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第七十四話「State of a wheel, Eternal Boys and Girls.」

「……………………」

「……………………」

僕と往人さんは診療所へと続く道を、黙ったまま歩き続けていた。ひっきりなしに聞こえてくる蝉時雨と、その合間合間を縫って規則正しいテンポで響く往人さんの足音だけが、僕の耳に入り込んでくる音楽だった。

往人さんは複雑な――なんというか、「理解に苦しむ」といったような――表情を浮かべたまま、歩くペースだけは崩さずに歩いている。僕は往人さんがそんな表情を浮かべている理由が、何となくだけど理解できた。

(……四人だった、とはな……)

四人。その言葉の意味するところは何か。これだけでは意味が分からなくても、少し前のこの言葉と組み合わせれば、自ずと意味が見えてくる。

(そんな佳乃のことを好きな子が、まさか二人も三人もいるとはな……)

この言葉を踏まえたうえで、「四人」という言葉を鑑みてみれば、どういうことを指し示しているか、分からない方が無理というものだ。往人さんは佳乃ちゃんに思いを寄せている子が四人もいることに、どうしても納得がいかないみたいだった。

「……まず、観鈴は確定だろうな。川口の態度で丸分かりだ。あの分だと、どうやら片思いに近いっぽいが……」

観鈴ちゃん。その名前が真っ先に出てきた。そして往人さんの読みはぴたりと的中している。観鈴ちゃんは間違いなく、佳乃ちゃんに恋をしている。

「それから……遠野だったか。間違いない。俺があいつに『佳乃の「友達」か?』と聞いた時、あいつは『はい』とは言わなかった。つまり、あいつは佳乃の『友達』という関係で見られるのを拒んでいる……これがどういうことかくらい、俺にだって分かる」

次に出てきたのは、遠野さんだった。往人さんはあの短い質問の中で、遠野さんの気持ちを見事に読み取っていた。あの質問にそんな意味を込めていたなんて、僕はまったく気がつかなかった。

「最近はああいうのが流行ってるのか?」

「ぴこ……」

「別に佳乃のことが嫌いって訳じゃないが……観鈴も、遠野も……」

「……………………」

「美坂って子も……それに、智代も……いったい、あいつの何にそんなに惹かれたんだ?」

その問いかけに、僕は答えることができなかった。観鈴ちゃんや栞ちゃんが佳乃ちゃんをそんなに好きな理由を、僕は知らなかったのだ。

「……わからんな」

ため息混じりにつぶやいて、往人さんは歩き続けた。

 

「……やれやれ。やっぱり、ここは涼しくていいな」

「ぴっこり」

診療所まで戻ってくると、往人さんは迷わずドアを開けて、開口一番そう言った。診療所の中はクーラーがよく効いていて、体中に溜まっていた暑気が、たちまち飛んでいくような感覚がした。

そうして入り口で暑気を飛ばしていると、奥の方から声が聞こえてきた。

「ふむ。喉が痛くて、昨日から微熱が続いている……そうですね?」

「ええ……なんだか調子が悪くて……」

「軽い夏風邪だとは思いますが、念のために薬を処方しておきましょう」

「はい。そうしてくださるとありがたいです」

聖さんと、誰か知らない人の声。二人の話の内容からして、聖さんの診察を受けに来ただろう。この分だと、また「風邪引きさん」が増えちゃったみたいだ。

「……邪魔しちゃまずいな。暇だし、佳乃の部屋にでも行ってみるか」

「ぴこっ」

僕と往人さんは静かに言葉を交し合って、ゆっくりとその場を後にした。

「名前は仁科……おっと、今は『南雲』さんだったかな」

「えっと……はい」

「申し訳ない。名前は間違えなくなったが、今度は苗字が怪しげだ。ちゃんと覚えておこう」

「どうもすみません。『りえ』と『えり』ですから、小さい頃から間違えられやすくて……」

そんな声が、聞こえてきた気がした。

 

二階へと続く階段を上り、佳乃ちゃんの部屋の前まで行く。部屋のドアは閉まっていたけれど、鍵がかかっている様子は無かった。僕自身、佳乃ちゃんが部屋に鍵をかけた記憶は一度も無い。

(コンコン)

往人さんが軽くノックをする。それから少しの間耳を澄ませて応答を待ってみたけれど、中にいるはずの佳乃ちゃんから返事は無かった。往人さんは二度三度とノックをしてみたけど、結果はいつも同じだった。

「佳乃、入るぞ」

これ以上ノックを繰り返しても意味が無いと判断したのか、往人さんが一言断って、佳乃ちゃんの部屋へと続くドアを開け放った。すると、そこには……

「……くー……」

「……寝てたんなら寝てるって言えよな……」

机に突っ伏して、気持ちよさそうに眠る佳乃ちゃんの姿があった。佳乃ちゃんのおでこの下敷きになったノート、開きっぱなしの教科書、握られたままのシャープペンシル。宿題をやっている途中に、夢の中に行っちゃったみたいだった。

「……すー……」

「しかし、寝顔まで女の子みたいだな……」

「……ん……」

「聖が弄りたくなる理由も、わかる気がするな……」

往人さんがそうして横から佳乃ちゃんのことについていろいろと口を出していると、

「う~ん……」

それが佳乃ちゃんの耳にも届いたのか、佳乃ちゃんがほんの少し頭をよじって、ゆっくりと首を上げた。程なくして、しっかりと閉じられていた佳乃ちゃんの目が、のっそいのっそいと開き始めた。

「……あれれぇ? ぼく、家に戻ってきちゃってるよぉ……」

「お目覚めか?」

「……あっ……!」

往人さんがいることに気づいた佳乃ちゃんが、さっと顔を横に向ける。往人さんと目を合わせた佳乃ちゃんの額には、下敷きにされていたノートのアトがくっきりと残っていた。

「うぬぬ~。往人君に寝込みを襲われちゃったよぉ」

「お前、『寝込みを襲う』の意味を思いっきり取り違えてるぞ」

「細かいことを気にしちゃ負けだよぉ」

「お前が大雑把すぎるんだ」

呆れたように言う往人さんを、佳乃ちゃんはどこか楽しそうに見つめていた。こうして見ていると、本当にどっちが男の子で、どっちが女の子なのか、いつも二人のそばにいる僕でさえ、はっきりしなくなってくる。

「宿題をやってる途中に眠くなったんだな」

「そうだよぉ。寝るのは気持ちいいよぉ。往人君も一緒に寝ようよぉ」

「……あのなぁ」

往人さんは頭を抱えながら、マイペースを貫く佳乃ちゃんに目を向ける。

「一緒にってなぁ……どういう意味で言ってるのか、分かってるのか?」

「大丈夫だよぉ。ぼくは往人さんのこと信用してるからねぇ」

「お前も姉と同類かっ!」

目をカッと見開いて、往人さんが突っ込みを入れた。当然だ。

「あははっ。もう、往人さん、本気にしすぎだよぉ」

「お前の場合は冗談と本気の区別が死ぬほど付けづらいから困るんだ」

佳乃ちゃんはさっと立ち上がって、往人さんの隣に立った。

「そろそろいい時間だよぉ」

「ああ。行くか」

「うんうん。それじゃ、でっぱつしんこう~!」

元気のいいかけ声と共に、佳乃ちゃんと往人さんが部屋を出て歩き始めた。階段を下りて、診察室の前を通り過ぎようとする。

「……佳乃。今は診察中だから、静かにしとくんだぞ」

「分かってるよぉ」

佳乃ちゃんは「当然分かってる」とでも言いたげな表情で、静かに待合室を抜けていった。それに続いて往人さんも、そそくさとその場を後にする。

……と。

「ね? 状況が一致してるでしょう?! このままだと私、大変なことになっちゃうんですっ!」

「と、とりあえず落ち着いて……要は、時間さえきちんと守ればよいわけでしょう? 大体、そんなものを持っていれば、銃刀法違反で普通に捕まりますから……」

「でも……聖先生っ。もし私に何かあったら、りえのこと、お願いしますっ!」

「そ、そう言われてもですね……」

診察室の中の声は、待合室にまで響いてきていた。どうやらまだ何か話しているようだ。

「なんだか大変そうだねぇ。衝撃のオープニングだもんねぇ」

佳乃ちゃんはそろってさらりと流してしまうと、そのまま診療所の外へ出た。

「……何なんだ? 一体……」

「ぴこぴこ……」

僕と往人さんは何がなんだか訳が分からずに、お互いに顔を見合わせるしかなかった。

 

外に出て、本当にすぐのことだった。

「あーっ! 長森さんっ!」

「あっ、霧島君。こんにちはだよ」

道をのんびりとしたペースで歩いていた長森さんと出くわした。佳乃ちゃんはすぐに声をかけて、長森さんもそれに応じる。

「長森さん、これからお出かけかなぁ?」

「うん。古河さんに誘われて、新作の試食会に行く途中だよ」

「お前もなのか?」

「……えっ?」

不意に往人さんから声をかけられて、長森さんが呆気にとられた表情でその方向を見つめ返す。往人さんは一歩前に出ると、長森さんの顔をそれとなく見つめ始めた。

「えっと……どこかで会った気がするんだけど……」

「堤防じゃないのか?」

「……あっ! そういえば、確か私が観鈴ちゃんと一緒にいたときに、堤防でお昼寝してた人だよね」

「ああ。国崎往人っていうんだ。少し前から佳乃のところで世話になってる」

「そうなんだ……あ、私は長森瑞佳。霧島君の同級生だよ。よろしくね」

「こちらこそ」

二人は手短に挨拶をすませてしまうと、そのまま揃って佳乃ちゃんに目を向けた。

「ところでさっき『お前もなのか』って言ってたけど、もしかして、霧島君と国崎さんも?」

「うんうん。早苗さん直々のお誘いだよぉ」

「奇遇だよ~。それなら、揃って行った方がいいと思うよ」

「ま、同じところに行くんだ。目的地も分かってるんだし、その方が自然だろ」

「そうだよね。それじゃ、ご一緒させてもらうよ」

隊列に長森さんを加えて、一行は古河さんの家を目指して歩き始めた。

 

「そうなんだ……人形劇してるって噂、本当だったんだね」

「ああ。今も続けてるぞ。もっとも、聖から仕事を頼まれてないときに限られるがな」

往人さんは長森さんと話をしながら、いつもよりも幾分ペースを遅めて歩いている。それは、佳乃ちゃんも同じみたいだ。

「手を触れずに人形を動かしちゃうなんて、不思議だよ」

「人形だけじゃないぞ。形あるものなら、何だって動かせる」

「う~ん……ますます不思議だよ。今度、実際に見せてもらえないかな?」

「いいぞ。適当にやってるから、適当に見ていってくれ」

「楽しみにしてるよっ」

長森さんは楽しげな表情を浮かべて、隣を歩く往人さんを見やった。

「長森さぁん。折原君とちょっとごぶさたさんなんだけど、元気にしてるかなぁ?」

「浩平?」

佳乃ちゃんに言われて、長森さんがそちらに目を向けた。そして、途端に疲れたような表情を浮かべると、佳乃ちゃんにこう告げた。

「浩平なら、もう悪い意味で元気すぎて困るくらいだよ……」

「どんな感じにしてるのかなぁ?」

「浩平ったら、夏休みに入ったからって、毎日お昼過ぎまで寝てるんだよ」

「いくらなんでも、毎日そんな時間まで寝るのは無理だろ……」

往人さんの突っ込みに、長森さんは首を振って返す。どうやら、本当のことらしい。

「ホントだよ~。しょうがないから、夏休みだけど起こしに行ってるんだよ」

「……マジか」

「それだけじゃないんだよ。起きたと思ったら、いきなり『猫耳をつけてくれ』なんて電話してきたりとか……」

「……………………」

「珍しく早く起きたと思ったら、朝から街を全力疾走して、そのままの勢いで電話かけてきたりとか……」

「……………………」

「びっくりしたよ~。受話器とったら、いきなりはぁはぁって息せき切ってるんだもん……変質者かと思っちゃったよ」

変質者かと思ったと長森さんは言っているけど、それで正解だと思う。

「この前なんか『膝枕は飽たから、今度肘枕をしてくれ』なんて言ってきたんだよ」

「そもそも、飽きるほど膝枕をされた経験があるのか……」

「しょうがないから、肘枕の代わりに肘鉄を食らわせておいたよ」

やっぱり、それで正解だと思う。

「はぁ~あ……毎日あんな調子じゃ、苦労してるに違いないよ……」

「あははっ。でも、おもしろそうだよぉ」

そんなことを言い合いながら……

 

……僕たちは、目的地に向かって歩き続けた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。