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第百八話「Presentiment of confliction」

「恭介……?」

「あの棗恭介が……帰ってきたって……?!」

川口さんの絶叫が収まった途端、周囲は騒然とし始めた。皆一様に驚きに顔を染め、近くにいる人とお互いに顔を合わせあっている。それは即ち、川口さんの口にした「恭介」という名の人物が、この場にいる全員にとってそれほどインパクトのある名前だったことに他ならない。空気の変わった部室のあちこちで、雑談とも密談とも取れるような話し声が聞こえ始める。

「なあ長森……恭介って確か、去年後夜祭騒ぎを起こした……あの人だよな?」

「うん、間違いないよ。棗先輩は校内でも有名な人だからね。一団の先頭に立ってみんなを引っ張ってたのは、間違いなく棗先輩だったよ」

「えぇっ?! あの騒ぎ、みんなが興奮して一斉に出て行っちゃったわけじゃなくて、誰かが扇動して先導してったの?!」

「ああ……みさおには言っていなかったが、あの人はそれくらい涼しい顔してやってのける人なんだ」

以前祐一君と水瀬さんが話していた「後夜祭騒ぎ」を起こした人らしい。その時点でもう既に、「恭介」という人が普通の尺度では測れない人であることが分かる気がした。文化祭を終えた直後、興奮状態にある大勢の生徒を引っ張っていくだけのカリスマ性を持った人なんて、僕にはとても思いつかない。

「茂美茂美っ。その情報、どこで手に入れたの?」

「いやー、恭介先輩が開いてるWebサイトがあるんだけどさー、そこで思いっきり告知されてたのよ。うん」

「確か、メールで相談を受け付けて、それに答えていくサイトだったわよね?」

「そーそー。内容の真偽を一切問わず、寄せられた質問に真っ向から答えていく恐るべきサイトよ。ちなみに、今年始めに百万ページビューを達成したわ」

「途方も無い数字ねぇ……あたしは見たこと無かったけど、今度見に行ってみようかしら」

「……ちっ。あとコンマ数秒早かったら、私が百万番を取れてたのに……リロードしたら百万飛んで四番だった……あの日は悔しくて眠れなかったわね……」

「茂美……あんた、ホントそういうの好きよねぇ……」

何が何だかよく分からないが、「恭介」さんはとにかく人気のあるWebサイトを持っていて、それは既にのべ百万人以上の人が見ていて、そして川口さんは記念すべき百万番目をぎりぎりで取り逃してしまった……いや、最後のはちょっと関係ないと思うけど、とにかくそういうことらしい。

「朋也君、朋也君。恭介さんと聞いて、一つ思い出したことがあるんです」

「どうしたんだ?」

「えと……この前ことみちゃんと一緒に図書館に行ったんですが、その時に、古い新聞を読んだんです」

「……ひょっとして、蜂の巣の話じゃないか?」

「えっ?! 朋也君も知ってましたか……」

「ああ。噂に聞いたことがあるんだ。写真とかはまだ見てないけどな」

「そうですっ、写真がすごいんですっ。聞いてくださいっ」

「落ち着け渚。どんな風に凄いのか、ゆっくり落ち着いて話してみろ」

「えと……写真には子供が五人いて、その子達が蜂を退治したって書いてあったんですけど……」

「ああ……五人ってことは、多分2-Eのあいつらだな。そんな頃から一緒だったとはな……まあいい。それで?」

「はい……それで、その中の一人が……」

「その中の一人が?」

 

「……真っ黒焦げになっちゃってたんですっ」

 

「……真っ黒焦げ?」

「はいっ。もう言い訳できないくらい黒焦げになっちゃってるんですけど、笑顔でピースとかしちゃってるんですっ」

「……………………」

「服とかもう半分くらい焼けちゃってるんですけど、満面の笑みなんですっ」

「……………………」

ものすごい話を聞いてしまった。「恭介」さんも凄い人のようだけど、その取り巻きも半端ではない面々が揃っているみたいだ。なんと言っても、火で焼かれても死なない鋼の肉体の持ち主だ。もう常識とかそういうので考えること自体が間違っているような、そんな気がしてくる。

「……あっ。私も一つ思い出したことがあるよ」

「どうしたんですかー?」

「別の人から聞いた話なんだけどね、恭介君って、もう車の免許持ってたりするらしいんだよ」

「はぇー……それはすごいですねー。どうやって取る時間を作ったのかとか、そういうのが気になります」

「うん……謎だよね。でも、恭介君ならやってくれそうな気がするんだ、私」

「あははーっ。佐祐理も同じです。恭介さんなら、湖の水を飲み干すことだってできそうな気がしますよー」

高校生で車の免許……想像を絶する人だ。川名さんの言うとおり、どうやって取得する時間とかを作ったんだろう? いや、ひょっとすると「恭介」さんは、僕らとは違う時間軸に生きているのかもしれない。人間なのかさえ怪しいところだ。

「舞ちゃんは恭介さんのこと、知ってるかなぁ?」

「……(こくこく)」

「うんうん。恭介さんはすごいんだよぉ。この前修学旅行に行った時にねぇ、さりげなくぼくと同じバスに乗ってたんだぁ」

「……三年生なのに?」

「そうだよぉ。すごい人だよねぇ。びっくりだよぉ」

「……乃のほうがすごい」

「えっ? 舞ちゃん、何か言ったかなぁ?」

「……(ふるふる)」

舞さんがぼそぼそと何か言ったような気がするけど、それよりも佳乃ちゃんの言ったことの方がよっぽど重要だと思った。三年生なのに修学旅行へ行ってしまったり、さりげなく佳乃ちゃんのバスへ乗り込んだり……本当に只者じゃない。

一通り聞き終わってから、再び最初の位置まで戻ってくる。

「うわぁ……なんだかあちこちで話題になってるね。やっぱり、みんな気になるのかな」

「気になるっていうか、この学校にいる限りは嫌でも耳にする名前だと思うぞ、俺は」

「それもそうだね。まだ他にもあった気がするけど……」

「ねえ瑞佳お姉ちゃん。もしかして、五月の終わりごろにグラウンドで野球の練習してたのって……」

「あーっ! それがあったのをすっかり忘れてたよっ! あれもすごかったね……」

「……思い出したぞ。運動部のキャプテン集めて、そいつらと試合したんだっけな」

「そうだったよ。今思うと、無茶苦茶な話だよね……」

「ああ。破天荒にも程ってものがあるぜ……」

「色々な意味で信じられないよ……でも、ホントにやっちゃったんだよね。その、恭介さんって人は……」

もうそろそろ僕の理解の範疇を超えつつあるような気もしないではないけど、恭介さんは春先に野球チームを作り、挙句の果てに運動部のキャプテンを集めて、その人たちと試合をしてしまったらしい……なんかこう、あの人が一歩歩くたびに新たな伝説や武勇伝が生まれていくような、そんな錯覚さえ感じた。

「他には何か書いてなかったの?」

「書いてた書いてた。詳細はまだ分からないけど、今年の夏祭りと文化祭で何かやらかすつもりみたいよ」

「やっぱりね……来年には卒業しちゃうから、最後にずどんと大きな花火を打ち上げよう、って寸法ね」

「そうみたいねー。関係ないけど、恭介先輩って、打ち上げ花火の職人のところで修行したことあるんだって」

「……もう何でもありみたいね」

夏祭りと文化祭、八月と九月にある大きな行事。そのどちらかあるいは両方で、恭介さんは何かやるつもりでいるようだ。ここまでの噂を聞く限り、それはもう半端なものじゃ済まされないだろう。何が起きるのかは分からないけど、ちょっとわくわくしちゃっている僕がいる。

「帰ってきたってことは、どこかに行ってたんでしょうか?」

「さあな……あの人は時々どこかにふらっと出かけて、気がついたら戻ってきてる……それの繰り返しだからな」

「なんだか、いろいろとすごい人です……本当に、すごい人です。そんなすごい人が……そんなすごい人が……」

「……渚? どうしたんだ?」

「……そんなすごい人が、私たちの演劇部に来てくれたら……ああっ、想像するだけで熱いものがこみ上げてきますっ」

古河さん、暴走開始。古河さんの演劇に対する熱意は色々な意味で底無

 

(どんっ!!)

 

「!!」

「!?」

「?!」

何かを机に叩きつけるような低く鈍い衝撃音と共に、部室の中は一瞬にして静まり返った。皆が重々しく動かした視線の先には、固く握り締めた拳を机に打ちつけたままの……

 

「ぶ、部長……?」

「ゆ、ゆきちゃん……?」

「深山……さん……?」

「…………!!!!」

 

……深山さんがいた。拳をカタカタと震わせ、俯いたまま何も言おうとしない。普段の冷静で穏やかな深山さんからは想像できないような、感情剥き出し――「怒り」「苛立ち」「動揺」――の生々しい姿だった。川名さんも川口さんも古河さんも声をかけるにかけられず、戸惑ったようにお互いの顔を見合わせるしかないようだった。

「……………………」

それからしばらく間を置いた後、深山さんは静かに息を吐き、ゆっくりと言葉を口にし始めた。

 

「……あいつ――棗恭介が何をするつもりでいようと、私たちには関係の無いことよ。つまらないことでいつまでも騒いでないで、早く練習に戻りなさい」

 

震える声でそう言い終えると、深山さんはそのままつかつかと歩き出し、一人部室を出て行った。静かに戸を閉めると、どこかへと歩いていってしまった。遠ざかる深山さんを誰も追いかけようとせず……いや、それは違う。誰も追いかけることができなかったんだ。あまりにも突然の深山さんの変貌に、誰もついていくことができなかった……それが本当のところだろう。

「ど、どうしちゃったんだろう……ゆきちゃん……」

「何だか……すごく、怒ってるみたいに見えたけど……」

「ふぇ……舞ー、深山さんと恭介さんって何かあったっけ? 舞は知ってるー?」

「……(ふるふる)」

「ひょ、ひょえぇぇ……わ、私としたことが、背中にツララを差し込まれたような気分になっちまったぜぇ……」

「茂美……あたし、あんたのキャラが未だにつかめないわ……」

「えと……もしかして、私のせいでしょうか……」

「……いや、特に誰のせいでもないと思うぞ、あれは……」

先ほどとはまったく別の形で、場が騒然とし始める。誰一人として、深山さんが突然部室を出て行ってしまった理由をつかめていないようだ。もちろん、それは僕にも分からない。深山さんと恭介さんの間に、一体何があったというのだろう? あの様子じゃ、何も無かったと考える方が無理な話だ。

「うぬぬ~。一体何があったんだろうねぇ?」

「そうねぇ……深山部長と恭介って人が一緒にいる光景自体、あたしは見たことないし」

「あの様子じゃ、いい関係には見えないけどな……私」

「そうですよね……どっちかって言うと、嫌ってるような感じがするよ」

「しかも、半端じゃ無さそうだな……毛嫌いって言葉が正しそうだ」

折原君の意見に、僕も賛成だった。あの様子は尋常じゃなかった。なんかこう、名前を口に出されるようなことさえ嫌がっているような、そんな感じだった。

「ま、いずれにせよ、恭介って人の話題はあんまり出さない方がよさそうね」

「そうだね。ゆきちゃん、怒らせちゃうと結構怖いから」

「ふぇ……でも、お二人の関係は気になりますね」

こんな調子で、部室にまたいつもの空気が戻り始めた……

……そのとき、だった。

「……ん? ごめん、みんなちょっと静かにして」

「どうしたのぉ?」

「誰かから電話。すぐ終わらせるから、待っててちょうだい」

藤林さんが携帯を広げて、着信に応じるのが見えた。多分、藤林さんの友達だろう。

「もしもし? どしたの?」

最初、藤林さんはごく普通の調子で応対していた。

……でも。

「……え? ちょっと待って……もう一回、もう一回落ち着いて言って……」

それが崩れていくのは、存外早いもので……

 

「はぁ?! 昨日のあの子がまた入り込んだぁ?!」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。