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第八十話「Welcome to the Theatrical Club!」

「おおぉーっ! もうみんな来てるみたいだねぇ」

「まあ、大体は来てるかしらね」

とてとてと駆けていく佳乃ちゃんを、腕組みをした藤林さんが出迎える。教室の隅でたくさんの人が固まって、わいわいがやがやと楽しそうにおしゃべりをしているのが見えた。

「よっす岡崎。ゴミ集めのバイトははかどってるか?」

「廃品回収って言えって言ってるだろっ。……ま、それなりだな」

「上月さんに天野さん、おはようございますっ」

『おはようございますなの』

「お早う御座います。終業式以来ですね。元気なようで何よりです」

「みさき先輩、おはようございまぁす」

「おはよう佳乃ちゃん。ポテトも一緒にいるみたいだね」

「ぴこぴこっ」

「美坂さん、おはようございます」

「あ、おはようございます」

「おはよう。なんだかさっきからおはようおはようってあちこちで飛び交ってて、何がなんだか分かりにくいわね」

「ま、朝だから仕方ないんじゃないの? 朝に『こんばんは』って言ってる方がおかしいし」

美坂さんの言葉を藤林さんが軽快に流して、二人が互いにふっと軽い笑みを浮かべるのが見えた。この二人はきっとどこかに相通じるものがあるんだと、僕は思わずにはいられなかった。

「ふぇ……舞ー。なんだか人が増えてきたねー」

「……この調子だと、きっとまだ増える……」

わいわいがやがやおはようおはようと挨拶を交わしあっている佳乃ちゃんたちの隣で、三年生の制服を着た女の子が二人、固まって話をしている集団を興味深げに見つめていた。

「ぴこ……」

その女の子の内の片方の人は、僕の知っている人だった。

「あれれぇ? 舞ちゃんに佐祐理ちゃん? どうしてここにいるのかなぁ?」

「えっと……ひょっとして、新しく入られた方ですか?」

「うーん。そういうことになるのかな、ゆきちゃん」

「そうね……一応、そういうことになるかしらね」

深山さんがこちらに向かってすたすたと歩いてきて、舞さんと「佐祐理」さんと呼ばれた女の子のちょうど間に立って、佳乃ちゃんの方へと向き直って言った。

「霧島君や美坂さんには説明してなかったけど、今日から助っ人で入ってもらうことになったの」

「……川澄舞」

「倉田佐祐理です。皆さん、よろしくお願いしますね」

佐祐理さんはぺこりとお辞儀をして、後から入ってきた佳乃ちゃんたち四人に向かって挨拶をした。舞さんはぼそりと自分の名前をつぶやいて、四人のことをじーっと見つめていた。そういえば、あんまりしゃべらない人だったっけ。

「美坂栞です。こちらこそ、よろしくお願いします。あ、こっちはお姉ちゃんです」

「香里さん、ですねー。お話は伺ってますよー」

「えっと……三年生の方……ですよね?」

「ふぇ? そうですよー。このリボンが目印です」

「……年上の人に敬語で話しかけられるのなんて、初めてだわ……」

苦笑いを浮かべて、美坂さんが佐祐理さんを見やった。僕も確かに、年上の人が年下の人に敬語で話すなんてことは滅多にないなぁ、なんてことを考えていたから、美坂さんの気持ちはよくわかった。

「ところで、新しく入るって言ってた人は、川澄先輩と倉田先輩だけか?」

「えと……あと三人いて、お二人さんはもうここに来てます」

「もう来てるのか?」

北川君が古河さんの言葉を聞いて、きょろきょろと辺りを見回す。

「どこにいるんだ……?」

そう呟いて、北川君が教室の隅へと視線を送った……まさに、その時。

(ずぼっ)

「うおぉっ?!」

北川君が素っ頓狂な声を上げて、小さく跳ね上がるのが見えた。僕は驚いて、北川君の背中へと目線をやる。すると、そこには……

「初めまして。伊吹風子です」

「初めましてで背中に異物を差し込むやつがいるかっ!」

そこにいたのは、前に商店街で出くわして川名さんにさんざんかいぐりかいぐりされた、風子ちゃんだった。その手には、いつも持っているはずの彫り物がない。もっともその行方は、誰の目にもはっきりと分かり切っていたけれども。

「ぐぬぬぬ……」

佳乃ちゃんちっくなうめき声を上げながら、北川君が背中から異物(北川君談)を取り出した。どうにか全部取り出して前に持ってきてみて、北川君はようやくその正体に気がついたようだった。

「……これが例の彫り物か……」

「はい。風子からの心のこもったプレゼントです。どうぞお受け取りください」

「せめて手渡しで普通に渡してくれよな……ま、ありがたく受け取っておくぞ」

北川君は苦笑しながら、彫り物を鞄の中へしまい込んだ。

「伊吹さん、おはようございます。伊吹さんも演劇部に入ったんですね」

「はい。副部長からの直々のお誘いです。全力でがんばりたいと思います」

「副部長からのお誘いってことは……」

「はい。私が声をかけました」

古河さんが一歩前に歩みでて、美坂さんを見やった。

「やっぱり、渚が誘った訳ね……」

「はい。あの彫り物を一目見て、あんなものを作れるだけの手先の器用さがある人なら、きっと演劇でも素敵な小道具を作ってくれると思いまして、それで……」

「……なるほどね。相変わらず、目の付け所が違うわ」

美坂さんはにっこり笑って、栞ちゃんとおしゃべりをしている風子ちゃんを見やった。

「というわけで、梢さん。一緒にがんばっていきましょう」

「はい……って、栞ですっ。梢って誰ですか梢って! 間違えないでくださいっ」

「すみません。間違えてしまいました。あれはもう差し替えられました」

「もうっ……間違えないでくださいね」

「では、改めて。藤崎さん、一緒にびしびしがんばっていきましょう」

「はい……って、『しおり』違いですっ。一緒くたにしないでくださいっ」

「というか、わざとやってるとしか思えないぞ、お前……」

北川君はそう言っているけど、僕は風子ちゃんの性格から考えて、多分素で言っているんだろうなあ、と思った。

「全部のエンディングを見ると色が変わるって、本当ですか」

「変わりませんっ」

「ほんのり桜色に染まって、ちょっと大人っぽいえっちなお話が始まるんですか」

「えぅ~……そんなこと言う人、嫌いですっ」

「……渚。本当に大丈夫なのよね……?」

「えと……は、はいっ。腕は間違いありませんっ」

ジト目で鋭く目線を送ってくる美坂さんに、古河さんは冷や汗をたらしながら、どうにか笑顔で応対していた。でも、はっきり言って不安で不安で仕方ないというのが、僕の偽らざる本音だと言わざるを得なかった。

「で、もう一人はどこにいるんだ?」

「えと……今、ちょっと……」

北川君の問いかけに古河さんが答えようとしたとき、がらら、という音が聞こえて、誰かが部室の中へ入り込んできた。

「あっ、帰ってきました」

「……………………」

その人は無言でがらら、ぴしゃり、と戸を閉めて、こちらに向かってつかつかとしっかりとした足取りで歩いてきた。それに呼応して、佳乃ちゃんや美坂さんの視線がさっと動くのが見えた。

そこにいたのは……

「……七夜?!」

「うむ。私だ」

……長い金髪をツインテールにして左右に垂らした女の子――七夜さん、その人だった。

「あーっ! 七夜さぁん! 七夜さんも入ったんだねぇ」

「うむ。古河の言葉を聞いて……もし、私が何かの役に立てるのならばと思ってな」

「まさか本当に入部するとは思ってなかったぞ……正直」

北川君の言葉に、七夜さんは静かに頷いた。前に出会ったときとはうって変わって、落ち着いた調子で話をしている。僕はそれに驚きを隠せないながらも、七夜さんの言葉に耳を傾けておくことにした。

「それはそうと……霧島に北川」

「俺か? どうしたんだ?」

「ふぇ? どうしたのかなぁ?」

「ああ。一昨日のことを……謝らせて欲しい」

七夜さんは少し俯き加減になると、どこか寂しげな様子で、佳乃ちゃんと北川君を見やった。こんな表情もあるのかと、僕はまた驚いてしまった。

「あの時はつい頭に血が上ってしまって……無関係なお前達を巻き添えにしてしまった。許してくれとは言わない。だが……どうか、謝らせてくれ」

「いや……そんなに気にするほどのことでもないぞ。別に悪い気はしなかったしな」

「そうだよぉ。捕まれちゃった時はちょっとびっくりさんだったけど、ぼくは気にしてないから、もう気にしなくてもいいよぉ」

「……すまない。これからは、くれぐれも気をつけるようにする」

七夜さんが顔を上げて、ほんの少し、その顔に笑顔が戻った。それは紛れもなく、ごく普通の女の子が見せるさりげない仕草で、何の違和感も感じさせなかった。僕の中で、七夜さんの印象がはっきりと変わった。ああ、この子も普通の女の子なんだって。

「七夜さん、すごいんですよっ。聞いてください」

「むむむ? どうしたのかなぁ?」

古河さんが勢い込んで、北川君と佳乃ちゃんの前に歩み出た。

「ここの教室の鍵を開けてくれたの、七夜さんなんです」

「……ってことは、もしかして……」

「一番最初にここに来たのかなぁ?」

「はいっ。部室に来てみたらもう鍵が開いていたので、びっくりして中に入ってみたら、七夜さんがもういたんです」

「……すごいな。古河より先に部室に来たやつなんて、初めて聞いたぞ……」

「うんうん。七夜さん、熱心なんだねぇ」

「い、いや……違うぞ。私はただ、その……」

七夜さんは何故かたじたじとしながら、どこか慌てたような表情を見せていた。それを知ってか知らずか、古河さんの話は続く。

「それだけじゃないんです。私が中に入ってみたら、中の掃除をしてくれてたんです」

「そういえば、床がえらく綺麗になってるな……」

「そうだねぇ。塵一つ落ちてないよぉ。ぴっかぴかだぁ」

「そ、そういうわけじゃ……そ、そうだ! 素振りだ! 箒で素振りをして、感触を確かめていたんだ」

どうにも苦しい言い訳をする七夜さんに、古河さんはどんどん追い討ちを繰り出す。

「あと、黒板の掃除もしてくれてました」

「ふ、古河っ……ち、違うぞっ! こ、黒板消しを窓の外で叩いてだな……そ、そう! あ、遊んでいたんだ! 誰も来ないからつい手持ち無沙汰になってな……」

「ちなみに、さっきはゴミ捨てにも行ってきてくれたんです」

「そうだったのか……ここの掃除を一人でやってくれたわけだな。感心したぞ」

「うんうん。ゴミも落ちてないし、ぱーふぇくとなお仕事振りだよぉ」

「そ、そんな……」

顔を紅く染めて、七夜さんが視線をそらして俯いた。困ったような表情が可愛らしくて、僕は七夜さんの顔をずっと見つめていた。

「そう言えば……私も以前、七夜先輩と思しき人が、ゴミ拾いをしているところを見かけましたね」

「俺も見たぞ。海辺に落ちてたゴミを一人で黙々と拾ってたな」

『ペンをなくして困ってた時に、ボールペンを貸してくれたの』

「私も前に道に迷っちゃった時に、知ってるところまで案内してもらったんだ。あの時は本当に助かったよ」

「一度ボタンがいなくなっちゃった時に、椋に渡してくれたのも、留美だったかしらね」

「えっと……うん。髪の毛が金色だったから、七瀬さんじゃなかったと思う」

「大道具を運ぶ時一人で持っていけなくて困ってたら、無言で手伝ってくれたこともあったかしら。その時から気にはなってたけど……まさか、実際に入部しちゃうなんてね」

「……前に、捨てられてたねこさんを拾ってるのを見た……」

「はぇー……舞も見たんだー。佐祐理の時は犬さんだったけどね」

「……思い出したわ。前に電車で車椅子に乗った人の補助してあげてたの、七夜さんだったわね」

「あ、私も見ました。駅で自転車が倒れて困ってた人を見かけて、全部の自転車を起こしてくれてましたよ」

「少し前に自転車に引かれそうになった時、風子のことをかばってくれました。大人の女性です」

「あ、うぅ……や、やめてくれ……」

七夜さんは小さく縮こまって、とても恥ずかしそうにしていた。僕は七夜さんの様子を見ながら、ああ、七夜さんとならきっと仲良くなれそうだと思わずにはいられなかった。

……と、みんなが楽しそうに談笑していた、その時だった。

 

「っしゃーっ! 間に合ったぁーっ!」

元気の良すぎる声が、部室の入り口から大音響で響き渡ってきた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。