度も聞かされた、掲示板のポスターが誰かに切り裂かれる事件のことだ。
「ハサミが突き刺さってたこともあるんだろう? 川名って女の子から聞かされた」
「うむ。ポスターが切り裂かれ、ハサミが突き立てられる……今のところそのハサミが人に向けられたことは無いようだが、それも時間の問題だろう」
「そうだな……」
僕は二人の話を聞きながら、ポスターを切り裂いていく人が誰かを襲うようなことがあったら、どれほど恐ろしいだろうと思った。それはきっと、背筋も凍るような状況に違いな……
「……………………」
……背筋も……凍るような……
「……………………」
……この感覚は何だろう?
この……何か、思い出してはいけないものを間違って思い出してしまったような寒気のする感覚は、いったい何なんだろう……?
「……………………」
確か……僕は……夜の道で……
「……………………」
……僕の記憶は、そこでぷっつりと途絶えていた。最後に思い出すことができたのは、夜闇の漆黒を纏った、おぼろげな商店街の風景だけだった。そこから先のことは、どうやっても思い出すことができなかった。
まるで……その部分だけ、誰かにハサミで切り取られてしまったかのように。
「それで、最近この街にやってきた俺が疑われた、ってわけか」
「……ああ。貴方がここを訪れた時期と、事件が起き始めた期日が一致していたものだから、つい……」
「仕方ないことだ。俺だってはっきりと身の潔白を証明したいが、あいにくその手段が無い。何か犯人じゃないと証明できるようなことはあるか?」
「……いや。ポテトが貴方に懐いているという事実だけで、もう十分貴方は潔白だ」
「ぴこ?」
「……そうか。それなら、ありがたい」
往人さんは納得したように頷いていたけれど、僕はなぜ、坂上さんが僕の名前を出したのか分からなかった。僕は往人さんがそんなことをするはずがないし、実際にしていないことはよく知っているけれど、それを坂上さんが知る術は無いはずだ。
「しかし……この分だと、人を襲い始めるのも時間の問題だぞ」
「ああ。生徒会としても……いや、私個人の感情としても、一刻も早く犯人を見つけ出したい」
「頼もしいことだな。だが、相手は話の通じるヤツじゃない。用心はいくらしても足りないぞ」
「肝に銘じておこう。わざわざ済まないな」
「俺もずっと一人旅をしてきた身だ。それなりに、危ない橋も渡ってきてる」
さらりと言うと、往人さんは初めて、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。その笑みはどこかリラックスしたような、落ち着いた笑みに見えた。
「ところで……すまないが、名前を教えてくれないか?」
「俺か? 俺は国崎往人。『往く』人と書いて、『ゆきと』だ」
「国崎往人……か。いい名前だ。名は体を表すと言うが、そのいい例だな」
「確かにな。どこに向かって『往く』のかは、俺自身よく分かってないんだがな」
往人さんは笑って帽子を被り直すと、改めて坂上さんのことを見やった。
「ところで……坂上だったか」
「ああ。坂上智代。それが私の名前だ」
「そうか……ところで智代。他に何か気になる出来事はあるか?」
「……ああ。他にもいくつかある。ちょうど、その事についても話そうと思っていたところだ」
坂上さんはため息混じりに首を振ると、静かに話を始めた。
「生徒会の集まりで同級生から聞かされたことだが、海沿いの住宅街の塀に、何か鋭利な刃物で斬りつけたような痕が見つかった」
「……………………」
「別の友人から聞かされたこともある。町外れにあるものみの丘の洞窟が、何者かによって荒らされていたそうだ」
「……………………」
「下級生からの情報もある。地面を掘り返したような穴が、無数に見つかったという情報だ」
「……………………」
「……そして、これは最近聞いたばかりのことだが……」
坂上さんはそう言うと、深く深く息を吸い込んで、ゆっくりとゆっくりと、時間をかけて吐き出した。
「……見たこともないような人間が、多数この街をうろついているらしい」
「どういうことだ?」
「私にもよく分からない。ただ、昨日まで顔も見たことが無かったような人間が、この町に次々に現れているというんだ」
そう言う坂上さんの表情は、重く沈んだものだった。
「まったく、どういうことなのか……枕を高くして眠ることもおぼつかない」
「そうだな。その前に気になることが多すぎて、落ち着いて眠れんだろう」
「ああ。まったくその通りだ」
苦笑いを浮かべて、坂上さんが言った。
「一つ一つはそう大したことでもないんだが、これがいくつも重なると、どうにもな……」
「無理はしない方がいい。聖の世話になるようなことがあっちゃ、そっちの方が寿命が縮まる」
「ふっ……なかなか面白いことを言うな」
「この場にいたら、どうなってたか分からんな」
二人は笑い合いながら、川沿いの道を歩いていった。
「ところで……」
「どうした?」
不意に、坂上さんが口を開いた。往人さんは顔を横に向けて、坂上さんの言葉に耳を傾けた。
「佳乃のことを……どう思う?」
「……佳乃のこと?」
「ああ。同じ男として……あいつのことをどう思うのか、聞いてみたいんだ」
「……………………」
往人さんはどこか複雑な表情をしながら、答えを待ちわびている坂上さんからちょっとだけ目を離して、答えを考えているようだった。
「単刀直入に言うなら、女の子っぽいな」
「……………………」
「仕草や表情、それに顔つきも……初めて見たときは、女の子にしか見えなかった」
「そうか……やはり、そう思うんだな」
「お前はどうなんだ?」
往人さんに問い返されて、坂上さんがほんの少し、顔を俯けた。そして続けざまに、往人さんにこう答えを返した。
「……確かに、見かけはそうかも知れない」
「……………………」
「だが……私は知っているんだ」
「……………………」
「あいつが……佳乃が、私の知っているどんな男よりも、毅然としていて、頼りがいがあって……」
「……………………」
「……男らしい男、だということを……だ」
「……………………」
そうつぶやく坂上さんの表情を見た往人さんの表情は、さっきよりもさらに輪をかけて複雑そうなものに変化していた。坂上さんの言わんとするところを、はっきりと理解できていない。僕には、そう映って見えた。
「……気にしないでくれ。佳乃と一緒にいると聞いて、少し、言っておきたかっただけのことだ」
「それなら、別に気にしないが……」
「私らしくもないな……今の話は、きれいに忘れてくれ」
そう言うと、坂上さんは往人さんに笑顔を返して見せた。往人さんはそれを見ながらも、尚も複雑そうな表情を浮かべていた。
……と、その時。
「おっと……」
「どうした?」
「電話だ」
坂上さんがポケットから携帯電話を取り出して、畳まれていたそれを二つに開いた。
「もしもし……?」
「……………………」
「……本当なのか? それは……」
「……………………」
「……分かった。すぐにそっちに行く。そこで待っていてくれ」
手短に会話をすませると、坂上さんは電話を切った。
「すまない。他の者から連絡があって、そこに出向く必要が出た」
「分かった。何があったかは知らんが、気をつけてな」
「ああ。もちろんだ」
そう言うと坂上さんは、いてもたってもいられない様子で、そこから駆けていった。
「……………………」
その姿が見えなくなるまでには、わずかな時間しか要さなかった。
「……………………」
「……………………」
坂上さんがいなくなってから、小さな小さな声で、往人さんがつぶやいた。
「……四人だった、とはな……」
……そう、小さな声で。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。