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第百二十五話「Presentiment of Pandemonium」

「……ずいぶんと厄介なことを聞いてくれるな、君も」

「まぁ、答えづらいわよね……いろいろと」

その質問が発せられた途端、聖さんの表情が目に見えて曇った。往人さんの口にした「かのちゃんは観鈴ちゃんとどういう関係なのか」という質問を受けての、聖さんの最初の反応だった。

「神尾さんと出会ったのは……ああそうか。前にものみの丘へ行ったときに、神尾さんと鉢合わせしたと聞いたな」

「うん。それもあったし、昨日海辺を歩いてた時も出会ったわね」

「なるほど……そこで、佳乃の話も聞いたわけだな?」

「本人の口からは聞いてないけど……まあ、本人の反応とか周囲の人の対応を見てたら、分からない方が無理じゃないかしらね」

往人さんの言葉を受け、聖さんは静かに頷いて応えた。往人さんが言っている「周囲の人」というのは……多分、ものみの丘で観鈴ちゃんと一緒にいた川口さんのことを指しているのだろう。あれはあまりにもバレバレな対応だと思うし、実際往人さんも見抜いてしまっている。

「ふむ……存外あっさり知ってしまったようだな。もう少し時間がかかるものだと踏んでいたが」

「こー見えても一応女の子ですから。で、とりあえず、観鈴ちゃんが佳乃のことを好きなのはもう確定なんだ」

「ああ。それに関してはもはや疑う余地がない。少しでも疑える余地が残っていたなら、まだ気が楽だったかも知れないな」

聖さんが軽く首を捻り、首筋の凝りをほぐす。この話題に入ってからというもの、聖さんの口調にいつものキレが感じられない。話題が話題だけに、聖さんも気を遣うところなのだろう。そんな聖さんの心情を知ってか知らずか、往人さんはさらにこんな話題を場に上げる。

「先生がそんなに悩んでる理由、当ててみよっか?」

「あまり気は進まないが……いいだろう。言ってみたまえ」

まるで覇気の感じられない聖さんを前にして、往人さんは迷わず切り込んでいく。

「……観鈴ちゃん以外にもいるんでしょ? 佳乃のことが好きな子が」

「……君は薄気味悪いくらい正解を引き当てる能力に長けているな。その通りだ」

大きな大きなため息を一つ吐いて、聖さんがわずかに姿勢を崩した。頭を軽く抱え、その顔を机へと俯けさせる。

「国崎君。君は遠野さんのことを知っているか?」

「知ってるわよ。公園で捜し物したときに出会って名前聞いたから」

「うむ……この展開から想像はつくと思うが、彼女もまた佳乃に好意を持っている」

「それはもう確定なの?」

「……遠野さんの妹を知っているだろう? あの子の態度で分かる」

「あの子って……みちるちゃんのこと?」

「そうだ。あの子とは街中でもよく出会うんだが、その度にこう問われる」

「……………………」

一拍間を挟み、聖さんがみちるちゃんから聞かされたという言葉を復唱する。

「『今、佳乃はどこにいる?』……そんな感じだ」

あまりにもストレートな言葉に、往人さんは面食らいつつも一応食い下がる。

「えーっとさ……確実にありえないとは思うけど、まー念のために一応確認しとくと、みちるちゃん本人が佳乃に惚れてるって可能性は完全にゼロなの?」

「そうそう。こんなこともどこかで聞いた気がするな」

「……?」

「『佳乃みたいなお兄ちゃんが欲しい』……こんなことだ」

「……あー、なるほどなるほど」

その言葉の意味するところを理解したのか、往人さんが息を吐いた。コップに半分ほど残されていた麦茶を飲み干し、聖さんから聞かされた内容を整理し始める。

「佳乃がみちるちゃんのお兄さんになるためには……」

「……遠野さんと佳乃が……そういうわけだ」

「えっと……遠野さん自身から何かアプローチはないの?」

「今のところは、な。ただ、遠野さんに一番近い存在のみちるちゃんがここまで佳乃のことを気にかけているくらいだ。見る人が見れば、遠野さんが佳乃に対して何らかの感情を抱いているであろうことは容易に想像が付くだろう」

「まあ、そりゃそうよね……」

僕も見たとおり、みちるちゃんはお姉さんである遠野さんのことをとてもよく慕っている。そんな遠野さんに好きな人がいたら、その人とくっつけてあげたくなるのはよく理解できる。佳乃ちゃんも二人にいつも優しく接してあげているし、みちるちゃんも「佳乃ちゃんなら、遠野さんと一緒にいても大丈夫」と判断したのだろう。

「ここまでならまだいい。問題の対象となるのが二人だけだからな」

「そうね……でもその言い方だと、これで終わりには思えないわね」

「ああ……君も分かっているんだろう? 私がこれから誰のことを言おうとしているか」

「……栞ちゃん、かな?」

「……そうだな。まったくその通りだ」

抑揚の無い声で、聖さんが往人さんの言葉に「正解」の返事をした。空になったコップに麦茶を注ぎ足しながら、今ひとつ覇気の感じられない口調で話し始めた。

「君も見ていたんだな。あの時の美坂さんと栞君のやりとりを」

「一応ね。あの後も見てたけど……うん。確定っぽい」

「何かあったのか? あの場にはちょうど佳乃と栞君が同席していたはずだが」

「いやまー……なんというか……言っちゃってもいい?」

「言ってみたまえ。私は診察でそのときの様子が分からなかったからな」

「脚色も加工も増減もせずに言うならね……栞ちゃんの髪型を佳乃が褒めて、栞ちゃんが顔を真っ赤にしてたりとか、不安そうな表情を見せた栞ちゃんを佳乃が頭をなでて励ましたりとか……あ、ちょっと先生頭抱えないでよ」

先程にも増して深刻な様子で、聖さんが頭を抱えてしまった。確かに聖さんの立場に立って一連の話を聞いていたら、頭を抱えたくなる気持ちもよく分かる気がする……

「佳乃……お前はどれだけ罪作りな子なんだ……」

「うん……先生の言いたいことはだいたい理解できる」

「悪いとは言わない、決して悪いとは言わない……が、少々困った状況にあることは間違いないな……」

どうにか顔を上げ、聖さんが元の姿勢に直る。往人さんも椅子に座り直し、顔を上げた聖さんの目を見つめた。

「やっぱり聖先生でも悩むんだ……」

「当たり前だ。私も人間だぞ。悩み事の一つや二つあってもおかしくないだろう」

「そうね……で、これはその悩みの一つ、ってわけね」

「その通りだ……佳乃のことももちろんだが、神尾さんや遠野さん、美坂さんにしても……悩みは尽きない」

「これ、どう考えても修羅場になりそうだよね……どう考えても」

「ああ……三人が三人とも、佳乃のことを想っているわけだからな」

聖さんの言葉で、改めて今の状況が確認された。佳乃ちゃんのことが好きな人が三人もいて、しかもそれぞれが本気で佳乃ちゃんのことを想っている。複雑にならないわけがない。

「彼女らのことは私もよく知っている。皆素直でよい子たちだ。私もそれはよく理解している」

「まあ、ちょっと変なところがある子もいるけど、概ねいい子っぽいしね」

「うむ。だからこそ悩んでいるわけだ。誰が佳乃と一緒になろうと、残った二人との間に埋めがたい溝が残る……それが心配でならない」

聖さんの「溝が残る」というのは、佳乃ちゃんと残った二人との関係を意味しているのだろう。どう転んでも不幸せな人が出てしまう。聖さんはそれを憂いているわけだ。

「先生、追い打ちかけるようで悪いんだけど……」

「どうした?」

「佳乃がさ、今のこの状況にこれっぽっちも気づいてないことも考えるべきじゃない?」

「……確かにな。佳乃は私が言うのも何だが、常識外れの鈍感だ。それに関しては認めざるを得まい」

「観鈴ちゃんと二人きりでいたときも、全然動揺してなかったみたいだしね……」

二人の言葉はもっともだった。佳乃ちゃんは間違いなく男の子のはずなのに、女の子と二人きりでいても全然動じる様子が無い。なんというか、観鈴ちゃんや栞ちゃんを本当に「女の子」として見ているのか、そのレベルで怪しい感じがする。

「それとさ……」

「うむ……」

「悪い訳じゃないんだけど、佳乃って誰にでも平等に優しいんだよね……」

「……ああ。そしてそれが、余計にこの状況をややこしくしている……君はそう言いたいんだな?」

「その通り。ホント、どうするつもりなのかしらね……」

往人さんの言ったことは当を得ている。佳乃ちゃんは(例えば女の子と見間違えられたりしない限り)誰に対しても同じように話をして、同じように優しく接する。誰かに対してだけ優しいとか、そういうのがまったく無いのだ。それはとてもいいことなんだけども、それが佳乃ちゃんを取り巻く人間関係をもっとややこしくしているというのは間違いなかった。

「……ま、最後は佳乃が決めることだし、気にしないでおきましょっか」

「そうだな。何かあれば、佳乃の方から私に相談するだろう。私はいつでも佳乃の味方だからな」

深く考えても仕方ないと悟ったのか、二人はそこで話すのを止めた。空になったコップを集め、聖さんが流しへ置いた。

「さて、そろそろ時間だ。君も風呂に入ってくるといい」

「そうさせてもらうわ。終わった後追い炊きしとく?」

「ああ。そうしておいてくれ」

終わりゆく夜のおしゃべりを眺めながら、僕は相変わらず台所の片隅で丸くなっていたのだった。

 

「明日もきっちり働いてもらうから、睡眠をきちんと取るんだぞ」

「分かってる分かってる。それじゃ先生、おやすみー」

夜も更け、就寝時間になった。二人の会話を合図に、僕は寝床である佳乃ちゃんの部屋へと上がる。階段を一段ずつ登り、開け放たれている部屋のドアをくぐる。

「……………………」

「ぴこぴこ……」

部屋の電気はすでに消されていて、佳乃ちゃんは毛布を半分ほどかぶって寝入っていた。気持ちよさそうに寝てたから、起こさないよう静かにベッドへ上る。

「……すー……」

眠っている佳乃ちゃんに体をくっつけて、僕は静かに目を閉じた。

「……………………」

 

 

……不意に体が軽くなる。深い海の底へ沈んでいた体が、ゆっくりと海面へ浮かび上がっていくかの如きイメージ。視界を覆っていた暗闇が切り裂かれ、鈍い光が満ちてゆく。闇が光に征伐され、淀んだ白が闇に成り代わったとき――

「……?」

僕は、目覚めてしまった。

「ぴこぴこ……」

まただ。また、こんな時間に目を覚ましてしまった。昨日(一昨日、か)起きたばかりだというのに、今日(昨日……かな)もまた、僕は目覚めてしまった。こうなるともう、この夜は眠れない。

「……………………」

時間は分からない。部屋が暗すぎて、時計の針が何時を指しているのか見えないのだ。それでも外の暗さから見て、夜の帳がすっかり降りていることは間違いなさそうだった。こうして僕はまた、一人で眠れぬ夜を過ごす羽目になったのだ。

「……ぴこ」

小さくため息をついて、僕は体を大きく伸ばした。どうしてこんな時間に目が覚めて、しかも眠れなくなってしまうのか。理由が分からない。理由さえ分かれば、少しは納得できたかも知れないのに。

「……………………」

眠れないのにベッドで転がっていても仕方がない。僕は体を起こし、ベッドを降りた。

 

「ぴこぴこ……」

ぼんやりと道を照らす街灯を目印にしながら、僕は誰もいない道を歩いていく。

「……………………」

行き先は決めてある。恐らく、あの人は今日もそこにいるだろう。あの人と一緒にいれば、この退屈な時間もすぐに過ぎてくれるはずだ。何もすることのない僕にとって、一緒にいてくれる人の存在というのは、とてもありがたいものだ。

「……………………」

……それに。

 

『……この町の秘密を、知りたいとは思わないかな?』

 

……この言葉の意味を、教えてくれるかも知れない……僕はそう考えた。

それなら、この時間に起きていることも悪くない。僕の中に漂う無数の疑問の一つを、氷解させてくれるかも知れないからだ。

そんな期待を胸に抱きながら、僕は歩く。

 

「あっ! ポテト君!」

「ぴこぴこっ」

その人は、いつもの場所にいた。無人の廃駅にあるベンチに腰掛け、まるで誰かを待っているかのような様子だった。そんなお姉さんに、僕は迷わず走ってゆく。

「今日も来てくれたんだねっ。お姉さんうれしいよっ」

「ぴこぴこー」

お姉さんに抱き上げられ、頬ずりをされた。お姉さんの温もりが直に伝わってきて、何ともいえず気持ちよかった。こうして人に抱かれると、その人との心の距離も詰められる気がする……そう感じた。

……そして、しばらく間をおいて。

「そっか……今日も来てくれたってことは……」

「……………………」

「知りたいんだね。昨日、言ったこと……」

その言葉に、僕は無言で頷く。

「……うん。じゃあ、教えてあげるよ……」

 

「『この町の秘密』を……ね」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。