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第七十五話「Burning down the Ice cream」

「とうつき~」

「えっと……確か……」

「到着、だ」

商店街を歩き続けて二十分くらい経った後、僕らは目的地である古河さんの家までたどり着いた。家というか、実際にはパン屋さんと言った方が正しい。

「お客さん、いないみたいだねぇ」

「そうだね……とりあえず、入ってみようよ」

「ああ。そろそろ時間だ」

三人は手短に言葉を交わしあうと、ガラスのドアを開けてお店の中に足を踏み入れた。それに遅れちゃわないように、僕もさっとその身を中へと滑り込ませる。

「ぴこぴこ……」

お店の中には、様々な形をしたパンがでこぼこに並べられていた。並びがでこぼこしているのは、誰かがそれを買っていったからに他ならない。パンのにおいがお店の中に満ちていて、そこはかとなく食欲をそそられる。僕が人間だったら間違いなく、この雰囲気だけでパンを一つ買っちゃうだろう。

僕がそんなことを考えながら、お店の中をぐるりぐるりと見回しているときのことだった。

「あっ、皆さん。こんにちは」

お店の奥から、いつもの格好の古河さんが姿を現した。

「こんにちはだよ。時間、合ってるよね?」

「はい。ちょうど、今から始めようと思っていたところです」

「俺たち以外に来てるのはいないのか?」

往人さんがそう問いかけたとき、その後ろ側からあたかも往人さんに呼応するかのように、いくつかの声が聞こえてきた。そこに立っていたのは……

「ここにいるよ。往人ちゃん」

昨日診療所で素麺五袋を(ほぼ)一人で完食した驚異の消化器官を持つ佳乃ちゃんの先輩、川名さん。きっと早苗さんに誘われて、一も二もなく参加したんだろうと、僕は自信を持って確信した。川名さんならきっと、ここのパンを一人で食べることだって不可能じゃないはずだ。

「にはは。二回目だね、霧島くんと往人さん」

朝一緒に捜し物をしてくれた観鈴ちゃんの姿も、同じくそこにあった。そらは疲れちゃったのか、肩の上には乗っていない。というか、この場に姿を見せていない。たぶん、家で寝ているんだろう。今日はいい夢を見てくれていることを、僕は願った。

「待ちくたびれたぞ、霧島」

天体観測会の時に古河さんとずっと一緒にいた、岡崎君の姿もあった。これで今お店の中にいるのは、古河さんまで含めると七人。かなりの数だ。

「これで全員かなぁ?」

「はい。知っている限りでは、これで全員です」

「ずいぶん賑やかになったね。今から楽しみだよ」

「あんたのことは早苗さんから聞いたぞ。確か、人形劇を見せて回ってるんだってな」

「その通りだ。さりげなく周囲に広めておいてくれ」

「そんなことしなくても、もうみんな知ってるよ。人形遣いさんがこの町に来てる、って」

「わ、ポテトも来てたんだ。なでてもいいかな?」

「ぴこっ」

僕は観鈴ちゃんに撫でられながら、ああ、なんだか久しぶりに撫でられたような気がするなぁと、その気持ちよさに浸っていた。観鈴ちゃんの手は優しくて、その手が僕の毛に触れるたびに走るわずかなくすぐったさが、たまらなく心地よかった。

……と。

「もしかして、ポテト君もいるのかな?」

「ぴっこり」

「あっ、本当だよ。私も触らせてもらうよ」

「ぴ、ぴこ?」

「渚、お前も行ってきたらどうだ?」

「えと……はい。見てたら、私もなでなでしたくなってきましたっ」

「ぴこぴこぴこ……」

気がつくと、僕は四人の女の子から、一斉に体を撫でられていることに気づいた。

「かわいいよね」

「うん。かわいいよ」

「うんうん。かわいいかわいい」

「はいっ。ふわふわのもこもこです」

「ぴこ、ぴこぴこぴこっ、ぴこぴこっ」

「あははっ。ポテトったら、すっごくうれしそうだよぉ」

「……なあ佳乃。あれ、微妙に嫌がってないか……?」

僕は四人の女の子の手によってもしゃもしゃにされて、なんだか訳が分からなくなってしまっていた。ただ一つ分かるのは、僕の毛はたぶん、半分くらいアフロになっているであろうことくらいだった。

「アフロ犬……だよな」

「……ああ。アフロ犬……だな」

往人さんと岡崎君の口から出てきたのは、とても率直な感想だった。

………………

…………

……

 

……そんなことがあって、しばらくした後のこと。

「ところで、早苗さんはどうしたんだ?」

「そう言えば、まだ来てないみたいだね。焼き上がりが遅いのかな?」

「古河さん、どうしてかな?」

「えっと……」

古河さんが観鈴ちゃんに問われて返事をしようとした、まさに、ちょうどその時。

「お待たせしましたっ」

「早苗さぁん! お待ちかねだよぉ」

「これが……その新作なのか?」

「はいっ。たった今焼き上がったばかりの、正真正銘できたてほやほやのパンですっ」

バスケットにたくさんのパンを詰めて、古河さんのお母さん・早苗さんがついに姿を現した。みんなの視線が、一斉にそのバスケットの中のパンへと注がれる。

「どんな感じかな?」

「えっと……見た感じは、ちょっと大きめの丸いパンみたいだよ」

「中に何か入ってるのかな……?」

「ふふふ。食べてみてのお楽しみですっ」

早苗さんはにっこり笑って、パンの入ったバスケットを差し出した。

「それじゃあ、一ついただいちゃうよぉ」

「にはは。私ももらうね」

「はい、川名先輩。大きいのを選んだつもりだよ」

「本当? ありがとう」

「とりあえず、俺ももらうとするか……」

「……微妙に冷たいな。このパン……」

古河さん以外の全員が一つずつパンをとって、食べる準備を始めた。緊張の一瞬。これでこのパンが古河パンの店頭に並ぶかどうか決まるわけだから、実は結構大変なことなのだ。

「さあ、召し上がってくださいなっ」

早苗さんに勧められて、みんなが一斉にパンに口を付ける。そのまま……佳乃ちゃんは大きめに、観鈴ちゃんはごく小さめに、川名さんは佳乃ちゃんよりも大きく、長森さんは普通くらい、往人さんは川名さんよりも少し小さいくらい、岡崎君は佳乃ちゃんと同じくらいパンをかじって、そのまま口を閉じた。

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

めいめいのペースで咀嚼して、パンを喉へと通していく。早苗さんと古河さんはそれを固唾をのんで見守りながら、みんなが感想を口にするのを待ち続けているようだった。

「……………………」

……そして。

「うん。これは絶対に売れるよ。夏にぴったりだと思うよ」

真っ先に声を上げたのは、川名さんだった。川名さんいわく「夏にぴったり」のパンらしい。ということは、中身が冷たかったり、あるいはパンそのものが冷たかったりするのだろうか。

「うんうん。すごく夏らしいよぉ。売り上げアップは間違いなしだねぇ」

それに太鼓判を押す形で、佳乃ちゃんが応えた。売り上げアップは間違いなしというくらいだから、よほど自信があるんだろう。

「にはは。これ、すっごくおいしい。古河さん、ナイスアイデア」

観鈴ちゃんも気に入ったみたいだ。この分だと、このパンは間違いなく売れるだろう。きっと残りの三人も、同じような評価をしてくれるはず。僕は、そう思いこんでいた。

……ところが。

「え、えっと……い、一風変わった組み合わせだと思うよっ」

長森さんから出た言葉は、明らかに遠回しに「これはちょっとまずいんじゃないか」とでも言いたげなものだった。ここに来て一転、評価が分かれ始めた。

「……渚。これ、お前は食べたのか……?」

岡崎君も難しい顔をして、それとなく古河さんに問いただした。古河さんは申し訳なさそうな顔をして、返事をしようとはしなかった。

……そして、最後に残ったあの人の、この一言。

 

「……シューアイス……か……?」

 

往人さんは半ば硬直しながら、半分くらいかじられたシューアイス……ではなくパンを口に当てたまま、ぼそぼそと言った。その言葉を聞いた岡崎君が、静かに頷くのが見えた。

「どうでしたかっ?」

「いや……奇抜というか、なんというか……」

笑顔で問いかけてくる早苗さんに、往人さんは明らかに答えに詰まっていた。

「……いくらなんでも、バニラアイスがそのまま入ってるとは思わなかったぞ……」

「アイスのてんぷらを参考にしたんですよっ」

往人さんの言葉が、早苗さんが開発したパンのすべてを雄弁に物語っていた。ものすごく簡単に言うなら、早苗さんはパンの中にバニラアイスを入れて焼き上げたみたいだ。どこをどうすればそんな発想が浮かんでくるのか、僕には皆目見当も付かない。

「うぬぬ~。栞ちゃんも来ればよかったのにねぇ」

明らかにそういう問題じゃないだろうと、僕は思った。

「パンの中に入れたアイスが溶けないようにするために、あらかじめパンを冷やしておきましたっ」

「……通りで触ったときに冷たかった訳だ……」

「でも、夏にはぴったりだと思うな」

「うん。私もそう思う」

「で、でも……これ、店先に置いてたら、溶けてきちゃうんじゃないかな……?」

「……!」

長森さんの言葉に、周囲が一斉に凍りついた。そうだ。アイスを中に入れたパンを常温で放置なんてしてたら、中のアイスが溶け出すのは時間の問題だ。中のアイスが溶けて出てきたパンなんて、売れるほうがおかしい。

「……そ、そういえば……」

「うーん……そこまでは考えて無かったよ……」

「うぬぬ~。致命的な欠陥だねぇ」

「……………………」

そして、黙りこくっていた往人さんが、トドメの一言を口にした。

「……素直にシューアイスを置いたほうがいいんじゃないのか?」

往人さんの情け容赦の無い言葉を聞いた、アイスパン(仮)の開発者である早苗さんの反応はと言うと……

「……私の……私のパンはっ……」

「はわわっ、お母さんっ」

 

「シューアイス未満の代物だったんですねーっ」

 

その言葉を最後に、泣きながらお店の外へとダッシュして行った。本当にあっという間の出来事で、誰一人として、それを止めることはできなかった。

「……ちょっと言い過ぎたか?」

「いや……あれ、割と普通の反応なんだ」

「ふぬぬ~。はなえはん、はいへはおぉ(約:うぬぬ~。早苗さん、泣いてたよぉ)」

「霧島君、ちゃんと食べてから話さないとダメだよ」

「おいしいと思うんだけどね」

「うん。観鈴ちんもおいしいと思う」

「……えっと、どうしたらいいんでしょうか……」

こうして、古河パンでの試食会は、唐突に終わりを告げるのであった。

 

微妙な空気だけを、僕らに残して……

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。