――アトリエ・セルリアン。
「遅れちゃうかと思ったけど、まだまだ全然大丈夫そうだねっ」
アトリエの前まで小走りでやってきたともえが、少し息を整えながらドアの前に立つ。後はこのドアをノックすれば、リアンに会うことができる。
(いつも思うけど、このドアを開けるのって、なんだか不思議な気分……)
アトリエ・セルリアンのドア。この扉を開けた先には、魔女と、使い魔と、魔女見習いと、魔法が待っている。日常から切り離された、夢のような非日常。ともえが「不思議な気分」と語るのも、納得のいくところだった。
「……よしっ」
小さく気合を入れなおして、ともえがドアをノックする。
「リアンさーんっ! わたしでーすっ!」
ともえが声を上げると、いつもどおり、アトリエの奥からこちらに向かって歩いてくる音が聞こえてきた。どたどたと大きな音が聞こえるので、リアンは走ってきているようである。
「……………………」
ドアが開くのを今か今かと待ちながら、ともえが前をじっと見詰める。
(がちゃり)
アトリエの扉が開き、そして……
「ルネッサーンス(文芸復興)!! ウルトラアルティメットルネッサーンス(超すごい文芸復興)!!」
「ひいいいいっ?!」
真っ赤な液体でエプロンをぐじゃぐじゃに汚したおぞましい姿の怪人(※リアン先生)が、理解不能な掛け声(ルネサンス?)を連呼しながら凄まじい勢いでドアをどーんと開いて登場した。ともえは怯えきった声をあげ、思いっきり後ずさりをした。
「すっ、すみませんっ! お、お忙しいところ、ありがとうございましたっ! こ、今後とも弊社の製品をご愛顧くださいますよう、よ、よろしくお願い致しますっ! そ、それでは、ま、またお伺いさせていただきますっ!」
「……って、ともえちゃん?! ともえちゃん?!」
気が動転したともえは意味の分からないことを一気にまくし立てるや否や、一礼してその場をダッシュで立ち去ろうとする。我に返ったリアンが、脱兎の如く逃亡を図るともえの腕をがしっと掴んだ。
「あっ、あのっ、弊社ではお客様にあった商品を日々開発しておりまして! それで……」
「ご、ごめんねともえちゃん。なんだか、もんのすごくビックリさせちゃったみたいで……」
「あ……え、えーと……リ、リアン、さん……?」
ようやくお互いに素に戻り、まともなやり取りができる体勢になる。
「とりあえず、ここで話すのも何だし、上がってちょうだい」
「あっ、はいっ」
リアンに招き入れられ、ともえはアトリエの中に足を踏み入れた。
「リアンさん、絵を描いてたんですか?」
「そうそう、そうなのよ。で、気合を入れて色の調合を試してたら、ずっと出したかった色が出せてねー」
「それで、あんなに興奮してたんですねっ」
中に足を踏み入れると、大きなキャンバスが目に飛び込んできた。赤をダイナミックに使った絵は、完成していると思しき箇所から推測するに、海に沈む夕焼けの様子を描いているようだった。リアンはともえが来るまでの間、ずっとあの絵に向かっていたらしい。
「ビックリさせちゃって、ホントにごめんなさいね」
「いえ、リアンさんが出したかった色が出せて、よかったです」
「んむ! やっぱり物を作るってのは楽しいわねぇ」
リアンは出したかった色を調合で出せた喜びのあまり、勢いが付きすぎたままともえを出迎えてしまったようだった。事情を把握したともえが、にっこり笑って応じた。リアンは「物作りは楽しい」と感慨深げに呟きながら、うむうむと納得したように繰り返し頷く。
「あら、ともえ。今日も来たみたいね」
「ルルティさん!」
そこへどこからともなく、白いネコミミつきローブを身に付けたルルティが姿を現す。音もなくひたひたと歩み寄ると、ともえの目の前に立った。
「あら、お帰りルルティ。散歩はどうだったかしら?」
「悪くないわね、日和田も。リアン、アナタがこの町を気に入るの、分かった気がするわ」
「ルルティさん、散歩に行ってたんですね」
「そうね。晴れた日に中で引きこもってるのも、勿体無いと思ったから」
フードについているネコミミの部分を軽く弄りながら、ルルティがともえに答えた。
「そうだわ、ともえ。アナタに渡すものがあるの。手を出しなさい」
「わたしに……ですか?」
ルルティはポケットに手を差し込むと、そこから何やら五枚綴りの紙切れを取り出した。緑地に黒で印刷されたそれを、ルルティがともえに手渡す。
「あっ、ありがとうございます。これは……」
手渡された紙を、ともえがしげしげと見つめる。そこに書かれていたのは……
「……『抱きしめ権利券』?」
「そうよ。この券を私に渡せば、ともえに私を抱きしめられる権利が与えられるのよ」
「ちょい待て白猫。それ、単にあんたがやってほしいだけでしょーが」
誰がどの角度から見てもバレバレ(=ともえに抱きしめてほしいだけ)なルルティの策に、リアンが鋭く切り込む。対するルルティはつんとそっぽを向き、こう言い放った。
「変態に言われたくないわ」
「こらっ! 誰が変態か!」
「変態! 変態! 変態!」
「うがーっ!! 三回も連呼するなーっ!!」
以前にも見たことがあるような気がするやり取りをしつつ、ルルティとリアンが言い合った。
「あのっ、ルルティさん」
「あら、どうしたのともえ?」
「これ……早速使わせてくださいっ」
抱きしめ権利券を一枚切って、ルルティに手渡すともえ。見え透きまくったルルティの策(と言うには些か可愛いものだが)にも、ともえは素直に対応している。この辺りの純粋さが、リアンやルルティがともえに惹かれるポイントなのだろう。
「いいわ。さ、優しく抱いてちょうだい」
「はいっ」
「いいなー。ルルティいいなー」
横で羨ましそうに指をくわえるリアンをよそに、ルルティはともえの胸の中でやわやわと顔をよじった。ともえに抱きしめてもらえるのが、よほど気持ちいいようである。
「ルルティさん、あったかいです……♪」
「そうよ、ともえ……それで、いいのよ」
「ちぇー。あたしも券でも作ろうかしらー、っと」
抱き合うともえとルルティの様子を見ながら、リアンが笑って呟いた。なんだかんだで、ともえとルルティが仲良くやっているのを好ましく思っている。リアンの様子からは、彼女の考えている事が読み取れた。
「ふぅ……これくらいにしといてあげるわ。また抱きしめたくなったら、券を渡してちょうだい」
「はい。ルルティさん、ありがとうございましたっ」
ルルティの抱きしめタイムが終わり、二人が一歩ずつ離れた。ともえの様子を窺いつつ、リアンがともえに声を掛けた。
「ともえちゃん、今日も来てくれてありがとね。そう言えば、あさひちゃんの姿が見えないけれども……どうかしたの?」
「はい。厳島さんは、今日急用ができて、来られなくなっちゃったみたいです」
「そういうことなのね。分かったわ」
ともえが、あさひは今日急用ができて来られなくなった旨を伝える。リアンはそう言うと、ともえにソファへ座るよう促しつつ、少しばかり考えるような仕草を見せた。
「どちらかというと、あさひちゃんの方が練習が必要だからねぇ……」
「リアンさん、どうしたんですか?」
「いや、ね。今日はともえちゃんと一緒に魔法の練習をするか、それとも、あたしが軽く『魔女』や『魔法』について講義でもしようか、どっちにしようかなー、って思ってね」
これを受けた、ともえの反応は。
「それなら、リアンさんのお話、聴いてみたいです!」
「お、そう来ましたか! そいじゃ、今日は練習をお休みにして、あたしが講義をするとしましょっか。ルルティ、あなたも手伝ってくれない?」
「いいわ。退屈しのぎに付き合ってあげる」
今日は練習を休止し、リアンの講義を行うことに決まったようだった。
「まずは準備ね。ほいっと!」
指を軽くぱちんと弾くと、ばららっ、と軽快な音と共にスクリーンが下りてきた。丸テーブルの上にはいつの間にか書画カメラ付きのプロジェクタがセッティングされ、リアンの手にはオレンジキャップつきの伸縮式差し棒が握られている。講義に必要であろう道具を、瞬く間に揃えてしまった。
「わぁ……リアンさん、やっぱりすごいです!」
「いやいや。ともえちゃんも、これくらいすぐにできるようになるわよ」
「アナタってホント、家事以外は一流なのね」
「こら白猫。一言多いぞっ」
差し棒でルルティをびしっと差してから、リアンが口元に笑みを浮かべる。
「それじゃ、講義を始めるわ。席についてちょうだい……って、もうちゃんと座ってるわね」
「はいっ! 準備万端です!」
「よしよし! じゃ、今日は『魔女』について教えようかしら、ね」
スクリーンを差し棒で軽く指すと、スクリーンにモノクロームの古びた一枚の絵画が投影された。左に人間の男性の直立図が、右にローブを纏った魔女の直立図が描かれている。
「魔女と人間の違いだけれども……まず、基本的な体の構造なんかはあまり変わらないと言われているわ」
「わたしもリアンさんも、体のつくりは同じってことですか?」
「そういうことね。だから魔女のあたしも、何も食べなきゃお腹が空くってことよ」
「初めて会った時のリアンさんが、まさにそうでしたよね」
「んむ。そういうわけで、人間と魔女っていうのは、そんなに大きな違いがあるわけじゃないのよ」
腕組みをしながら頷く、リアンおなじみの姿勢を見せる。
「違いがあるとすると……んー、大まかだけど、三つくらいに集約できるわね。ともえちゃん、どういうことか分かるかしら?」
「えーっとぉ……一つは、魔法が使えることだと思います」
「正解! 多分、一番大きな違いはそこね。魔法が使える人間は、いないことになってるはずだし、ね」
「そうですよね! う~ん、後の二つは……」
ともえは「魔法が使えるか否か」という答えはすぐに挙げることができたが、後の二つは中々思いつかない様子だった。リアンはともえにしばらく考えさせた後、やがて自分から口火を切った。
「そうね。後の二つは、一言ずつでまとめると……」
「一言でまとめると?」
「『誕生』と『寿命』……かしらね」
差し棒で再びスクリーンを軽く叩き、リアンが投射されているスライドを切り替える。切り替わったスライドには、魔女と人間を単位とした、簡潔な棒グラフが描かれていた。
「魔女には『魔女』しかいないから、人間のように誰かから生まれてくるわけじゃないのよ」
「じゃあ、魔女はどうやって生まれてくるんですか?」
「いい質問ね。答えを先に言っちゃうと、魔女は『バラ』の花から生まれてくるのよ」
「勝手に想像しちゃいますけど……こう、バラのつぼみが花開くように生まれてくる……そんな感じですか?」
「その通りよ、ともえ。概ね、それで正解だわ」
「うむ。で、魔女界全体のルールとして、新しい魔女の誕生に立ち会ったものは、その魔女の母親になるという決まりがあるの」
あたしのお母さんも、あたしが入ってたバラの開花を目撃してお母さんになったのよと、リアンがさりげなく付け加える。
「そうやって、親と子の関係ができるんですね」
「そうね。この決まりにまつわる、ちょっと面白い噂話もあるんだけど……その話は、また今度にするわ」
スクリーンを指したまま、リアンが一旦話を打ち切った。
「で、もう一つのほう、『寿命』ね」
「はい。魔女と人間は、寿命が違うんですか?」
ともえからの声に、リアンは大きく頷く。
「そうなのよね。当然個人差・地域差はあるけど……」
「……………………」
「概ね、人間の十倍から十五倍くらいの水準で推移しているって聞くわね」
「十倍から十五倍?! そんなに長いんですか?!」
「そうそう。これは大きな違いね」
途中から年齢をカウントするのが面倒になって、大まかな生まれしか覚えていない魔女も多いから、正確な統計は取れそうも無いけどね、と付け加える。
「かく言うあたしも御年……あ、これはナシってことで」
「そうね……大体、ともえのお母さんの」
「シャラーップ!! 黙らっしゃい白猫!!」
横からさりげなくリアンの年齢をばらそうとしたルルティに、リアンがタイミングよく突っ込みを入れる。ルルティは少々不満そうな顔つきで、そこから先を言うのを止めた。
「まあ、それでも寿命の問題ってのは中々根深いものなのよね。人間から見た魔女は長生きで、魔女から見た人間は短命。これが、どうしようもないギャップを産むのよ」
再び、リアンがスクリーンに軽くタッチする。投影されていたスライドがフェードアウトし、新しいスライドが現れる。
「この話は早いうちにしておいたほうがいいと思ってたから、今話しておくわ」
「何か、寿命にまつわるエピソードがあったんですか?」
「ええ。人間と魔女の関係を再考せざるを得ない、そんなお話、ね」
魔女と人間のおぼろげなシルエットが描かれたスライドを柔らかく指しながら、リアンが講話を始めた。
「昔、一人の優れた魔女がいたの。魔女界を治めるくらいの、優秀な魔女がね」
ともえは目を真ん丸くして、リアンの話に聞き入る。
「その魔女が人間界に赴いたときに、一人の男性と出会ったの」
「魔女と男性は恋に落ちて、二人は共に人間界で暮らす事になったわ」
「二人は子供ももうけて、幸せなときを過ごしていた。そう、時間を忘れるほどにね」
「魔女は魔女、人間は人間。二人は強く結ばれていたけれども、同じ時間を生きてはいなかったのよ」
「男性が老衰で亡くなったとき、魔女は彼と出会った時の姿のままだったわ」
「子供達はその事実に気付いて、彼女を気味悪がって遠ざけるようになった」
「伴侶と子供を失い、孤独に苛まれた彼女は、一人魔女界へと戻っていった……」
徐々に声量を落とし、リアンが話を一旦切った。ともえの反応を窺おうと、彼女にそっと目を向ける。
「ともえちゃん。この話を聞いて、どう思ったかしら?」
「わたしは……悲しい、悲しい話だと思いました」
「そうね。あたしも、この話は悲劇以外の何者でもない、救いの無い話だと思うわ」
お互いに違う時間を生きているが故に、伴侶と子供を失ってしまった魔女の話。子供のともえにもはっきりと分かる、紛れも無い悲劇だった。
「今は一人の魔女を例に挙げたけれども、これに似た話は、他にもいくつかあるわ」
「そうね。私も聞いたことがあるわね。いずれにしても、後味のいいものではないけれども」
「そうね……魔女と人間の間には、大きな大きな寿命の差がある。ともえちゃん、ここは覚えておいてちょうだいね」
「はい! ……あっ、そうだ。リアンさん、一つ聞いてもいいですか?」
「お、質問ね? いいわよー。どーんと来なさい、どーんと」
胸を張るリアンに、ともえが質問を投げかける。
「今、わたしは魔女見習いをしてますけど……もし、わたしが『魔女』になったら、寿命って、どうなっちゃうんですか?」
「鋭い質問ね。確かに、気になるところだと思うわ」
差し棒を一旦収めてから、リアンがともえの問いに答えた。
「答えは『魔女と同じになる』よ。人間基準の年齢を魔女基準で計算しなおして、そこから魔女基準の加齢が始まるようになってるわね」
「そうなんですか。じゃあ、わたしが魔女になっちゃったら……みんなとは、違う時間の中で生きていくことになるんですね」
「そうね……そこは、人間と魔女の狭間に立たされる、魔女見習いの難しいところね」
ともえが口にした「みんなとは違う時間の中で生きていく」という言葉に、リアンは少しため息混じりに呟いた。些かデリケートな話題なだけに、口ぶりも重くなるようだ。
「最近こっちで……ああ、あたしの住んでる所の話ね。最近提案された案だと、『魔女としての権限と力を持った魔女見習い』、ってのを設けてみたらどうよ、ってのが出てるわ」
「魔女と同じことができるけど、中身は人間のまま……そういうことですか?」
「その通り。何だかんだで、これが魔女と人間の要望を満たす形になってるのよね。魔女側からも人間側からも、不満の声はあまり聞こえてこないわ」
「魔女と同等の力を持つのに魔女見習い、人間としての時を過ごしているのに魔女見習い……機能的だけど、美しい形では無いわね」
「大勢の要望を最大公約数的に満たすものは、えてして歪な形になるものよ。やけに込み入ったメニュー、使われる気配の無い機能、不可解なデータ構造、冗長なテーブル設計……そうね。万人にとって美しく機能的なものは、そうそうあるものじゃないわ」
ルルティの言葉に、リアンが珍しく伏し目がちに答えた。リアンとルルティが普段見せている軽妙な会話とは少々毛色の違う、シニカルな色合いの濃いやり取りだった。
「少し脱線しちゃったけど、今はそういう、都合のいい考え方もあるのよ」
「分かりました。わたし、ちょっと安心しました」
「うむ! だからね、ともえちゃん。魔女としての力を身につけることを恐れないで。ともえちゃんのような真っ直ぐな子が強い力を持てば、それはきっと、いろいろなものを良い方向に導いてくれるはずだから、ね」
上目遣いで自分を見つめるともえの頭を、リアンが優しく撫でてやった。ともえの顔が、思わず綻ぶ。
「……はい! わたし、頑張りますっ!」
「よし! ともえちゃん、いい子いい子!」
「こんなに仲の良い師匠と弟子、魔女と魔女見習いじゃ滅多に見ないわね」
二人の様子を、定位置の学習机に腰掛けたルルティが見守っていた。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。