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第百五話「Sleeplessness」

「今日もぼくが一番風呂ぉ!」

「ふふっ。ちゃんと肩まで浸かって暖まるんだぞ」

「分かってるよぉ。それじゃあ、お先にねぇ!」

夕飯が済んで一服した後、いつものように佳乃ちゃんが先陣を切ってお風呂に入っていった。そしてこれまたいつものように、台所に残される往人さんと聖さん。もはやそれが当たり前になってしまったのか、聖さんは特に何か言うでもなく、ガラスのコップに麦茶を注いで、とん、と往人さんの前に置いた。

「ふむ。またこの構図になってしまったな」

「そうだな……」

短く言葉を返しながら、右手の指先で帽子のつばを取る。そして、指先にぐっと力を込め……

「……ふぅ。でもま、このおかげで『女の子』としてのあたしがあるような気もするし、いいんじゃないかしらね?」

「そうかも知れないな。それにしても、毎度毎度驚かされる。君が本当は女だと分かっているはずなのに、君が帽子を取る瞬間はいつ見ても飽きないな」

「ホントはあたしだって帽子無しで活動したいんだけどね……ま、他のとこでも男になってたわけだし、今更女の子になるのもちょっとね」

苦笑いを浮かべながら、往人さんは帽子をテーブルの上に置いた。背中を覆おうかというほどの長い長い銀の髪を見ながら、僕は改めて、往人さんが女の子であることを確認する。往人さんはこれまでもずっとこうして、女の子であることを隠し続けてきたのだろう。そして、これからも……多分、そうなるに違いない。

「さてさて、今日は何から話しましょうかね……あ、そー言えば先生、朝町をぶらついてる時に見かけたんだけど、保育所でなんかあったの? なんかすっごい大騒ぎになってたんだけど……」

「ああ、大有りだ。しかも、佳乃も絡んでいるぞ」

「えーっ?! どゆこと? それ……」

「君が帰ってくるまでに佳乃から聞いた話だが、なんでも保育所に女の子が一人入り込んだらしいんだ」

「女の子ぉ? やばっ、全然展開読めない……」

しきりに首を捻りながら、往人さんが困ったように呟く。確かに、冷静になってあの出来事を振り返ってみると、日常じゃありえないことだらけだったように思う。ただ、僕や佳乃ちゃんがその出来事の渦中にいて、冷静に状況を振り返ることができなかっただけなのだ。

「順を追って説明するとだ……今日佳乃が朝早く出て行ったのは知っているだろう? その時にたまたま友人たちと出会って、揃って神社へ行ったらしい」

「神社って、あの山の上にある?」

「そうだ。そしてそこで、保育所に入り込んだ女の子と出会ったんだ。そこで何があったかまでは聞かなかったが、とにかく佳乃たちと女の子は神社で別れたんだ」

「ふぅん……何か訳ありっぽいわね……」

「そこも気になるが、まずはこの続きだ。佳乃が出会った友人らの中に、水瀬さんのところの真琴君がいたんだ。知っているだろう? 少し前、君も出会ったはずだ」

「へぇー……あの子と出会ったんだ。あ、どうでもいいけど、『まことくん』って言われるとなんとなく男の子っぽい気がする」

「……うむ。正直発音しておいてから、やけに男の子っぽくなってしまったなと思ったよ……それはともかく、佳乃は真琴君と出会った。それは押さえておいてくれ」

「うん。続けちゃって」

「真琴君は保育所に勤めていてな。佳乃たちとは保育所と学校の分かれ道で別れることになったんだ」

「……真琴ちゃん、保育所に勤めてたんだ……」

「ああ。家主の秋子さんの計らいらしい。なかなか順調にやっているそうだぞ」

「うーん……ちょっと信じられないかも……昔は部屋の中でネズミ花火ぶっ放してたのが、今じゃ保育所に勤めてるなんてねぇ……」

往人さんは一つ一つの事柄に感心しながら、また聖さんの話を聞く態勢へと戻った。

「そこまでは良かったみたいだけど……聞いてる限りじゃ、こっからが問題っぽいわね」

「うむ。ここからが問題だ。佳乃たちは部室で練習をしていたんだが、その時真琴君から呼び出しがかかった。どういう理由で呼び出されたかは、もう分かるだろう?」

「うん。やっと全部繋がった気分」

「女の子は……恐らく真琴君の後をついていって、そのまま保育所に入り込んでしまったらしい。入ったはいいが勝手が分からず、急に入り込んできた女の子の周りを保育所の子供らが取り囲んだりしたあげく、保育所の中を走り回りだしたんだ」

「うっわー……想像しただけで大混乱が引き起こされそうな構図……」

「……どうしようもなくなって、真琴君に呼び出された佳乃たちは保育所に向かった。保育所は今大変な人手不足だからな……中の人間だけではどうしようもなかったらしい」

「うん……それは分かる。すっごいよく分かる」

「結局佳乃たちのおかげで女の子は捕まって、そのまま家まで送り返されることになった……これが今回の出来事の顛末だ。君が通りがかった時には恐らく、まだ佳乃たちが来ていなかったんだろうな」

「多分ね……にしても、人騒がせな話ね」

「同感だ。佳乃が聞き出したところによると、女の子は『椎名繭』という名前らしいが……ん? 繭……?」

「どしたの? 何か心当たりでも?」

「いや……どこかで聞いたような名だと思ったが……すまない。今度話題に上るまでに思い出しておこう」

「あははっ。無理しなくても、もう話題になることもないと思うけどね」

そう言って笑いながら、露の吹いたコップに注がれた麦茶を半分の半分くらい飲む。往人さん特有の飲み方だ。

「さて、この話はこれくらいかな……他に何か聞きたいことはあるか?」

「んー。どうってことない話なんだけど、遠野さんっていっつもあの廃駅にいるの?」

「今日もあそこに行ったのか?」

「いんや。商店街で春原って男の子と会ってさ、その子が『廃駅から飛んでくる人魂』とかいう噂の真偽を確かめに廃駅に行ったら、そこに遠野さんがいたらしくて。で、結局人魂はしゃぼん玉だった、ってオチなんだけど」

「なるほど、そういうことか。私の知っている限りでは、休みの日などはいつもあそこで妹さんと遊んでいるようだぞ。あの廃駅には物好き以外近づくこともないから、二人きりで遊ぶにはちょうどいいかも知れないな」

「ふぅん……あたしが言えた事じゃないけど、ちょっと変わった子だね」

「ああ。正直何を考えているのかは私にも分からないが、根はいい子だ。少なくとも、休みの日に妹の遊び相手になってやっている、というのは事実なのだからな」

「うん。私も悪そうな子には見えないわね。どっちかっつーと……どこかヘンだけど優しい、みたいな」

往人さんの口にした「遠野さんはどこかヘンな子だけど優しい子」というのは、遠野さんのことを割と的確に言い表しているような気がした。確かに僕には理解できない部分もあるけど、あの帽子のお姉さんの探し物を手伝ってあげたり、みちるちゃんと一緒に遊んであげたり、優しいと思えるところもたくさんある。きっと、根はそんな優しい性格なのだろう。

「しかし、君と春原君に面識があったとはな……驚いたぞ」

「あ、違う違う。これ、実はもうちょい話をさかのぼらなきゃいけなくて……面倒だから、一から話してもいい?」

「ああ。むしろそうしてくれた方が助かる。早速始めてくれ」

「んー……帰りに商店街を歩いてたら、そこで智代に出会ったのよ。智代と出会った話、まだしてなかったっけ?」

「初耳だ。どこで知り合った?」

「少し前にポテトと一緒に出かけたとき、川沿いの道で声をかけられたのよ。最近ポスターが切り刻まれたり火をつけられたりする事件が起きてるから、その犯人探しをしてたみたいでさ」

「あまりこういう事は言いたくないが……もしかして、犯人と疑われたのか?」

「そういうこと。でも、ポテトのおかげで疑惑はすぐに晴れて、気づいたら結構仲良しになっちゃいました、って感じかな」

「ふむ。ポテトのおかげ、というのがよく理解できんが、坂上さんの誤解が転じて、君と坂上さんの間に親交が生まれたわけだな」

「そゆこと。で、今日も帰りに出くわしたから、ちょっと声かけてこうと思ってさ」

楽しげに話を進めながら、また往人さんがお茶に口をつける。

「商店街で智代に出会ったときに、芽衣ちゃんって子も一緒にいたのよ。知ってる?」

「知っているとも。春原君の妹だろう?」

「そーそー。で、話を聞いてみたら、芽衣ちゃんが高校生の男連中に付きまとわれてて、たまたま通りがかった智代がそれを追い払ってあげたんだってさ。中学生の女の子に付きまとうなんて、ろくでなしにも程があるわ」

「……まったくだな。まったく、男などろくでなしばかりだ……おっと。佳乃や君は別だぞ。君は数少ない例外だ。光栄に思いたまえ」

「だからさー先生ー、あたし女の子だってばぁ~。先生と一緒にいると、あたし、ホントに男になっちゃいそう……」

「ふふふ。男としての君も頼りにしているぞ」

「まー、女の子として受け止めとくわ。そんな感じで、二人が一緒にいたわけ。智代の話だと、付きまとってたのはサッカー部の連中らしいわ。あんまり評判よくないみたいね」

「そうだな……しかし、また何か問題を起こさなければいいが」

今度は聖さんがコップを手に取り、注がれた麦茶で喉を潤す。

「……………………」

……「また」ということは、これ以外にも問題を起こしたことがあるのだろうか……?

「んでまー、あたしと芽衣ちゃんが挨拶して三人で話してたら、そこに春原って子が通りがかったのよね」

「ふむ。ようやく話が繋がったな。そこで遠野さんの話を聞いたわけだな」

「そういうこと。しっかしまー、あんなお兄さんと一緒じゃ、芽衣ちゃんも大変よねぇ……」

「ふふふ。兄弟や姉妹というのは、えてして年下の方がしっかり者になるものだ。芽衣君の場合は、それが少々顕著過ぎるような気もするがな」

「でしょ? 掃除や洗濯もやってあげてるみたいだし……あの分だと、多分ご飯作ったりするのも上手そう」

「そうだな。まったく、春原君にはもったいない、よく出来た妹さんだよ。何より可愛らしい。実に可愛らしい。あんな妹がいれば毎日幸せいっぱい夢いっぱいに違いない。君もそう思うだろう?」

「せんせー。せんせーの目つきと手つき、すっごくアヤしいでーす」

「なぁに、気のせいだ」

「いや、何でもかんでも気のせいに出来たら世話ないっしょ……」

いつもいつも佳乃ちゃんに女物の服を着せようとしたり、往人さんとセットで男の子と女の子をごっちゃにしてからかっている聖さんの意図が、一瞬ものすごくはっきり見えた気がした……

「これとは直接関係ないんだけど……も一ついいかな?」

「無論だ。聖先生が答えてやろう」

「おー、なんか頼りになるっぽい。んじゃ聞くけど、佳乃の通ってる高校の生徒会と風紀委って仲悪いの?」

「詳しいことは私にも分からないが、噂には聞いている。何でも今の生徒会長が高校に入学してからというもの、急激に関係が悪化したとのことだが」

「やっぱりね……いや、海岸で名雪ちゃんと祐一君に会ってさ、その時の会話にそういう話題が出てきてたから、実際のところはどうなのかなー、って思って」

「あまり良い話は聞かないな。佳乃もあまり係わり合いになりたくないようだしな」

「そりゃそうね……ま、学生ってのもいろいろ大変ね」

「彼らの場合、自分達から進んで仕事を増やしている感もあるがな。生徒会の方だが、たまに町内を巡回していることもある」

「うっわー……ほとんど自警団の領域ね」

「まあ、形のある名物のないこの町の、数少ない名物といっても過言ではないな」

「名物ねぇ……」

苦笑いを浮かべて、残っていた麦茶を飲み干した。

 

「そいじゃ、お先に失礼」

「うむ。私ももう少ししたら床に付くつもりだ」

順番にお風呂に入ってから、往人さんが待合室へと引っ込む。そろそろ寝る時間なのだろう。僕も佳乃ちゃんのところに行くとしよう。

「……………………」

往人さんの後ろについて診察室へ入り、そのまま階段を上る。

「……………………」

佳乃ちゃんの部屋の前まで来ると、しっかりと閉められていないドアを前足をかけて少し開き、僕の体をねじ込めるだけの空間を作る。きい、という音と共にドアが開き、部屋の中へと入る。電気が消えているので、佳乃ちゃんはもう眠ってしまったのだろう。

「……ぴこぴこ」

僕は佳乃ちゃんを起こさぬよう、静かにベッドへ飛び乗る。耳を済ませてみると微かに、佳乃ちゃんの穏やかな寝息が聞こえてきた。このまま、僕も眠るとしよう。

………………

…………

……

 

 

「……?」

……体に何かが通っていく感触。末端まで少しずつ満たされていって、意思の伝達が可能になる。

「……ぴこぴこ……」

無意識のうちに、僕は目を開いていた。

「……………………」

そして気づく。僕は何かの拍子に、えらく中途半端な時間に目が覚めてしまったのだということを。

「……ぴこー……」

僕はどうしてだか、こうやって何日かに一度の割合で、とてつもなく遅い時間に突然目が覚めてしまう。それは僕が生まれてからずっと起こり続けていることで、原因は分からない。ただこうして目覚めた時の夜は、もうどうやっても眠りにつくことはできない。目を閉じて羊の数を数えても、僕に眠気が訪れることはない。明瞭な意識が眠気を追い払って、眠ろうにも眠れなくなってしまうのだ。

「……………………」

……困った。これから朝が来るまでの数時間、僕は何をして過ごせばいいんだろう? ベッドの上にいるのがもどかしい。何でもいいから何かしていないと、どうにも落ち着かなくてしょうがない。けれども、佳乃ちゃんも聖さんも往人さんも、今はぐっすり眠っている。僕が何かして起こしたら、明日――あるいは、「今日」かも知れないけど――に差し支えるだろう。困った。

「……ぴこ……」

その時、このどうしようもない空白の時間を、有効に潰せそうな方法を思いついた……とは言っても、ただ単に外に出て散歩をするだけのことだけど。そして同時に、それを実行に移すための手段も。僕の記憶が正しければ、あの場所から外に出ることが出来るはずだ。そうと決まれば、やらない手はない。適当に時間を潰して、朝になる頃にまた戻ってこよう。

「……ぴこぴこ」

僕は佳乃ちゃんを起こさぬよう、細心の注意を払ってベッドから降りると、開きっぱなしのドアをくぐり、一階へとつながる階段を下りた。

 

夜の闇の中に、僕の白い体が解けて行く気がした。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。