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第九十八話「if_varts.spi」

「……ただいまー」

「お、帰ってきたか。何があったか知らないが、ずいぶん疲れた顔してるな」

『お疲れ様なの』

「まぁね……実際、ちょっと疲れてるし」

一連のごたごたが片付いて、佳乃ちゃんたちはようやく部室に戻ってくることができた。藤林さんは出迎えた北川君と澪ちゃんにややだれ気味の調子で返事をしながら、部屋の片隅で無造作に放置されていた椅子にどっかと座り込んだ。

「……あれ? 北川先輩、部長や風子ちゃんはどこへ行ったんですか? ここにはいないみたいですけど……」

「ああ。部長と七夜と古河、それとあと川口は、大道具に必要な材料の買出しに出かけたんだ。しばらくは戻らないって言ってたぞ」

「じゃあ、残りはどうしたんだ? 確か、椋とか天野もいたはずだぞ」

折原君の問いかけに、澪ちゃんはスケッチブックにマジックで文字を書き付け、こう答えた。

『照明の説明会なの』

「……ああ、そう言えば椋は照明担当だったな」

「ってことは、椋は風子ちゃんに照明のことを教えに行ったってわけね」

「そういうこと。こっちもしばらくは戻って来そうに無いぞ」

そう言うと、北川君は頭をぐるりと回して、大きく伸びをして見せた。それからまた元の姿勢に戻って、思い思いの場所にいる部員達の顔を順番に眺めながら、順番が佳乃ちゃんにまで来たところで、その目の動きをぴたりと止めた。

「それにしても霧島に折原。さっき慌てて出てったけど、なんかあったのか?」

「そうなんだよぉ。わしゃわしゃでくすぐったくって、もう大変だったんだからねぇ」

「……わしゃわしゃ? くすぐったい? あれか? 揃って草刈でもやらされたのか?」

「なんでそういうどうでもいい物事の切り取り方ができるのか、俺はむしろそれが気になるぞ……」

呆れ顔で言いながら、折原君が一歩前に歩み出た。

「長森、悪いが簡単に説明してやってくれ」

「いいけど……どこから話せばいいかな?」

「神社のところから頼む」

「うん。分かったよ」

折原君に頼まれ、長森さんが北川君の近くまで歩いていく。隣にはみさおちゃんも寄り添っていて、長森さんの説明を手伝うつもりでいるようだ。

「私達と霧島君、それから藤林さんと……あっ、北川君。真琴ちゃんって知ってるかな?」

「知ってるぞ。確か、水瀬さんのところにいる女の子だよな」

「うん。それでね、その六人で一緒に、山の上にある神社に行くことになったんだよ」

「ひょっとしてアレか? 最近、あの神社に穴ぼこができてるとかそういうのか?」

「そうそう。よく知ってるね。それをみんなで見に行こう、って話になったんだよ」

北川君はうんうんと頷きながら、長森さんの話に耳を傾けている。真琴ちゃんのことも神社のことも知っていたみたいで、テンポよく話が進んでいる。長森さんも話すペースを掴んだようで、段々と話し方が自然なものへと変わっていく。

「そうか……それで、例の穴は見つかったのか?」

「それがね……神社まで来たのはいいんだけど、そこに女の子が一人いて……」

「女の子? お参りにでも来てたんじゃないのか?」

「そうじゃないんだよ。その子……その、神社にお墓を作りに来てたんだよ」

「……墓?」

「うん……大事にしてたフェレットが死んじゃって、その子のために神社にお墓を作ってる途中だったんだよ」

「そういうことか……そりゃまた、えらく可哀想な所で出会ったな……」

その時の状況が想像できてしまったのか、北川君はやや重たい調子でもって、そんな言葉を口にした。北川君の言うとおり、確かに可哀想な所で出くわしてしまったと思う。その後のことを思えば……なおさらだった。

「それから……ちょっといろいろあったけど、とりあえず、その女の子とは別れたんです」

「なんとなく、そこでどんなことがあったかは想像付くが……でもみさおちゃん、それとさっき出てったのと何か関係あるのか?」

「あるのよ、それが」

隣から藤林さんが歩いてきて、北川君のいる机に腰掛けた。

「ここに来てちょっとしてから、真琴から電話がかかってきたのよ」

「ああ。それは俺も見たぞ」

「それで話を聞いてみたら……さっきの子が、真琴の勤めてる保育所に入り込んじゃったって言ってたのよ」

「なんだそれ? ってことは、そのお墓を作ってた子が、真琴ちゃんについていったってことか?」

「そうなるわね……で、どうにもならなくなって、あたし達に応援を要請したってわけ」

「やっと理解できたぞ……だからあんなに慌てて出てったんだな」

北川君は納得した様子を見せながらも、すっきりとした表情を浮かべることはなかった。女の子――繭ちゃん――のことを考えると、どうにも複雑な気持ちになってしまうのだろう。

「ところで、その女の子の名前とかは聞かなかったのか?」

「聞いたよぉ。繭ちゃん、っていうんだぁ。苗字は教えてくれなかったけどねぇ」

「そうだよな……なんで苗字を言いたがらなかったんだろうな……」

佳乃ちゃんと折原君が顔を見合わせる。繭ちゃんは結局、最後まで自分の苗字を言おうとはしなかった。お母さんが来て繭ちゃんを引き取っていった時も、苗字を聞くことはできなかった。何か理由があって、繭ちゃんは苗字を言わなかったのだろうか? 結局、繭ちゃんの苗字は謎のままなのだろうか……なんとなくだけど、僕はそんな気がしていた。

……ところが。

「繭……? ひょっとしてその子、椎名さんのところの子じゃないか?」

思わぬところからあっさりと、苗字と思しき言葉が姿を見せた。

「何? 北川、もしかして繭のことを知ってるのか?」

「いや、確証はもてないんだがな……ただ、家のすぐ近くに椎名って表札のかかった家があって、そこに『繭』と『華穂』って人の名前が一緒に書いてあったんだ」

「……繭なんて名前のやつが同じ町に二人も三人もいるとは思えないから、それで確定だな……」

「そっかぁ。繭ちゃん、椎名って苗字だったんだねぇ。東北事変だよぉ」

「東京だ東京。しかし、別にヘンな苗字でもないのにな……」

折原君の言うとおりだ。「椎名」なんて、どこにでもあるってわけじゃないけど、別段おかしな苗字とも思えない。ごくごく普通の苗字だ。それなのに、繭ちゃんは自分の苗字を明かすことを拒んだ。どうしてなのか、僕には分からなかった。

「……さて。いつまでもしゃべってるわけには行かないな。そろそろ練習するか」

「そうだな……佳乃、台詞が合ってるかどうか確かめといてくれ」

「了承ぉ! 折原君が終わったら交代だよぉ」

練習が始まったみたいだ。僕がここにいて邪魔をしちゃいけないから、部屋の隅でおとなしく待っていることにしよう。そう考え、僕は静かに佳乃ちゃんの側から離れる。

「じゃあ、ビクトルが屋敷に戻ってくるシーンからやるぞ」

「いいよぉ。しっかりチェックしておくからねぇ」

邪魔にならないような位置までたどり着くと、僕は静かに座り込んだ。

 

練習に打ち込む佳乃ちゃんたちの姿を見ていた時のこと。

「ねえ澪ちゃん。確かさっき、ドッペルゲンガーを見たって言ってたわよね?」

「?」

藤林さんが澪ちゃんの隣について、澪ちゃんが見たというドッペルゲンガー――簡単に言うなら、澪ちゃんとまったく同じ存在――のことを口にした。藤林さんからの問いかけに、澪ちゃんはこくこくと何度も頷いて答える。

『本当に澪だったの』

「んー……他人の空似だと思いたいんだけどねー……」

難しい顔をして、藤林さんが顎に手を当てる。さっぱりした性格(だと僕は思う)藤林さんが「他人の空似だ」ときっぱり言い切らないのには、何か理由があるんだろうか。

「たいしたことじゃないんだけどね、あたしも似たようなものを見ちゃったのよ……」

「!」

藤林さんの言葉を聞いた途端、澪ちゃんの目がぱっちりと開いた。大きな瞳で藤林さんを見つめて、驚きを露にして見せている。

「あたしのドッペルゲンガーってわけじゃないんだけど……友達に名雪って子がいて、その子を小さくしたような女の子を見かけたのよ」

『水瀬さんのこと?』

「そうそう……って、知ってたの?」

「……(うんうんっ)」

元気よく二回頷いて、澪ちゃんがスケッチブックに文字を書きつけ始めた。きゅっきゅっという小気味よい音と共に、澪ちゃんの言葉が綴られていく。しばらくして澪ちゃんがスケッチブックを上げると、そこにはこんなことが書かれていた。

『喫茶店で相席になって、一緒にパフェを食べたことがあるの』

「なるほどねー。名雪、よく食べるでしょ?」

『びっくりしたの。澪が一つ食べる間に、二つも食べちゃったの』

「驚くわよね……あれは。あたしも初めて香里と三人で行ったときは呆然モノだったわ……」

深く頷きながら言う藤林さんに同調するかのように、澪ちゃんも大きく何度も頷いた。それにしても、藤林さんと澪ちゃんの両方を唖然とさせるほどって、名雪さんは一体どれだけ食べるんだろう? 見た目からはとても想像付かないけど……

「あ、名雪で一つ思い出した。ぴろ、元気にしてるかしらねぇ……」

「?」

「ん? ぴろっていうのは、名雪の妹の真琴って子が飼ってるネコのことよ」

「……(うんうんっ)」

澪ちゃんもネコが好きなのだろうか。「ネコ」という言葉を聞いた途端、その表情がぱっと綻んだ。

「澪ちゃんもネコが好きみたいね。名雪もね、それはもう大変なネコ好きなのよ」

『ネコさん、かわいいの』

「そうよねー。でもね……名雪って可哀想なのよ。ネコ好きなのにネコアレルギーなんだって。触ると涙がぼろぼろ出ちゃうのよ」

「……………………」

……それは不憫だ。ネコが好きなのに、撫でてやったり抱きしめてやることもできないなんて、歯がゆくて仕方ないだろう。名雪さんに抱きしめられてちょっとげんなりしちゃった僕だけど、そんな理由があったんだったら、せめて僕くらいは自由に抱きしめさせてあげよう。僕、犬だけど……

「んでまー、真琴は名雪に隠れてぴろを飼ってるんだけど、それがまた可愛いのよねー」

『ネコさん、かわいいの』

「……スケッチブックって一回書いたことを再利用できるから、案外便利かも……って、それはどーでもよくて。ぴろもまた真琴によく懐いちゃってねー。頭の上に乗っかったりするのよ」

「……………………」

「関係ないけど、名雪が頭の上にネコを載せたらどんな感じになるかしらねー。とんでもない光景になりそうだけど、ま、拝むのは無理そうね」

『FGNY15.PDT』

「……何それ? パスワードか何か?」

『if_varts.spi、なの』

「……あー。それで分かったかも……そーいうことね……」

澪ちゃんは立て続けに二回意味不明の言葉を書いて見せた後(藤林さんは意味が分かったようだけれども、僕には何のことだかさっぱりだ)、スケッチブックの新しいページを開いて、そこにまた何かを書きつけ始めた。それから間もなく言葉を書き終えると、澪ちゃんがスケッチブックを掲げた。

『もしかして、頭の上にネコを載せるの、流行ってるの?』

「……え? ひょっとして、他にもやってる人がいたの?」

「……(うんうんっ)」

澪ちゃんは頷くと、また新しいページをめくって、サインペンで文字を書き始めた。

『この前、学校の中庭でネコを載せてる人を見かけたの』

「……本当なの? というか、学校にネコを連れて……あっ」

「……?」

不意に「あっ」と言ったきり言葉を切った藤林さんの顔を、澪ちゃんが不思議そうな表情をして覗き込む。藤林さんは小さくため息をつき、目を閉じてしばし考え込んでいたけれども、それもほんの僅かな間のことで、すぐにまた目を開いた。

「あれだけ名雪に見つかったら大変なことになるって言ったのに、どーやら効果は上がらなかったみたいね……」

「???」

「……ありがと澪ちゃん。とりあえず、夏休みが明けるまでにどーすればいいか、智代にでも相談してみることにするわ」

「?????」

澪ちゃんは本当に何も分かっていない様子で、ただただ「?」の数を増やすばかりだった。

 

――それから、お昼を過ぎて。

「……さて。とりあえず今日はこれくらいで帰るか」

「そうだねぇ。後は家で練習しよっかぁ」

どうやら家に帰ることになったらしい。僕は佳乃ちゃんの隣まで走って、帰ろうとする佳乃ちゃんに遅れないよう付いていく。

「みさお、長森。お前らはどうするんだ?」

「私もそろそろ帰ろうかな。みさおちゃんは?」

「これからちょっと一年生だけで集まるから、お兄ちゃんと瑞佳お姉ちゃんだけで先に帰ってくれてていいよ」

「分かった。あんまり遅くなるようだったら、メールくらいするんだぞ」

「大丈夫だよ。ちょっと喫茶店によって行くだけだもん。澪ちゃん、行こっ!」

そう言うとみさおちゃんは澪ちゃんと一緒に、部室から一番乗りで飛び出していった。

「……よし。それじゃ長森、俺達も帰るとするか」

「うん。今日はゆっくり話しながら帰れそうだね」

「ま、夏休みだしな。行こうぜ」

それから少し間を置いて、折原君と長森さんも部室を後にする。

「それじゃあ、ぼくたちも帰ろっかぁ」

「ぴこぴこ!」

佳乃ちゃんの言葉を聞いて、僕と佳乃ちゃんもドアをくぐる。

「……………………」

……それにしても。

 

……「FGNY15.PDT」「if_varts.spi」って、ホントどういう意味なんだろう……?

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。