――明けて翌朝。
「リアンさん、泊めてもらってありがとうございましたっ」
「いやいや。あたしもともえちゃんがいてくれて、楽しかったわ」
アトリエの前で、ランドセルを背負ったともえが、リアンに頭を下げていた。これから学校へ行くようだ。
昨日の雨とは打って変わって、今日は清々しいばかりの快晴だった。雲ひとつ無い青空から、強い太陽の光が降り注いでいる。昨夜の激しい雨が、嘘のようである。
「ルルティさんにも、よろしく伝えておいてください」
「分かったわ。あの子、昨日はぐっすり眠れたみたいだから」
ともえちゃんのおかげでね、とリアンが言うと、ともえは照れたように笑った。
「それじゃあリアンさん、行ってきます」
「気をつけてね。また、アトリエに来てちょうだい」
会釈をしつつ、ともえはアトリエを発った。
「……………………」
ランドセルを背負って歩いてゆくともえの後姿を、リアンが見送る。
「……にしても、昨日のともえちゃんは可愛かったわねぇ……」
ルルティを抱きしめたときのことを思い出しているようだ。完全にホの字になっている表情を浮かべつつ、じゅるり、とよだれを拭う姿は、紛れもなくただのヘンタイである。この人(魔女だが)は本当に大丈夫なのだろうか。不安は募るばかりである。読者の皆さんも心配に違いない。
「ルルティもルルティで『お姉ちゃん……』なんて寝言で言っちゃって……あーたまらんたまらん」
朝からいいモノが見れた、と言い残し、リアンはアトリエに戻った。
「あっ……」
アトリエから学校へ向かう途中のことだった。ともえが足を止め、前を歩く二つの人影に目を凝らす。
「あれは……」
少し確認するそぶりを見せてから、ともえは思い切って声を掛けた。
「琥珀ちゃん!」
「え? ともえちゃん……?」
前を歩いていた琥珀は、思いもよらぬ人物に声を掛けられた、とても言いたげな表情で、後ろへ振り返った。琥珀と歩調を合わせるように、隣にいた少し背の高い少年も振り返る。
「おはよう、琥珀ちゃん。体の具合、大丈夫?」
「うん。琥珀、今日は調子いいみたい」
「琥珀。この子、友達かい?」
琥珀に付き添う少年が、彼女に問いかけた。穏やかで優しい声色をしている。
「うん。中原ともえちゃん、っていうんだよ。琥珀の友達なの」
「そうだったんだね。中原さん、琥珀といつも仲良くしてくれて、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
一礼した後、少年が琥珀の肩に手を乗せた。
「初めまして、中原さん。僕は長倉晶(あきら)、萌葱小学校の六年生だよ」
「こちらこそ、初めまして。中原ともえです」
「あのね、琥珀のお兄ちゃんなの」
「そういえば琥珀ちゃん、お兄ちゃんがいるって言ってたね」
琥珀は晶にしっかりしがみついて、まったく離れる素振りを見せない。琥珀が兄を慕っている様が、誰の目にも分かる状態である。ともえは琥珀の微笑ましい姿に、無意識のうちに目を細めていた。
「昨日は琥珀が具合を悪くしちゃったみたいで……心配を掛けたね」
「琥珀ちゃん、今日は元気そうでよかったです」
昨日に比べ、琥珀の顔色は目に見えてよくなっていた。今日は一日、無事に過ごせそうだ。
「琥珀ちゃん、後でノート貸したげるね」
「ともえちゃん、ありがとう」
「晶さん、優しそうなお兄ちゃんだね。琥珀ちゃんがちょっとうらやましいよ」
無垢な笑みを浮かべて、琥珀が頷いた。自慢の兄を友達から褒めてもらった事に、喜びを隠せずにいるようだ。
「それじゃ、そろそろ学校に行きましょうか」
「そうだね。琥珀、行くよ」
「うん」
ともえ・晶・琥珀は肩を並べ、一緒に歩き始めた。
「……………………?」
校門までたどり着いたとき、ともえはグラウンドの雰囲気が、いつもと明らかに異なっている事に気が付いた。上級生・下級生・同級生を問わず、そこにいる者すべてが、綱渡りでもしているようなぎこちなさを伴って歩いていた。
「あれは……」
ともえが違和感の出所を探ると、間もなく、その正体に気づく事ができた。
「……おい、お前が厳島か」
「だったら何だってんだ?」
黒いランドセルを気だるそうに肩から提げた、橙色のショートカットの少年――厳島――が、恐らく晶と同級生と思しき上級生三人と、真正面から向かい合っていた。
「お、お兄ちゃん……あれ、ケンカかな……」
「坂口たち……下級生に絡むなんて……」
「やっぱり、晶さんの同級生ですか……」
厳島は、隣のクラスの同級生ですと付け加え、ともえらは遠巻きに厳島と坂口たちを眺めていた。同じようにして数名の生徒が、坂口らが厳島に絡む様子を見ているのが目に映った。
「この前、藤巻達をぶん殴ったんだってな」
「仇討ちのつもりか? 人様の弟に絡む方が悪ぃんだよ」
「舐めた口聞いてると、顔面ぶっ潰すぞ」
隣にいた上級生が一歩詰めより、厳島に迫る。だが厳島はまったく動じず、気だるい表情をするばかりだった。うざったいからとっとと終わらせてくれ、という感情が、厳島の全身から見て取れた。
「調子に乗ってんなら、一度痛い目に遭わせてやるぜ」
「藤巻に勝ったからって、いい気になんなよ。こっちは三人いるんだ」
「……タマの小せえヤツだ。タイマンもロクに張れねえのかよ」
「なんだとコラァ!」
逆上した坂口が、おもむろに厳島の胸倉を掴む。周囲の空気が、一瞬で張り詰めたものになる。
「ぶっ飛ばしてやろうか?!」
「……掴んだな」
「あぁ?!」
それでも動じず「掴んだな」と一言だけ呟く厳島に、坂口が怒りと疑問の入り混じった声を向ける。
「……なら、正当防衛だ!」
「何を……ぐえっ?!」
厳島は胸倉を掴まれた状態から右足を振り上げ、坂口の股間に容赦なく一撃叩き込んだ。まったくの無防備だった急所を狙われ、坂口はそのままずるずると崩れ落ちた。
「てめぇ、何しやが……がっ?!」
「足元がお留守だぜ」
走りよってきたもう一人の上級生は、厳島がさっと身をかがめて繰り出した足払いをもろに食らい、頭からグラウンドへ突っ込んだ。そのまま顔面を強打し、へなへなとノびてしまった。
「このっ……?!」
「消えな、臆病者」
向かってきた最後の一人に肘鉄を叩き込み、厳島はあっけなく三人を倒してしまった。この間わずか数分のできごと。
「……くだらねえ」
厳島はランドセルを背負いなおし、大きなため息を一つつくと、地面に横たわる上級生三人を踏み越え、さっさと校舎へ歩いて行った。
「すごい……上級生三人を、一瞬で……」
ともえは厳島が見せた一連の出来事に、完全に目を奪われていた。自分が作り上げた光景に背を向け淡々と校舎へ向かう厳島から、ともえは目を離すことができなかった。
登校してきた朝に見るには、とても刺激的で鮮烈な出来事だった――
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。