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第七十六話「in Legacy,the Symbolic Dream.」

「ちょっと狭いですけど、ゆっくりしていってください」

「うん。上がらせてもらうよ」

「うんうん。ほゃまひまぁふ(訳:うんうん。お邪魔しまぁす)」

「だから、食ってからしゃべれって」

試食会が終わった後、僕らは古河さんの家の和室に上がって休むことにした。和室にぞろぞろと人が入り込んで、あっという間に満員になる。古河さんも入れて七人もいるから、誰かも言っていたけどずいぶんとにぎやかだ。

「どこに座ればいいんだ?」

「えと、どこでもいいです。好きな場所に座ってください」

「じゃあ、私はここに座らせてもらうよ」

「隣、座ってもいい?」

めいめい座る場所を決めて、談笑しながら席に着く。僕は佳乃ちゃんの隣にずずいと身を押し込んで、その場所を確保した。僕の隣には長森さんが座っていて、佳乃ちゃんの隣には川名さんが座っている。観鈴ちゃんはその隣だ。

「早苗さん、走って行っちゃったけど……大丈夫かな?」

「はい。しばらくしたら、ちゃんと戻ってきます……たぶん」

「うーん。私はおいしいと思ったんだけどな、アイスパン」

「でも……やっぱり、溶けちゃったらまずいと思うよ」

しばらくもしないうちに、みんなが雑談を始めた。話題はさっきの試食会のことだ。僕は結局あのパンを食べずじまいだったけど、多分、それでよかったんだと思う。

「しかし、パンの中にアイスを入れるなんて、よほどのことがなきゃ思いつかないぞ」

「早苗さん自身は、アイスの天ぷらから思いついたって言ってたが……」

「でも往人君、パンの中に穴子が入ってなくてよかったねぇ」

「……穴子? どうしてだ?」

「やだよぉ往人くぅん。穴子パンと往人君は、相性最悪なんだよぉ」

「……………………」

「佳乃ちゃんって、さりげなくネタの再利用に熱心だよね」

「もったいないからねぇ」

没になったネタを遠慮なく使う佳乃ちゃんに、往人さんは完全に言葉を失ったのか、ただ黙ってお茶を啜っていた。なんとなく、その気持ちもわかる気がする僕がいる。

「……………………」

 

それからは、二組に分かれての談笑が始まった。佳乃ちゃんがいるのは、観鈴ちゃん・長森さん・川名さんの三人がいるグループの方だ。残りの三人は残りの三人で、また別の話題でおしゃべりをしている。僕は右耳を往人さんのグループに、左耳を佳乃ちゃんのグループに向けて、両方の話を聞いて過ごすことにした。

「観鈴ちゃんも、おいしいって言ってたよね?」

「あっ、えっと……うん。アイスだから、きっと夏にぴったりだと思うの」

「そうだよね。観鈴ちゃんなら、絶対に分かってくれると思ってたよ」

「……………………」

川名さんは観鈴ちゃんと話している。それは構わないんだけれども、隣でそれを見ている長森さんの表情がちょっと複雑だ。その視線の先にあるのは……

「うん……にははっ」

観鈴ちゃん。僕も長森さんに倣って、観鈴ちゃんの様子を観察してみることにした。ひょっとすると、また何かおもしろいことが分かるかも知れないと思ったからだ。

「この前観鈴ちゃんが紹介してくれたジュース、すっごくおいしかったよ」

「えっ? あ、うん。あれ、わたしのおすすめ。また飲んでくれるとうれしいな」

観察を始めてすぐに、僕は観鈴ちゃんの様子が少しおかしいことに気づいた。どこか落ち着かない様子で、川名さんから話しかけられるたびに慌てて話を合わせているように見える。何か気になることがあるようにしか見えなかった。

「そら君、元気にしてる? また、舞ちゃんと一緒に遊びに行きたいんだけどな」

「……………………」

「……観鈴ちゃん?」

「えっ?! あ、ご、ごめんなさい……ちょっと、考え事しちゃってた……」

「どうしたの? 具合でも悪いのかな? 大丈夫?」

「う、うん……大丈夫」

この様子だと、どうやら僕の考えはあながち間違っていたわけでもなさそうだ。観鈴ちゃんは明らかに、川名さんとの会話に集中できていない。観鈴ちゃんの気持ちを逸らす何かが、この部屋の中にある。

……と、その時。

「えっと……霧島君とみさき先輩、ちょっと、席を替わってもらえないかな?」

「……?!」

僕と一緒に観鈴ちゃんの様子を観察していた長森さんが、不意にそんな提案をした。佳乃ちゃんとみさき先輩が揃って不思議そうな表情を浮かべて、唐突な提案をしてきた長森さんに目を向ける。

「ぼくとみさき先輩?」

「いいよ。でも、急にどうしたのかな?」

「え、えっと……ちょっと、みさき先輩に話したいことがあるんだよ」

「うんうん。それじゃあみさき先輩、入れ替えタイムだよぉ」

「うん。私がこっちに行けばいいんだね」

二人は座席を入れ替えると、そのまま再び座り込んだ。

「わっ?! 霧島くん……」

「観鈴ちゃん、どうしたのぉ? 熱でもあるのかなぁ?」

「う、ううんっ。平気平気っ。観鈴ちん、強い子だから。にははっ」

「そうだよねぇ。観鈴ちゃんは強い子だもんねぇ」

そうして、佳乃ちゃんと観鈴ちゃんが隣同士になる形になった。どこか上の空だった観鈴ちゃんの表情が、急にくっきりとしたものに変わるのを、僕は見逃さなかった。

「……瑞佳ちゃん。観鈴ちゃん、どうしちゃったのかな……?」

「えっと……先輩、ちょっと耳を貸してもらうよ」

「……?」

不思議そうな表情を浮かべる川名さんに、長森さんが耳打ちを始めた。何を話しているのかはっきりとは分からなかったけれども、大体の予想は僕にもついた。

「えっと……」

「うん。うんうん」

「観鈴ちゃんはね……」

「……そういうことだったんだね。納得がいったよ」

「うん。そういうことなんだよ」

そう。そういうことなのだ。

僕はここで一旦長森さん達から視線をはずして、もう片方のグループの会話に耳を傾けてみることにした。

「夢を見た?」

「はい。昨日、少し不思議な夢を見たんです」

こちらはうって変わって、古河さんが昨日見た夢の話をしていた。「夢」という単語に興味を引かれて、僕はそのまま話を聞き続けた。

「どんな夢かは憶えてるか?」

「えっと……おぼろげなんですけど、一応憶えてます」

古河さんは一度目を閉じて、ゆっくりと記憶を手繰り寄せるように、静かに話を始めた。

「どこか、広い草原のような場所に立っていたんです」

「草原のような場所……」

「はい。どこかもの悲しい場所で……何か、『終わってしまった』ような、そんな感じがしました」

僕は古河さんの言葉から、永遠に続く、終わりのない大平原を思い浮かべた。それは穏やかで美しい風景であったけれど……同時に、何もかもが終わりを告げていて、そこから何かが始まることはない、絶望さえ感じさせる風景だった。

「私はそこに立っていて、その風景を見つめていました」

「……………………」

「その世界には『光』があって、時折、草の間や岩の陰から空へと向かって飛び立っていくのが見えました」

「『光』? 『光』が飛び立つって、どういうことだ?」

「えっと……何というか、蛍のような、蒲公英のわたほうしのような……そんな感じでした」

古河さんの話を聞いて、往人さんは黙り込んで考え始めた。古河さんの紡いだ言葉から、古河さんの瞳が映し出した光景を思い描いているのだろうと、僕は考えた。

それからしばらく考えた後、往人さんは顔を上げて、古河さんと岡崎君に目をやった。

「……確かに不思議な夢だとは思う。しかし、それだけじゃ……」

「いや、実はもう一つ引っかかってることがあるんだ」

「引っかかってること?」

「ああ。渚からその夢の内容を聞いて……何故だか分からないが、聞き覚えのある内容だ、と真っ先に思ったんだ」

僕はだんだんと複雑になってくる話に、すっかり興味を引かれていた。古河さんが見た夢の内容に、岡崎君が聞き覚えがあると言っている。僕は元々「夢」とか「記憶」にまつわる話が好きだけど、他人の見た夢に聞き覚えがある、なんて話は聞いたことがない。

「……そいつは不思議だな。どこで聞いたかとかまでは覚えてないのか?」

「ああ……小さい頃に聞かされたか、あるいはまったく同じ内容の夢を見たかのどちらかだとは思うが……」

「そうか……」

往人さんにもそれが何を意味しているのかは分からなかったのか、帽子を深くかぶり直すと、頭を振って考え込み始めてしまった。

「ところで渚、お前、少し前にもこんな夢を見たって言ってなかったか?」

「あ、はい。でも、内容は違います」

「そうだったな。確か……人形が出てくるんだったか」

「そうです。『人形』と『女の子』が出てくる、短いお話でした」

古河さんと岡崎君は、古河さんの見た二つの「夢」について話している。

「それでだ。お前はその『人形』の方の夢に聞き覚えがあって……」

「朋也君は、『光』の方の夢に聞き覚えがあるんですよね」

「ああ。『人形』はさっぱりだが、『光』の方は何故だか聞き覚えがあるんだ」

「不思議です。一体、どういうことなんでしょうか……」

「さあな……俺にしても、ただ『聞き覚えがある』っていうくらいだからな……」

二人はそれだけ話すと、それ以上、古河さんの見た「夢」について言及することをしなかった。

それから、しばらくして。

「そう言えば、智代も誘ったんじゃなかったのか?」

「はい。でも、二時半頃に電話がかかってきて、急に用事が入ったから、今日は来れそうにないって言ってました」

「急用? 珍しいな……」

僕は二人の話を聞きながら、再び佳乃ちゃんの方へと視線を戻してみることにした。

「へぇー。観鈴ちゃんって、結構食通さんなんだねぇ」

「そ、そうかな……にははっ」

「うんうん。ぼくだったら、イチゴミルク味とストロベリーミルク味の違いは分からないよぉ」

「え゛……その二つ、違いあるんだ……」

「うん。ちょっと違うんだよ」

あえて言うなら、表現が違うくらいだろう。というか、ただ単に同じ味を名前だけ変えてもう一回売り出しただけなんじゃないだろうかと、僕は思うのであった。

それからしばらく、こっちのグループはジュースとはとても呼べないあの飲み物(ちなみに、長森さん以外は何度も飲んだことがあるらしい。僕とは何かが違うんだろう。きっとそうに違いない)について楽しそうにおしゃべりをしていたけれども、不意に、

「ところで……観鈴ちゃん」

「?」

川名さんが観鈴ちゃんに声をかけた。さっと顔を向けた観鈴ちゃんに、川名さんは前置きなしに言った。

「観鈴ちゃんって、好きな人とかいるのかな?」

「!!!」

本当に何の前置きもなしに言われた観鈴ちゃんは思いっきり面食らった様子で、顔をみるみるうちに真っ赤に染めていった。川名さんはにやにやと意地悪な笑みを浮かべて、観鈴ちゃんの言葉を待っているみたいだった。

「え、えっと……そ、それは……」

「いるみたいだね」

「うん。観鈴ちゃん、顔真っ赤だもん」

「が、がおっ」

楽しげに観鈴ちゃんを突っつく川名さんと長森さんを、佳乃ちゃんはきょとんとした表情で見つめている。二人がどういうことを企んでいるのか、全然気づいていないみたいだ。

……と、僕が思っていたら。

「観鈴ちゃん、どうしたのぉ? 顔、真っ赤になっちゃってるよぉ? 熱でもあるのかなぁ?」

「わっ?!」

隣に座っていた佳乃ちゃんが、おもむろに観鈴ちゃんの額へ手を当てた。

「うーん。ちょっと熱っぽいねぇ。お姉ちゃんに診てもらう?」

「う、ううんっ。平気だよっ、大丈夫だよっ」

「そっかぁ。それなら安心だねぇ。やっぱり元気が一番だよぉ」

「……………………」

「……………………」

長森さんも川名さんもこれは予想していなかったのか、呆然と口を開けて、完全に言葉を失ってしまった。

「……これは大変そうだね」

「……うん。これはきっと大変だよ」

何がどう大変なのかは……僕にも、なんとなく分かる気がした。

「……ぴこぴこ」

 

とっぷり日も暮れて、夕暮れにさしかかった頃。

「それじゃあ、俺はこっちだから」

「私もちょっと買い物をして帰るから、こっちから行くことにするよ」

「うんうん。二人とも、気をつけて帰ってねぇ」

「今日は皆さん、本当にありがとうございました」

「ううん。新しいパン、結構よかったよ。また呼んでくれるとうれしいな」

「次はシャーベット、なんてことにならなきゃいいけどな……」

「往人さん、それだと焼いてる途中に溶けちゃうよ」

今日はこれで解散と相成って、みんなが家路につき始めた。長森さんと岡崎君とは古河さんの家の前で別れて、残った四人で固まって帰ることになった。

「……………………」

その、帰り道。

「ねえ霧島君。夕焼け、きれい?」

「そうだねぇ。七十五点くらいかなぁ」

「そうか? 俺は九十点くらいあげてもいいと思うが」

「え、えっと……じゃあ、観鈴ちんは八十二.五点」

「別に無理に中を取らなくてもいいと思うぞ」

特に変わったこともなく、いつものように道を行く。そうやって、僕らが家路に付こうとしていた……

……その時だった。

「……あれ?」

「どうしたのかな?」

観鈴ちゃんが不意に立ち止まって、その先をまっすぐに指さした。それに呼応するかのように、ほかの三人も立ち止まる。観鈴ちゃんの指さした、その先にあったものは……

 

「あう~っ……何なのよっ! 真琴が何をしたって言うのよぅ!」

「ホントだよ。あの言い方じゃ、まるで真琴がやったみたいだよ。わたし、許せないよ」

「それにしても……怖いことをする人がいるものね。用心するに越したことはありませんね」

そんなことを話しながら歩く、三つの人影だった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。