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#05 少女のたまご

眠ったと思ったら目が覚めて、小夏はまた海の底のような場所にいることに気が付いた。そう、「また」だ。朝に海で溺れたときに見た夢、あの続きを見ているかのよう。小夏の手の中には、空から落ちてきた水色の雫が輝いている。

小夏が手にした輝きが周囲を照らして、彼女に進むべき道を指し示した。道筋に沿って歩いていく。自分は海の底にいて、辺りは水で満たされている。小夏はそう自覚しながら、はっきりと地に足を付けて歩けていることを不思議に思った。自分は夢の中にいると自覚する夢は珍しいらしい、テレビで偉い人がそんなことを言っていたような気がする。夢を見ていると自覚しながら、けれどはっきりとした意識の中で、小夏はひとり歩いていく。

辿っていた道が途切れた先にあったのは、あのとき見た神殿のような建物だった。近くに来るとその姿がはっきりと伺えて、神殿のような、というより神殿そのものと言ってよかった。海底に造られた神殿、その前に自分が立っている。小夏は夢が意味していることが理解できなくて、思わず首をかしげる。他に何かないだろうか、そう思い神殿の奥へ目を向けてみると、何かが光を放っているのが見えた。

(この光と同じ……?)

手のひらに浮かぶ光。空から落ちてきた雫がもたらしたものだ。あたかも共鳴するかのように、神殿の奥に見える光と同じ輝きを見せている。何かあるに違いない、小夏は直感的にそう考えて、遠くに見える光に向かって歩き出した。一歩ずつ一歩ずつ、少しずつ距離を縮めて、小夏が神殿の中央に向かう。

光の源まで辿り着いた小夏が、台座の上に置かれたそれに手を伸ばす。

(なんだろ、これ……)

手に触れたのは水晶玉のような球体。触れると冷たいのも水晶玉を思わせる。水色のまばゆい光を放ち、まるで誰かに気付いてもらえるのを待っていたかのようだ。小夏が雫に濡れた手で珠を手にすると、その輝きがいっそう強くなった。もう一方の手も差し出して、小夏が光輝く珠をそっと持ち上げる。

意識しないまま、小夏が自然と珠を胸の中に抱いた。溢れんばかりの光が解き放たれて、中で何かが動くのが感じられる。どうして抱きしめたのか、小夏は自分でも分からなかった。ただ、ひとつだけはっきりと願っていたことがあった。

(中の子が、無事に生まれますように)

自分が手にした珠には、これから生まれ出る新たな命が宿っている。外の世界へ飛び出そうとしている。小夏はそう確信していた。未知のモノに囲まれる生まれたての生命。彼が、或いは彼女が最初に目にするものが、まだか弱い自分を優しく包み込んでくれる存在であったなら、きっとこれからの世界に希望を持つことができるだろう。

やがて光が周囲を満たしていき、小夏の視界が真っ白になっていく。海底の神殿も自分自身も形を失くして、光に包み込まれる。小夏は薄れゆく意識の中で、それでも胸の中で芽生えようとする新たな命を護るために、珠を力いっぱい抱きしめたのだった。

それはあたかも、タマゴを抱いた親のようで――。

 

――カーテンを開けたままの窓から、明るい陽の光が差し込んでくる。朝を迎えたのだ。

「ふわ……あぁ」

小夏が大あくびをして目を覚ました。寝ぼけまなこのまま、ぼんやりした顔を見せている。ぱちぱちと瞬きをしてから、ベッドの上でもぞもぞと動く。いつもと少し違うように感じるのか、何やら不思議そうな顔をしている。小首をかしげながら、小夏が布団をどけた。

そこにあったのは、タマゴだった。

「……えっ」

小夏が目を点にする。もう一度見てみても、間違いなくタマゴだ。真ん丸な形をした水色のタマゴ、小夏はそれを抱く形で眠っていた。もちろんこんなものを抱いて寝た記憶はないし、そもそも小夏の家に水色のタマゴなんてあるはずがない。

そして小夏は気が付いた。目の前にあるブルーの球体を見た瞬間に、自分がそれをタマゴであるとハッキリ認識できたことに。その途端、小夏が昨晩見た夢を思い出した。海の底を歩いて、神殿でタマゴを見つけた夢だ。目の前にある珠は、海底の神殿にあったタマゴと完全に一致している。あれは夢だと思っていたのだが、今ここに目の前に間違いなくタマゴがある。何が何だかさっぱり分からない。

(わたし、まだ夢の中にいるとか?)

実は夢の続きを見ているのかもしれない。小夏はそう考えて、ものの試しにほっぺをぎゅっとつねってみた。普通に痛い。慌てて手を放して、涙目になりながらひりひりするほっぺをさする。残念ながら、今見ている光景は紛れもない現実のようである。

戸惑いながらも、小夏はとりあえずタマゴを手に取った。大きさはお父さんがうどんを食べるときに使っている使っているどんぶり鉢ふたつを重ねたような感じで、ちょっと大きめだ。触った感触は柔らかくて、まるでボールのよう。両手で抱えないとつらいほどの重さもある。持ってみると、中に何かが入っているという感覚が間違いなくあった。やっぱり、これはタマゴだ――小夏はそう考えた。

と、その時だった。

「なっちゃーん、もう起きたー? 朝ごはんできたわよー」

小夏がビックリして思わず顔を跳ね上げる。お母さんの声だ。時計を見ると七時半。いつもより長く寝ていたせいか、もう朝ごはんの支度が済んでしまったらしい。

「あ……うん! い、今行くー!」

タマゴが見つかったらまずい、そう思った小夏が、とっさにタマゴに布団を覆いかぶせる。これでパッと見には分からなくなった。とりあえずタマゴを隠してから、小夏が自分の部屋を出た。

そわそわしながら席に着く。お母さんの焼いてくれるトーストやスクランブルエッグは小夏の大好物だったが、朝に起きた出来事のおかげで味がちっとも分からない。口をもごもごさせながらトーストをかじって、お母さんが何か言ってこないかとチラチラ様子をうかがう。幸いお母さんはテレビのニュースを見ていて、小夏の様子がいつもと違うことには気付いていないみたいだ。タマゴのことはまだ知らないのだろう、小夏がそう考えて、少しだけホッとする。

とは言え、あのタマゴをどうするか考えないといけなかった。いつものように食器を片付けてから、ソファの上に置いてあった夏服に着替える。普段ならここでテレビのショートドラマを観ていくところだけど、今日はそんな気持ちにはなれなかったし、観たとしても話の筋がまるで頭に入ってこないだろう。ほどほどのところで切り上げて、そそくさと自分の部屋に退散する。

部屋に戻ってドアを閉めてから布団をめくってみると、そこには変わらず水色のタマゴがでんと鎮座していた。ベッドに乗ってタマゴを抱きながら、困ったように表面をなでる。さすがに捨てるには忍びない、でも中から何が出てくるのかも分からない。一体どうしたものか、小夏は途方に暮れるばかりだ。

「あっ……中で何か動いてるみたい」

そっと耳を当てて中の音を聞いてみる。ごく小さいけれど、何かが動いている音が聞こえてきた。どんな小さな音も聞き逃すまいと、小夏が耳に神経を集中させる。

「なっちゃん! お友達が遊びに来たわよ!」

タマゴから聞こえてくる音に夢中になっていたせいか、玄関から飛んできたお母さんの声も耳に入っていなかったみたいで。

ばん! と勢いよくドアが開いて、中に誰かが駈け込んで来た。

「小夏っ!」

「……えっ!?」

優真だ、優真が目の前にいる。思いもよらぬ事態に、小夏はビックリしてその場に固まってしまう。その隙に、というわけではないにしろ、優真がずかずか歩いていって、小夏の後ろにあるベッドまで近づいていった。

ベッドの上にはあの水色のタマゴがある、優真に回り込まれた小夏が慌てて振り向く。

「あっ、ちょっと!」

声を上げる小夏。けれど優真は、あのタマゴをハッキリと目にしてしまった。

「おい小夏、これ……」

「ち、違うの! 夢の中で見つけて、朝起きてたら抱いてて、それで……!」

「やっぱり……」

「……やっぱり?」

ところが、タマゴを見た優真の様子がおかしい。「やっぱり」と呟き、何か知っているようなそぶりを見せるではないか。小夏が困惑し、しきりに首をかしげる。

「やっぱり、小夏も同じ夢を見たんだな」

「夢……? まさか、優真くんも……」

優真が黙ったままうなずいた。少し間を空けてから、ぽつりぽつりと話し始める。

「昨日、夢を見たんだ」

「それってもしかして、海の底で……」

「ああそうだ。神殿みたいな場所にいて、お前がこれと同じタマゴを見つけるのを見たんだ」

目を白黒させる小夏。優真が見たと言っている夢は、昨日自分が体験したものとまるっきり同じじゃないか。優真は夢の内容に胸騒ぎを覚えて、朝早くからこうして小夏の家にやってきた。そこであのタマゴを見つけたものだから、これは間違いないと思ったのだろう。そしてそれは小夏も同じ。優真と同じ夢を見て、そこで見つけたタマゴが今こうしてここにある。分からないことだらけではあったが、ともかくこのタマゴに優真が深くかかわっていそうなのは間違いなかった。

優真がタマゴに手を添える。青いボールのようなそれの感触を確かめるためだったようだが、不意にその目が大きく見開かれた。

「おい、小夏! 中で何か動いてる!」

「えっ!? えっ、えっ……!?」

ピシッ。ハッキリ聞き取れる鋭い音がして、タマゴにひびが入る。ふたりが夢の中で目にした白い光が漏れ出てきて、中から何かが飛び出してきそうな気配を見せた。タマゴが揺れる、ひびが大きくなる、カケラが飛ぶ。外の世界を目指して、新しい命が誕生しようとしていた。

ひびがタマゴ全体に網の目のように張り巡らされた、その直後――!

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。