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第百四話「SMR - Sunohara Mystery Reportage」

「あれは……?」

「ぴこ……?」

思わず足を止めた往人さんの視線の先には、見知った顔が二つ――もっとも、そのうちの片方は、僕だけが知っている顔だったけれども――並んでいた。往人さんは二人の姿を認めると、そろそろとそちらに向かって歩き始めた。声をかけるつもりのようだ。

「もしここで通りがかってくれなかったら、危ないところでしたっ」

「うむ。今回は無事で済んだが、いずれ原因を絶たねばならないな……」

道端で話をしている二人に、往人さんが近づく。

「智代、何かあったのか?」

「ん……ああ、国崎か。奇遇だな、こんなところで会うとは」

「まあな。その子は誰なんだ?」

往人さんの視線の先には、二人よりも一回り小さな女の子。僕はその子のことを知っていたけれど、こんなタイミングで出会うとは思ってもみなかった。女の子は往人さんの視線に素早く反応して、通りの良い声で言葉を返した。

「あっ、春原芽衣と申しますっ。あなたは確か……国崎往人さん、ですよねっ」

「ああ、そうだぞ……って、何で俺の名前を?」

「知らないんですか? もうすっかり有名人になっちゃってますよっ。町に人形遣いさんがやってきたって、あちこちで噂になってます」

「そういうことか……知っての通り、俺は国崎住人。全国を旅して回ってる、流浪の人形遣いだ。よろしくな」

「はいっ。また、人形劇の方もお目にかかれればと思います」

芽衣ちゃんはいつもの屈託のない笑顔で挨拶をして、坂上さんの隣に立った。二人が並んでいるところを見ていると、なんだか坂上さんと芽衣ちゃんが姉妹のように見えてくるから不思議なものだ。しっかり者同士、という共通点があるからだろうか。

「それにしても……お二人の様子を見ると、前々からお知り合いだったようですねっ」

「ああ。前に少し話をしたことがあってな。その時に互いに名前を交換したんだ」

「恥ずかしい話だが、私は最初、彼のことを疑っていてな……芽衣ちゃんも知っているだろう? 最近、夏祭りのポスターが切り刻まれる事件が立て続けに起きていることを」

「はい。誰が何の目的でやっているのかは分かりませんが、絶対にいけないことだと思います。早く犯人が捕まるといいのですが……」

「うむ。私もまったく同意見だ。だが、焦りすぎはよくないな……彼についての話を聞いたとき、真っ先に彼が犯人じゃないか、と疑ってしまったんだ。今にして思えば、随分無礼なことをしてしまった……」

「そう自分を責めないほうがいいぞ。俺がここに入った時期も不味かった。一人で町をうろついたりして、疑われるような行動をしたのも俺だ。まあ、お互い様だ」

「国崎……すまないな。もしこの次があるのなら、もう間違いは犯さないとここに誓おう」

坂上さんは顔を上げ、つき物が落ちたような晴れ晴れとした表情に決然とした調子を加え、はっきりとそう口にした。

「まあ、この話はこれくらいにしてだ……智代、ここで何かあったのか?」

「大したことではないが……少々、嘆かわしいことが起きてな」

「嘆かわしいこと?」

「うむ。私の高校の生徒数名が、芽衣ちゃんに付きまとっているところを見つけたんだ」

「周囲を囲まれて困っていたところに偶然坂上さんが通りがかって、その人たちを追い払ってくれたんです」

「そういうことだったのか……まったく、ロクでもない連中がいたもんだな……」

「そいつらと来たら、私が一言声をかけただけで逃げ出す始末だ……呆れてものも言えないとは、この事を指すのかも知れないな」

「……同感だ」

呆れた様子でため息を吐き出すと、往人さんは両手をポケットへ突っ込んだ。その表情は吐き出したため息通り「心底呆れた」と言わんばかりのもので、今往人さんの心へ去来している感情を分かりやすい形で表現して見せていた。僕も概ね、往人さんと同じ気持ちだったことを付け加えておこう。

「逃げ出すときに見えた顔から推測するに、多分、サッカー部の連中だろうな。あの部は実力こそあるが、精神的に未成熟な人間が多いと聞いている。以前にも問題を起こして、生徒会でも問題になった」

「そう言えば、智代は生徒会の役員だったか」

「ああ。これから先このようなことが起きないよう、綱紀粛正を図っていかねばなるまいな……芽衣ちゃん。今回のことは学校全体の責任だ。我が校の生徒の非礼を詫びさせて欲しい……本当にすまなかった」

「そんな……頭を上げてください。坂上さんは私を助けてくれたわけですし、それに、私も不注意でした。坂上さんにはいくら感謝してもし足りません」

「芽衣ちゃん……君はよくできた子だな。もし芽衣ちゃんが私の高校に入学する気があるなら、私は芽衣ちゃんのような生徒にこそ、学校を代表する存在になってもらいたいぞ」

胸に手をあて、坂上さんが期待を込めた調子で言った。芽衣ちゃんは深く頷くと、きりっとした表情を坂上さんへと向けた。

「ところで、二人はこれから帰るところだったのか?」

「えっと、私はこれから買い物に行くつもりです」

「私は家に帰るところだ。いろいろ問題があってな……その事を話しているうちに、こんな時間になってしまった」

「生徒会ってのも色々大変なんだな……」

往人さんたちがそうしてしばらく、取りとめもない雑談に興じていた時だった。

 

「しかし、あんなオチだったとはなぁ……期待して損したよ」

 

何やら期待を裏切られたらしい男の子(佳乃ちゃんと同い年くらいだ)が、ポケットに手を突っ込みながらのそのそと歩いてきた。どことなく、演劇部にいた北川君に似た風貌(あえて言うなら、北川君にあった「アホ毛」は無い)をしているような気がする……

僕が一人、そんなことを考えていた時だった。

「あっ! おにいちゃんっ!」

「ん?」

意外な人物から声が上がった。芽衣ちゃんだ。芽衣ちゃんは「おにいちゃん」と呼んだその男の子の近くへ走っていくと、そのままその手を引っ張ってこっちに連れて来てしまった。男の子――多分、芽衣ちゃんのお兄さん――は戸惑いながらも、引かれた手に従ってこちらに向かって歩いてくる。

「ど、どうしたんだよ芽衣……って、智代?!」

「あのな春原……何も、私の顔を見ただけでそんなに驚く必要は無いだろう」

「まさか、夏休みにお前と顔をあわせることになるとは思ってなかったからね……こいつは事件だぜ……」

「一体何がどう事件なのかさっぱり分からんが、芽衣。こいつがお前の兄なのか?」

「はい。春原陽平、という名前です。おにいちゃんのこと、よろしくお願いしますねっ」

「あ、ああ……」

往人さんは男の子――春原君――と芽衣ちゃんの顔を交互に見比べながら、しきりに首を捻っていた。

「ふふん……ここで会ったが百年目……! 智代っ、この僕のリベンチを受けて立てっ!」

「やめておけ。私は何事も加減するのが苦手なんだ。手加減は期待しないほうがいい」

「あと、リベンチじゃなくてリベンジ、な」

「……って、お前誰だよっ! なんとなく空気に紛れてて気づかなかったけど、見かけない顔だな……」

「俺は国崎住人。この町で人形劇をやらせてもらってる、流浪の人形遣いだ。噂くらいは聞いたことあるだろ?」

「国崎住人……? ああ、あんただったのか……てっきり、もっと派手派手な服装をして、笛でも吹きながら町を練り歩いてるような人だと思ってたよ」

「お前、俺をチンドン屋か何かと混同してただろ」

「もう……おにいちゃんっ! さっきから二人に失礼だよっ!」

たまりかねたのか、芽衣ちゃんが怒り顔で突っ込みを入れた。うーん。なんとなく、演劇部のあの兄妹を思い出さずにはいられないなあと、僕は思うのだった。

「国崎さん、坂上さん、おにいちゃん……いえ、兄がご迷惑をおかけしてしまって、どうもすみません」

「いや、これはいつものことだ。時候の挨拶といっても差し支えないな」

「で、いつもはこの後こいつのことを軽くあしらうわけなんだな……実物は見てないが、簡単に想像が付く」

「……はぁ。本当に申し訳ありません」

ぺこぺこと頭を下げる芽衣ちゃんと、その隣に立っている春原君。どっちがしっかりしているのかはあまりにも明白すぎて、往人さんも芽衣ちゃんの方に好意を持ったみたいだ。というか、この状況で春原君に好意を持て、という方が難しい話だとは思うけど……

「兄は坂上さんの高校に推薦入学して、今は寮で生活しています。私の家……いえ、実家からはそんなに遠くないんですが、いろいろあって、卒業するまでは寮から出られないそうです」

「実家が近くにあるのに寮で生活してるってのも妙な話だな……」

「はい。それで、時々私が部屋に行って、掃除とか洗濯とかを代わりにやっています」

「春原の部屋が妙に小奇麗に見える日があると思ったら、芽衣ちゃんの功績だったか……」

「ははっ。僕はいい妹に恵まれたねっ」

「じゃあ、芽衣ちゃんは微妙な兄に恵まれたってことになるな。間違いなく」

「うむ。疑う余地すらない」

「……はぁ。おにいちゃん、もっとしゃきっとしなきゃダメだよ……」

「というか、本当は芽衣がお姉さんで、お前が弟じゃないのか?」

「折原の方が、よほど真っ当に兄としての責任を果たしているように見えるぞ」

確かに、今日の折原君は何だかんだで頼りになるところがあった。普段はどこか気の抜けた印象を与えるけど、保育所での出来事の時はみんなをきっちりまとめてたし、指示も的確だった。多分、本当はしっかりした性格なんだけども、滅多にそれを出さないだけなんだろう。

「元々スポーツ推薦でこの学校に入ったんですが、所属したサッカー部でいざこざがあったみたいで、今は退部しています」

「いや、あれは僕が正しかったね! あんなくだらないことに手を貸すくらいならこっちから願い下げだって、顧問の顔に退部届を叩きつけてやったよ!」

「どういうことだ?」

「どうしたもこうしたもないさ。あの連中と来たら、勝つためなら何やったっていいって勘違いしてるんだよ。ロクでもない連中ばかりさ。僕とは最初から反りが合わなかったね」

「……なるほど。お前が必要最低限の常識を弁えてることは理解したぞ」

「ああ。今日の一連の発言の中で、初めて全面的に同意できる内容だったぞ、春原」

「……どういうことだ?」

訝しがる春原君に、坂上さんが説明を始める。

「ついさっきのことだ。芽衣ちゃんが路上で、うちの生徒達に絡まれたらしい」

「何っ?! それ、どういうことだっ!」

「詳しいことは分からない。ただ、そいつらの顔ぶれを見た限り、恐らくはサッカー部の連中だろう」

「あの野郎……! 性懲りも無くくだらないことしやがってっ……!」

坂上さんから聞いた話がよほど腹に据えかねたのか、春原君は先ほどまでとは打って変わって、恐ろしい形相を浮かべて見せた。右手に握りこぶしを作って、わなわながたがたとそれを震わせている。この怒り方……はっきり言って尋常じゃない。本当に、本気で怒ってる……僕にはそう見えた。

「落ち着け春原。今回のことは私も問題だと思っている。義憤を感じるのは構わないが、お前があいつらと同じところまで堕することは、この私が許さない」

「……ああ、分かってるさ。僕だってそこまで馬鹿じゃない。分かってるさ……」

「おにいちゃん……」

煮え切らない様子の春原君を見て、芽衣ちゃんが心配そうに声をかけた。怒りの持って行き所がないのか、春原君はただ俯いてじっと目を閉じ、感情の高ぶりが鎮まるのを待っている。

「……………………」

……本気で怒らせると怖そうだと、僕は思った。

 

場が大分落ち着いてきた頃、坂上さんが口を開いた。

「ところで春原。お前はどこに出かけていたんだ?」

「ん? ああ、ちょっと知的好奇心を満たそうと思ってね。廃駅に行ってきたんだ」

「あの町外れにある古びた駅か?」

「そうそう。少し前から噂の真相を確かめることが趣味になってね。今日はその中の一つ『廃駅から人魂が飛んでいく』って噂を確かめに行ったのさ」

「……どんだけ暇なんだ、お前」

「もう……そんなことばっかりしてないで、勉強とかもちゃんとしないとダメだよっ」

「まぁまぁ、そう堅いことは言いっこなしで」

うーん。やっぱり基本はこんな性格なのかな、と、僕は一人でプロファイルを進めていく。

「で、結局それは本当だったのか? 嘘だったのか?」

「というか、いくらなんでも昼に人魂は飛ばないだろ……」

「いや……それが飛んでたんだよ。真昼間の廃駅でね」

「マジなのか……?」

往人さんの問いかけに、春原君は頷いて答える。

「……飛んでたのはしゃぼん玉だったけどね。確かめてみたら、隣のクラスの遠野とその妹が、あそこでよくしゃぼん玉遊びをしてるらしいんだ」

「それを人魂と見間違えた……ということか?」

「そんなところさ。しかし、しゃぼん玉ってあんなに遠くまで飛ぶものなんだねぇ……驚いたよ」

「夏場とは言え、しゃぼん玉と人魂を間違えるって……」

ある意味絶句したようで、往人さんはため息交じりに力なく呟いた。確かに、人魂としゃぼん玉を間違えるなんて、おっちょこちょいにも程がある。そんなに遠くまでしゃぼん玉を飛ばしてしまう、遠野さんとみちるちゃんの技術にも驚かされるけど……

「まあこんな感じで、僕は日常に転がっている謎を一つ一つ解決していくのさ。その内、この町の謎をまとめた本を出せるかもしれないね。そうすれば僕も一躍印税生活者さ!」

「その前に、それを買い取ってくれる出版社がいるかどうか怪しいぞ」

「大体、おにいちゃん文章書くの苦手でしょ? 中学生の時の読書感想文だって、私が……」

「まーまー。過ぎたことは水に流そうじゃないの」

「お前はいつでも大洪水だな……色々な意味で」

坂上さんが言いたいのはつまり、春原君には水に流すべきことが多すぎるって……いちいち言うまでも無いか。

「ん?」

「どうかしたか?」

「メールだよ。さてさて、誰からかな……」

さっと携帯電話を取り出し、手馴れた様子でそれを開く……その直後。

「……おっ! またおっぱじめたみたいだな……芽衣、悪いけど先に帰っててくれ。僕はちょっと行くところができたから、それじゃっ!」

「えぇっ?! あ、おにいちゃんっ! おにいちゃんったら!」

何を見たのか、春原君は僕らを置いてその場から走り去ってしまった。芽衣ちゃんが後から呼びかけても、その足取りを止めることは無かった。気がついたときにはもう、この場には影も形も残っていなかった。

「……はぁ。何があったのかは分かりませんけど、とりあえず私は家に帰ることにします……」

「ああ……いろいろと大変だとは思うが、何か手伝えるようなことがあれば言って欲しい。協力は惜しまないぞ」

「はいっ。どうもありがとうございますっ。それでは、私はこれで……」

「それじゃ、俺もこの辺で帰らせてもらうか……行くぞ、ポテト」

「ぴこぴこっ」

僕は往人さんの声に応じ、その後ろから遅れないよう付いていく。今度こそ診療所に帰るのだろう。きっと、佳乃ちゃんも聖さんも首を長くして待っているに違いない。

二人との距離が大分離れた頃、こんな会話が交わされた。

 

「そういえば、国崎さんは今どこに住んでらっしゃるんですか?」

「確か……霧島診療所に住み込みで働いていると聞いたぞ」

「……えええっ?! どうしてそういう重要なことを先に言ってくれないんですかっ!」

「い、いや……わざわざ言うほどの事でもないと思って……」

「ありますよっ! 国崎さんを仲間にできれば、もう霧島さんは坂上さんの手の中ですよっ!」

「め、芽衣ちゃん……そんなに大きな声を出さないでくれ……」

 

「……多分、聞こえてないと思ってるんだろうな」

「……ぴこぴこ」

往人さんの声の調子が心なしか重いのは、きっと気のせいではなかったはずだ。

……多分。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。