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#25 黄色い目のフィオネ

「今日もありがとな。フエンせんべいも出してくれてさ」

「うん。おばあちゃんが持ってきてくれて、優真くんも好きって聞いたから」

「さすが小夏、気が利くぜ。よし、じゃあな、小夏」

「気を付けて帰ってね、優真くん」

水泳のトレーニングを終えてから、小夏と優真が別れの挨拶をする。

「……じゃなかった、優真くんはこっちだったね」

「……いけねえいけねえ。小夏はそっちだったな」

今日は一日中ずっと小夏は優真として、優真は小夏として振る舞っていたものだから、最後になってやっと自分がどちらかを思い出したようだ。今やお互いの口ぶりや姿勢がすっかり板についている。

「なんだかわたし、優真くんの話し方に慣れちゃった」

「どこからどう見たって俺そのものだな。全然違和感ないや」

「自分を見てるみたいで、なんだか不思議な気持ちだよね。優真くんも完璧だよ、なんか鏡を見てるみたい」

「それを喜んでいいのかどうなのか……ま、それだけ小夏になりきれてるってことだから、悪いことじゃないと思うんだけどさ」

「ふふっ、お互い様だね。じゃ、今日も勉強頑張ってきてね。わたしもばっちり泳いでくるから」

「ああ、任せてくれ。シズクのことは頼んだぞ。日記もしっかりつけといてくれよ」

そう言って小夏を送り出すと、優真が家に向かって歩き出す。今日は母親が仕事で留守にしていて、家にいるのは自分だけだ。帰ったらまずシャワーを浴びるとして、それからどうするか。おばあちゃんが持ってきてくれたお菓子がたっぷりあるから、それを食べながら塾の予習をするとしよう。朝のうちにお母さんが洗濯物を干して出ていったから、お昼前になったら取り込んでおこう。おお、あっという間に整理がついた。これも小夏の頭を使いこなせてるってことかな、優真が軽く口笛を吹く。

進捗は文字通り見違えるほどよくなっていた。塾で出される宿題は家に帰ったその日のうちに片付け終わって、テキストは講義を受ける前からどんどん予習を進めていくほど。かつての小夏と同じくらいのペースで進められるようになっていたのだ。今や全国学力テストは無謀な挑戦ではなく、現実味のあるしっかりとした目標になっていた。

(小夏が目標にしてたんだ、俺が必ず乗り越えてやるぞ……ん?)

帰ってからもさらに勉強に励むことを考えながらテンポ良く歩いていた優真だったが、そこで見覚えのある人影が立っているのが見えて。

(あそこに居るの、宮沢じゃないのか? なんでエーテル財団のやつらと一緒に……)

宮沢くんが立っている。が、そこにいたのは彼一人ではない。エーテル財団職員の制服に袖を通した少女と、彼女の上司らしき人物。そして彼の風体には、優真も明らかに見覚えがあった。

(それに……あいつ、ペリドットにいたソラマメみたいなメガネかけてたやつじゃねえか)

二人に寄り添うように立っているのは、あのソラマメじみた眼鏡を掛けた細身の中年男性ではないか。見間違えるはずもない、あんな自己主張の激しい眼鏡を掛けている人間が榁に二人も三人もいては困る。紛れもなく、カフェ・ペリドットにいたのと同じ人物だ。それはいいとして、なぜ宮沢くんと一緒にいるのか。優真は気になって仕方がなくなってきた。どうせ宮沢と小夏に関係なんてありはしない、これといって気に掛けるでもなく堂々と近づいていく。

ところが、またしても意外な展開が優真に降りかかって。

「――すまん! そこん女ん子、ちょっと待ってくれん!」

えっ、と優真が立ち止まる。呼び止められたのは明らかに自分だ。声を飛ばしてきたのは宮沢くんでもソラマメでもなく、側に立っていた色黒の少女だった。優真がその場に突っ立っていると、三人がぞろぞろと近くまで寄ってきたではないか。なんだなんだ、と優真が目を点にする。

「なあ俊明くん、こん子やなかと? フィオネば連れ歩きよー子っていうんは」

「ええっ、違うよナツ姉ちゃん。皆口さんじゃなくて、川村くんだってば。聞いてなかったの?」

「ばってん、うちもこん間フィオネば連れとーんば見たばい。黄色か目んフィオネば」

「あ、あの……シズクがどうかしたんですか?」

優真は思わず声を上げた。自分を呼び止めるなり宮沢くんと少女――どうやらナツという名前らしい――が言い合いを始めてしまったものだから、優真としては困惑するほかない。

「ほうほう。あのフィオネは今『シズク』と呼ばれているのですねぇ。先日喫茶店でお見かけした際は、まだ名前は付いていなかったようですが」

「ほら、ザオボー支部長だってこう言いよーばい」

「ううん、どういうこと? だって川村くん、フィオネを連れて僕の家へ遊びに来たんだよ。間違いないよ」

なんとなく話の繋がりが見えてきた。小夏は確か、少し前に宮沢くんの家へ遊びに行ったと言っていた。まず、宮沢くんはその時にシズクを目撃したのだろう。ナツはまた別のタイミングで、自分がフィオネを連れ歩いていたのをどこかで見ていたらしい。そしてソラマメ……もとい、ザオボー支部長とやらは、綾乃と共に訪れたカフェ・ペリドットでシズクのことを目撃していた。三者三様ながら、優真と小夏が育てているフィオネを目にした、というわけだ。

「ああ、ご挨拶が遅れました。私はエーテル財団豊縁ブロック支部長、ザオボーと申します。以後、お見知りおきを」

「うちゃエーテル財団職員、伊吹ナツばい。職員て言うてん、まだ見習いばしとーがね」

「ナツ姉ちゃんは僕の従姉妹なんだ。ところで皆口さん、フィオネ……シズクだったっけ? どこへ行ったの?」

「い、今ここにはいないけど……」

「ひょっとして……川村くんと二人で面倒見てるとか? それなら説明が付くんだけど」

「えっ!? あっ、いや、ううん……」

いきなり核心に踏み込んできた宮沢くんを前にして、優真が言葉を濁す。この間小夏と派手なケンカをしたきっかけも、元はと言えば自分が小夏と一緒にシズクのお世話をしている、なんてことを軽はずみに口外したからではないか。あの一件は優真にとって相当堪えていたから、おいそれと事実を話すわけにはいかなかった。なんとか上手い誤魔化し方はないか、優真の視線が彼方此方を泳ぐ。

だがここで、思わぬ形で事態が動く。

「ふむ、アテが外れたようですな。可能でしたら、我々にかのフィオネを少しばかり見せていただきたかったのですがねぇ」

「シズクは今ここしゃぃはおらんのやなあ。ちょっと気になることがあるんやばってん」

なんだ、この言い草は。まるでシズクが何か悪い病気でも患っているかのような口ぶりじゃないか。ザオボーとナツの言葉に、優真は少なからずムッとする。シズクが一体どうしたというのか、いたって普通のフィオネじゃないか。健康優良児で元気いっぱい、取り立てて変わったところもない。エーテル財団がポケモンの保護を仕事にしているのは分かる、傷付いたポケモンや病気のポケモンを助けているのも分かる。そういう話は優美からさんざん聞かされた。が、それにしたっていささかお節介が過ぎる。シズクのことは自分と小夏がしっかりお世話している。わざわざエーテル財団にしゃしゃり出て来られる筋合いはどこにもなかった。

これ以上関わり合いになりたくない、優真は顔を上げると、はっきりとした口調でこう告げた。

「すみません。わたし、急いでますので、これで失礼します」

「あっ……ちょっと、皆口さん!」

呼び止めようとする宮沢くんの声もまるで聞こえないふりをして、優真はさっさと家路についたのだった。

「……あの様子、やはり気に掛かりますねぇ。伊吹くん、引き続き皆口さんとフィオネを注視願いますよ」

「分かった。シズクんことで何かあったらすぐに連絡するばい、ザオボー支部長」

「えぇ、えぇ。頼りにしていますよ。あのフィオネ、一般的な個体に比べて随分と成長が早い。何か特異性があるやも知れません」

ザオボーとナツがそんな会話を交わしていたなどということも、もちろん知る由もなく。

 

(ちぇっ、なんだよ宮沢のやつ。あんなの一緒にいるなんてさ)

塾で勉強している最中も、優真はどうにも収まりの悪い気持ちを抱えたままだった。理由はほかでもない、お昼に遭遇したエーテル財団の二人のことだ。支部長の肩書を持ったソラマメメガネのザオボーと、職員見習いだとかいう体育会系女子らしきナツ。どちらもなんともいけ好かない存在だった。ザオボーはあの馬鹿でかいメガネが大層気に入らなかったし、ナツは尊敬する小夏に似た名前をしているのが大変気に食わない。

それ以上に、シズクをエーテル財団が保護すべきポケモンのような言い方をしてきたのが、とにかく腹立たしくて仕方なかった。

(うまく行かなくたって、俺と小夏で育てるって決めたんだ。余計なお世話だっての)

繰り返しになるが、シズクはいたって健康だ。小夏と一緒にポケモンセンターで定期的に診察を受けさせているけれど、何か引っかかったことは一度もない。「元気に育ってますよ」と職員さんも太鼓判を押してくれているのだ。通りすがりなり横目なりでシズクのことをチラ見したに過ぎないザオボーやナツなんかより、よっぽど信頼のおける言葉だった。それとも何か、自分たちならもっと上手にシズクを育てられるとでもいうのか。勝手に言ってやがれ、と優真は怒りを隠さない。

(優美はエーテル財団に入りたいって言ってるけど、ああいうお節介焼きにはならないでほしいもんだな)

とまあ、頭の中であれこれ考えつつも、手の方はすらすら動いて問題を解いていく。漢字の書き取りテストをしている最中だったのだ。どの漢字も見た瞬間読み仮名が出て来るし、ひらがなを見れば対応する漢字がパッパッと浮かんでくる。あっという間にすべて埋めてしまうと、時間が過ぎるまで見直しを繰り返す。小夏に「終わった後はちゃんと見直しをしなきゃダメだよ」と言われた時は「かったるいなあ」としか思わなかったものの、勉強に慣れれば慣れるほど見直しの重要性が身に染みて来る。細かなミスを拾い上げて満点を目指すには、テスト時間の半分くらいを見直しに充てるくらいでちょうどいい。さすが、小夏の言うことは一味違う。

見直しも済ませてなお残った時間を持て余して、優真がふと隣の席に目をやる。普段顔見知りが座っているその席は、今日に限ってなぜか空いていて。

(そう言えば今日って、なんかお祭りの日だったっけ……確か東原が言ってた『星祭り』ってやつ)

八月七日。地元の催しにはあまり興味がなかった優真だが、この日「星祭り」というお祭りが開かれるということは覚えていた。何を隠そう小夏と入れ替わって初めて塾へ行った七月二十二日、毬がこのことについてあれこれ喋っていたからだ。塾に出かける前に綾乃からLINQで「お祭り行く?」というメッセージももらった。ただ、見ての通り優真には夏期講習がある。「ごめんね、塾で行けなくて」とそれっぽい顔文字付きで返事をしたら、すぐさま「ありゃりゃ、ざんねん。ありがとね」と悲しげな絵文字付きで応答があった。小夏は毎年遊びに出かけていたようで、綾乃は今年も一緒に行こうと思っていたようだ。

ここに毬がいないのは、件の星祭りに出ているからだろう。もちろん、遊びに行っているわけではない。祭事を執り行っているらしいのだ。どういうわけか佐々木がこのことにやたら詳しくて、頼んでもいないのにあれこれ聞かせてくれたことがある。どうやらフィオネと共に舞踊を披露したりするとのこと。そして最後には「ちょっとドキッとする」ことをして終わるそうだ。何がどう「ドキッとする」のか、佐々木はあやふやにして細かく話そうとしなかった。話したいのか話したくないのかよく分からん、と優真はジト目を送ったことを思い出す。

なんてことを考えている内にテストの時間は終わり、答案用紙を回収した先生が全員分の採点をしていく。それが済むと各自に返却されて、ついでにひとことコメントを付け加える。前から順に返却と講評がされていき、やがて優真の番が回ってきた。

「皆口さんは……満点よ、言うことなしだわ」

「よしっ。ありがとうございます!」

「一時はどうなるかと思いましたけど、すっかり元の皆口さんに戻りましたね。これからも頑張ってください」

微笑む先生の顔がすべてを物語っている。今の優真はかつての小夏と同じ水準にまで登り、そこからさらなる高みを目指そうとしているのだ。「元の皆口さんに戻った」という先生の言葉は、優真にとって何よりの褒め言葉だった。

ますます意気を上げて勉強に臨み、あっという間に二時間が経つ。今日の講義はこれでお開きだ。先生に挨拶をして、ビルから外へ出る。見るとそこにはいつものように、お母さんの運転する車が停まっているのが見える。優真が手を振ると、お母さんがライトを軽く点滅させて応じた。すぐに助手席へと乗り込む。

「ただいま、お母さん」

「お帰りなさい、なっちゃん。今日もお疲れさま」

前方の安全を確かめてから、お母さんが車を発進させる。

「あと十日で全国学力テストね。準備は進んでる?」

「もっちろん! 今日も漢字のテスト、満点取っちゃったもんね」

「頼もしいわ。これなら本番もバッチリね」

「ううん、油断は禁物だよ。帰ったらご飯食べてお風呂入って、それから宿題をやらなきゃね」

普段と同じようにお母さんとわいわい話していた優真だったものの、お母さんから出た「全国学力テスト」という言葉を聞いて、ふとあることを思い出す。

(そう言えば……小夏って、全国学力テストでいい点数を取る代わりに、母さんと何か約束してたんだっけか)

小夏がした約束とは何だろう。母親とする約束なのだから、そう変わったものではないはずだ。これくらい、聞いてもバチは当たらないはず。それに約束を聞き出したところで、自分のすることは何ら変わらない。全国学力テストで高得点を取る、ただそれだけだ。

というわけで、優真が流れに乗って話を振ってみた。

「そうそう、お母さん。約束のこと、覚えてるよね」

「ええ、もちろんよ。ちゃんと覚えてるし、守るつもりでいるわ」

母親とする約束なのだから、たぶんご褒美の類だとは思う。何かを買ってもらうとか、そんなところではないだろうか。勉強好きの小夏のこと、例えば電子手帳なんかを欲しがってもおかしくない。正直なところ、自分も勉強をしていると電子手帳が欲しくなるシーンが結構あった。もし、入れ替わりがこれからも続くなら、手元にあると何かと助かる……

 

「全国学力テストで九十点以上を取ったら、なっちゃんはポケモントレーナーになっていい――ってね」

 

そこで、優真の思考はストップした。母親が何と言ったのか、自分が耳にした言葉はなんだったのか、理解するまで数秒の時間を要した。

(小夏が……ポケモントレーナーだって……!?)

やっと頭が働き始めたところで湧き上がってきた感情は――驚愕、ただその二文字だった。

「しっかり勉強をして、いいことと悪いことを理解できるようになったら、外の世界へ出てもいい」

「お父さんもお母さんも、約束はきちんと守るわ。なっちゃんはもう、守られるだけの子供ではないのだから」

「この間シズクを抱かせてもらって思ったの。もう心配するのはやめよう、不安がるのはやめよう、なっちゃんを信じてあげようって」

小夏がずっと願っていたこと、夢見ていた未来。それは、ポケモントレーナーとして外の世界へ旅立つことだった。この榁を飛び出して、もっと広い内地の方へ、或いはさらに外の地域にまで足をのばして、小夏は空高く羽ばたこうとしている。あの、勉強ばかりしていると思っていた小夏が、榁を離れることなんて少しも考えていない様に見えていた小夏が、幼い頃からずっと側に居た小夏が、ポケモントレーナーになることを目標としていたなんて!

予想外の展開にただただ驚くばかりの優真だったが、自分の記憶を遡ってみると、気付かなかっただけでその片鱗は確かにあったのだ。フィオネの生態にやけに詳しかったのもそう、今年の全国学力テストでいい点数を取らなきゃいけないとしきりに言っていたこともそう、部屋に置いてあったポケモントレーナーの心得だってそうだ。タンスの中にしまわれていたショートパンツを家宝のように大事にしていたのは、きっと旅に出る時身に着けたいと心に決めていたから。そして苦手なはずの水泳を一人で練習していたのは、トレーナーとして体力を付けたかったからではないか。思い返してみると、すべてがポケモントレーナーになることに繋がっている。

(熱心に勉強してたのは、自分の夢をかなえたいから……そういうことだったのか)

夢を叶えるために全力を尽くす小夏の姿が浮かんで、優真の胸が思わず熱くなる。優真が思っていたよりも、小夏はずっと意志の強い、芯のしっかりした少女だったのだ。そして今自分は、他でもないその小夏として生きている。

小夏の願いは、まさに自分の双肩に掛かっているのだ。

驚きを隠せない優真を乗せたまま、そのまま家へ帰る――のかと思いきや、母親がいつも直進する道で右へ曲がった。

「あれ? お母さん……今日はこっちに行くの?」

「ええ。予定が変わって、一日早くなったの」

「予定……?」

お母さんは優真の方を見ると、いつもと変わらぬ柔らかな口調で告げる。

「お父さんが、出張から帰ってくるのよ」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。