「はっ、はっ……!」
優真が走る。前のめりになって走る。慣れ始めたとはいえ完全に思うようには動かせない小夏の体で、ただ走り続ける。ヘアゴムで軽く括っただけのお下げ髪を大きく揺らしながら、ただただ走り続ける。目的はただ一つ、遠くへ飛び去ってしまったフィオネを捜し出すためだ。
フィオネの飛んでいくスピードは思っていたよりもずっと速くて、道に出た頃にはすっかり見失っていた。それでも最後に飛んで行った方角を向いて、優真は全力でひた走った。こっちの方へ飛んで行ったということは、あの場所へ行ったのかもしれない。少しでも当てのあるところは、片っ端から探すしかない。不安を抱えながらも優真は一つの予想を立てて、目的地めがけて全力疾走した。
「はぁ……はぁっ……」
走り続けて五分ほど。額に汗をびっしょりかいた優真が少しずつスピードを落として、とある家の前で立ち止まる。
(ここか、小夏の家にいてくれれば)
表札には「川村」と書かれていた。他ならぬ自分の家だ。フィオネが自分たちの手を離れて行くとしたら、まずここか小夏の家のどちらかだと思いたかった。フィオネがこの家を自分の家だと思ってくれていればいいのだけど。そう思いながら、優真がドアを開ける。
「フィオネ!」
「こなつお姉ちゃん? ど、どうしたの?」
優美が驚いてひょっこり顔を出す。和室で遊んでいたようだ。ここ最近何度か「小夏として」顔を合わせていたから、優美はすっかり小夏の顔を覚えていた。ただ、そうは言ってもあくまで歳の離れたお姉ちゃん。ノックもせずに玄関のドアを開けて、いきなりフィオネの名前を大声で叫んだとなると、普通のことではないと思うのが当然だ。
(……そうだ。俺は今、小夏だったんだ)
戸惑いの色を隠せない優美を目にして優真が我に返る。乱れる呼吸を何とか落ち着けて、小夏らしく優美の背丈まで目線を下げてから、はやる気持ちを抑えて声をかけた。
「優美……優美、ちゃん。えっと、フィオネ、フィオネ見なかった?」
「ううん。家にはいないよ。お兄ちゃんが連れてって、一回も帰ってきてないもん。フィオネ、どこか行っちゃったの?」
「……うん。優真くんと外で遊んでる時に、迷子になって……」
自分たちがケンカをしたから、フィオネが悲しんでどこかへ行ってしまった――妹の前で本当のことを言うのはためらわれて、優真は「迷子になった」と言葉を濁した。
「えっ!? まいごになっちゃったの!? フィオネ、いなくなっちゃったの!?」
そんな優真の心に、優美のまっすぐな言葉が深く突き刺さる。優美がフィオネを可愛がっていて、よく一緒に遊んでいてくれていたのは優真も知るところだった。それだけに、フィオネが急にいなくなったと言われた優美がどんな思いをするかは手に取るように理解できた。優真の、優美から見れば小夏の言葉を何一つ疑わず、ただ急に迷子になったのだと信じて疑わない優美の姿に、優真は胸が張り裂けそうになった。
今にも泣きだしそうな顔をしている優美に、優真がぐっと顔を寄せる。
「必ず捜してくるから、家に戻ってきたら教えてね。頼んだよ」
「うん……こなつお姉ちゃん、フィオネ、見つけてあげてね」
「絶対見つける。約束するよ」
涙目で頷く優美の頭をそっとなでてから、優真が再び駆け出した。
(小夏からも聞かされてたんだ、優美がフィオネを大事にしてくれてるって)
(今の俺は優真じゃない、だから兄貴としては話せない)
(だけど……でも、あいつを泣かせるようなことはしたくない!)
妹を泣かせる兄がいていいものか、妹との約束を破る兄がどこにいるものか。優美に誓ったのだ、必ずフィオネを捜し出すと。優真はぐっと拳に力を込めると、スピードを上げて道を駆けていく。次の候補は小夏の家だ。今は母親も出払っていて、家には誰もいないはず。せめてそこに居てくれれば、僅かな可能性に微かな望みを託して、優真はひた走り続けた。
間もなく小夏の家に辿り着く――というところで、道から遠くの海を眺めている若い男性が目に留まった。
(あれ、佐藤さんじゃ)
佐藤さん。案件管理局で働いている局員の一人だ。
彼と優真には、ほんの少しだけ面識があった。佐藤さんは優真の家を訪れて母親と小一時間ほど話すということを、ある時から年に一度必ず行っていたのだ。話の内容はともかくとして、その際に優真や優美と顔を合わせることもしばしばあった。地味でお人好しな雰囲気の人、いつも抱く感想はそれくらいのものだった。ただ、奇怪なものを取り扱うという案件管理局で働いているという事実は、優真の記憶にも強く残った。
(オフの時も、何かあったらいつでも声をかけてほしい……そんな風に言ってたっけ)
小夏と佐藤さんに面識があるとは思えなかったものの、佐藤さんならきちんと話を聞いてくれそうな気がする、そんな安心感があった。優真は走る速度を緩めると佐藤さんの近くまで歩いて、思い切って声をかけた。
「あのっ、すみません」
「うん? どうかしましたか?」
佐藤さんは穏やかな声で、唐突に声をかけてきた少女に向けて物腰柔らかに応対する。これなら大丈夫そうだと確信した優真が、ためらわずに本題を切り出す。
「この辺りで、フィオネを見ませんでしたか?」
「フィオネ、ですか?」
「はい。急に逃げ出しちゃって、泣いてこの辺りを走り回ってるはずなんです」
「うーん、残念ですが、見ていないですね。お役に立てず申し訳ないです」
「そうですか……」
残念ながら、フィオネがこの辺りまで飛んできたのかどうかは分からないようだ。気落ちする優真を目にした佐藤さんが、そっと肩に手を添える。
「もしフィオネを見かけたら、必ず伝えますよ。よければ、僕に名前を教えてくれませんか?」
「あっ、はい。えっと……皆口小夏、です」
「なるほど、皆口さん――ですね。はい、分かりました。フィオネ、見つかるといいですね」
「ありがとうございます。すいませんでした」
優真は佐藤さんに一礼すると、再び道なりに走り始めた。目指すは小夏の家、目的地まではあと少しだ。
佐藤さんは遠くへ走っていく優真の背中をしばし見送ってから、眼鏡を軽く直して見せると、それから。
「――彼女と川村くん、でしたね」
誰に聞かせるというわけでもなく、ごく小さな声で呟いた。
「フィオネ!」
家の鍵を開けて中に踏み込む。フィオネの名前を繰り返し呼んでみたが、返事が聞こえてくることはない。ある程度予想はついていた、家の鍵は閉まっていたし、窓が開いているようなこともない。だからフィオネが入り込むことはできなかったのだけど、それでもここにいるのではないか、その思いを拭えなかった。
けれどやはり、フィオネの姿はどこにもなかった。
自分の部屋に入ってみると、いつもフィオネが使っているタオルケットがそのままになっている。すっと手に取ると、優真はいたたまれない気持ちになった。いつもならこれにくるまって、お昼寝をする時間だというのに。
(フィオネ……)
手にしたそれを丁寧に折りたたむと、近くにあった手提げかばんへ入れる。もしフィオネを見つけたら、これで優しく包んであげたい。怖がらせてしまったことへの、悲しませてしまったことへの「ごめん」という気持ちを伝えたい、優真は目に後悔の色を滲ませながら、再び静かに立ち上がった。
家の鍵を閉めて門扉をくぐると、優真が道路へ飛び出した。熱を持って痛む足に鞭打って再び走り出そうとした優真の目に、ある光景が飛び込んでくる。
「ようし、いけっ! モンスターボールっ!」
見るからに外部からやってきたポケモントレーナーと思しき少年が、近くを飛んでいたキャモメに向かって全力でモンスターボールを投げつけた。モンスターボールがキャモメを青白い光で包み込んで、自分の中へ取り込んでいく。
ゆらゆらと何度かボールが揺れたのち――カチッ、という音が聞こえた。
「やったー! キャモメを捕まえたぞ!」
キャモメを捕まえたトレーナーが、ガッツポーズを決めて喜びをあらわにした。
(……野生のポケモンは、モンスターボールで捕まえられる)
ごく当たり前の事実。街中でもしばしば見かける光景。取り立てて何か驚愕するようなことでもないはずのそれが、今の優真にはひどくショッキングに思えて。
(フィオネはモンスターボールに入ってない、だから『誰のポケモンでもない』)
自分も小夏も、今の今までまったく気が付かなかった。フィオネはタマゴから孵ったあと、そのまま外に出したままだ。一度だってモンスターボールに入れたことがない。だからフィオネは自分たちが面倒こそ見ているけれど、言ってしまえば野生のポケモンだ。
だから――あのフィオネは、赤の他人が捕まえて、自分のモノにすることができる。
(もし誰かに捕まえられたら、もう二度と戻ってこないかも知れないんだ)
優真にはフィオネを自分たちのポケモンだと証明する術がない。ただフィオネに一緒にいた時間が長いというだけで、フィオネと自分たちを結びつけるものは何一つ存在しない。この状況で誰かがフィオネを捕まえようと思えば、簡単に捕まえられてしまうのだ。そうなってしまえば、フィオネは――。
今すぐにでもフィオネを見つけ出さないと、優真は必死の形相を浮かべてアスファルトで舗装された道を蹴る。
(頼む、フィオネ。もう少しだけ、無事で待っててくれ)
泣きながら自分たちの元を去って行ったフィオネの姿を胸に思い浮かべて、優真が顔に後悔の色を滲ませる。この気持ちを払拭するためには、なんとしてもフィオネを無事に自分たちの元に取り戻さなければならない。不退転の決意を秘めて、優真は全力で街を駆け抜けた。
あちこちでフィオネの名前を呼びながら走っていると、いつしか商店街の入り口にまで辿り着いていた。
「あいつは……」
そこで優真は、顔見知りの一人と出くわす。声をかけてみようか、そう考えてから一瞬ためらって、出かけた声を一度は飲み込む。けれど再び思案してみて、あいつなら何か知っているかもしれないと思い直す。高鳴る鼓動を抑えながら考えを取りまとめて、優真は決断した。
フィオネのことを訊ねてみよう、と。
「待って!」
「……こなっちゃん? どうしたの?」
「ひが……えへん。まりちゃん、ちょっと待って」
商店街から自転車に乗ってやってきたのは、オーバーオール姿の東原だった。小夏は東原のことを「まりちゃん」と呼んでいたことを後から思い出して、咳払いをしてごまかしながらその名を呼びなおす。呼び止められた東原は不思議そうな顔をしながら自転車を止めて、息をぜいぜいと切らしている小夏をまじまじと見つめている。いきなり声をかけられたと思ったら小夏がいて、その小夏は普段はまずあり得ないような呼吸の荒れ具合を見せていたから、違和感を覚えるのは当然だった。
なんとか少し落ち着きを取り戻すと、優真がおずおずと話を切り出した。
「ご、ごめん。急で悪いんだけど、まりちゃん……」
「もしかして――フィオネを捜してたりする?」
まさにその通りだった。まさしくその言葉通りだった。優真はフィオネを捜していて、フィオネのことに詳しいという東原に声をかけたのだ。先にこちらの言いたいことを言ってくれるとはありがたい、優真が何度もうなずいて、その通りだという反応を返した。
「ついさっきお姉ちゃんから、港でフィオネを見かけたってLINQ来てたから」
「港の方……なんだね!」
「来たのほんの二分くらい前だから、今もきっといるはずね」
港はここからかなり距離がある。とは言え、自分の足で行けない距離というほどでもない。やっと掴んだフィオネの行き先だ、ここで取り逃がしたくはない。優真の心はもう既に走り出そうとしていた。
「分かった! ありがとう!」
優真が素早く踵を返して走っていく。その姿を見ている東原。優真の視界から東原は瞬く間に消え去って、やがて考えにも上らなくなる。
全速力で駆けていく優真の背中を、東原は完全に見えなくなるまで、呼び止められたその場に立って見つめていた。
*
「フィオネーっ! どこにいるのー! いるなら返事してよーっ!」
優真から少し遅れて、小夏もフィオネを捜し始めた。手始めに海岸沿いを歩いてその姿を追ってみるものの、残念ながら見つかる気配はない。今にも出てきそうで、けれど辺りは静まり返ったまま。それでも捜すのをやめるわけには行かず、小夏は歩き続ける。
フィオネがどこかへ行くとしたら、水のあるところにいるはず。フィオネの体はほとんどすべて水でできていて、定期的に水浴びをしないと元気がなくなってしまう。そう考えた小夏は、まず海辺を捜すことにした。あんなに激しく泣いて走り回っていたら、どこかで倒れてしまいかねない。そういう意味でも、小夏は一刻も早くフィオネを見つけてあげたいと考えていた。
(わたしと優真くんがあんなケンカをしたから、フィオネを怖がらせちゃったんだ)
優真との感情をあらわにした激しい言い争い、そしてそこから発展した掴み合いのケンカ。二人に育てられているフィオネが目の当たりにすれば、気が動転してしまってもおかしくない光景だった。自分だって、両親が目の前であんな争いをしていたら、泣きわめいて家を飛び出したりしてもおかしくない。自分たちの元から去って行ったフィオネの気持ちが、今になって痛いほど理解できた。
力を合わせて、歩調を合わせて、ふたりでフィオネのお世話をしていこうと決めたはずなのに。自分にした約束を破ってしまったことを自覚した小夏の胸がチクチクと痛む。この痛みを鎮めるには、フィオネに戻ってきてもらうしかない。もう一度フィオネに出会えたら、その時は――もう二度とあんな姿を見せたりしない、小夏は拳を強く握りしめて、ただそう誓うばかりだった。
砂浜を大股で歩いていると、海に棲息しているポケモンたちの姿をしばしば見かける。
(プルリルにメノクラゲ、あれはウデッポウ……)
ゆらゆらと揺れながら触手を絡めて来るプルリル、波間を漂って毒針を指してくるメノクラゲ、ハサミから高圧の水を噴き出すウデッポウ。どのポケモンたちも体は小さかったものの、どれもこれもあなどれない力を秘めた種族ばかりだった。小夏は目をそむけたくなる気持ちをぐっと堪えて、その中にフィオネが紛れていないかを自分の目で確かめる。メノクラゲの群れの中にフィオネがいないことに安堵して、そしてそのすぐ後に落胆する。そういったことを幾度か繰り返した。
フィオネはまだ幼く力の弱いポケモン。野生のポケモンに襲われでもしたら、まともに戦う術を持たないフィオネにとってはひとたまりもない。外はフィオネにとって危険だらけで、だからこそいつも小夏や優真が側に付いていたのだ。それが今、フィオネは自分たちの手を離れて、独りで辺りを彷徨っている。今こうしている瞬間にも、フィオネが危機にさらされているかもしれないのだ。
「捜さなきゃ……フィオネを、捜さなきゃ……!」
もはや一刻の猶予もない。小夏は顔を上げると、歩調を速めて駆け出した。
フィオネはもう海の近くにはいない、そう考えた小夏が次にやってきたのは、市内を流れる大きな川だった。この川は清流でよく知られていて、川べりで遊ぶ子供をよく見かける。過去に一度フィオネを連れてきたこともあった。いるとしたらここではないか、小夏が一縷の望みをかけて歩いていく。
上流から下流にかけて川沿いに歩いていき、フィオネの姿を捜す。すぐにでも見つかってくれれば、そう思っていた小夏だったものの、やはりここにもフィオネの姿はなかった。
「ねえ……」
「ん?」
「あっ、えっと……なあ、この辺りでフィオネを見なかったか?」
「フィオネ? いやあ、見てないなあ」
近くを通りかかった子供に訊ねてみても、見かけていないという答えが返ってくるばかり。どうやらこの辺りには来ていないようだ。フィオネが自分たちの元を離れてもう一時間以上が経つ。一体どこへ行ってしまったのか、見当もつかなかった。
(榁は広くないって大人の人はよく言うけど、全然そんなことないよ)
榁は四方を海に囲まれた文字通りの孤島。だからここは小さくて狭い場所だと、大人たちはよく口にしている。けれど子供の小夏にしてみれば、榁は途方もなく広い場所のように感じられてならなかった。その榁全体から小さなフィオネを捜し出さなければいけない今、なおさら榁という場所の広さを痛感する。
そうして一時間ほど川沿いを捜索したものの、フィオネの姿はおろか、フィオネの行方に繋がる情報も得ることはできなかった。具体的な成果が得られなかったことに、小夏は徒労感を感じてがっくりと肩を落とす。フィオネはいったいどこへ行ってしまったと言うのだろうか。もしかすると、もう自分たちの手の届かないずっと遠くまで行ってしまったのでは――そんな思いが胸に湧いてきて、そんなはずはない、と首をぶんぶん振って懸命に否定する。ここで諦めてはならない、なんとしてもフィオネを見つけ出さなければ。
「あっ! おーいっ、ゆうくーんっ!」
気持ちを奮い立たせて前へ歩き出そうとした小夏の背中から、誰かが大きな声を上げるのが聞こえてきた。えっ、と思わず振り返る。辺りに人影はなく、いるのは自分一人だけ。そして呼ばれた名前は「ゆうくん」。優真だから、ゆうくん。ニックネームとして特に矛盾していないし、自分が呼ばれたと考えるのが正しいように思えた。そしてそれを証明するかのように、遠くから誰かが駆けて来るのが見えた。
あっという間に目の前までやってきたのは、自分より間違いなく二回りは年上――つまるところ高校に入りたてくらいの、背の高いお姉さんだった。もちろん小夏にとって見覚えはない。が、ゆうくん、とあだ名で呼ぶくらいなのだから、たぶん優真とは親しい関係なのだろう。大方、近所のお姉ちゃんとかそういうのではないだろうか、小夏はそんな予想をしていた。
「あたしだよあたし、楓子姉ちゃん」
どうやらこのお姉さんは「楓子」という名前らしい。自分から名乗ってくれたおかげで会話ができそうだった。小夏が怪しまれないようにごまかしつつ、確認の意味も込めてその名前を口に出す。
「ええっと、楓子姉ちゃん」
「あっ! ゆうくんあたしのこと『姉ちゃん』って呼んでくれた! しばらく見ない間に、ずいぶん素直になったね」
普段優真くんはこの人のことをどう呼んでいたんだろう……と、小夏が当然の疑問を抱く。逆に言えば、それくらい親しい間柄だったのかも知れないけれど。
「ゆうくんとは、冬に一緒にご飯食べたっきりだったもんね。元気そうで何より何より」
「あ、はい。ごちそうさまでした」
「いいのいいの! 稼いだお金は、使ってあげなきゃ損だもん。それよりゆうくん、さっきから何かきょろきょろしてるけど、何か捜し物してたりするのかな?」
そうだ、と小夏が自分のしていたことを思い出す。他でもないフィオネを捜していて、けれど川沿いでは見つけることができなかったということを。話ができる人には積極的に聞いていった方がいい、小夏はすぐにそう考えて、身を大きく前に乗り出す。
「あのっ! 俺、フィオネを捜してるんです」
「フィオネ? フィオネって、あのポケモンの……だよね?」
「はい。タマゴから孵して育ててたんですけど、いろいろあって、逃げ出しちゃって……」
「えっ!? それは大変だね。うーん、でも困ったね。あたしもフィオネは見かけてないなぁ」
やはりこの辺りにはいないらしい。捜す場所を変えるしかなさそうだ、小夏が落胆しつつ次に行くべき場所を思案していると、楓子がさらりとこんなことを口にした。
「待って待って。ゆうくん、捜してるのはフィオネなんだよね?」
「フィオネです」
「じゃあ、もしかするとだけど……東原先輩のところにいるかも知れないよ」
「東原……それって、星宮神社ですか?」
「あっ、そうそう。よく知ってるね」
「東原っていう女子の子が同級生にいて、それで」
「先輩の妹さんかぁ。確かに、小学生の妹さんがいるって言ってた記憶があるよ」
毬には姉がいる、小夏はそのことを知っていた。そして毬の姉は今高校生で、楓子の言っていることとピタリと辻褄が合う。間違いなさそうだった。
「ちょっと前に先輩もフィオネを育ててるって話を聞いたから、ひょっとして仲間がいると思って、そっちに行ったりしてないかなって」
フィオネは本能的に仲間を捜して星宮神社へ行ったんじゃないか。なるほど、一理ある、と小夏が大きくうなずく。
「ありがとうございます、俺、星宮神社に行ってきます」
「うん! フィオネちゃん、見つかるといいね!」
楓子に見送られて、小夏が走り出す。
目指すは、星宮神社だ。
「ポケモンを追っかけて走り回る、かぁ……ススムとあたしにも、あんな時期、あったよね」
時刻はもうとうにお昼を過ぎて、昼下がりとも言えない時間になりつつある。小夏は山道を歩き続けて、毬の住んでいる家である星宮神社の前までやってきた。
「今は優真くんの姿だけど……でも、なんとかして話し掛けなきゃ」
長い階段を一段ずつ上がりながら、小夏が覚悟を決める。いきなり訪ねてきて「フィオネを見かけなかったか」なんて言われれば、毬だって不思議に思うだろう。けれど今はそんなことを気にしている場合ではない。フィオネにつながる手がかりが得られるなら、どんなことだってするつもりだった。一歩一歩石段を踏みしめて、神社の境内を目指す。
階段を上り切ると、そこに彼女の姿があった。
(まりちゃんだ)
毬だ。境内をほうきで掃除しているのが見える。自分が今優真であることをもう一度意識して、なるべく毬に怪しまれないようにしようと考えつつ、そっと近づいていく。
「東原――」
「……川村」
顔を上げた毬の表情は、どういうわけかとても冷静で、今ここに優真がいることが何らおかしなことではない、とでも言いたげな顔をしていて。
そして、先に口火を切ったのは、意外なことに毬の方だった。
「フィオネ、捜してるんでしょ?」
何かも知っているかのような口ぶり。フィオネを捜していること、その情報を求めて星宮神社まで来たこと、そのどちらも、毬は見抜いていたかのようで。
「港で姿を見かけたって、お姉ちゃんから連絡が来てた」
「ほ……本当に!?」
「ちょっと前にこなっちゃんも同じことを訊いてきて、港に走ってったわ」
小夏――優真も同じように毬に会って話を聞き、そして港へ向かったらしい。毬が嘘を言うとは思えない、フィオネは港の近くにいて、優真はそこへ向かっている最中。暗雲の立ち込めていた未来に、一筋の光明が差した思いだった。
「悪い、東原。助かった、港に行ってくる!」
そうと決まればやるべきことはひとつ。自分も港に向かって、優真と一緒にフィオネを捜し出すことだけだ。小夏はすばやく後ろに振り返ると、登ってきたばかりの階段を一気に駆け下りていった。
「……行っちゃった」
前触れもなくいきなりやってきて、フィオネの話を聞くなりすぐさま立ち去った優真……もとい、小夏の背中を、毬がじっと見つめている。ほうきを手にしたまま腕組みをしたその表情は、決して明るいものとは言えなかった。
「こなっちゃんも川村も、やっぱりなんか変。どっちも変だ」
なぜ小夏が、どうして川村が、なにゆえにフィオネを、いかなる理由で捜しているというのか。逃げ出したフィオネを捜し出すことで頭がいっぱいになっている二人は、毬がそれぞれの関係に強い疑問を抱いているなどとは、かけらも思うはずもなく。
「このことも、佐藤さんに伝えなきゃ」
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。