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第百三十一話「CONFLICT」

「部長……今さ、ポスターって言ってなかった……?」

「聞こえたわね。その分だと、多分……」

「例の切り裂き魔が、この学校にも出没したってわけか……」

掲示板に殺到する群衆を遠巻きに眺めながら、演劇部の部室から走ってきた深山さんたちが言葉を交わした。微かに聞こえた「ポスター」という単語から、この騒ぎが何によってもたらされたものなのか、凡その見当が付いた。恐らく掲示板には、無残に切り裂かれたポスターが垂れ下がっていることだろう。

「ここのところ毎日ね……昨日はリサイクルショップのポスターがやられたらしいけど」

「そうだねぇ。その前は、川沿いの掲示板だったよぉ」

「一体誰がこんなことしてるんだろうな……夏祭りに何か恨みでもあるのか?」

「どーせ目立ちたがり屋の愉快犯でしょ。向こうは愉快でも、こっちは不愉快極まりないわよ」

川口さんはそう言っていたけれども、僕には一連の犯行がただ「人目を引きたい」という単純な目的の元に行われたものだとは思えなかった。短すぎる犯行のサイクル、だんだんとエスカレートするやり口、そしてその目的。そのいずれもが、僕に異様な印象を抱かせていた。

「とりあえず、杏が場を鎮めてくれてるみたいだな」

「話しかけるのは、落ち着いてからになりそうね」

深山さんの言葉に納得し、一同はその場で場が鎮まるのを待った。

 

「はーやれやれ……夏休みだってのに、よくここまで集まってくるものねぇ……」

集まっていた群衆をどうにか帰らせ、藤林さんが大きく息をつく。すかさず、距離を置いて待っていた四人が駆け寄っていく。

「ようやく片付いたみたいだな、杏」

「祐一?」

「やっはー。私もいるよっ」

「茂美に……」

「お疲れ様。夏休みも仕事をしなきゃいけないなんて、生徒会も大変ね」

「何かあったみたいだねぇ。どうしたのかなぁ?」

「佳乃に……部長、ね」

その場に現れた各々の顔を順繰りに眺めながら、藤林さんがその名を呟いた。

「この面子ってことは……部室でここの騒ぎを聞きつけた、ってとこかしら?」

「そうだな。で、来てみたらお前を見つけたってわけだ」

「何があったのか……は、大体予想が付くわね。今度はここのポスターがやられたのかしら?」

深山さんからの問いかけに、藤林さんは無言のまま深く頷いた。そのまま体を横へずらし、背中にあった掲示板を僕らに見せる。前に立っていた四人が、一斉に前へ身を乗り出した。

「これは……酷いな……」

「またえげつない有様になっちゃってるわね……」

「みさきから聞いてはいたけど……ここまでのものとはね」

「……………………」

……酷い有様だった。掲示板に貼られていた――であろう。少なくとも、今の光景からその様子を想像することは不可能に近い――夏祭りのポスターは、紙片になる寸前まで徹底的に切り裂かれていた。縦横無尽に付けられた傷は、ポスターに描かれていた笑顔を浮かべた子供や大人たちの首を、手を、足を、寒気すら感じるほど無慈悲に切断していた。僕はポスターに描かれた人々が断末魔を上げる光景を想像し、思わず身震いした。

「前々から町内のポスターがやられてたのは知ってるけど、学校のが切り裂かれたのはこれで二回目よ」

「この前は寮のポスターが切り裂かれたんだよな?」

「そうね。で、犯人は懲りずにまたこうやってポスターを切り裂いたってわけ」

「しっかしまぁ、よくこれだけ切り裂いたものね。何を使えばここまでびりびりにできるのやら……」

「多分だけど、これじゃない?」

「……?」

その言葉と共に藤林さんが掲げたのは、

「……鋏?」

「そう。掲示板に突き刺さってたから、悪戯されないように抜いておいたのよ」

鉄製の大きな鋏だった。見たところ錆びも汚れもない、新品の鋏に思えた。それが掲示板に突き刺さっていたというのだから、これを使ってポスターを切り裂いたと考えるのは容易い。わざわざ鋏を残していくという考え方自体は、僕の理解できるところではなかったけれども。

「……………………」

……それにしても、なんだろう? この、僕の背筋をさらりと抜けていく、冷水にも似た感覚は……

「……………………」

鋏……鋏だ。鋏を見たときから、僕は誰かに内臓を弄ばれているかのような、不快感を伴ったぎこちなさを感じている。鋏、鋏、鋏……それはいつかどこかで、僕に何かネガティヴなイメージを残している。けれども僕がそれを思い出そうとすると、イメージは僕の深層へと身を隠してしまう。どうやっても、そのイメージを引きずり出すことはできなかった。

「……………………」

……あまり見ないようにしよう。違和感の理由が掴めないのに、違和感を解消しようとしても無駄骨に終わるだけだ。僕はそう考え、鋏から視線を逸らした。

「とりあえずこの鋏は職員室に持っていって、生徒指導にでも渡すことにするわ」

「それが賢明ね。悪戯にしては度が過ぎているし、学外でも起きている問題だしね」

「早く終わってくれればいいのにねぇ」

「そうだな。こんなんじゃその内ポスターに飽き足らず、人や動物を襲い始めるぞ」

祐一君の言葉は物騒だったけれども、それが事実なのだと僕は思った。誰かを、あるいは何かを傷つける行為というのは、だんだんとエスカレートしていくものなのだ。ランニングを始めた人が「もっと長く走りたい」と願うのなら、何かを傷つける人も「もっと大きなものを傷つけたい」と考えてもおかしくはない。

「これでまた、あの人が見回りをする理由が増えちゃったわねぇ……」

「仕方のないことよ。彼は彼なりに、自分の仕事を全うしようとしているだけなんだから。それが受け入れられる、受け入れられざるに拘らず、ね」

藤林さんの「あの人」、深山さんの「彼」という言葉に、僕が一瞬の疑問を感じた――

――その時だった。

 

「万人に受け入れられずとも、全うせねばならない職務というものは存在するものだよ」

「そうね……その為ならあらゆる手を尽くすのが、貴方のポリシーだったかしらね。久瀬君」

 

いつかどこかで見かけた、敵意の塊のような人――「久瀬」という名前らしい――が、その場に姿を現した。深山さんはあらかじめ予期していたかのごとく、投げかけられた言葉に涼しげに対応して見せた。

「ご無沙汰ね。あれから変わりは無くて?」

「概ねは。こうして見回りをせねばならない理由が増えたことは遺憾だがね」

「確かに、貴方にとって喜ばしいことではないわね。純粋に同情するわ」

平時よりもさらに落ち着きの度合いを増した口調で、深山さんが話をする。久瀬君は時折眼鏡を直しながら、それに淡々とした調子で応じていた。

……そして、続けて。

「……わざとらしいことを言うようだけれども、今日は一人じゃないみたいね」

「ああ、君にはまだ紹介していなかったか。次期生徒会長の最有力候補だよ」

「二年D組の坂上智代だ。貴方は確か……」

「三年B組の深山雪見よ。演劇部の部長を務めているわ。よろしくね、坂上さん」

隣に立っていた坂上さんに、深山さんが声をかけた。僕はその取り合わせに、ただ目を丸くするばかりだった。どうして久瀬君と坂上さんが一緒にいるのか、明確な理由を理解するのにかなりの時間を要した。

「さて……こう言うのも何だけど、貴方が私たちにわざわざ声をかけて来たということは、何がしかの理由があってのことよね?」

「ご明察。深山君のことだ。その『理由』も分かっているんだろう?」

「大筋は、ね。けれども、それに協力する理由は無いわ」

「君に理由が無いとしても、僕には理由があるのだよ」

そう言い切り、久瀬君が深山さんから視線を外す。そして……

「……事態はまだ何も進展を見せていないようだね。霧島君」

「あっ……」

……隣に佇んでいた佳乃ちゃんに、その照準を定めた。

「言ったはずだ。君が問題を解決しようとしないのなら、我々もそれ相応の措置を取ると」

「それは……」

一度切られた口火は、止まるところを知らない。

「それは? それは何だと言うんだ? 君が右手に巻きつけているバンダナ、それそのものが君の問題だ。君は問題を解決しようとせず、のうのうとそれを放置してきた。相違する点があるか?」

「……………………」

「君は我々の期待を裏切り続けている。君は君のしていることを、まるで理解できていない」

「……………………」

「甘えているんだ。君は。我々の寛容さに、君は甘えているんだ」

「……………………」

「君はルールに背いている。ルールを破っている。ルールを犯している。ルールに違反している」

「……………………」

「君は間違っている。間違っているんだ」

畳み掛けるように言葉を投げつける久瀬君が、「間違っている」という言葉を繰り出したときだった。

「く、久瀬……! それは……いくらなんでも……!」

隣に立っていた坂上さんが、その会話――と呼ぶには、あまりにも一方的なものだったけれど――に割り込もうとする。

「……待ちなさい」

「……?!」

……ところが。

「さっきから……黙って聞いてたら……!」

「ち、ちょっと茂美……」

佳乃ちゃんの後ろに立っていた川口さんが、拳を震わせながら声を上げた。藤林さんの制止を振り切り、つかつかと前へと歩いていく。川口さんの声色が普段とは明らかに異なる異常なものになっていることに気づいた坂上さんが、思わず声を止めて彼女を見やる。

「川口君か。君も相変わらずだな。感情の起伏の激しさも相変わらず、といったところか」

「おかげさまでね! そんなことより……」

そのまま久瀬君の前に歩み出て、目と目を向けあう形になる。寸分の間も置かず、川口さんが反論を開始する。

「その言い方は無いでしょ! 人の気も知らないで、言いたいこと言ってるんじゃないわよ!」

「言いたいこと、とは心外だな。僕にしても、こんなことを好き好んで言いたいわけじゃない」

「それだったら……言わなきゃいいじゃない! 霧島君には霧島君の理由があって、それで……」

「……『個性』。君が言いたいのは『個性の尊重』か?」

「なっ……!?」

次に話者を沈黙させたのは「個性」という言葉だった。勢い込んでいた川口さんが急に色を失い、青ざめた表情で久瀬君を見つめている。久瀬君は静かに眼鏡を直すと、続けてこう川口さんに詰め寄った。

「便利な言葉だな。『個性の尊重』というのは。この言葉一つで、どのような行為も許されると考える者が多い」

「そ、それは……ち、違……」

「いいや、違わない。集団や規律から外れる者は例外なく『違う』と言葉を並べる。しかしだね、それが本当に『違った』というケースを見たことが無い」

「……………………」

「君なら分かっているだろう。集団から外れようとする者が、どれほどその規律を乱すかを」

「……!!」

「そんな時、解決策は二つしかない」

「……………………」

「規律を守るよう指導し規律を守らせるか、あるいは――」

「あるいは……何なんだ?」

そこまで言いかけた時だった。祐一君が言葉を発し、会話へと入り込む。

「君は……?」

「二年生の相沢、相沢祐一だ。あんたは……生徒会長だったか」

「その通りだ。して、相沢君。何か言いたい事でも?」

「あるさ。それなりにな」

沈黙してしまった川口さんに代わって前に出て、久瀬君と対峙する。その表情には、明確な怒りの色が現れていた。

「あんたは生徒会長なんだろ? それなら、もう少し生徒のことを考えた物言いをするべきだろ」

「それは正論だ。けれども言っておくなら、僕は常にこの学校、ひいてはその生徒のことを考えているつもりだ」

「その結果がこれか? 見てみろ。佳乃も川口も、お前の言葉でこんなに――」

「僕は生徒のことを考えている。深く考えた結果がそれだ。これが間違っているとは到底思えないし、君の言わんとしていることは、イレギュラーの容認に過ぎない」

「イレギュラー……だと?!」

「そう。イレギュラーだ。規律をかき乱し、その無法を容認する……イレギュラーで無ければ、それは何なんだ?」

「それは……! 個人の考え方……」

「同じ話を二度も三度もさせないでもらいたい。川口君にも言ったはずだ。それは『個性の尊重』という名の下の、規律の破壊行為に過ぎないと」

「このっ……!」

「もっとも、聞き入れる気が無いのなら、聞き入れるまで繰り返すまでだ。君たちは――」

さらに畳みかけようとした、その時だった。

「……その辺りにしておきなさい。今の貴方、目的を見失ってるわよ」

「これは失礼。少々言葉が過ぎたかな」

「そうね。これ以上私の部員達に突っかかるのなら、私は貴方の敵にならざるを得ないわ」

厳しい表情を浮かべた深山さんが、久瀬君の話を止めた。腕組みをして相手を見やるその姿に、いつもの穏やかさは微塵も感じられなかった。

「ふむ……長居をしてしまったな。深山君、君からも言っておいてくれたまえ。早急に解決策を打ち出すように、とな」

「ご忠告、感謝するわ。その言葉だけは受け取っておこうかしらね」

「光栄だね。では、坂上君。我々は職務に戻るとしよう」

「あ、ああ……分かった」

こちらに背中を向けて去っていく久瀬君を見やりつつも、坂上さんはその場に立ち止まり、一同の姿を見やる。

「……許して欲しい、とは言わない。久瀬……いや、我々には、我々なりの考えがあるんだ」

「理解しているわ。大変な人が先輩になっちゃったわね。貴方の事、応援してるわよ」

「智代は悪くないんだからさ……そんなに考え込む必要は無いわよ」

「すまない……では、私もこれで」

深々とお辞儀をし、坂上さんもその場から立ち去った。

「……っ!!」

「……茂美。話は後で聞いてあげるから、歯噛みをやめなさい。自分を痛めつけても、何にもならないわ」

「分かってる……分かってるけどっ……!」

今にも爆発しそうな川口さんを諌めながら、深山さんが彼女の震える肩を抱く。

「……………………」

その、すぐ隣で……

 

「……大丈夫……だいじょうぶ……ぼくは……強い子だから……」

……佳乃ちゃんが、拳を震わせていた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。