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第百三話「Unreachable Place」

「空の夢?」

「うん。空の夢」

疑問を込めた往人さんの言葉に、観鈴ちゃんはイントネーションだけを変えた同じ言葉で応じて見せた。往人さんに澄んだ青色の瞳を向け、観鈴ちゃんは小さく舟を漕ぐ。あどけなさを残したその表情に、僕は一瞬、目が眩むような感覚を覚えた気がした。

「空の夢って言うが、具体的にはどんな夢なんだ?」

「うーん……私もよく憶えてないんだけどね、でも、空を飛んでることだけは分かるの」

「お前がか?」

「うん。広くて大きな青空を、風を切って飛んでいく。そんな夢」

観鈴ちゃんはすっくと立ち上がり、僕らの前にある大海のそのまた先に微かに映る、延々と続く水平線へと視線を向けた。両手を背中へと回し、止むことのなく吹き続ける潮風に、美しい金色の髪をさらした。

しばしの間の後、再びその口が開かれた。

「夢の中のことだから、はっきりとは分からないけど……」

「私はたぶん、どこかへ行こうとしてる」

「それはすごく遠い場所で、私がどんなに頑張って空を飛び続けても、その場所にたどり着くことはできない」

「ずっと空を飛んでいるうちに、そんなことを考えたりするの」

空を見上げ、流れゆく雲を瞳に映し出す。観鈴ちゃんは夏の雲に、夢の中の自分を重ね合わせているようだった。雲は観鈴ちゃんの思いを知ってか知らずか、動いているのかどうか疑いたくなるような調子で、緩慢に空を流れていく。

「そんなことを考えてると、なんだかすごく悲しくなる」

「私がすごく悲しいことをしてるみたいで、夢なのに、涙があふれてくるの」

「届くことのない場所を目指して、ずっとずっと空を飛び続ける」

「それって……すごく悲しいことだよね?」

疑問を込めた調子で、往人さんへと問いかける。それには少なからず、自身の意見に対する同意を求める色を含んでいるように思われた。対する往人さんは黙り込んだまま、問いかけられた内容を反芻するかのごとく、頭上に広がる空に視線を移した。

「……………………」

無限に広がる青空から何か言葉を掴み取ったのだろうか。往人さんは視線を再び水平線へと戻すと、観鈴ちゃんから寄せられた問いかけの答えとなる言葉を口にし始めた。

「……確かにな。辿りつけないと分かっているのに進み続けることほど、残酷なことはない」

「うん……やっぱりそうだよね。だから、夢の中の私は泣いてるのかな……」

「俺はそう考えるのが自然だと思うがな……ところで」

「?」

不意に言葉を切った往人さんの顔を、不思議そうな面持ちで見つめる観鈴ちゃん。それに呼応してか、往人さんもまた観鈴ちゃんの顔を瞳に映し出す。視線が合ったことを確認すると、途中で切った言葉を改めて言い直した。

「ところで……お前、今悩み事とか無いか?」

「悩み事? もしかして、夢判断とかしてくれるのかな?」

「大雑把に、だがな。どうだ?」

「え、えっと……うーん……」

問いかけられ、観鈴ちゃんは言葉を詰まらせる。だけどそれは、「急に『悩み事』と言われても思い当たる節が無くて悩んでいる」というよりも、「はっきりとした『悩み事』があるけれど、それを口にするのを躊躇っている」と言った方が正しい感じだった。

「えっと……うーん……」

「……そうだな。それは勉強や友人関係にまつわるものじゃない。もっとデリケートなものだ」

「えっ?! そ、それって、どういう……?!」

「お前、好きな人がいるんじゃないのか?」

「!!!!!」

ずいぶんと自信を込めた様子で、往人さんが呟いた。どうやらその自信は正しかったようで、観鈴ちゃんは頬を真っ赤に染めていた。今の観鈴ちゃんの様子を見れば、誰にでも観鈴ちゃんの「悩み事」が分かるだろう。

「どうなんだ?」

「え、え、え、えっと……あ、あの……」

「……………………」

「が、がお……その……」

「……………………」

「……うん。往人さんの言うとおり……どうして分かっちゃったのかな……?」

「それは企業秘密だ。それより、もしお前がいいなら、俺が相談に乗ってやるが?」

「うん……ありがとう。また、今度相談しようかな」

「そうか。それまでに、心の整理がつくといいな」

それ以上深追いせず、往人さんは話題を打ち切った。隣の観鈴ちゃんはちょっと気が抜けたような面持ちを見せて、ほう、と小さく息を吐いた。赤みの差していた頬も熱が引いていくように、元の肌色へと戻っていった。

「……………………」

「……………………」

会話はそこで途切れ、二人は再び海を眺め始めた。二人の間に生じた微かな、けれども大きな波紋のことなど露知らず、海はいつものまま、寄せては返す波を生み出し続けている。それは穏やかで連続性を持ち、特有の律動を紡いでいる。永遠に続くかのような普遍性を、僕は感じる。

「……………………」

「……………………」

さらにしばらくの間、僕が二人と共に海を眺めていた時だった。

 

「ん……? なあ名雪。あれ、観鈴じゃないか?」

「わ、ホントだ。国崎さんも一緒にいるよ」

「ああ、あの人がお前の言ってた『人形遣いさん』だな」

 

海岸沿いの道を、祐一君と水瀬さんが通りがかった。往人さんも観鈴ちゃんもその声に気づいたようで、揃って背中の方へと振り向く。祐一君は水瀬さんを連れて、こちらに向かって歩いてきた。

「よう観鈴。こんなところで何やってたんだ?」

「えっと、往人さんと一緒に海を見てたの。あ、この人が往人さんだよ。水瀬さんにはもう紹介したよね?」

「うん。霧島君のところに居候してる人形遣いさんだよね」

「そうだ。今日も外で人形劇をするつもりだったが、あいにく人のいる場所が見つけられなくてな……」

「確かに、この町じゃ人の集まる場所を探すのは難しいか……」

祐一君は往人さんの存在に特に疑問を抱いた様子もなく、ごくごく普通に会話をしている。多分、あらかじめ水瀬さんが祐一君に話をしておいたんだろう。ちょうど一昨日に会ったばかりだし、「人形遣いさん」が自分の町に来てるなんてことを聞いたら、興味を持ってもおかしくないだろう。

「おっと、俺は相沢祐一。名雪のところで世話になってる、ごくごく普通の高校生だ。よろしく頼むぞ」

「ああ、こっちこそ。お互い居候の身分で、いろいろと大変だな」

「いや、俺は居候って訳じゃないんだ。話すと長くなるから、今は置いとくけどな」

「……? 分かった。まあ、深入りするようなことじゃないしな」

納得していないような顔をしながらも、口にした言葉どおり、往人さんはそれ以上深入りしようとはしなかった。何がしかの事情があることは僕にも感じられたけど、今はこれ以上それについて知ることはできそうにない。

「水瀬さん達は、これからどこかに行くところかな?」

「ううん。さっきまで斉藤君の家にいて、七瀬さんと一緒に文化祭の話し合いをしてたんだよ」

「文化祭の話し合い?」

「ああ。今年は例年になく盛り上がりそうなんだ。他の学年のやつらも、週一回の委員会以外以外にもお互い集まって話をしてるらしいぞ」

「そんなに盛り上がりそうなんだ……観鈴ちん、びっくり」

本当に驚いたような表情を見せ、観鈴ちゃんが呟いた。観鈴ちゃんの表情を見て取った水瀬さんが大きく頷いて、さらに説明を続ける。

「今年は……ほら、『あの人』が生徒として参加できる最後の文化祭だから、絶対何かやるに違いないって、みんなして噂してるんだよ」

「そもそも、今までも何もしなかった年はないんだが、今年は今までに輪をかけてすごいことをやってくれそうだからな」

「そういうことなんだね。確か、去年は独断で後夜祭をやっちゃったんだっけ」

「ああ。去年まで俺達の学校は校則の関係で後夜祭ができなかったんだが、あの人は文化祭でヒートアップした生徒を見事にまとめあげ、学校の外でそのまま後夜祭をおっぱじめたんだ」

「あれはすごかったよ~。海岸沿いの道を、法被とか浴衣とか学ランとか着ぐるみとか着た生徒がぞろぞろ練り歩いてるんだもん。一種の仮装行列だよね」

「……………………」

水瀬さんの言った「仮装行列」という言葉に、僕も思わず同意した。文化祭の興奮が覚めやらぬまま、個性溢れる衣装でぞろぞろと町を練り歩く学生達。知らない人が見たら、確実に何事かと思うに違いない。少なくとも、僕は間違いなくそう思ってしまう自信がある。

「でも、今年はどうだろうな……去年のことで、生徒会と風紀委員会がかなり揉めたらしいし」

「そうだよね。椋ちゃんから聞いた話だけど、すごかったらしいよ。生徒会長と風紀委員長が今にも殴り合いを始めそうなくらい殺気立ってたって」

「が、がお……それ、なんだか怖い……」

「まあ、あんまり考えたくない風景だな……で、確か、生徒会は後夜祭を黙認してて……」

「風紀委員会は絶対禁止、だったよ。先生の意見は半分半分で、文化祭が終わったあとも毎日話し合いをしてたみたいだし」

「結局妥協案として、生徒会公認の後夜祭を実施するように校則を改めた、ってわけだよな」

「そうだよ。でも、その校則改正の採決でも生徒会と風紀委員会が揉めて、その時二年生だった男の子と、一年生だった女の子がその場で口論を始めちゃったらしいんだよ」

「斉藤から聞いた噂だが、今でも相当仲悪いらしいぞ。杏も椋も香里も揃って『全委員会の役員が集まる会議にはあんまり行きたくない』ってぼやいてたし」

水瀬さんと祐一君の話を聞いていると、どうやら水瀬さんや観鈴ちゃんの通う高校では、生徒会と風紀委員会が度々衝突を起こしているらしい。どちらも学校のため、あるいは生徒のためにある組織とは言え、考え方の違いで衝突することもあるんだろう。

僕が純粋に二人の会話に耳を傾けていた頃、隣の往人さんはと言うと。

「……………………」

黙ったまま腕組みをして、祐一君と水瀬さんの様子をじっと見詰めていた。そして、おもむろに一言。

「水瀬と……相沢だったか。唐突だが、二人はどういう関係なんだ?」

「にはは。見ての通りだよ、往人さん。いっつも一緒にいるの。お似合いだよね」

「って、観鈴っ! いきなりなんてこと言うんだっ!」

「わわわっ、観鈴ちゃんっ! さりげなく無茶苦茶言わないでよっ」

観鈴ちゃんがしれっと「一緒にいる」「お似合い」などと言ってしまったおかげで、水瀬さんと祐一君はあわててそれを否定しにかかった。けれども、顔を真っ赤にして否定しても、全然説得力がないというのが僕の本音だ。

「く、国崎さんっ。わたしと祐一は、そ、そんなんじゃないんだよっ。い、従姉妹っ。従姉妹同士なんだよっ」

「でも、この前長森さんから聞いたけど、二人は部屋を行き来する関係って……」

「わーっ! また誤解されるようなことをーっ!!」

「ちっ、違うよっ! あ、あれはただ、夜二人で一緒に勉強しようと思って……」

「……そのまま一緒に寝るのか?」

「寝ないよっ! それとなくえっちなこと言わないでよっ!!」

「ほほう。つまり、『男女が一部屋で眠る』ってことの意味は知ってるわけだな」

「それくらい知っててもおかしくないだろっ!!」

祐一君と水瀬さんは交互に突っ込みを入れて、ぜえぜえと肩で息をし始めていた。そんなにテンション上げなくても……と、まったくの部外者である僕は思う。

「だから、俺と名雪は従姉妹同士の関係なんだって……」

「そうだよ……それに、祐一にはわたしなんかより、もっとしっかりした人が必要だよ」

「なにぃ? それはどういう意味だっ」

「そのままの意味だよ。祐一は一人にしちゃったら絶対倒れちゃうから、しっかりした人に支えてもらわなきゃダメなんだよ」

「何だと! そういう名雪だってだな、俺がいなきゃ朝起きられなかったり、猫を追いかけてどこまでも歩いていったり、それこそ色々厄介じゃないか」

「うー。祐一だってわたしがノート取ってなきゃ勉強できなかったり、いっつも時計忘れてわたしに聞いたりしてるもんっ。しっかりした人がいなきゃダメだよ」

「いや、名雪より俺の方がしっかりしてる」

「ううん。わたしの方が祐一よりしっかりしてるよ」

「俺だ!」

「わたしだよ!」

「俺だって!」

「わたしだって!」

「ぐぬぬ……」

「う~……」

「ふーっ!」

「ふかーっ!」

「きしゃーっ!」

「ふきーっ!」

ネコのように威嚇を始めた二人を見て、往人さんが一言。

「……なあ観鈴。この二人、どうしてここまで来て『二人でお互いに支えあえばいい』って考えにならないんだろうな」

「え、えっと……にはは……どうしてかな……?」

その通りだと思った。

 

「……さて。俺はそろそろ診療所に戻る。また気が向いたら声でもかけてくれ」

「うん。人形劇見せてもらうの、楽しみにしてるから」

「霧島君にも、よろしくって言っておいてね~」

「それじゃ、俺達も帰るとするか……」

夕方。陽が半分くらい沈んだのを見計らって、一団はここで解散することになった。水瀬さん達と観鈴ちゃんは住宅街へ、往人さんは商店街の方面へと向かって歩いていく。

水瀬さん達の姿が見えなくなってから、往人さんはおもむろに口を開く。

「しかし、あそこまで典型的な恥じらいカップルは初めて見たぞ……」

「……ぴこぴこ」

「なあポテト。あの二人、前々からあんな感じなのか?」

「ぴこっ」

僕の知っている限り、二人は間違いなくあんな関係だったはずだ。少なくとも僕が始めて二人に会った時にはもう、今の関係は完成していたように思う。

「観鈴も佳乃のことが好きみたいだし、何だかんだで進んでるもんなんだな……」

「ぴこぴこ……」

「……………………」

「……………………」

「……あー。あたし、ちょっとだけ素の自分で活動してみたくなったかも……今のカッコじゃ、女の子っぽいこと全然できないし……」

……一瞬だけ女の子に戻った往人さんが、ちょっと恨めしげに呟いた。

 

歩き始めて程なくして、僕らは商店街にまで戻ってくることができた。

「こんな時間だ。もう佳乃も帰ってる頃だろうな」

「ぴこぴこ」

「さっさと帰るとするか……」

寄り道する必要もないし、早く診療所に帰ろう……そう思い、足取りを速めたときだった。

 

「危ないところだったな……大丈夫か?」

「は、はい……どうもありがとうございますっ」

聞き覚えのある声が二つ、僕の耳へと飛び込んできた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。