「お昼になってもあっついねぇ」
「ぴこー……」
佳乃ちゃんと二人肩を並べ、校門をくぐって外へ。外は相変わらずげんなりするような暑さで、留まった空気そのものが熱を持ってしまっているかのような感覚を覚えた。
「ポテトは大丈夫ぅ? もこもこの毛、暑くないかなぁ?」
「ぴこぴこ」
佳乃ちゃんから聞かれて、僕は首を縦に振った。確かにちょっと暑いけれど、僕は生まれた時からずっとふわふわのもこもこだ。こんな暑さにはもう、慣れっこになっちゃった。
「そっかぁ。ポテトはすごいねぇ。ぼくだったら暑くて大変だよぉ」
「ぴっこぴこー」
「うんうん。元気が一番っ! それじゃ、行こっかぁ」
「ぴっこり!」
頭をわしゃわしゃと撫でてもらってから、僕と佳乃ちゃんは歩き出した。佳乃ちゃんと一緒なら、どんなに暑くて日差しの強い日でも、元気に楽しく歩いていけるような気がする。僕は佳乃ちゃんの側にずっと一緒にいられたら、それだけでもう十分だと思った。
昨日一瞬垣間見せた悲しい表情が嘘のように、今日の佳乃ちゃんは笑っていた。
「あははっ。どうしたのポテトぉ? くすぐったいよぉ」
「ぴこぴこっ」
……だから、僕は佳乃ちゃんに悲しい顔なんてしていてほしくない。いつも太陽のように、あるいは大輪の向日葵のように、明るい笑顔を見せていて欲しい。そうすれば、僕もずっと笑っていられる。そうすれば、僕はずっと幸せでいることができる。
「……………………」
そうであってほしいと、僕は願うのだった。
「ねぇポテトぉ。せっかくだから、ちょっと寄り道して帰ろっかぁ」
「ぴこ?」
学校を出て歩き始めてからすぐ、佳乃ちゃんがそんな提案をした。今まで家に帰る途中に寄り道したことなんてなかったから、僕はちょっと驚くと同時に、なんだか面白そうだな、とも思った。
「ぴこぴこっ」
「おっけぇかなぁ? それじゃあ、こっちに向かってでっぱつしんこう~!」
「ぴっこぴこー!」
佳乃ちゃんの元気な掛け声に合わせて、僕たちはいつも歩いている道とは真逆の道を選んで歩き始めた。この先に何が待っているのかと期待に胸を膨らませながら、僕は佳乃ちゃんに遅れることなく歩いていく。
「この道の先はねぇ、今は使われてない駅に繋がってるんだぁ。古ーい道なんだよぉ」
「ぴこー……」
「その道の途中に空き地があってねぇ。小さい頃はそこでいーっぱい遊んだんだぁ。懐かしいよぉ」
口にした言葉どおり、佳乃ちゃんは少し空の方へと視線を向けて、何かを回顧するような面持ちをして見せた。佳乃ちゃんが言うからには、それは懐かしいばかりじゃなくて、楽しい思い出でもあるに違いない。空き地で友達と日が暮れるまでいっぱい遊んで、また遊ぼうって約束してから帰る。佳乃ちゃんも、そんな子供時代なら誰にでもあるようなありふれた光景の中を生きていたに違いない。
「まだあるかなぁ……あったらいいんだけどねぇ」
「ぴこー……」
そんなことを呟きながら、左右に住宅の立ち並ぶ道を歩いていく。佳乃ちゃんが「古い道」というだけあって、建っている家も皆どこか年代を感じさせるようなものばかりだ。薄くひびの入ったコンクリートの壁、剥がれ落ちた屋根瓦、雲って色あせた窓硝子、人気を感じさせない草ぼうぼうの庭……田舎町といえるこの町にあっても、この道の家々はその色を特に強く感じさせるものばかりだった。
「……また、一緒に遊べたらいいのにねぇ……」
小さい頃一緒に遊んだ友達のことを思い出しているのだろう。それが今では疎遠になってしまったか、忙しくて会うことさえできないのか。佳乃ちゃんは少し寂しげな色を乗せて、静かに言葉を口にした。
「……………………」
そうしてしばらく、古さと懐かしさに彩られた旧道を歩いていると。
「……あっ! ここだよポテトぉ。ここがねぇ、ぼくが小さい頃遊んだ空き地だよぉ。まだちゃんとあったよ~」
「ぴこ~」
道の右隣に見えた、ぽかんと開いた空間。佳乃ちゃんの指差す先に、その空き地はあった。背の高い草に覆われ、中の様子はちょっと分かりにくくなってしまっている。佳乃ちゃんがいた頃は、それらはただの雑草に過ぎなかったのだろう。草の背丈がそのまま、この場所から人が遠ざかって過ぎ去った年月を物語っているかのようだった。
「ぴこぴこ……」
ここが佳乃ちゃんが遊んだ空き地なのか……と、僕は少し感慨に耽りながら中を見つめる。草の合間を縫えば、見えにくくなっているとは言え中の様子をうかがうことはできる。この空き地はまさに「空き地」という言葉から連想できるようなロケーションで、その中心付近には後で使うつもりかはたまたここを投棄場所に選んだか、すっかりさび付いた鉄骨やパイプの姿も見て取れた。このまま年月が経てば、それらも土へと還って行くのだろう。
……僕が空き地を眺めながら、そんなことを考えていた時のことだった。
「……………………」
「……ぴこ……?」
僕の見つめた空き地の中心からさらに少し目を奥へと向けたところに、一人の少女が佇んでいた。俯き加減でただ一人、誰かを待つかのように立っている少女。おさげにした長い金色の髪が夏の風にあおられて、ゆさゆさとささやかに揺れている。時折髪を直しながら、少女はそこで立ち続けていた。
「ぴこ……」
僕はその姿を一目見て、心がとても強く惹き付けられるのを感じた。無意識のうちに目を凝らし、その姿を目に焼き付けようとする。あいにく背の高い草がたくさん生えていて、細かいところまでは見えそうに無かった。けれども、大まかな特徴を掴むのには問題なかった。
さっきも言ったとおり、女の子は金色の髪をおさげにして、丁寧にまとめている。その髪は腰にまで届こうかと見まごう程で、おさげにしてその分量だというのだから、すべて解いた暁にはさぞかし長い髪が姿を見せるのだろうと思った。身体で特徴的な部分はその髪くらいのもので、後はいたって普通そうな印象を与えた。
僕が女の子に惹き付けられたのは、外見的なものじゃない。それよりもむしろ、女の子を取り囲むその「空気」や「雰囲気」といったものに、僕の興味は集中していた。女の子から感じ取れる微かな感情の発露が、僕には気になって仕方が無かったのだ。僕は複雑なことを言うのは苦手だから、単刀直入に感じたことを言ってしまおうと思う。
僕が感じたこと、僕が思ったこと、僕が受け止めたもの。それは……
「……………………」
……悲しそうだった。女の子はとても、悲しそうに見えたのだ。
はっきりと悲しい表情を浮かべていたわけじゃない。女の子の表情はどちらかと言うなら、何の感情もこもっていないようにさえ見えた。無表情だといっても差し支えなかっただろう。だからこそ……だからこそ、それが余計に悲しそうに見えたのだ。悲しみを無表情の仮面で押し殺して、それでも殺しきれない悲しみがじんわりと滲み出ているかのような、どうしようもない悲しみが、彼女の周りを取り囲んでいるような気がしたのだ。
何を悲しんでいるのか、その悲しみがこの空き地に立っていることに立脚しているものなのか、僕に推し量る術は無かった。だから僕はそれを少しでも知りたくて、悲しみの理由に少しでも近づきたくて、女の子のことをひたすらに見つめていたのだった。
……その時だった。
「……………………」
俯いていた女の子が顔をあげ、ちらり、とこちらに顔を向けたのだ。僕は突然のことに驚いて、思わず近くにいた佳乃ちゃんに目を向けた。すると、佳乃ちゃんは……
「……………………」
さっきまでの僕とまったく同じように、空き地に立っている女の子のことを見つめていたのだ。瞬き一つせず、どこか落ち着いた様子で女の子を見つめる佳乃ちゃんからは、いつも明るさや元気さはすっかり消えうせてしまっていた。佳乃ちゃんはまるで女の子を真似たような色の無い表情で、女の子の目を見つめていた。
「……………………」
「……………………」
佳乃ちゃんと女の子に交互に目をやる。間違いなく、二人の視線は一つに結ばれていた。佳乃ちゃんは女の子を、女の子は佳乃ちゃんを見つめていた。そうして二人はしばしの間互いの顔を見詰め合っていたのだけれども、
「……………………」
それから女の子はすぐに視線を外し、また俯いてしまった。佳乃ちゃんにはそれ以上興味を示すことは無く、こちらに視線を向けてくることもなかった。佳乃ちゃんはそれからもしばらく女の子のことを見つめていたけれども、やがてふっと視線を外し、側にいた僕へと視線を向けた。
「ポテトぉ、行こっかぁ」
「ぴこ……」
そう声をかけられ、僕はちょっとだけ後ろ髪を引かれるような気持ちになりながら、佳乃ちゃんの後ろについて歩き始めた。
「……………………」
僕が空き地から去るその瞬間まで、女の子は俯いて同じ場所に佇んだままだった。
「とうつき~」
「ぴこぴこ~」
「ほらねぇ。あの道はこの廃駅に繋がってるんだよぉ」
それから少し歩くと、佳乃ちゃんが言っていた通り、僕らはあの廃駅に出ることができた。同じ場所のはずなのに、その場所に入るまでに通った道がまったく違ったせいか、一瞬同じ場所とは思えないような印象を受けた。しばらくすると、ああ、ここは昨日も来た場所なんだなあと、体で実感することができた。
と、僕がそんなことを考えていた時のことだった。
「あっ! かのりんだー!」
「みちるちゃぁん! 今日はここにいたんだねぇ」
「にゃはは。みなぎも一緒にいるんだぞー」
元気な声と共に、みちるちゃんがひょっこりと姿を現した。左腕に巻いた青いバンダナを高々と掲げて、誇らしげな様子で佳乃ちゃんに見せ付けた。佳乃ちゃんも同じようにバンダナを巻いた右腕を前に差し出すと、みちるちゃんはまるでネコのように、ひらひらと舞う黄色いバンダナにじゃれついた。
「みちるちゃん、バンダナを大事にしてくれてるんだねぇ」
「にゃははっ。当然当然っ。これのおかげでみなぎとみちるは仲良しさんなんだからねっ」
「うんうん。大切にしてあげてねぇ」
みちるちゃんの髪を優しく撫でてあげながら、佳乃ちゃんが笑って言った。みちるちゃんはうっとりとした表情で背筋をぴんと伸ばし、気持ちよさそうに顔をほころばせていた。昨日往人さんに蹴りをお見舞いした(正確には、お見舞いしようとして当て身投げで見事に返り討ちにされた)女の子と同一人物とはとても思えない。
「んにー……くすぐったいぞー」
「あははっ、ごめんねぇ。みちるちゃんの髪、綺麗だったからねぇ」
「うん。いつもみなぎにやってもらってるんだ。綺麗だよね?」
「うんうん。遠野さん、すごいんだねぇ」
「にゅふふー。みなぎはすごいんだからねっ。かのりんもみなぎのことはすごいって思ってるよね?」
「もちろんだよぉ。星を見せてもらったり、お米券をくれたり、一緒にいてすごく楽しいよぉ」
「そうだよね? そうだよね? かのりん、みなぎと一緒にいて楽しいよね?」
何か言いたい事があるのだろうか、みちるちゃんはいつになく真剣な面持ちで、佳乃ちゃんに立て続けに質問をしている。まるで、みちるちゃんが佳乃ちゃんから何かの言質を取りたがっているようにも見えた。
「じゃあね、みちる考えたんだけど、ずっと楽しいままでいられる方法があるんだよ」
「本当ぉ? ずっと楽しいままでいられるなんて、ぼくびっくりだよぉ。どうすればいいのかなぁ?」
「えっと……かのりんはみなぎと一緒にいると楽しいんだよね?」
「うんうん。そうだよぉ」
「だからぁ、それだったら……その、かのりんは……えっと……」
ここまでテンポよく話をしてきたみちるちゃんだったけれど、ここで急に言葉を詰まらせて、何か言いたい事があるような、でもちょっと言いにくいような、だけど言っちゃいたいような……とにかく、もどかしそうな様子を見せ始めた。
「どうしたのぉ? 何か言いたい事があるのかなぁ?」
「だ、だからっ、えっと……か、かのりんが……みなぎと……」
みちるちゃんがもじもじしながらごにょごにょ言っていた、その時だった。
「……ちっす」
「遠野さんだぁ! こんにちはぁ」
「あ、みなぎ……」
みちるちゃんの背後からつつつと流れるかのようにゆっくりとした足取りで、遠野さんがその姿を現した。いつも通りの格好で、長い髪を風に晒している。いつ見ても不思議な人だなぁと、僕は思う。
「今日も元気そうだねぇ。やっぱり元気が一番だよぉ」
「はい……今日も元気だご飯がうまい……」
「あははっ。そうだねぇ。ぼくも朝はご飯がいいよぉ」
遠野さんのよく分からない返事に、佳乃ちゃんはあくまでも笑顔で応じている。佳乃ちゃんなら、どこかずれた感じのする遠野さんと一緒にいても、全然違和感を感じずに楽しく過ごせるだろうなあ。
「……ぽ」
……僕には、ちょっと無理そうだ。
「霧島さんは……どうしてここへ?」
「えっとねぇ、学校から帰る途中だったんだけど、今日はちょっと寄り道して帰りたい気分だったからっ」
それからは遠野さんに誘われるまま、僕らは駅舎のベンチに座って休むことにした。ベンチは日陰になっていて、日向になっている部分よりもずっと涼しくて過ごしやすい。
「んに……でも、学校からここってすごく遠くないかー?」
「あははっ。そうだよねぇ。でもねぇ、ほら。この道から学校につながってるんだぁ」
「へー……しらなかった」
みちるちゃんは口をあんぐりあけて、佳乃ちゃんのことを見つめている。どうやらみちるちゃんは、僕たちが通ってきた旧道のことは知らなかったみたいだ。
そうして、しばらく会話が続いた後。
「……ところで、霧島さん。一つ、聞いてもよろしいでしょうか?」
「いいよぉ。どうしたのかなぁ?」
不意に遠野さんが口を開いて、佳乃ちゃんに聞きたいことがあると言った。佳乃ちゃんはすぐに応じて、遠野さんのほうへと顔を向ける。
「霧島さんは……」
「……最近、夢を見たりはしていませんか……?」
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。